8 (完)




 思いも寄らない乱入者の登場に僕の頭の中はグルグルと回っていた。 


 こいつ、なんでここに? それにいつの間に砂利道を登ってきたんだ? 足音に全く気付けなかった。畜生、忍者かよ! まさか、ずっと僕を付けてきたのか?


「な、なぜ君が……」


 そんな僕の言葉を無視すると彼はおじさんの方をじろじろと値踏みするように見てからニヤリと笑った。


「へえ、あなたが『墓医者』の先生か。意外と普通な感じなんですね」


 何だって!? なぜこいつが墓医者のことを知っているんだ?


「君が近藤君か」


 墓医者のおじさんがそう言うと彼は驚いた顔をした。


「僕の名前知ってるんですね。そんなことまで彼から聞き出すなんて流石です」


「彼から聞いたわけじゃない。墓が教えてくれたのだ」


 それを聞いた今藤はぷっと笑い出した。


「ふふ、もういいじゃないですか、おじさん。そんな小芝居しなくても」


 小芝居?


「あなたは詐欺師か何かでしょう? いったい何を企んでるんです?」


「違う! おじさんは本物だ!」


 僕は反射的に生まれて初めて彼に向かって怒鳴っていた。彼はそんな僕をじろりと一瞥しただけだった。


「怖いなあ。まさか君が僕に反論するとは。随分洗脳されちゃったみたいですね、直人君」


「せ、洗脳……。ち、違う、墓医者は嘘なんかじゃない。存在しているんだ。現に……」


「斉藤君も骨折した、と言いたいんですか?」


「な、なんで、それが……」


「君はこう思っている。自分が墓医者の治療とやらを行ったせいで斉藤司は骨折した。それを知った豚彦君は君の真似をして失敗したから狂ってしまった」


「だ、だから、何でそんなこと知ってるんだよ?」


「斉藤の脚を折ったのは僕ですよ」


 ……えっ? 今、こいつはなんて言ったんだ? 唖然とした僕に構わず彼は話を続けた。


「考えてもみてください。運動神経だけが自慢のあの司君が転んだ程度で骨を折ると思いますか?」


「ま、まさか、だ、だって、なんで……」


「これ、なーんだ?」


 そう言いながら彼はジーパンのポケットから何かを取り出した。小さな黒い物体が僅かに月明かりに照らされた。見たことのないものだった。


「あなたたちの会話を盗み聞きするためのものですよ。ネットで手に入れました。意外と手軽にね。怖い時代ですね」


「そんな、まさか……」


「同じものが豚彦君と君の持ち物の中にこっそり忍ばせてあります。嘘だと思うなら家に帰った後で調べてみればいい。宝探しみたいで面白いでしょう?」


「そ、そんな、じゃあ……」


「君たちの会話はずっと僕に筒抜けだったということですよ。まあ、大概は僕と司くんの悪口だったから面白くはなかったですけどね。そしたらある日『墓医者』なんて奇妙な話をしているじゃないですか。こりゃ面白そうだとわくわくしました。話自体は非科学的で馬鹿馬鹿しいものでしたが、君は本気でそこにいる詐欺師の言葉を信じているようでしたからね」


「詐欺師なんかじゃない! 僕は体験したんだ!」


「人間は場の雰囲気に影響されやすい生き物です。深夜の墓場という独特な雰囲気の場所で儀式めいた行為を行えば何かが起きたような気になってもおかしくない。幻聴、幻覚は非科学的なものじゃないんですよ」


「わかったようなことを言うなよ! 何も見ていない君が……」


「ふふ、まあまあ、そう興奮しない方がいいですよ。じゃあ、話を続けますね。君たちの会話を聞いていた僕は君たちが司くんへの恨みをはらそうとしているらしいと気付きました。豚彦君は怖気付いて止めてしまったが、君はあの寺に深夜行ったんでしょう? そこで僕は朝早く司くんを呼び出しました。『ちょっと一本でいいから骨を折らせてよ』と言ったら結構抵抗しましたけどね。まっ、事後承諾って奴で」


 薄く笑った彼の顔はとても同じ中学生のものとは思えなかった。


「な、なんでそんなことをする必要が……」


「自由研究ですよ。そうそう、君は郷土の歴史を墓地で調べているんでしたっけ? アハハ」


「じ、自由研究?」


「僕のテーマは『人はどうすれば狂ってしまうのか?』です」


 こいつ……、本気で言っているのか? そうだとしたら狂っているのはこいつだ。


「一番簡単にやれそうだったのが豚彦君だったんです。みんな、気が付いているかどうかわかりませんが、彼は醜い容姿の割にはプライドが高く自己の精神を守るための障壁が強固なタイプです。逆に言えば精神の内側からトラブルが起きた場合、外に逃げ道が無く、勝手に崩壊してしまうということだ。研究対象としてもってこいの人間でした。この前から『笑っていろ』と命令したのもその一環だったんですけど、なかなかうまくいきませんでしたね。そうしたら墓医者という格好の話題が出て来た」


 僕は震えが止まらなかった。


「彼は最初墓医者の話を信じていませんでしたよね? だから司くんの脚をへし折ることでまず墓医者のことを信じさせることにしたんです。効果は君も知っての通り、彼は一気に盲信してくれました。まさに猪突猛進って言葉どおりです。僕は彼が一人であの寺に来ることを知って先回りしました。彼は墓という墓に手を置いて一生懸命何かやってましたよ。あの滑稽な姿、君にも見せたかったなあ。僕は何度も吹き出して大笑いしそうになりました。でもそれを堪らえて、ある墓の後ろに隠れて待ち構えたんです。彼は周りの墓にやっていたようにその墓にも目を瞑り手を置きました。だから僕は陰から小声で囁いてやった。『もっともっとだ。まだまだ今藤をやるには足りないぞ』ってね」


「君が、おまえが武彦君を唆して……」


「彼はびっくりした顔で手を離して後退りしました。そういえばあれって途中で止めちゃ駄目だとか言ってましたよね? 君のその言葉が暗示になっちゃったんじゃないかな? 豚彦君、急に震え出して、その後、狂ったように笑い出すと寺から飛び出していったんです。まさか、あんなことになるとはね。さすがの僕も予想外でした。でも面白かった。学校にこの研究結果を発表できないのが残念です」


「面白かった、だって? 武彦君があんなことになったっていうのに……」


「僕が憎いならどうぞ呪いでも何でも掛けてくださって結構ですよ。じゃあ、僕はこれで失礼します。種明かしも終わりましたし。詐欺師のおじさんも御機嫌よう」


 そう言った今藤はいつかのようにひらひらと手を振り、砂利道を夜の静けさに不似合いなほどじゃりじゃり鳴らしながら降りていった。僕は何も言い返せずそれを呆然と見送った。息が苦しい。僕はやっとのことで吐き出すように呟いた。


「……なぜ、何も言わなかったの? おじさん」


「彼の言っていたことも事実だろう。彼のせいで斉藤君は骨折し、武彦君はおかしくなった。墓医者の存在を肯定しようが否定しようが結果が変わるわけではない」


「でも、墓医者は存在する。体験した僕が知っている。……そうだ、おじさん、あんな奴、許せないよ! 武彦君も言ってたんだ、今藤家を恨んでいる墓がきっとあるって。そいつで……」


「駄目だ」


「何が駄目なんだ! おじさんも今のであいつがどんな奴か……」


「今藤家は恨みを買っていない。武彦君の後始末をしてあちこちの墓を回ったからわかるのだ」


「そ、そんな馬鹿な!」


「今藤家は昔から商才に恵まれていたようだ。商売というのはいわば人と人との付き合いであって、今藤家は昔からそれを巧みに使ってきた。商売上、汚い手を使うことがあっても、それを相手に悟られないように二重三重の手間を掛けてきたのだよ。確かに誰かへの恨みを持つ墓は多かった。でもその墓たちは恨む相手を間違えていた。本当に恨むべきが今藤家だと理解している墓はこの地区には一つもなかったんだ」


「そ、そんな、だって、あんな奴……」


「あの正義という少年は今藤家の歴史の中でも異質な存在だな。彼は直接恨まれることを全く気にしないタイプなんだろう。ただ彼は若い。彼本人を恨んで死んだ者の墓などまだ存在していない」


 くそっ! あいつをこのまま野放しになんてしたくない。どうしたら……、そうだ! 僕は閃いた。


「じゃ、じゃあ、僕が死ねば! 僕が墓になればおじさんに頼んであいつを!」


「馬鹿なことを言うもんじゃない! そんなことして何の意味がある」


「だ、だって、許せないよ、あんな奴……」


 涙が止まらなかった。それをじっと見ていたおじさんはふうっと溜息を吐いた。


「確かに彼は危険な存在だ。人が苦しむ顔を見て楽しむタイプで、しかも人を苦しませる才能がある。ほうっておけばもっと暴走するかもしれない。……これは使いたくなかったんだが」


「何? 何か方法があるの!」


「人間だけでなく生き物はみんな死ぬ。だが墓を造るのは人間だけだ。なぜなら人間は自我が発達しすぎて死ぬことに疑問を持ったからだ。どうしても自分が消えるという事実を納得できないと思ってしまう。そこから死後に眠る場所という考えが生まれた。他の生物は教えられなくても理解している。死は仕方ないことだと」


「仕方ない?」


「自分が死に、土に変えることで次の生き物の生を助ける。子孫という次の世代のため自分は身を引く。それを人間以外の生き物は疑問を持たず本能で理解する。いや、人間もかつては理解できていたんだがね」


「それで?」


「墓を持たない生き物たち、彼らはどこで死ぬ? 虫は土の上、魚は海の中、では微生物まで含めればどうだね? つまりは世界中例外なく全ての空間が生き物にとっては墓と同じなのだ。彼らは普段納得して眠っている。その者たちに墓医者の力でちょっとした疑問を与えればどうなるか。死を当たり前と受け入れていた者たちに囁くだけだ、ある言葉を。人間に比べ自我が弱い彼らは驚くほど素直にそれに反応する。だからこそ、これは普段は使ってはいけない恐るべき真の呪いの力なのだ」


 そう言ったおじさんは空中に向かって右手を突き出した。墓の頭に置いていたような形のまま、その手は固定された。眼を瞑った彼は呟いた。


「かつて生きていた数多の者たちよ。死んだことが悔しくはないか? 生きる資格のない邪悪な者がまだ我が物顔で蔓延っているというのに。ほら、そこに……」


 ざあっという風の音。


 突然遠くから聞こえた車のブレーキ音。


 ドーンという大きな音。


 それが何を意味しているのか、僕は一瞬で悟った。


 彼は目を開けた。


「……おじさん、あいつ、どうなったの?」


「彼次第だ」


 おじさんはまたふうっと溜息を吐いた。


「初めて会った時に君の言っていたとおりだったな。私はただの『破壊者』だ」


「違うよ! おじさんはやるべきことをやってくれただけだ!」


 僕がそう言っても彼の表情は固いままだった。そんな彼を見て僕は急に心配になった。


「ねえ、今の奴、おじさんは大丈夫なんだよね? おじさんに悪いことなんて起きないよね?」


 彼は首を横に振った。


「何かしらの報いは受けるだろう。なあに、ちゃんと受けとめるさ。それが責任というものだ。いいかい、君が気にする必要など無いぞ。今までも私はそうやってきたんだ。私は私のしたいようにしただけ。君も私の真似などせず自分の責任の範囲で自分のしたいようにやればいい」


 報いを受ける。その言葉がショックで僕は彼に掛けるべき言葉を見つけられず無言になってしまった。


「そろそろ、さよならだ。じゃあ、元気でな。もう会うことはないだろう」


 そう言った彼は寂しそうに笑うと僕に背中を向けた。


 もう会えないなんて……。


 そう思うと言葉が溢れてきた。僕は歩き始めた彼の背中に向かって叫んだ。


「おじさん、ありがとう! さよなら!」


 彼は振り返りニコッと笑うと「じゃあな」とだけ言って砂利道を下っていった。そして彼はそのまま闇の向こうのどこかへと去っていった。


 虫も鳴かなくなった霊園にぽつんと一人取り残された僕は考えた。


 なぜこんなことになってしまったのか。結局、誰が悪かったのか。


 自分か、今藤か、武彦君か、斉藤か、墓医者か、或いは全ての生者と死者たちか。


 よくわからない。ただただ疲れた、それだけだった。


 僕もそろそろ帰ろうかと思った時、ふと確認したいことを思い出した。霊園の奥へ進む。おじさんと墓医者の訓練をした、あの大きな墓、そこへ向かった。


 供えられた真新しい仏花。


 期待したものがそこにはあった。


 あのモノクロのお婆さんの姿が目に浮かんだ。あの微笑に少しだけ救われた気がした。手を合わせ、そこを拝むと僕はうちの墓の前まで戻ってきた。うちの墓にも手を合わせる。優しかった爺ちゃんの姿を思い出し、僕はいつか自分も入ることになるであろう墓の隣に座り込んだ。


 祖父には聞いてほしいことがたくさんある。


 僕は墓へもたれ掛かった。疲れた。とにかく眠くて仕方なかった。


 僕の頬に優しく触れる心地良く冷たい墓石に抱かれ、僕は久し振りに深い眠りに落ちていった。






                 (了)








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墓医者 蟹井克巳 @kaniikatsumi

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