抜かりはない依子さん

 静まりかえる洋室の隅で、俺は壁にもたれて座り込んでいた。

 一泊した部屋はあまりにも物がなさすぎて生活感がまるでない。しかし、これからは俺の自室になるという。好きに模様替えしていいし、なんでも置いていいと依子さんは俺に優しく言った。

 ただしテレビやパソコンなどの電子機器は持ち込んでも使えないという。理由は聞けずじまいだったが、ろくでもない事情な気はしていた。


「ここが、俺の部屋」


 呟いても、あまりにも現実味がなくて他人事のように思える。住処を移り替える経験は誰よりも多いが、こんなに鬱屈とした気分で新生活を迎えるのは初めてだった。

 どうしてこんなことになったんだろう。鬼達に協力してアヤカシ喰いを捕獲するはずが、逆に俺が捕獲されて彼氏にさせられた。なにを言っているかわからないと思うだろうが俺にもわからない。


「どうなるんだろうな……ほんと」


 そう独白してはみたが、実際のところ二つの運命に絞られるのはわかっていた。

 即ち依子さんの彼氏として生きるか。あるいは非常食として妖力の補充に使われるか。

 問題は、終わりがわからないことだ。依子さんの彼氏として一生を添い遂げるかもしれないし、彼女が俺に飽きることで終わりを告げるかもしれない。ただし後者の場合はきっと無事では済まないだろう。

 それに非常時の供給源として俺を侍らすにしても、その非常時とやらが漠然としている。依子さんは罠に嵌ったアヤカシを返り討ちにして妖力を摂取しているし、そもそも栄養目的ではないから喰わなくても平気なはずだ。

 せめて彼女が考える非常食の役どころを聞きたいところだが、生憎とこの部屋の主は外出していない。

 

「おかげで気分は楽になったけど」


 足を崩して後頭部を壁にくっつける。緊張感はだいぶ薄れていた。

 依子さんは夕方になったら戻ってくると言って出て行った。制服姿ではあったが、女子校に通っていないのでその姿のまま別の場所に向かったのだろう。

 何はともあれ、この家には俺一人きりだ。

 そして、一歩も出ることはできない。


 俺はゆっくりと立ち上がって、静けさに包まれるリビングに向かった。それから玄関へと方向転換する。間接照明が設置された小洒落た内装の廊下を歩くと、突き当りにはスチール製のドアがあった。

 施錠こそされているものの至って普通のドアだ。鍵を開けて出れば、すぐにでもこの部屋から出られる。依子さんの束縛から解放されて外に逃げられる。

 そろりと腕を伸ばしてみた。けれど、ドアノブを掴むかどうかという位置で、それ以上進めなくなる。

 俺はため息を吐いて、ドアの上部を見上げた。天井に程近い箇所には一枚の札が貼ってある。依子さんが俺の背中に貼り付けていたような、赤い朱文字がびっしりと書き込まれた呪符だ。

 依子さんは出発の前に、この呪符を指さして俺に説明した。


 ――あのねたーくん、この<座敷牢の呪符>は対アヤカシ専用結界を発動するの。術者以外の妖力を感知して動くから絶対に扉を開けないでね?


 端的に言えば脅しだが、依子さんが逃げられるような緩い措置をするはずはないと思っていたので驚きはない。しかし彼女の語気が強めだったので、一応触ったらどうなるのかは聞いておいた。


 ――ドアノブを掴んだら神経麻痺。開けたら細胞破壊。無理に出ようとしたら上半身が吹き飛ぶよ。あ、たーくんは半妖だから腕くらいで済むかもしれないけど、試さない方がいいと思うな。


 ゾッとする俺に対し「たーくん賢いから心配ないよね」と笑いかけて、依子さんは外へ出ていった。

 ドアノブを掴むのを諦めた俺は、渋々と腕を下げる。

 人間の細胞が混ざった俺なら腕の大破程度で済むかもしれないが、しかし半妖だからこそ治癒力が低いという欠点がある。骨折程度はすぐに治るが(現に青黒くなっていた小指は既に元通り)、破壊された組織の再生はできない。

 そこに麻痺まで加わった状態で、どこまで逃げられるだろうか。彼女のテリトリーであるこの街から出られないかもしれない。

 そして依子さんに見つかったが最後、俺が正気でいられる保障はなかった。


 すごすごとリビングに戻り、椅子を引いてどっかりと座る。しかし焦りとも不安とも取れない浮き足だった気分が俺の体を動かす。色々な箇所を調べて脱出の方法はないか探してみた。

 やはりというか、窓にも呪符が貼られて触ることもできない。換気扇は狭すぎて通れないだろう。窓も曇りガラスだから、ここが高層階なのかベランダがあるのかどうかすら確かめられない。


「駄目か……」


 もう一度リビングに戻って椅子に座る。依子さんのいない今しかチャンスはないが、何をしても無駄なのだろうという諦観がじわりと滲んでくる。


「あと調べてないのは」


 ちらりと、リビングの奥の部屋へ目を向けた。そこは依子さんの寝室だ。もう残されているのはそこしかない。


「……相手はあのアヤカシ喰いだぞ」


 女の子の部屋という認識は消し去る。助かるためには遠慮なんかしてる場合じゃない。

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