依子さんの思惑 上
そもそも殺されたくないです依子さん。
心中で突っ込みを入れつつ、忘れかけていた危機感が鎌首をもたげた。
アヤカシ喰いにしてみれば俺は鬼達の一味でしかない。一時的な協力関係など考慮するはずもない。今は依子さんの私情で生かされているだけで、本来ならあの場で殺されていた。
「……そりゃそう、だよね。俺はアヤカシ喰いに敵対したんだから、狙われるのは当たり前だ」
「まだ猶予はあるけどね。痕跡や接触記録は消したし、半妖のあなたは式部の捕物帖にも登録されてないから。でも殺されるのが早いか遅いかの違いでしかない。一人でいれば、いずれ消される」
鉛を飲み込んだような気分に包まれて、俺は思わずため息を吐いた。もはや外に出たところで安全な場所などないようだ。
計らずも、依子さんの部屋に戻ったことで命拾いしている。ここ最近はほんと綱渡りで生きている感じがして安堵できる瞬間がまったくない。
うつむいていると依子さんが「おかわり」と皿を差し出してきた。そこにあったケーキは既に平らげてしまっている。はやっ。
――まぁ……悩んでてもしょうがない、か。
マイペースな依子さんを見ていると、落ち込むのが損に思えてくる。俺も感化されてきているのかもしれない。
依子さんにわからないよう小さく笑って、皿を受け取ってから冷蔵庫に向かう。たくさん作っておいて正解だった。
「だけど、特殊保護観察の対象になれば、たーくんは見逃されるはず」
「……保護?」
依子さんの対面に座ってケーキを差し出す。彼女はフォークで一口分取って口に運びながらコクリと頷いた。
「私たちは何も全てのアヤカシを滅ぼそうとしてるわけじゃない。人類の脅威ではないと立証できて、かつ人間に協力的な個体や種属は特殊保護観察対象として私達の管理下に置かれる。つまり、命の保障はしてるんだよ」
俺は一瞬、自分の耳を疑った。後から衝撃がやってくる。
そんな話は初耳だ。どころか、母や叔父から聞いていた話と随分違う。
「だ、だってアヤカシ喰いは、アヤカシを全て消すために生まれたんじゃ……!?」
「そういう過激なことを口走る人間もいるにはいるけど、非効率だから。現代社会で殲滅戦をしかけるのは莫大なコストがかかるし。戦わずに済むならそれでいい」
「……意外なほど合理的だね」
「だって実際にメリットがあるもの。人間に協力させることで情報収集や対アヤカシ研究も捗る。アヤカシも、自由との引き替えで命は助かる。いわゆる取引というやつ」
そうは言うが、言葉のイメージほど公平な感じには聞こえない。アヤカシ側に立つ俺としてはあまり気分のいいものではなかった。
もやもやしたものを覚えるが、そこに突っかかっていては話は進まない。
「保護対象になる条件は?」
「具体的には過去五十年ほど遡って人間に危害を加えず、殺害及び人食いを行っていないこと。組織的な計画に参加していないこと。人類に甚大な影響を及ぼす能力または呪いを保有していないこと。これらを満たした上で私たちが管理可能な生態であり、かつ意思疎通が可能と認められた場合に成立する」
「それ、対象がかなり狭くならない?」
「そうね。だから特殊保護観察に指定されるアヤカシは化け猫みたいな人語を解する動物種と、元は普通の人間だったものが土着の霊や呪いで変質した呪怨寄生型がほとんどになる。生粋のアヤカシはまず認められない」
「そんなの、有名無実だ……」
「だって独自に活動できるアヤカシが私たちの庇護下に入るはずがないでしょ。強力であればあるほど、私たちも管理仕切れなくなる。そいつらは殺す以外に方法はない」
依子さんはそう切って捨てた。アヤカシと共生する考えなど微塵もない。
脳裏を過ったのは母と叔父のことだ。二人ともに人喰いは止めて山奥にひっそりと暮らしていた。それが突然襲撃にあって、殺された。
おそらく危険な個体だからと、制御しきれないと判断して殺したに違いない。こっちはただひっそりと暮らしていただけなのに。
結局、殺すか利用するかの違いがあるだけで、人間との距離は何一つ変わっていない。歩み寄ることもできない連中に自由を奪われたアヤカシは、一体どんな気持ちで過ごしているんだろう。
「たーくん、怖い顔してるね」
ケーキを食べる手を止めて、依子さんが俺を見つめる。そして、机に置いていた俺の拳にそっと手を重ねてきた。
「あなたの気持ち、わかるよ」
「えっ?」
「保護観察に入るかどうか、心配なんだね」
そっちじゃないっ。
怒りよりも呆れが勝って気が抜けてしまった。依子さんには口で伝えた方が懸命かもしれない。
しかし勘違いしたままの依子さんは「大丈夫だから」と自分の話題に繋げる。
「たーくんは半妖で人も食べない。保護観察に認定される可能性はある」
「……抹殺対象になっても?」
「敵性がないっていう十分な証明ができればね。その点、たーくんは鬼達に脅されて強制的に従わされてただけだし」
その言葉に俺はやや焦った。そこは確か、依子さんの妄想で脚色された部分だったはず。さも真実のように報告すれば事実との差異が生じて依子さんの立場も危うくなるのではないか。
依子さんの中では事実かもしれないけど、指摘しておいた方がいいだろう。若干のいたたまれなさも感じつつ、俺は恐る恐る話しかけた。
「その、本当に申し訳ないんだけど。俺は別にあいつらに脅されてたわけじゃないし、だから協力者ってのは間違ってないと――」
「なに言ってるの? 鬼達が狙っていた女の子を逃がしたから、その因縁で使役させられてた。そうでしょ?」
心臓が跳ねる。なぜ依子さんが知っているんだ。
「あの鬼達は女、特に子供が好物だった。しかも狩りみたいに獲物を追い詰めて殺す悪趣味な連中。でも、その現場に居合わせたあなたが女の子を逃がしてあげた。たーくんは鬼達に殺されかけたんだけど、半妖だと気づいた奴らはアヤカシ喰いを探す駒としてあなたを利用し始めた。だから何も間違ってない」
「なんでそこまで……!」
「大好きな人の過去を知りたいと思うのは普通じゃない?」
思っても実行に移すのはやばいです依子さん。
まるで見ていたかのように語る彼女の姿に鳥肌が立った。黙っていると本当に根こそぎ暴かれてしまいそうだ。
そういえば少し前に、依子さんはもう俺の実情を把握しているんじゃないかと推測したことがあった。その予想は間違いではなかった。
「でもたーくん、どうして女の子を救ったの?」
「それは……」
嫌な流れになって、口内に苦いものが広がった。
俺は別に、アヤカシの人食いを止めるつもりはないし、その権利もないと思っている。だからあのとき幼女を助けたのは完全な気まぐれだ。
下卑た笑い声をあげる鬼達と、母親の名を必死に叫んで助けを求める女の子を見つけたとき、俺はなぜか昔の自分と重ねていた。気づけば、偶然を装って幼女を逃がしていた。
その後は依子さんの言ったとおり鬼達に半殺しにされた上で、半妖だからと下っ端のように扱われることになる。
格好悪い上に、支離滅裂な行動が自分でも気持ち悪くてずっと隠していた。まさかそこまでバレていたなんて思いも寄らない。
どうにも気まずくて黙っていると、依子さんはケーキを口に運びながら「まぁたーくんだものね」と一人納得したように呟く。
「私のところに戻ってきてくれた人だから。そういうことができる人、好きよ」
……なんだか褒められているようだけど、あまり嬉しくない。
「ともかく、たーくんは嫌々従ってただけなので情状酌量の余地がある」
「アヤカシ喰いの件は強制されたわけじゃなく割と本気で――」
「嫌々だった。そうよねたーくん?」
依子さんの声に有無を言わさぬ迫力が込められる。俺は反射的に「はいっ」と答えてしまった。
……しかしなるほど。依子さんは曲解しているのではなく、計算ずくで違う事実に脚色するつもりらしい。一体普段の彼女はどこまでが理知的で、どこからが素で動いているのだろうか。依子さんは奥深い。
「今回は巻き込まれたにせよ、たーくんは他のアヤカシと結託した形跡もない。ここも説得力がある」
俺にとっては単なる汚点だ。それが有効に働くのは皮肉な話だった。
しかし、続く依子さんの声は少しばかり真面目になる。
「でも、そのせいでたーくんの価値は低くなってる。アヤカシ達の動向を知っているわけでもないし、半妖だから研究協力もできない。つまり組織にとって、たーくんは生きていてもいなくてもどっちでもいい存在。むしろ人社会に潜り込める分、潜在的な不安分子と取られかねない。私は、ここを懸念してた」
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