6
家に帰り着いてからも僕は結局寝られなかった。布団を被り、ぶるぶる震えていたのだ。冷静になってみると夜中に自分のしたことが信じられなかった。何かに取り憑かれていたとしか思えない。これが「魔」というものなのか。
朝食も抜き、午後になるまでじっとしていた僕がベッドから出たのは一本の電話のためだった。番号を見ると相手は武彦君だった。
「もしもし」
「すごいよ! 直人君!」
興奮した彼の声はきんきんと僕の耳に突き刺さった。
「君がやったんだろう? ざまあみろだ!」
「なに興奮しているんだ? 落ち着いてよ、話がわからない」
「斎藤司だよ! あいつ怪我しやがったんだ!」
僕は思わず言葉を失った。それに構わず彼は熱っぽく喋り続けた。
「僕の母親が病院で見たんだって。いや、あのさ、街の方のでっかい病院あるだろ? うちの母親が昔からそこに通院してるんだけどさ、会計待ってる時に松葉杖姿の斎藤司とその母親に会ったんだって。あいつ、今日の朝、外出して転んで脚を骨折したんだってよぉ! 信じられねえよな、あいつ、運動神経良いはずだろ? いつもそれを鼻に掛けて僕のことを豚って呼ぶくせに転んだくらいで骨折だとさ! だっせー! きっと昨日言っていた君の呪いがうまくいったんだよ!」
今にも電話の向こうで笑い転げそうな武彦君のテンションとは裏腹に僕は自分の顔がどんどん青褪めていくのを感じていた。あれほど自信を持ってやったことなのにそれが実現してしまったという現実を受け止められないでいたのだ。無言の僕を全く気にせず、すっかり興奮した様子の武彦君は勝手に喋り続けていた。
「ああ、でも骨折かぁ。母ちゃんの話だと左足らしいんだよな。どうせならもっとひどい怪我すりゃ良かったんだ。いっそ両足とかさ……、そうだ! また掛けてやりゃいいんだよ、呪い! 今度は今藤も含めて一遍にやっちまおうぜ。今度は僕も協力するよ。足の一本や二本じゃ納得できないよ、今まであいつらが僕たちにしてきたことに比べたら!」
「ま、待ってくれよ、武彦君。あれは呪いとかじゃないんだ。墓のための治療で……」
「何を今さら言い訳しているんだよ、直人君! 君が昨日言ったことだろ? 君のお祖父さんの友達って人の墓にお願いしてあいつを祟ってもらったんだろう?」
「ち、違う、呪いとか祟りとか、そういうことじゃないんだ! 墓に溜まっている思いを浄化して……」
「言い方なんてどうでもいいよ。結果は同じことじゃないか」
冷たく武彦君は言い放った。僕はその言葉に愕然としていた。
そうだ、僕のやったことはそういうことだ。
確かに言い訳など出来なかった。
「直人君、斉藤も今藤も一度に呪い殺せそうなくらい怨みのある人の墓を知らないか?」
それは武彦君、死んだ後の君の墓だよ。
僕を慌ててその言葉を飲み込んだ。
「し、知らないよ。それに僕はもうあれをやるつもりはないから」
「はっ? なんでだよ! 君だってあいつらにはひどい目にあわされてるだろ?」
「でも、やっぱりあんなことやっちゃいけなかったんだ。今度やったら骨折なんかじゃ済まないかもしれない。怪我くらいで済んで良かったんだ」
「何だって? 本気でそんな甘いこと言っているの? あんな奴ら、何回死んでも……」
「ま、待つんだ! 落ち着けよ! そんな恐ろしいこと言うなんて君はどうかしてる」
何かがおかしい。まるで昨日の僕と彼のテンションが今日は完全に逆転しているようだった。
「……君がどうしてもやれないっていうなら僕がやる。やり方教えろよ」
思い掛け無いことを武彦君は言い出した。
「む、無理だよ、君じゃあ」
「無理なもんか。君に出来たなら僕にだって」
「いや、君じゃあ無理なんだ。僕じゃないと……」
僕にはなぜか確信があった。おじさんが言っていたようにあれには才能がいる。体験した今だからこそ、それがはっきりわかった。あれは闇を好む者の仕事なのだ。意味のない一人ぼっちの夜歩きを繰り返していたような僕だからこそあれに対応できたのだろう。夜の墓地に行きたくないと言っていたような彼にはおそらく無理なのだ。
それに僕は武彦君にはあんな恐ろしい体験をして欲しくなかった。これは僕が自分の意志で踏み込んでしまった領域だ。他人を巻き込むべきじゃない。そう思った僕は彼を説得した。
「君は墓医者なんてなるべきじゃないよ……、もしもし、ねえ、聞いてる、武彦君?」
あんなに熱を持っていた武彦君が突然黙った。
「……君も」
呟くような小さい声で僕はよく聞き取れなかった。
「えっ、何、どうしたの? 聞こえない」
「君も僕を馬鹿にするのか!」
声帯が裂けたような彼の絶叫が僕のスマホを震わせた。
「君には出来て僕には出来ないって? 馬鹿にしやがって! 何様だよ、おまえ! 自分だけが特別か? お前も僕も同じなんだよ! 情けない、ただのいじめられっ子だ。ずるいじゃないか、おまえだけが斉藤に復讐するなんて!」
いつもの武彦君じゃなかった。
「イ、イ、カ、ラ、オ、シ、エ、ロ、ヨ」
僕の心臓を武彦君の声を借りている何者かが掴んだような気がした。金縛りのように体が動かなくなった僕は自分の意思とは裏腹に震える声で墓医者の治療の手順を彼に教えていた。
僕が最後まで説明し終わった時、何も言わず電話は一方的に切れた。
その後、何度こちらから電話やメールをしても武彦君からの返事はなかった。
武彦君は今頃あいつらに恨みの有りそうな墓を探し回っているのかな?
そんなことを考えているうちにあっという間に夜を迎えたが僕は結局その日、外へは一歩も出なかった。いや、出られなかったと言った方がいいだろう。夜が怖いと思ったのは何年振りのことか。こんな恐ろしい夜に武彦君は墓地へ出掛けたのだろうか。暗い部屋の中で冴え続ける僕の頭に、墓へ手を置き、ニヤリと笑う彼の姿が浮かんでは消えた。
電話が鳴ったのは次の日の早朝だった。ところがそれは聞き慣れたスマホのコール音ではなく、うるさい家の電話の方だった。朝食を取っていた僕の耳まで電話に出た母の大きな声が聞こえてきた。「はい、あら、えー、えっ、まあ……」、そんな声がしていたが急に母は僕の名を呼んだ。
「なおとー! ちょっと!」
僕は口に入れていたご飯を飲み込み母の所に急ぎ足で向かった。
「武彦君のお母さんからなの。武彦君、家にいないんだって」
背中を何かに撫でられたような寒気が体に走ったが僕はそれを隠し仕方なく恐る恐る電話に出た。
「……はい、もしもし、電話代わりました」
「ああ、直人君? ごめんなさいね、朝早くに」
「いえ、あの、何か?」
「それがね、武彦がいないのよ。朝、起こしに部屋へ行ったら寝ていなくてね。こんなに朝早くから黙って出掛けるなんて今までなかったことだからちょっと心配で。直人君が一番武彦と仲が良いからひょっとしたら何か知っているんじゃないかと思ったんだけど」
僕は内心震えが止まらなくなった。だがそれを体にも声にも出さないように必死に堪えた。
本当に彼は行ったのだ。
でも明るくなっても帰って来ないなんて……。まさか、武彦君はまだ墓場にいるのだろうか? 確か僕は「夜やらないと意味が無い」とちゃんと伝えたはずだったが……。
「い、いえ、僕は何も」
「そう……。おかしいわね、全くどこに行ったのかしら?」
「あ、あの、僕、これから普段遊びに行く所とか探してみます」
僕がそう言うと武彦君のお母さんはこっちが恐縮するほど「ありがとう」や「ごめんなさいね」を繰り返した。僕の心はその度にちくちくと傷んだ。
電話を切ると母に事情を説明し僕は外に飛び出した。母にはコンビニやゲームショップの名前を適当に言っておいたが、もちろんそんな場所を探すつもりはなかった。彼が行く場所は決まっている。
墓場だ。
まず行くべき場所はどこだ? 僕は自転車に跨りながら考えた。二人で行ったあの墓のある寺が一番可能性が高いだろう。
全速力で自転車を走らせるとあっという間にあの門が見えてきた。一昨日と同じ場所に自転車を停め、中を覗いた。墓地には人影が見当たらなかった。念のために中に入り探してみたがどこにも武彦君の姿はなかった。
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