第8話
誰かに呼ばれた気がして、振り返ったが、そこに広がるのは闇。
真っ暗で、何も見えない。
「ゆーちゃん、どうしたの?」
彼乃が裕介の眺めるほうを一緒になって眺める。なぜだか、酔いは醒めているようだった。
「いや、誰かに呼ばれた気がして」
「ほほう。君を呼ぶのは誰だ?」
同じく、いつの間に酔いから醒めた桐生も、裕介の横に並ぶ。
「いや、誰かまでは分からないですけど」
【行きたまえ】
砥石は相変わらず、こたつから離れなかった。コップの中身を飲み干す。彼女だけは、飲んでも飲んでも酔っぱらわない。
【誰にせよ、君を呼んだんだ。そして君はそれを観測した。ならば、君はその声のもとへ向かうのが筋だ】
「いやでも……」
【でも、なんだ?】
「でも、なんだ?」
「でも、なに?」
3人が口をそろえる。
【君は、聞いたのだ。「君を呼ぶ声を、すなわち「観測したんだよ、ゆーちゃん。【観測された時、確率の「波は収縮し、1つの「現実が決定される。【誰かが君を呼んでいる。「誰かが君を必要としている。「いくつもの可能性から、それが選ばれた。【否。「選んだんだ、誰かが。「だったらもう、行くしかないじゃん。【是非はない。君には是非とも、そうして欲しい】
「僕を」
裕介を必要とする誰かという、可能性。
死ぬ間際の裕介をなお、観測したがっている誰か。
その声を裕介に観測させた、誰か。
裕介は席を立つ。
長い長い暗闇に、一歩踏み出す。
それを感じ取ったかのように、また裕介を呼ぶ声がする。
また一歩を踏み出す。
闇が深まるにつれ、自分自身も見えなくなる。
輪郭があやふやになるようで、存在が無くなるようで。
誰にも観測されなくなり、いくつもの可能性に拡散する。
それがたまらなく、恐ろしい。
振り返った。
さっきまで裕介がいた場所は、まだあった。
こたつや、鍋はなくなっていた。
砥石も、桐生も、彼乃もいなくなっていた。
小さな影が、そこに立っていた。
その手には、金色の懐中時計が握られている。
影は手元に目を落とし。
時計をじっと見つめていた。
男か、女か。
子供か、大人か。
どうしてだろう、はっきりしない。
人間であることだけは、確かなのに。
正体不明が、裕介を見た。
裕介は慌てて目をそらした。
正体不明の視線に背中を押されるように、また闇を進む。
自分もまた、影になってゆく。
死ぬ。
こんにちは、五十嵐君。来てくれると信じてたよ。呼び続けた甲斐があった。まあこっちに来てくれ、渡したいものがある。そうそう、こっちこっち。
さて、君にはこのダイヤの指輪を進呈しよう。
意味が分からなそうな顔をしているな? オーケーオーケー、ちゃんと説明するから。
これと似たようなものを篠原さんに渡しておいた。そう、あの金時計だよ。あれは時間を操ることができるが、この指輪は金時計とは対極する能力を持っている。空間を操るんだよ。瞬間移動したり、ブラックホールを作ったり、応用はいろいろ効くよ。
まずこれらのアイテムがなぜ、金時計や指輪の形をしているのかだが、ぶっちゃけ意味はない。適当に決めた。別に何でもよかったんだ、指輪はランタンにしようって案もあったんだけどね。
次に篠原さんに時計を渡した理由だけど、実は成り行きなんだ。はじめはそんなつもりはなかった――どころか時計を作るつもりすらなかったんだ。話を大きくしていくうちに、思いついたことをどんどん実行しているうちに、そうなったんだ。
最後に、君にこの指輪を渡す理由だけど。
これも深い意味はない。そうせざるを得なかった――それしか方法を思いつかなかったのさ。何のための方法かって? 終わらせるための、だよ。
君を飛行機の事故で殺したのも、篠原さんに時計を渡してやり直させたのも、君が生まれたと同時に死ぬルートを作ったのも、篠原さんに文人を殺させたのも、君に今この指輪を渡すのも、すべては終わらせるためだよ。
つじつまと、道理と、帳尻を合わせて、矛盾をなくし、面白くして、紡ぐ。
大体僕の正体、分かったんじゃないかな? ああ、ちなみにあの正体不明、あいつの正体だけは絶対に分からないようにしてあるから、考えても無駄だよ。迷惑をかけるわけにはいかないからね。
さあ、話はこれですべてだ。君が本当の答えにたどり着いたか、そうじゃないかは、この際あんまり関係ない。君は君がしたいように、そしてできるようすればいい。それで、何もかもがうまくいくようになっているはずだ。
君と篠原さんには、幸せになってもらいたいからね。
じゃあね、ばいばい。
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