アヤカシ喰いの少女は本名を拒む

「君の戦いは終わって、偽りの名を名乗る必要もなくなる。本当の名前――ケイという名を名乗って、仮初めでも俺との関係を――」

「私の名前は御影依子です」


 声を遮って、依子が毅然と言い放った。宗吾は眉根を寄せる。


「違う、それは任務用の名だ。君の本当の名は五十鈴ケイ。君の母が名付けてくれた。式務部にも登録してある」

「別に忘れちゃった本名なんてどうでもいいです。依子って響きが気に入ってるので、これで通します」

「こだわっているのは、半妖の男がそう呼んでいるからじゃないのか」


 衝動的に言い返して、しまったと宗吾は発言を後悔した。

 この半年間、依子が恋仲にあったという男のことは口に出さないよう注意していた。なのに、ついカッとなってしまった。

 しかしもう遅い。依子は作り物めいた笑みを消して、冷めた眼差しを宗吾に送っている。


「それがどうしたと言うんです。私がなにを気にしようと勝手ではないのですか」

「っ……それが間違ってると言うんだ、ケイ。君は半妖の男に騙されてる。アヤカシの血を引く男が人間である君に好意を寄せるはずがない。別の目的に利用されてるだけだ」

「たーくんを侮辱しないで」


 宗吾は息を飲む。依子の眼光は鋭く、痛みを幻覚するほどの威圧感が襲ってきていた。

 自分よりも一回り小さい少女だというのに、まるで敵わないと思わせるような鬼気を纏っている。これがトップクラスの滅怪士なのかと、宗吾は肝を冷やした。

 だが彼は、言葉を撤回する気にはならなかった。


「君の証言通りであれば、その半妖は親を滅怪士に殺されている。該当する討伐情報が不明なことが問題になっているが、今は置いておこう。つまりその男は明確な復讐心を持っている。事実として君の正体を暴くために鬼共に加担していた。それなのになぜ心変わりしたと言い切れる? 恋人になる振りをして陰陽寮を調べようとした、そう考えるのが普通ではないか?」


 依子の目つきが更に険しくなるが宗吾は負けじと見つめ返す。

 宗吾は短く切り揃えた髪を撫で、唇を湿らせて覚悟を決めた。本当は黙っておくつもりだったが、こうなってしまっては仕方がない。


「……これはつい先日の話だが、総本山と仮設拠点を繋げる秘匿回線が何者かに傍受された。同日、半妖の包囲作戦に参加していた滅怪士二名が行方をくらませている。傍受に利用された通信機はその一名のものだった。おそらく半妖が滅怪士二名を捕獲し、自宅へと侵入したのだろう」


 ピクリと依子の眉が動いた。やはり半妖についての話には食いついてきた。

 複雑な心境になりつつ、宗吾は事の顛末を簡潔に説明する。


 秘匿回線の傍受、それは陰陽寮総本山の位置を特定されたことを意味している。おそらく半妖太一か、アヤカシの手によって秘匿回線の通信機を逆探知されたのだろう。

 ハッキング相手の機器に負荷をかける事前対策は発動しているが、そもそも普通の電子機器を使っていたかどうかわからない。妖術を使っていたなら無駄な抵抗に終わるだろう。


 今後予測される展開は、アヤカシ達による総本山の襲撃だ。元老院は各地に散らばった滅怪士を緊急招集して強固な防衛網を作り始めている。また襲撃を未然に防ぐため、包囲作戦に参加している滅怪士達を、消えた二名が配属されていた街に向かわせた。

 半妖太一は、証拠隠滅のためか、痕跡が消えたわけではない。半妖の居所はすぐにわかるだろう。後は半妖を捕獲するか抹殺し、アヤカシ達の集結を防ぐ。それが急務だった。


 しかし本当に深刻な問題は、半妖が秘匿回線の存在を知っていたことにある。

 アヤカシには決して知られることのない機密情報が漏れていた背景を紐解くと、依子の行為に繋がっていく。


「秘匿回線は門外不出の機密。それを半妖は、君の家にいることでまんまと知り得た。そして総本山の位置を割り出し、今の状況を作り出している。奴の狙いは陰陽寮の壊滅、我らへの復讐と考えると筋が通る」

「でも彼は、私の行動を読んで計画していたわけじゃない。通信機の件も私の位置を探るためかもしれません」

「どうだろうな。偶然が作用しただけで、本当の目的は君に取り入って組織に侵入することだったかもしれない。もっと言えば、妖狐への変怪が未完成だったことも虚偽の可能性がある。君の窮地に都合良く変怪が完成するわけがない。全て嘘だったのではないか?」


 依子は何も反論しなかった。ただ視線を下げて真剣な顔で黙り込む。何かを思案しているようだが、宗吾は逃げ道を塞ぐように告げる。


「よく聞いてくれ、ケイ。元老院の中にはこの事態を重く見て、君の処分を再検討するよう提案している者もいる。監部課も君を餌にして半妖を誘き出す作戦を立案した。その場合は逃亡しないよう廃人同様に脳を破壊される。次世代の子を産むお役目すら奪われる」

「……」

「俺はそんなことをさせるつもりはない。式務の協力を得て君の移送を早める。そのために精神安定結果の調書を取る必要があるんだ。君は半妖への想いが幻想だったと、騙されていたと答えてくれ。それだけでいい」


 依子はやはり何も言わなかった。意識が飛んでいるのかと不安になるほどの沈黙の後――

 彼女は唇の端を釣り上げて笑った。

 宗吾は目を奪われる。この半年の中でも見たことのないような、嫣然とした笑みだった。


「私は嘘はつきませんよ、土御門高等法武官。彼が来るならここで待ちます」

「ケイ……っ!」

「もし彼の気持ちが偽りだったとしても、私が直接問いただしますから。他人の憶測で判断したくない。それはあの人を侮辱することになる」

「……この場にやってきたそいつは、笑いながら牙を剥くかもしれないんだぞ。それでも信じるというのか」


 依子は、なにを馬鹿なことを、とでも言いたげな表情で頷く。


「ええ。私は彼を愛してますから」


 宗吾は咄嗟に手を伸ばした。その手で依子を掴み、胸の内に引き寄せるために。

 だが指先は、寸前のところで彼女には届かない。


「それと、もうケイって呼ぶの止めてくださいね。私は依子です」


 言葉は宗吾の胸を抉る。何をしても響かないことに無力感が押し寄せて、彼はだらりと腕を下ろした。


「それでも俺は……君を、ケイと呼ぶ」


 宗吾の声に、諦めている者の弱さはない。

 打ちのめされたとしてもまだ彼の責任感が、義憤は朽ちていなかった。


「また来る」


 狐面を被り直した宗吾はそう言い残し、立ち上がってから扉を開けた。

 廊下に出たところで、依子の呟きが耳朶を打つ。


「たーくん……」


 不安を滲ませた響きだった。宗吾は奥歯を噛みしめ、乱暴に扉を閉める。

 胸の奥を疼かせるものの正体が嫉妬だと認めたくない青年は、足早に去った。

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