おねだりに喜ぶ依子さん

「本の並びがバラバラだったよ。どういう順番で置いてるか、私はちゃんと覚えてる。この部屋で本棚を触れるのはたーくんだけだし」


 俺は自分の迂闊さを痛感した。種類もタイトルもまるで揃っていないものだから、乱雑に突っ込んでいるだけだと思い込んでいた。彼女なりのルールがあったんだ。

 弁解しようとして口を開ける。でも言い訳の言葉がまとまらない。興味本位でつい触ってしまったと嘘をつくことはできるが、それだとアヤカシについて記されたページのことも確認される。目にしたと告げれば「すぐに記憶を消して」と無茶ぶりされた挙げ句、記録を取らせないような措置を施される。

 なら、見てないと嘘をつくか? いや、触ったことは彼女の中でほぼ確定している。実力行使で口を割らせて俺から証言を引き出すに違いない。痛い思いをして結局情報は遠ざかるという散々な末路が待っている。

 うまい回避策を探して黙り込んでいると、依子さんは双眸を細めて訝しげに見つめてきた。


「見たの? 見てないの?」

「それは……」

「はっきりして」


 駄目だ、この流れは止められそうにない。

 内心で落胆しながら、俺は「見ました」と正直に答える。

 依子さんは「そう」と呟き、そして「隠さなくてもいいのに」と呆れ混じりに言いながらナイフをホルスターにしまいこんだ。


「別にいいよ。怒らないから」

「……え?」

「もう読み終わったものばかりだし」


 今度は俺が訝しむ番だった。


「俺が読んでも、いいの」

「うん。問題ない。どうせたーくんが触っても反応しないからね」


 あっさり許されたどころか、あの奇妙な一ページについて一切触れなかったことには驚きを隠せなかった。冗談じゃないよね、と念を押したい衝動に駆られる。

 

 ――いや待てよ。反応しないってのはどういう意味だ? 


 俺が読んでも困らない、という状況と照らし合わせてみる。

 もしかして本当は、あの大量の本には何か仕掛けがある?

 考えてみれば妙ではあった。本の中に特殊文章を紛れ込ませる工作を施したとして、他人が居座っている部屋ならいつ盗み見られてもおかしくない。重要な情報なら尚更、依子さんがその状況を放置しておくとも思えない。

 翻せば、他の人間が触っても支障がないから何も対策しない、といえる。呪符を使う結界のような、本人の妖力に反応して機能する仕掛けくらいはありそうだ。


 ――でも、俺は読めてるよなぁ……。


 なぜだろう。仕掛けが故障しているのか。それなら依子さんがすぐ気づく。

 もしくは、反応する? 自分の特徴、それは。

 

 ――半妖。


 何かの手応えに触れた瞬間、右肩と右胸当たりに柔らかいものが当たった。

 依子さんが、俺の腕の間にしなだれかかっている。


「んぐっ!?」


 それまでの思考が吹っ飛び、俺は彫像の如く固まった。依子さんはナイフを載せた頭をこてんと俺の右肩に置いて「んふふ」とくつろいでいる。


「せっくすは駄目でも、こういうイチャイチャはいいでしょ?」

「う、ん……」

「ふふ。たーくんの胸板広くて楽ちん楽ちん」


 子猫の如く甘えながら依子さんは俺に密着してくる。しかし柔らかい部位が容赦なく三大欲求の一つを刺激する上に、黒髪の香しい匂いや滴る水滴がなんとも扇情的だ。

 湯船のおかげで裸体の輪郭がぼやけていること、たまにナイフの柄が俺にこつこつ当たって存在を主張してくるおかげで冷静ではいられたが、精神衛生上よろしくない。

 差し当たって自分の気分を紛らわせるために「さっきの欲しい物の話だけど」と自ら話題を振った。


「依子さんに、買ってきて欲しいものがあるんだ」

「たーくんのおねだりキター!」


 バスルームに反響するほどの大声を出した依子さんがぐりんと振り向く。あまりの勢いに仰け反った俺に向けて、彼女は期待のこもった眼差しを送ってきた。


「何が欲しい? 趣味の物でも何でもいいよ! それとも二人で一緒に寝られるツインベットとかお揃いのパジャマ? 好みの下着でも大人の(自主規制)でも買ってくるから!」


 後半ほとんど依子さんの思惑では?

 少々どん引きしつつ、俺は咳払いをして真面目なトーンで返した。


「食材と料理道具が欲しいんだ。キッチンに備わってないものはメモしておくよ」


 依子さんの顔がキョトンとしたものに変わった。

 あまりにも予想通りだったので笑ってしまいそうになる。


「料理、するの? たーくんが」

「まぁ。暇つぶしにもなるし」

「趣味なの?」

「趣味ってほどじゃないよ。一人暮らしが長くて続けてただけ。でも時間があれば凝ったものも出せるから、食べたいものがあったら言って」


 依子さんは目を瞬かせる。そして「たーくんの手料理が食べられる!?」と裏返った声を上げた。ようやく事態が飲み込めたようだ。


「でも依子さんて少しの食事量でいいんだよね? 作るものは考えないとな」

「ううん! 普通の量でも問題ないよ! 余計な分はそのまま排出されるから!」


 良いのか悪いのか微妙な台詞だ。


「じゃあ明日から早速「たーくん大好き!」」


 言葉の途中で視界が真っ暗になり息苦しくなる。というか柔らかくて温かくてドクドクという音が聞こえる。

 あれ? 抱きつかれてませんこれ?

 谷間に挟まれた状態にあると気づいた瞬間、俺の身体が火を噴くかのごとく急激に紅潮した。顔と言わず様々な場所が熱い。これは、まずい。

 しかし依子さんはすぐに俺から離れた。そして満面の笑みを浮かべると急に立ち上がる。ざばぁという音と共に美尻や太ももが視界に飛び込んできた。俺は慌てて顔を逸らす。


「今から買いに行くね!」

「今から!? もう夜だけど……」

「善は急げって言うから。ちょっと待っててねたーくん」


 浴槽から出た依子さんはうきうきしながらドアを開け、そのまま外へと飛び出していった。俺に何も聞かないまま。

 あの様子では、買うべき食材の種類や調理器具を把握せず買い出しに行きかねない。きっと追いかけたほうがいいのだろう。

 ただ今はちょっと、風呂から上がれそうになかった。俺は湯船越しに自分の下半身を凝視する。


「……」


 やっぱり、身体は素直だ。

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