アヤカシ喰いの少女を救おうとする男

 白い法衣を纏う青年は、狐面の奥で短く息を整えた。彼の目の前には重厚な鉄の扉がある。備え付けられたカードリーダに専用カードを通し、鍵が外れたことを確認してからノックをした。


「どうぞ」


 扉の向こうから小さな声が返ってくる。狐面の青年は扉を開けて室内に踏み入った。

 座敷牢という名称が似合いそうな狭い部屋の中央で、着物姿の少女が正座している。肩まで垂らした黒髪は艶やかで、均整の取れた小さな顔にある両の黒瞳はガラス細工のように澄んでいた。百合をあしらった淡桃色の着物も、彼女の白い肌を一層映えさせている。

 部屋には少女一人しかいない。確認した青年は内心でほっとする。前の訪問では彼女専属の式務官がいたから、話をする前に退散していた。今日は落ち着いて話ができそうだ。


 青年は部屋に入ってすぐのコンクリートの地面で立ち止まる。そこから先は一段高くなっていて、畳敷きのスペースへと続いている。

 今日こそは草履を脱いで畳の上に座ろうか。訪問時に必ずといっていいほど抱く葛藤を男が繰り返していると、少女が微笑を浮かべた。


「こんにちは、土御門高等法武官」


 少女の軽やかな挨拶を受けた青年――土御門宗吾は、彼女に聞こえないように小さくため息を吐いた。まだ駄目か、と内心で落胆しながら。


「お邪魔するよ、ケイ」


 狐面を外した宗吾は微苦笑を浮かべながら段差の上に座る。もちろん草履も吐いたまま。これが彼女と接近できる最大限の距離で、今日もまた遠慮してしまった。


「調子はどうか。気分が悪いとか、あれば言ってほしいが」

「普段通りです。もう慣れましたしね」


 宗吾は少女――御影依子の顔色を観察する。血色は良く不調を隠す様子もない。嘘ではなさそうだ。

 それから宗吾は彼女の手元に視線を落とす。膝の上には開いた文庫本が置かれていた。


「今度は何を読んでる?」

「恋愛小説です。面白いですよ」


 声には少しだけ熱がこもっていた。普段は淡々とした受け答えをする彼女も、本のことになると情熱的な側面を覗かせる。

 御影依子という偽名をつけられたこの滅怪士はかなりの文学、いや本好きな少女だった。彼女は文学に限らず書物であればお構いなしに読み込む。その証拠に、彼女の後ろには中世ヨーロッパの建築に関する本や猫の飼い方指南本、分厚い児童小説が積み重なっていた。


 節操がない様はまさに活字中毒とも言える。体育会系の宗吾には理解できない感覚だが、疑問を呈したり拒否反応を出したりしないよう注意はしていた。この趣味があるからこそ彼女は、約一年もの監禁生活に耐えてこられたのだ。下手なことを言って気分を害するのは避けたい。


 宗吾はこれまで、命令違反をした滅怪士の末路を幾人も見てきた。

 それを思えば、半妖を拉致するという前代未聞の違反行為を犯した少女が以前のままでいられるのは、かなり幸運な状況だといえる。

 しかし、宗吾の頭の中には別の考えもちらつく。

 元々普通とは違うからこそ、普通でない状況に平然としていられるのではないか、と。


「土御門法武官も読みます?」


 宗吾はハッとして顔を上げる。彼女の手元を見続けたので、興味を持っているように取られたのだろう。


「いや、結構」

「そうですか」


 会話が途絶える。そのまま互いに無言の時間が流れた。

 依子は微笑を携え視線を向けてくるが、彼女から話しかけることはない。これまでも一度もなかった。

 だから、いたたまれなくなった宗吾から話しかけるのが常だ。


「ケイ。その、だな」

「はい」

「名前では、呼んでくれないのか」


 口下手かつ焦りもあって、先程の落胆の原因が口を滑って出ていた。それは彼自身を余計に気まずくさせる話題でもあった。


「あなたは私にとって別部署の先輩にあたる人ですから。失礼のないようにしています」

「夫婦になる間柄でもある」

「まだ違います」

「では、夫婦になったら名前で呼んでくれるか?」


 依子は答えなかった。曖昧に笑って誤魔化すだけだ。

 宗吾の口に苦いものが広がっていく。

 いつもこうだった。彼女は会話に付き合ってくれるが、決して自ら話題を提供しない。答えにくいときははぐらかし、黙り込む。こんなやり取りをもう半年も続けている。

 最初のうちはまだ緊張もあるのだろうと長い目で見ていた宗吾だが、半年間も進捗のない状況は彼を神経質にさせた。


「君が俺との関係を快く思っていないことはわかる。組織の命令で強制されたつがい役になど、情も湧かないだろう」


 依子は、そんなことはない、とも、頷きすらもしなかった。ただじっと耳を傾けている。


「だが俺は、君に反感や恨みを持ったまま暮らしてほしくない。これからの生活を第二の人生として過ごしてほしい。俺も君のことは、次世代の子を産ませる道具みたいな扱いではなく、一人の女性として接するつもりでいる。それが俺達の代わりを担ってくれた、君達への恩返しだと思っている」


 滅怪士はその性質上、子宮を持つ女性のみに遺伝する。もし生まれてくる子供が男だった場合、魔臓宮は受け継がれず何の力も持たない普通の人間になる。

 そうした男児がどう扱われるかというと、呪符の真言を編み結界の構築を担う法武官か、滅怪士の活動をサポートする監部官として育てられる。

 この二つの役職はあくまで裏方だ。法武官は特殊保護観察下にあるアヤカシから得た妖力を使って様々な効果を発揮する呪符を生み出し、ときに滅怪士の命を救う強力な武器を用意する。その功績は宗吾も自負を持っているが、しかし命の危険にさらされるわけではない。

 凶暴で残忍なアヤカシと戦うのは滅怪士の役目であり、彼女たちは常に死と隣り合わせの人生を送る。

 女だけが傷つき、苦しんでいる。この現実を、宗吾は歯がゆく感じていた。


 だが陰陽寮の上層部は彼とまったく反対の考えだった。元老院は力を受け継ぐ者の宿命であるとして、待遇を変える意思は持っていない。不自由を強制し、彼女たちを幸せから遠ざけている。そうしなければ平穏に生きる人々が犠牲になるという大義名分を笠に着て。

 宗吾はそんな現状を正したかったが、非力な男達ではアヤカシの脅威を退けることができない。滅怪士に頼るしかない。


 ならせめて、引退した滅怪士には人並みの幸せを手にしてほしい。子供を産み育てる使命や生活に制限をかけなければいけない理由もよくわかるが、できるだけ彼女たちを労ってあげるべきだと宗吾は考えている。

 だからこそ彼は、半妖に恋をしたという狂った滅怪士のつがい役を自ら買って出た。不気味がって誰も担い手になろうとせず、廃棄処分に陥りそうだった依子を、自分の手で救ってあげたかった。

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