指輪と時計、彼と彼女
MIDy
最終回「彼と彼女の顛末と、その決定」
第1話
「つまりですよ、
「君のおかげだって? 勉強中にひたすら僕を罵倒して、集中を乱してきた君のおかげ!?」
成田空港のロビーを進む2人がいた。会話の調子はあまり穏やかではないが、ぴったり並んでいる姿を見ると、きっと毎日のようにこうやって言い合いをするほどの仲なのだと納得できるだろう。少女の方は終始楽しそうに笑っていて、それを見た青年は、ばつが悪そうに頭を掻いた。
青年の方、名前を
一方少女、名前を
フォークソング部は部員が2人しかいなかったので、裕介と綾香は放課後を共に過ごす2年間を送ってきた。裕介はとある理由で、いじめを受けていた。学校中が彼をいじめていたと言っても過言ではない。そんな裕介と親しくしていた、綾香も当然いじめの対象になった。時に2人は、激しい暴行や、悪質ないたずらにあった。何度も辛い思いをしたが、綾香を裕介が、裕介が綾香を互いに支えあってきた。
綾香が勉強の邪魔をしてきたのは事実だが、綾香のおかげで今まで生きてこられたことも、やはり揺るぎない真実だった。少なくとも裕介はそう感じている。もちろん、口にはしないが。
「私がいなくて寂しくなっても、電話してこないでくださいね? 先輩の泣き声なんて聞いた暁には、耳が腐ってしまいます」
「僕は妖怪か何かなのか!? ふ、ふん、篠原さんこそ、僕がいなくなって寂しいんじゃないか?」
とっさに口走った言い返しは、実は裕介が本気で心配していることだった。裕介はとある先輩のおかげで、綾香がいなかった最初の1年をなんとか過ごしてきたが彼女には、裕介がいなくなった今、学校に味方はいない。1学期の間は放課後や休日に会うこともできたが、明日からはそうはいかない。彼女のメンタルがとても強いことは知っている。いじめの件について、彼女は一度も弱音を吐いたことはない。ただ単純に、裕介は心配なだけだった。
だから。
「ええ、寂しいです」
にっこりと、さっきとは違う笑みで、何の迷いもなく即答した綾香に、裕介は思わず足を止めた。引いていた重たいスーツケースの慣性に押されて倒れてしまいそうになるぐらい、愕然とした。
「……篠原さん」
「何ですか? 私が先輩との別れに悲しみもしない、薄情者だとでも思ってたんですか?」
「いや、そうじゃなくて……」
「寂しいですよ。とっても寂しい。私にとって先輩は、高校生活のすべてでしたから」
彼女にとっての裕介の重要性を、裕介は自覚していなかった。感謝は、一方的なものだとばかり思っていた。
「やめよう」
裕介の口は半ば自動的に、突拍子もないことを語る。
「フランスへ行くのはやめだ。もう1年、篠原さんが卒業するまで日本に残る」
「先輩……」
「日本に残って、バイトしてお金を貯めよう。いいか篠原さん、学校で何かあったら僕のところに来るんだ。どんな些細な事でも、すぐに僕に相談しろ。どんな手段を使ってでも、僕が篠原さんを――」
「先輩!!」
綾香は強く、強く裕介を制した。我に返った裕介は、しまった怒られると思った。もしくは泣かれるか、その両方か。しかしその予想に反して、綾香は、なお微笑んだ。
「私のためだと言うのなら、どうか行ってください。行って、待っててください。半年後、必ず追いかけますから」
別れてから、また会いましょう。
そうでないと、意味がない。
「どうして……」
「……分からないでしょうね。先輩は、鈍いから」
この罵倒には、つっこむ気は毛頭起きない。
「私は素敵な先輩に出会えました。そして先輩は、フランスでもっと素敵になる。そんな先輩をまたイジれるように、私はあの学校で、少しでも先輩に近づく」
今までと変わらない日々が、ずっと、これからも。
「素敵な先輩と、どうか再会の約束を結ばせてください。私はそれが、一番幸せです」
飛行機の出発を告げるアナウンス。別れの時が、迫る。
綾香は最後まで、一貫して笑顔だった。ならば自分も笑うべきだと、裕介は思った。顔が見えなくなるまで、手を振った。
ボーディングブリッジに入ろうとしたところで、係員にくぎを刺された。
「携帯電話は、電源をオフにするか、機内モードにしてください」
なんでも電波の影響で飛行機の機器が狂ってしまうとか。設定の中にそれらしき項目があったはずだと思い携帯を開くと、メールが1件受信されていた。綾香から、フランス語の文だった。
『Je t'aime pour toujours』
2周ぐらい思考が堂々巡ったところで、答えは半年待てばおのずと分かることだと気づく。彼女も待っていてほしいと言ったのだ、結論を急ぐ必要はない。裕介は『
指定席は窓際だった。荷物を棚に上げ、席にゆっくりと腰かけ、外の様子を眺めた。小さな窓からは、空港の建物の一角が見て取れ、その窓の一つから綾香を見つけた裕介はその目ざとさに、我ながら呆れた。向こうはさすがに見えていないだろうと思いつつ、試しに手を振ってみると、なんと笑顔で振り返してきたではないか。彼女の眼光にも呆れつつ、どこかで彼女とつながっている気がした。
――ぬっと。
綾香の後ろに、誰かが現れる。
男か女か、子供か大人か、どうしてだろう、はっきりしない。人間であることは間違いないはずだが、その他の情報は墨で塗りつぶされたように見て取れない。
そいつは綾香の後ろから、彼女の耳元に口を寄せて、何かをささやいているようだった。当の綾香は気づいていないわけではないらしく、些細な反応を見せる。
ささやく、彼女の肩が少し跳ねる。
ささやく、手を振る動きが鈍る。
ささやく、笑顔に陰りが映える。
ささやく、そしてとうとう――
綾香は顔を両手で覆い、崩れ落ちて、泣いた。
エンジンがいななき、飛行機がゆっくりと動き出す。徐々に加速していき、振動が激しくなってきた。
綾香と、あの正体不明の姿は、死角に入って見えなくなった。それでも、裕介の網膜にその情景はしっかりと焼き付いていた。あいつが、綾香に何かをしたのは間違いなかった。
揺れがふいに消えて、離陸したことを悟る。初めての飛行機で飛んだ瞬間。しかし、裕介の頭の中はもっぱら、先の正体不明のことでいっぱいだった。何者なのか、性別は、歳は、何のためにここに来た。
綾香に、何を言ったのか。
身体が、右に傾いた。
時間がとても、
ゆっくりと、すすむ。
機内の前方から、
壁が迫ってくる。
壁と衝突した
座席、
荷物、
乗客は、
瞬時に
ばらばらになる。
考える
までもなく。
その壁とは、
滑走路のアスファルト。
つまり、
飛行機が、
頭から、
滑走路に落ちたのだ。
裕介は、
そこまで考えて――――――――――――――
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