第3話

 綾香は地響きにも似た破壊音に、飛行機の墜落を悟った。いや、語弊がある。墜落すると、

 この光景を見るのも何回目か、数えるつもりは毛頭なかった。裕介が死ぬのを数えるなんて、気が狂ってしまいそうだったからだ。

 また、助けられなかった。

 綾香は嗚咽を漏らしながら、半ば自動的に、ポケットから金色の懐中時計を取り出す。

 そしてさかのぼる。空港に来るずっと前に。

 綾香が入学してきて、裕介のいるフォークソング部を訪ねる2年前まで、記憶を手繰る。

 時計には、不思議にも時間を巻き戻す力があった。1回目、裕介と初めて出会い、そして初めて亡くした時に、卒業していた砥石から借りたものだった。唐突なファンタジー要素に綾香自身も驚かされたが、利用しない手はなかった。綾香は裕介と過ごした2年間を何度も繰り返し、裕介が死なないような手立てを考え、実行した。しかし、策はすべて無に帰した。どんなに用意周到にしても、強硬手段を選んでも、裕介は死ぬ。まるで運命に殺されるがごとく。

 今回は、砥石や桐生、彼乃がそろって亡くなるという、今までにない、大きなイベントがあった。もしかしたら今回は、裕介が生存するルートなのではと、不謹慎にも期待していたのだが……。

 やはりだめだった。ならば、もう一度。

 涙で満ちた瞳を固く閉じる。

 再び目を開くと、そこは空港ではない。見慣れた扉の前。フォークソング部の部室だ。綾香は決まって裕介と初めて会うところからやり直す。できるだけ、裕介と長くいるためだ。

 扉をノックする。この後の会話を綾香は、一言一句正確に記憶していた。まず裕介が出てきて、

 「えっと……、何か用? えーと、囲碁部はそっち、室内ゲーム部なら、一番奥だけど」

 と、綾香が別のクラブと間違えて訪ねてきたのだと勘違いする。

 そして綾香は、

 「…………ここは何部ですか?」

「えっと……。ここは、ここにはクラブはない。ここは何部でもないよ」

「嘘つかないでください」

「え、嘘って、えぇ!?」

「ここはフォークソング部ですよね?」

「どこでそれを……」

「入部志望の1年■組、篠原綾香です。これからよろしくお願いしますね、五十嵐裕介先輩」

「ど、どうして僕の名前を!?」

 と、ここまでテンプレである。この時の裕介の顔と言ったら、綾香は面白くて仕方がなかった。理解できないことが立て続けに起こると、裕介はとても愉快な表情になるのだ。ああ、活字では裕介のその顔を読者に、お届けできない……――。

 「………………あれ?」

 が、まだ見れていないことに、綾香は違和感を覚える。そう、ノックしたはずなのに裕介が出てこないのだ。いつもなら5秒としないうちに扉が開き、あの特筆するところが1つもない、平凡な男が姿を現すはずなのだが。

 試しにもう一度ノックする。耳につく乾いた音はトンネル効果で廊下に響き渡り、しかし、やはり裕介は出てこない。

 「先輩…………?」

 ドアノブに手をかけた。

 鍵がかかっていた。


     ◇◆◇◆◇


 「会長!!」

 綾香は生徒会室に飛び込んだ。そこには風紀委員の委員長、うさぎ斑沙むらさと話をする砥石の姿があった。突然の乱入者に目をぱちくりする砥石に駆け寄り、その肩に縋りつく。

 「先輩は、五十嵐先輩はどこですか!?」

 兎が何かを言って綾香を砥石から引き離そうとしたが、綾香は無我夢中で砥石に詰め寄った。

 「会長教えてください!! 先輩は――」

【――落ち着け】

 とん、と。砥石は軽く綾香を押し返す。ただそれだけで、しかし何か逆らえない余力にさらに押された綾香は、背後のソファに倒れ込んだ。煮えたぎるように興奮していた頭が、ほんの少しだけ冷めた。

 【君、要件を話す前に、まずは名乗りたまえ】

 おかしい、と思った。実は綾香と砥石の間には、過去に並々ならぬ因縁があり、砥石は綾香のことを知っていて当然のはずなのだ。

 「何言ってるんですか、会長? 綾香です、篠原綾香ですよ?」

【篠原? 聞き覚えがないな】

 冗談ではなさそうだった。砥石という人間は、目に見えて分かりやすい性格だった。特殊な人、特別な人が大好きで、そういった人、例えば奇人四天王の他の3人、風紀委員のメンバー(変わり者が多い)には実に楽しそうな顔で接する。一転して、ごくごく普通な一般生徒にはほとんど興味がなく、冷たい目で一瞥する。

 綾香は今、その視線を向けられていた。

 「砥石……会長……?」

【君は何なんだ、さっきから意味の分からないことばかり】


 【


水戸瀬みとせみやびだ。入学式であいさつしただろう、居眠りでもしていたのか? 名前ぐらい覚えろ、新入生】

 意味が分からないのは、綾香の方だった。水戸瀬? それこそ一体誰だ。綾香の不安は徐々に浮き彫りになる。この目の前にいる砥石は、姿は一緒だが、全く別の誰かになっているようだった。裕介がいない今、頼れるのは砥石だけだというのに。

 「こ、これ!」

 綾香はとっさにポケットから懐中時計を取り出し、眼前へと突きつけた。この時計はもともと砥石のものだ。これのことすら忘れてしまっているならば、砥石という人物はいなくなってしまったと考えるほかない。

 その心配は、杞憂だった。時計をとらえた瞬間、砥石の顔は衝撃に染まり、そして自分の胸ポケットにそれがないことを確認して、キッと綾香を睨みつけた。

 【貴様……】

 この目は、まずい。怒っている、これまでないぐらいに怒っている。射貫くような鋭い眼力に、歯が自然と音を鳴らした。

 時計に手を伸ばしてくる砥石。取られまいと、綾香はそれを引っ込め、背中に回した。

 砥石は完全にブチ切れた。その手でそのまま綾香の胸ぐらをつかみ、強く引き寄せる。額と額がぶつかる至近距離から、怒鳴った。

 【!? !?】

「ひっ!!」

使!! !!】

 綾香は、冗談抜きで漏らすかと思った。本当に死んでしまうと、本能が悲鳴を上げた。

 しかし。

 今、砥石は、確かに、正義と言った。

 ならば、やはりこの人は変わっていないと、綾香は確信する。

 砥石は、正義を何よりも尊んだ。常に何が正しいのかを考え、そのためにはなんだってする、勇気のある人。名前が変わろうと、人が変わろうと、この人の正義がそう簡単に変わるはずがない。その事実は、綾香にとって大きな救いだった。

 「盗ったんじゃありません! 会長が……、未来の会長が、私に託したんです!!」

【なっ!?】

 それまでの勢いが刹那のうちに衰える。毒気を抜かれた砥石は口をパクパクし、しかし徐々に何かに気づいていったようで、少しずつ落ち着いていった。

 「……水戸瀬?」

 兎の呼びかけを、左手で制する。

 【斑沙、いったん席を外してくれ】

 兎はしばらく何か言いたげに立っていたが、数秒もするとくるりと踵を返し、生徒会室を後にした。砥石は綾香の襟首をつかむ力を緩め、解放した。再びソファに倒れ込む綾香。いやな汗が、どっと噴き出た。

 【篠原、と言ったな】

 砥石もなんだか疲れたように、向かいのソファに座り込む。

 「はい」

【説明してくれるか。たぶん、今回は特別だ】

 綾香は一部始終を語った。裕介との出会い、別れ。時計を借りて繰り返した2年間。毎回違ったイベントもあった。辛く、悲しい事件もあった。裕介と一緒に乗り越え、楽しい時を共にした。

 けれど裕介は、最後に必ず死ぬ。様々な手段を講じた。時には犯罪に相当することもした。でも結局、死ぬ。何度やっても『Merciありがとう』のメールを最期に、いなくなる。

 「はっきり言って、もう、疲れました」

 そうして行きついた今ここに、裕介の姿がない。数少ない友人も、砥石も、誰一人として彼のことを覚えていない。

 「会長、五十嵐先輩は、どこですか……?」

 力のない綾香の問いに、砥石は首を横に振った。望が断たれ、綾香は言いしれない脱力感に襲われる。

 【話してくれてありがとう。私としたことが、不覚だった。五十嵐君の捜索、どうか手伝わせてほしい】

「ありがとうございます、砥い……水戸瀬会長」

【砥石でいい】

 綾香は、砥石がこのように優しく微笑むのを見たことがなかった。あとになって分かることだが、砥石は今までと違って、正義のためなら手段を選ばないという過激的な姿勢を持ち合わせていなかった。それどころか、あまり実行力のある人ではなくなっていた。頼りがいが薄れるのは否めなかったが、それでも裕介のことを覚えているのは自分だけだという孤独感は、少しは紛れそうだった。

 祐介の手掛かりを得る、総じて半年にわたる過程は、ここでは省かせてもらう。まっとうなものから大きな声では言えないものまで、手段は選ばなかったとだけ言っておこう。果たして、二人は祐介の手掛かりを手に入れた。

 砥石の育て親だという女性の運転で、砥石と共に裕介がいるところへ向かう。複雑な山道を進んでいき、1時間弱で目的地に到着した。

 綾香と砥石は、裕介の前にたたずむ。

 裕介の眠っている墓の前に、たたずむ。

 裕介はこの世に生を受けたと同時に、その生みの親と一緒に、亡くなっていた。

 時間を戻したって、どうすることもできない現実。そもそも綾香が生まれてくる前の出来事。

 泣き崩れる綾香の肩を、砥石が優しく抱いた。

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