第2話

 【やあ、青年】

 裕介は、その奇妙なイントネーションの声に聞き覚えがあった。闇の中から突然聞こえてきた声だったが、徐々に声の主の姿が浮かび上がってくる。斜に構えた態度、目を引く右目下の涙ぼくろ。堂々としていて不敵な、特徴的な笑みを裕介は、一瞬たりとも忘れたことはない。

 「砥石といし会長……?」

 その女性は、裕介が世話になった1つ上の先輩。2年連続生徒会長の地位に着いた圧倒的カリスマ、砥石といし鮮座抜あやかその人だ。

 闇からは、さらに別の像も現れた。砥石はこたつに足を入れていたらしく、他に2人こたつの席についている。そのどちらも、裕介のよく知る人物だった。

 「待ちくたびれたぞ、本日の主役」

 眼鏡の位置を直す男は、砥石の同級生、たこ焼きをこよなく愛する変態、高屋たかや桐生きりゅう

 「ゆーちゃん遅すぎて、先に始めちゃったぞ☆」

 この一言だけで快活なのがうかがえる、裕介の同級生、音の天才、宴会えんかい彼乃かのの

 この3人と裕介を合わせた4人のことを高校では、みな『奇人四天王』と呼んでいた。誰が名付けたのかは全くの不明だが、そういうメンツが集っていることは理解できた。

 「……何やってるんです?」

【分からんのか、君? 暗闇の中複数の学生がこたつを囲んでいたらそれはもう、闇鍋しかないだろう?】

 こたつの上には簡易コンロ、さらにその上に土鍋。何かが煮込まれているようだったが、灯りと言えばそのコンロの火しかないので、中をうかがうことはできない。

 「いや、それは見てわかりますよ」

【なんと君、分かっていることをわざわざ訊いたのか】

「意味のなさそうなことをする。まさに人間だな」

「えっ、ゆーちゃん人間だったの!?」

 裕介は彼乃のこめかみを拳で挟んでぐりぐりぐり……。

 「痛い痛い痛いギブギブゆーちゃん許して~☆」

「お前の謝罪はいつも誠意が感じ取れない」

 顔では本気でも、間の抜けた語感が否めない。前に本気で怒った彼乃を目にしたが、その時は「☆」はしっかりとなくなっていた。彼乃にとって「☆」の内は、じゃれあいの範疇だった。

 【――人間、人間ねぇ】

 と、砥石が含みを持たせて、静かにくつくつと笑って。

 【人間であることだけは、確かだねぇ】

 裕介はハッとする。言うまでもなく、綾香の背後にいた影を思い出したからだ。

 「……会長、何か、知ってるんですか?」

【そう話を急ぐな。ほら、君も座りたまえ】

 ごまかされ、裕介はわだかまりを不快に思いながら、すすめられたこたつの一辺に腰を下ろして、中に足を入れた。

 「さあ五十嵐君、君も食べたまえ」

「ありがとうございます、高屋先輩」

 差し出された椀の中身は、やはり見えない。手探り、もとい箸探りで具をつかみ、恐る恐る口に入れる。

 たこ焼きだった。

 「……大体予想はついてました」

【ちなみに、私はイナゴを入れた】

「私は蜂の子☆」

「なぜ虫ばっか――って違う!!」

 裕介は机をガタンと鳴らして、身を乗り出した。

 【何だい君、落ち着きがないな】

「落ち着けるわけないじゃないですか! どこなんですかここ!

――!?」

 どれも不幸な事故だった。本当に不幸としか言いようがなく、ゆえに狙ったように裕介の知り合いが死んでいくのが、不思議でならなかった。本当に不思議としか言いようがなく、ゆえに次は綾香なのではと、しばらく眠れぬ夜を過ごした。

 突拍子もない、不自然な事件。思い返せばまるで、物語のつじつまを合わせるために無理やりねじ込まれたかのような、浮いたイベント。

 「死んだ。ああ、確かに」

「痛かったよー、あんなに痛いのは生まれて初めて☆ 死んじゃったけどねー、きゃはは☆」

 などと、2人はなぜかのんきだ。死者が集う、闇の世界。それじゃまるで――

 【死後の世界】

 砥石が、裕介の思考を先回りする。

 【……などと、バカげたことを考えているんじゃないか? 天国? 地獄? そんなもの、あるわけない】

「じゃあここは……」

「いわゆる」

 桐生がセリフを引き継いだ。

 「夢、のようなものか」

「走馬燈ともいうかな?」

【ようは君の頭の中の出来事だ】

 死ぬ直前に裕介の思考が加速し、現実とは切り離された時間を持つ精神世界。つまりここにいる3人は裕介自身が作り出した虚像なのだと、裕介は悟った。今までの会話、やりとりの全てが妄想だったと分かると、虚しくてしょうがない。しかし――

 「別にいいんじゃない? ゆーちゃんから見た私たちが再現されているんでしょ? ゆーちゃんにとって、それは紛れもなく本物の私たちだよ☆」

「気にするな、どうせ死ぬ身だ」

 裕介が考えていたことを彼乃が、桐生が、彼乃らしく、桐生らしく代弁した。その口調、仕草は紛れもなく裕介の知る宴会彼乃であり、高屋桐生だった――しかし。

 【――】

 裕介は、異質な沈黙に振り返る。砥石が粘っこい笑みで、裕介を見つめていた。それは生前、何度も向けられた笑みだったけれども。

 ――

 砥石らしい、らしすぎるその視線に、裕介は考えてしまう。この砥石、こいつだけは、違うのではないか。裕介が記憶から作り出した像ではなく、外からこの世界に紛れ込んだ、独立した別の誰かなのではないかと。

 果たして、砥石は悟ったのか、その視線を裕介から外し、ぱんと手を打った。

 【さあ、始めるとしよう。グラスを手に取りたまえ】

 呼びかけに、彼乃と桐生はグラスを持ち上げる。裕介の前にも、透明な液体の入ったグラスが置かれていた。手に取らないと、何も始まらないと思い、裕介もそれらに習った。

 砥石が、乾杯の音頭を取る。

 【青年の旅立ちに】

「「旅立ちに」」

 グラスがぶつかる。

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