依子さんのいぬ間に

 薄暗い室内に踏み込み照明をつける。相変わらず本がぎっしりの部屋だ。本棚には小説からエッセイ、漫画に専門書に絵本と節操もなく色んな書籍が詰め込まれている。その無秩序さが、なぜか逆に彼女らしいなと思わせた。

 本棚に近づき、一冊の小説を取り出す。何度も読まれたのかページの端がへたれていた。ぱらぱらとめくりながら、ふと想像する。

 母達を殺したアヤカシ喰いも、人間らしい生活を送り、人間らしく笑い、こうして趣味に没頭しているのだろうか。

 誰かの愛しい存在を殺しておきながら。


 ――アヤカシ殺しなんて、罪とも思ってないんだろうな。

 

 アヤカシが人間にとっての脅威で、相容れぬ存在なことはわかっている。でもこれは理屈の問題じゃない。憎悪を忘れろというのは無理な話だ。

 今でも奴らのことを思い出す度に、胸の奥が炎で炙られるように痛む。殺してやりたいという衝動は色褪せることはない。その憎しみは、依子さんを犠牲にするという罪悪感を塗り潰した。

 ……だけど、母と叔父を殺したのは依子さんじゃない。


「くそ……っ」


 自分でもよくわからない苛立ちが芽生えて、俺は叩きつけるように小説を本棚に戻した。その衝撃のせいで上の棚から本が落下してくる。ばさばさと音を立てて本が床に広がった光景には、ため息しか出てこない。

 仕方なく本を拾って書棚に戻していく。順番はどうだったかな、と考えながら詰めていったとき、手の中で一冊の本が少し開いた。

 

「……ん?」


 些細な違和感が、俺の視線をその本に留める。

 アヤカシ、という単語が見えた。

 思わず表紙を確認する。電気整備士の教材本だった。決して昔話や童話がまとめられた書籍ではない。依子さんがなぜそんなものを読んでいるかはともかく、こんなものにアヤカシという単語が出てくるのはおかしい。

 文字が見えたページを開いてみた。


 ――アヤカシと俗称される、生物分類学上のリンネ式階層分類に属さない外門種にはおよそ五種の系統が確認される。即ち現種模倣型、霊位憑依型、不死媒介型、呪怨寄生型、神威神族型である。このうち我が国で確認される外門種は現種模倣型が多く、また霊位憑依型の流入も増加し独自の属性社会を形成しているものと思われる。


「なんだこれ」

 

 内容的には、アヤカシについての解説、だろうか。専門的かつ堅い文章だから読みにくいが、明らかに教材の内容ではない。すぐに次のページをめくる。

 俺は虚を突かれた。電気整備士の資格取得要件がずらりと書いてあった。

 前のページと見比べてみる。アヤカシについて書いてある部分だけがフォントもレイアウトも異なっていた。それどころか他のどのページにもアヤカシについての記述は見られない。

 つまり、教材の中の一ページだけ、まったく異なる内容が混ざっている。


 ――どこかから貼り付けたのか?


 なんでこんなことをするのだろう、と考えてピンとくる。落ちている他の本を拾ってパラパラとめくってみた。


「あった……」

 

 その書籍は分厚い翻訳書だったが、やはり他ページとは違う堅苦しい文章だけのページがある。アヤカシという単語もある。それもきっかり一ページ分だけ。 

 確信めいた感触と共に、俺は本棚を見上げた。この膨大な書籍はカモフラージュだ。一冊一冊にアヤカシに関する情報を紛れ込ませている。

 なぜこんなレトロな隠し方をするかは謎だが、もしかしたら俺が知らない情報が記されているかもしれない。アヤカシ喰いの能力や組織関係がわかればかなり、いや物凄く優位な状況に立てる。

 俺はチラリと玄関の方へ目配せした。依子さんが帰ってくる気配はない。調べるならこの時間帯しかなかった。


 ――こんなことができるのは、俺だけだし。


 期せずしてアヤカシ喰いの懐に入り込み、自由に振る舞えている。アヤカシ側でこんな状況に陥った者はまずいないだろう。

 もしここで重要な情報を得ることができて、なんとか外部のアヤカシに渡すことができたならば。

 そうすれば俺の手ではなくても、他のアヤカシが仇を取る。あの黒装束の女たちを殺してくれる。


 少しだけ、前向きになれた。これからの生活に絶望しかなかったが、俺なりにできることがあるのが救いだ。

 俺はもう一度、アヤカシについて記述されたページを見る。もしアヤカシ達に貢献できたなら、そのとき彼らは俺のことを。

 仲間だと、認めてくれるだろうか?


 ――なぜ貴様のような者と同族の契を交わす必要がある?

 ――人間も食えねぇような紛い物なんざ、囮にするか餌をおびき寄せる道具にしかならねぇよ。

 ――戦力外のお前など同胞に迎える義理もない。半分人間にしても不味そうだ。


 侮辱と嘲笑が耳の奥で聞こえた気がする。胸が締め付けられるような感触を、奥歯を噛んで堪える。

 そして俺は、せっかく掴んだ展望を手放したくなくて、自分に不都合な可能性のことは脳内から締め出した。何も考えないようにしていればまだ、絶望しなくて済む。

 そんな隙間に、優しい声が入り込んだ。


 ――私も好きです。


「やめろっ」


 思わず声に出して彼女の声を否定した。なぜこんなときに依子さんの言葉を思い出してしまうのか、自分で自分がわからない。

 でも、そういえば。

 母と叔父以外に好きだと言われたのは、依子さんが初めてだ。

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