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墓地に武彦くんの姿はなかったが、一応、お寺の人にも話を聞いてみなくてはならないだろう。僕はお堂と繋がっている住居の方へ廻りチャイムを鳴らした。朝だというのにもう袈裟姿の住職が顔を出した。
「おや? おはよう。また何か研究かね? こんなに早くから?」
「おはようございます。あ、あの、僕と同じ、中学生くらいの男の子がここに来ませんでしたか? 一昨日も一緒に来た子なんですけど」
「いや、見てないねえ。何だ、はぐれてしまったのかい?」
「あっ、ちょっと……。いえ、見ていないのならいいんですけど」
その時、外から大きなサイレンが聞こえた。救急車のものだった。僕は反射的に音の方へ振り向いてしまった。サイレンの音から武彦君の姿を想像してしまったのだ。
「救急車か。どこだろう? 大したことがなければいいんだが……」
そう呟くと住職の顔がすっと引き締まった。どうも僕とは違う何かを想像したらしい。この辺は年寄りの檀家も多いのだろう。これ以上の長居は迷惑になるかも知れない。
「あっ、あの、ありがとうございました」
僕はそう言って頭を下げ住職が何かを言う前に逃げるようにその場から立ち去った。
自転車を発進させながら考えた。
彼はここには来なかったのか。それとも住職が気付く前に逃げ出しただけなのか。
考えてもわからなかったので取り敢えずもう一方の墓地、墓医者のおじさんと出会った山の霊園に行ってみることにした。歩けば何十分か掛かる緩やかな坂道も自転車ならそれほど掛からず辿り着けた。
自転車を停め砂利道を歩いて登り霊園を見渡した。昼間の霊園はすでに蝉の声に包まれていて夜とは全く違う場所に見えた。生者のものも死者のものもどちらにしろ気配が全く感じられなかった。明るいがなぜか夜以上に何もない場所に感じられて仕方がなかった。
こんな時に墓医者のおじさんがいてくれたら……。
ここにも武彦君がいないとわかったらどうしようもなく不安になった。
そんな時、まるで僕の心を表すBGMのようにサイレンの音が聞こえてきた。今度は消防車のものだ。慌てて砂利道を下った。集落の方を見ると煙が上がっているのが見えた。うちから近い場所ではなかったし火が見えているわけでもなかったが妙な胸騒ぎが止まらなかった。
僕は急いで家に帰った。玄関先に母親が顔を出して外の様子をきょろきょろと伺っている所だった。
「ああ、直人、どこまで行ってたの? 心配したのよ」
「そんな、まだ一時間ちょっとしか経ってないよ。何か、武彦君の家から連絡でも?」
「ううん、まだ、何も。でも、何かおかしいのよ、今日。朝から救急車とか消防車とか騒がしいの。すぐそこの県道でもさっき軽い事故があったし」
それは知らなかった。
「厄日ってあるでしょ? 母さんもそんなの信じているわけじゃないけど、用心に越したことはないし。もうあんたは家にいなさい。あっ、それとも何か武彦君のこと、わかったの?」
僕が首を横に振ると、母は「そう」と一言呟いただけだった。
それから僕は家に入り、リビングの電話の前でスマホを片手に連絡を待った。一時間が過ぎても二時間が過ぎても二つの電話は鳴らなかった。そうしているうちにあっという間に夕方がやってきた。また救急車の音が遠くから聞こえる。それを聞き、僕はびくりと反応した。するとまるでそれに被せたかのようにリビングの電話が突然鳴った。一番近くにいた僕が出た。武彦君の母親だった。
「直人君? あの、どうかしら、武彦のこと、何か……」
「いえ、すみません、何も……」
「そう……。あっ、ごめんなさいね。本当にありがとう。あの、お母さんと代わって頂けるかしら?」
肩を落とす姿が目の前に浮かぶような声だった。言われたとおり代わると朝と同じように「ええ」とか「まあ」とかの声が母から漏れてきた。ところが朝とは違う一際大きい「ええっ?」という声が発せられると母の顔色は変わった。青い顔で「失礼します」と電話を切った母に僕は尋ねた。
「……どうしたの?」
「考えられる場所、全部探したけどいないんだって。携帯も部屋に置きっぱなしらしくて……。警察に捜索願いを出されるみたい」
その日の夜、僕は山の霊園に出掛けた。闇に対し依然として昨日と同じ恐さを感じたが、そんなこと言ってられなかった。墓医者のおじさんに何とかしてもらわなければならない。こうなったのは自分のせいだ。その罪悪感で恐怖心を押し殺し山へ向かった。霊園に着いた。しかしおじさんの姿は見当たらなかった。
「おじさん!」
夜だというのに構わず僕は叫んだ。
「おじさん、いないの? 友達が行方不明になっちゃって大変なんだ! 僕のせいなんだ! 助けてよ!」
しかしその声は周りの闇に吸い込まれていくだけだった。まさか、もうどこか別の所に行ってしまったのだろうか。遠くの空がぼんやり明るくなるぎりぎりまでその場で彼を待った。しかし結局彼は現れなかった。失意だけを抱えて僕は家へと戻らざるを得なかった。
そして……。
鳴り出した電話。暗い声。置かれた受話器。泣きそうな表情の母。
明るいはずの朝。そこには本当の闇が広がっていた。
僕が絶望を知った日。
その夜、家族が寝静まったのを確認し僕は窓を開けた。
闇が昨日にも増してねっとりとまとわりついて来るような、そんな気がした。
県道に出て左に曲がると民家のない闇の海が広がっていた。溺れるほど息苦しい。それでも行かなくてはならない。責任だとか誰のためとか、そんなことではない。僕が墓に向かう、それはおそらく大昔から決められたことでそこに理由などないのだ。僕はそんな気がしていた。
いつものようにガードレールの切れ目に現れた砂利道。そこに立ち、上を見上げた。ぼうっと人影が見えた気がした。それを見ても僕は驚かなかった。ゆっくり登って行くとうちの墓の前に墓医者のおじさんは初めて会った時と同じように佇んでいた。
「……何も言うまい。君自身わかっているはずだ。自分が何をしたか」
「はい。おじさんは全部お見通しなんですね?」
「全てというわけではない。……君の友達は見つかったのかい?」
「昨日の深夜、市街の大きなお寺の墓地にいる所をそこのお坊さんに発見されました。声を掛けられた彼は驚いてそこから逃げ出し道路に飛び出してしまって、そこを車に轢かれて……。幸いにも怪我はひどくなかったみたいです。数カ所の骨折はあったみたいですが命に別状はなかった。でも……」
「あんなに出鱈目に『治療』をやればただで済むわけがない、魂の方が」
「はい。今も彼は獣のような唸り声を上げているそうです。それに怯えた様子で布団を頭から被ろうとするらしくて……。彼は車に跳ねられた時、泥だらけですごい異臭を放っていたそうなんです。たぶん昼間はどこか下水が流れるような場所に隠れていたんじゃないかって。これは推測ですけど、彼は手当たり次第に墓の治療をしていて朝を迎えてしまい、夜じゃないと治療が出来ないと言った僕の言葉を思い出して錯乱状態になりパニックを起こして暗闇のある場所に隠れたんじゃないかと」
「彼にもそれなりの才能があったようだな。私も驚いたよ。こんなことは稀だからね。墓医者なんて才能はそう持てるものじゃないのに。ただ彼と君には違う部分が一つだけあった。君には踏み込むべき距離を測れるだけの冷静さがあった。一方、君の友達はあまりに深く踏み込んだせいで闇の影響を受けすぎたのだ。光を嫌悪してしまうようになるほどに」
「昨日この地区でおかしなことが続いていたのは、ひょっとして……」
「彼が片っ端から無差別に墓の『治療』をした影響だろう。死してなお誰かに恨みを持つ者のなんと多いことか。いや、それこそが人間というものかもしれないが」
「おじさん、今までどこにいたんですか? 僕、ずっと待っていたのに」
「この辺り一帯の墓の念が歪んでいたからそれを必死に治して回っていたのだよ。あの子が施した中途半端な治療のせいだろう。それにしても彼の執念には驚いた。一晩にいったいどれほどの墓の念の流れを身に受けたのか。おそらくは数十という数だろうな」
「……彼は治りますか?」
「誰にもわからない。彼次第だ」
その時だった。
「治らないね」
僕でもおじさんでもない声が突然そう言った。僕は驚いて声のした方、つまり砂利道の方に振り返った。
そこに立っているのは紛れもなく今藤正義だった。
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