第5話

 「超能力ってあると思うんですよ、俺は」

 大塚おおつか文人ふみひとはどこか得意げに、綾香にそう言った。

 「はあ」

「あ、呆れてますね篠原先輩? そんな非科学的なもの存在するはずがないって」

 文人は「図星でしょ? 当ててやった」みたいなどや顔。単に興味がなかっただけなのだが、そんな綾香の本心など知る由もなく、文人は鼻高々と続ける。

 「例えば先輩。先輩が見ている赤い色は、俺が見ている赤と本当に同じですか? 『赤』という言葉での共通理解はありますけど、それを認識するプロセスは――」

 はっきり言って、退屈である。その話からどうやって超能力の話に繋げるつもりなのか。それに、超能力の存在の是非の結論は、綾香の中ではもうついている。

 時間を巻き戻す懐中時計は、砥石に返却した。彼女が大学で時計を研究してみると言ったからだ。もしかしたら、裕介の手掛かりが見つかるかもしれない。

 綾香は結局、裕介のいない部室で1年と数か月を過ごした。彼がいないのだから、綾香がいじめられる理由はない。友達も今までより多くできた。中でも薄野すすきの那由他なゆたというクラスメイトが一番の仲良しだった。風紀委員の権限寺けんげんじ柚乃ゆの詩乃しのはかわいい双子の姉妹だ。前の世界と変わらず、なかなか過激な性格をしていたが、遊んでいるうちは普通の女子高生だった。

 そんな友人たちと放課後、街まで行ってクレープを食べるなどする。いじめられていたことには考えられない、楽しい青春。夢にまで見た高校生活だった。

 だけど、楽しくない。

 圧倒的に、足りない。

 五十嵐裕介が、いない。

 「――だからクオリアの存在を認めるなら、それは超能力の存在を認めるのと同じで――ちょっと先輩、聞いてます?」

 聞いていない。この際はっきり言うが、綾香は文人のことが大嫌いだ。第一印象から最悪だった。綾香が2年生になった時、彼女だけのフォークソング部の戸を、文人が叩いた。

 「こんちあー! 室内ゲーム部ってここですか?」

 部室を間違えていたようなので教えてあげた、が。

 「うわ、先輩めっちゃ可愛いですね」

 などとセクハラギリギリの発言、からの。

 「え、今なら部室で先輩と2人っきり? じゃあ俺、フォークソング部に入ります!」

 という何とも不純な動機である。綾香の、裕介との思い出を回想する、悲しく、けれども心地よい時間は、この乱入者によって邪魔されることに相成った。誰からもいじめられていないのに、彼がそばにいるというだけで綾香は、今までにないほどのストレスを感じていた。

 「先輩? しーのーはーらーせーんーぱーいー?」

 ああもう、そんなに伸ばすな、読みづらいだろう。

 「ちょっとトイレ」

 綾香は我慢しきれず、返事を待たずに部室を出た。綾香にとって聖域ともいえる部室に、彼奴きやつ1人を残すのは気がかりだったが、とにかく文人のいない場所に行きたかった。

 トイレとは言ったが尿意があるわけでもなく、どこに行こうか途方に暮れていたところに、横から声をかけられた。

 【篠原】

「砥石――水戸瀬会長」

【砥石でいいと言ってるだろう。それに、もう会長じゃない】

 数か月ぶりに再会した砥石は、優しい笑みを浮かべる。国立の名門大学に入学した砥石は物理学を専攻し、先述の通り、時計の解析をしていた。時折こうして綾香の顔を見に来る。

 【今、時間いいか? ジュースぐらいおごろう】

「ありがとうございます」

 向かった休憩所の自販機でコーラを2本買った砥石は、1本を綾香に手渡した。重ねて礼を言って、タブを立てた。炭酸が小気味よい音を立てて抜ける。

 【その後、どうだい?】

「はい、友達も増えて、楽しいです」

【ふうん?】

 何か意味ありげな返事をする砥石。何もかも見抜かれていると悟った綾香は、我慢していたため息を思わず漏らしてしまった。

 【疲れているんだろう。何かあったのか?】

 綾香は事の顛末を、もっぱら文人の愚痴をのべつ幕無しに吐き出した。聞いてて決して心地いいものではなかっただろうに、砥石は終始真剣に聞いていた。

 「別に悪い後輩じゃないのは分かってるんですけど、あの部室にいると、どうしても五十嵐先輩を思い出して……」

【比べてしまう?】

 そう言うと、綾香自身がとても意地汚い人間のようだった。事実、そうだった。

 【懐中時計の原理が解明できれば、五十嵐君を助ける手立ても見つかるかもしれない。時間はかかるが――待っててくれるか?】

 綾香は頷いた。待つことは何よりも得意だった。

 【ところで篠原に訊きたいことがあるんだ】

 そういって砥石は、くだんの懐中時計を取り出した。そして蓋を開ける。文字盤が姿を現し、蓋の裏には女性の写真が入っていた。右目下に涙ぼくろのある、若い女性だった。

 【この人物に、覚えはあるかい?】

「……はい」

 覚えも何も、これは綾香の母だった。看護師をしていて、医者だった父と一緒に働いていた――両親が実の兄妹であることは、綾香は誰にも話していない。砥石は過去に綾香の両親と並々ならぬ関係があり、その秘密を知っているはずなのだが、今回の砥石にその過去はないらしい。砥石の右目下にあったはずの涙ぼくろが無くなっていることに、綾香はこの時初めて気が付いた。

 【もとは私の時計なのに、なぜ篠原の母の写真が……?】

 それは綾香の知るところではなかった。今回のルートは今までと違うことが多すぎて、全く別の異世界のようだった。

 自分が、血のつながった兄妹の子なのだということを綾香は、ついに砥石には話さなかった。綾香の中で一番穢れた経歴だったからだ。ここにも詳細は記すまい。話せば、長いのだ。

 要領を得ない綾香の返事に、砥石は首をかしげながらも暇を告げ、学校を去った。

 トイレにしては長すぎる。怪しまれないよう、綾香は足早に室に戻った。

 「あ、先輩。遅かったですね」

 文人が、伏せた顔を上げた。何かを読んでいる最中らしい。

 ――……いや、あれは?

 「ちょ、何勝手に読んでるの!?」

 裕介と綾香の、フォークソング部としての活動は、主に作曲だった。綾香が作った詩に、裕介がギターで曲を当てる。文人が読んでいたのは、過去に作った詩を書き起こしたものだった。隠してあったのに勝手に読むなんて、なんとデリカシーのない人間なのか。

 怒鳴ったというのに、文人は読むのをやめない。面白おかしく、朗読したりするのだ。

 「すっごいラブソングですね、これ一文化築けますよ! 才能ありますって、先輩!」

 綾香がノートを取り戻そうと手を伸ばす。文人はふざけて避ける。

 「返して! 読まないで!」

「なんでですか先輩、こんなにいい詩なのに。公開しないのはもったいないですよ!」

 公開なんて、もってのほかだった。綾香と、裕介だけの歌だった。文人が読んでいるというだけですさまじい嫌悪感を覚えた。

 「ところで先輩、一番初めのこれ、頭文字だけ読んだら『五十嵐さん大好き』ですよね? 五十嵐さんって誰ですか? 先輩の初恋の人とかですか――」

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