翌日の昼間、僕は武彦君に電話をした。すっかり怯えた「はい」という声が、相手が僕だとわかった瞬間、驚きの声に変わっていた。番号は知っていてもこちらから電話をしたのは初めてのことだったからだろう。いつもは一方的に彼の方から電話が掛かって来て愚痴を聞かされていたのだ。僕には彼のように苛められ仲間と痛みを分け合おうとする趣味などまるで無かった。


「珍しいね、君の方から電話とは。どうしたんだい?」


「ちょっとお願いがあってね。付き合って欲しいんだけど」


「……変なことじゃないよね? 君、なんか声が怖いよ?」


 そう言われて僕はふと自分の部屋の窓ガラスに眼をやった。そこにいるのはスマホをぎゅっと握りしめ、見えないものを睨みつけているような目付きの悪い少年だった。僕は慌てて出来るだけ明るく声の調子を変え、訝しがる武彦君と会う約束を取り付けた。


 十分後、彼の家に自転車で向かった。武彦君はすでに表に出て家の前に立っていた。行き先も伝えていなかったので彼はいろいろと質問をぶつけてきたが、僕は目的地に付いたら説明すると言い張った。二人で自転車を走らせ五分も経たないうちに目的地は見えてきた。そこは大きな寺だった。山の霊園を管理しているうちの寺ではなく違う宗派の寺だ。


「ここ? お寺に何の用があるって言うんだ?」


「ある墓を探したいんだ。一人じゃどのくらい時間が掛かるか、わからないからね。手伝って欲しい」


 自転車を寺の前に停めながらそう言うと彼は眼を丸くした。


「墓探し? 勝手にそんなことをしたら怒られるよ」


「午前中のうちに、ここの住職さんには電話してあるから。自由研究で郷土の歴史を調べているって。ここのお墓は地元の人がほとんどだ。全然怪しまれなかった」


「怪しまれなかった、って、じゃあ、本当は違う目的なのか?」


「……この人の墓を探したいんだ」


 僕はそう言いながら彼にあるメモを見せた。それにはある名前が記されていた。


「えーと、んー、誰なんだい、これは? 知らない人だなあ」


「変わった苗字だからすぐ見つけられると思う。あ、ちょっとここで待ってて」


 僕は取り敢えず彼を入り口に待たせ住職のところに挨拶に行った。ここの住職は代替わりしたばかりで住職と言って想像するような髭の生えたお年寄りではなく普通のおじさんといった風体だった。快く墓地に入ることを許してもらった僕は武彦君と合流し、中へ入った。


 墓地の中を歩きながら僕は武彦君に自分がやろうとしていることを説明することにした。


「昔、爺ちゃんに聞いたことがあるんだ」


「えっ、何を?」


「僕の爺ちゃんと斉藤司の爺さんは同級生だったって」


 斉藤の名前を聞き、武彦君の表情が変わった。僕も武彦君も今藤からは同じように苛められていたが、斉藤は特に武彦君を目の敵にするところがあったからだ。


「あいつの爺さん? ひょっとしてあいつに何もできないからって代わりにお墓へいたずらしようとでも……。ん、いや、でもこのメモの名前、苗字が違くね? 斉藤じゃないよ?」


「うん、僕が捜しているのは斉藤家の墓じゃない。話はまだ続くんだよ」


 僕はその後、祖父に聞いた話を彼に聞かせた。


 僕の祖父と斉藤司の祖父は同級生だった。そこそこ仲は良かったそうだが、斉藤の祖父には他に大親友がいたそうだ。彼も同級生であり二人の仲の良さを祖父は兄弟のようだったと語っていた。


 ところがある時二人は同じ女性を好きになってしまった。彼女も同級生だったという。二人は同時に告白し選ばれたのは親友の方だったらしい。その時は斉藤の祖父も大人しく諦め引き下がった。ところが年月と共に思いはますます募ってしまったようなのだ。彼は言葉巧みに彼女を口説き、親友から奪うと、駆け落ちして家を出て行ったのだという。


 それでも彼らが幸せだったなら親友も許したのではないかと祖父は言っていた。ところが十数年後、斉藤の祖父は一人でのこのこと地元に帰って来たのだという。彼女は都会で事故に遭い死んでしまった、誰にも連絡せず葬式も勝手に済ませた、という彼の話に彼女の親を含め、地元の人間たちの怒りは大変なものだったという。そして中でも親友の怒りは尋常ではなかったそうだ。数年後、何事もなかったように地元で別の女性と結婚した斉藤の祖父を生涯彼は許さなかったという。


「へえ、そんな話、初めて聞いたよ。うちにも近い歳の婆ちゃんいるんだけど」


「子供に聞かせるような話じゃないだろう? その人が歳取ってから入院したことがあってね。それを知ったうちの爺ちゃんが見舞いに行ったんだ、小さかった僕を連れてね。その時その人はこう呟いたんだよ。『死んでも俺はあいつを許さない。末代まで祟ってやる!』って。顔がすごく怖くて、そのせいでよく覚えていたんだ」


「それで君は何を考えているんだ? ……あ、まさか、昨日言ってた『墓医者』とかいう奴じゃないだろうね?」


「ああ、そうだよ。その人の墓を見つけて『治療』するんだ。その人は結局そのまま病院で亡くなってしまったんだけど、ここで眠っているって爺ちゃんが言っていた。まず同じ苗字の墓を探して、後は横に置いてある亡くなった人の名前が書いてある石、墓誌っていうらしいけど、それで名前を確認して……」


「ち、違うよ! そんなことを聞いたんじゃない! 君は『墓医者』なんて馬鹿げたものを本気で信じているのかって聞いているんだ。昨日言ったじゃないか、君はからかわれただけだって」


「……また会ってきたんだ、昨夜、彼に」


「また? 墓荒らしにもう一度会いに行ったって言うのか、君は」


「彼は本物だったんだ。僕も体験してきた。墓の持つ願いを現実のものに出来るんだ」


「おい、しっかり……」 


「この人なら、斉藤家に恨みを持つこの人の墓なら、きっと斎藤司に天罰を……」


「ど、どうしちゃったんだよ、直人君? 君、おかしいよ? なあ、帰ろうよ」


「駄目だ! 明るいうちにこの人の墓を探すんだ。……手伝え!」


 自分でも驚くほどの激しい口調で僕は武彦君に向かって怒鳴っていた。それは生まれて初めて口にした他人に対する命令だった。僕の豹変振りに驚いたのか、眼を丸くした彼は言葉を失い、やがて怯えた様子で黙って頷いた。


 その後、僕たちは二手に分かれて墓探しを始めた。三十分ほどした時、武彦君が僕を呼んだ。墓地の隅にひっそりとそれは建っていた。名前を確認しなくても僕にはそれだとわかった。昼間は寡黙なはずの墓からはっきりとした気配が滲み出ていたからだ。何かを訴えたくて堪らない、触れなくてもそれが感じられた。


「ほら、ここにその人の名前があるよ。……八年前かな、死んだのは」


 僕はこの墓の前に立っているだけで息苦しいというのに武彦君は全く何も感じていないようだった。


 僕は念のため名前に間違いがないことをもう一度確認してから彼と共にその場を後にした。寺の入口まで戻ると「今夜一緒にまたここに来てくれないか」と彼に相談してみた。武彦君は大げさなくらいぶるぶる震えて「それだけは絶対嫌だ!」と叫ぶと自転車に飛び乗り全速力で漕いで逃げていってしまった。


 やるしか無い、一人でも……。


 ぽつんと取り残された僕は寺の門を凝視しながらそう決意を固めていた。


 その夜、僕は例の如く、窓から家を抜け出した。しかし行くのは昨夜とはまるで反対の方向だった。山の霊園とは違い、寝ているとはいえ人が多くいる場所だ。僕はいつも以上に慎重に歩いた。


 寺の前に着くと裏手に回った。正面の門は夜の間は閉じてあるからだ。だがそう大きくない田舎の寺である。裏の低いブロック塀を乗り越えることで難なく墓地に進入することが出来た。


 夜の霊園。


 同じ霊園のはずなのになぜか山の霊園とは雰囲気が違っていた。死者たちが眠る場所なのになぜかより生活感のようなものを感じたのだ。


 僕はその中を目立たないように中腰で進み、目的の墓の前に立った。昼間感じた気配はより一層強くその墓から発せられていた。僕は思わず一歩後ろに下がってしまった。独りがこんなに心細いものだとは思わなかった。


 ……畜生! やるしかないんだ! やれ!


 僕は自分を奮い立たせると墓の頭に手を当てて、そのまま眼を瞑った。心を澄ます。昨夜の手順どおりにやってみた。何かを感じるのは確かだったが、なかなかそれをうまく掴めなかった。墓医者のおじさんはいない。自分で何とかするしかなかった。昨日の感覚を思い出しながらもう一度心を澄ました、その時だった。


 コロシテヤル!


 唸るような声だった。いきなりはっきり聞こえた。最初は微かな弱い声のはずじゃ? 昨夜はそうだった。


 その不気味すぎる声に僕は不安になった。すると次の瞬間、昨日のように僕という存在へ何かが入り込んできた。それは確かに流れではあったが昨日感じたものとは全く違うものだった。


 昨日の流れは寂しさという名の涙で出来た川のようだった。それに対していま自分の周りにあるものはまるでマグマだった。粘性を持つ怒りが時折あぶくを立てながらこちらを焼き尽くさんばかりに踊っているかのようだった。


 想像を遥かに超える苦痛に僕は今すぐにでも墓から手を退かしたい気持ちになった。それでも何とか耐え、いつ終わるかわからない地獄の終わりを待った。ところがマグマはいつまでも活発に踊り狂った。


 感覚的に言えば昨日ならとっくに治まっている頃合いだった。長すぎる。それほどまでに恨みが深いということなのか。このままだと僕の心も一緒に燃えてしまう。


 僕が諦めかけたその時マグマの中にあぶくとは違う何かが浮かび上がってきた。それは確かに見覚えのある顔だった。こちらを、いや、僕というよりは生あるもの全てを睨みつけるようなその顔。


 僕は耐えられないほど恐ろしくなった。


 だが次の瞬間、目の前に現れたのはただの墓だった。


 ……終わったのか?


 僕は震えながら恐る恐る手を墓から離した。全身が汗でびしょびしょだった。もう見つかるとかそんなことはどうでもいいことだった。僕はそこから脱兎のごとく逃げ出した。








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