満月の夜は眠れない。

@huzisawa

第1話満月の夜は眠れない:短編

 満月が街の輪郭をくっきりと照らす、妙に明るい夜11時過ぎのこと。

使い古された外套のポケットに手を突っ込み、すすけた革靴でかっかっと音を小さく街に響かす男がいた。

まっすぐに伸びた上背は185に届きそうか。

だが、若い頃は大層女性を惑わせただろう罪づくりな顔作りも、伸ばし放題の無精髭と厭世を隠さない表情がケチをつける。

「タバコは.......」

月明かりをたよりにジーンズの後ろポケットをガサガサと探るが手応えはない。

「.............」

男が満月の真夜中に歩いているのに、これといった理由はなかった。

ただ、うまく寝付けないから外の空気を吸いに出たのだ。


 「次の仕事、どうしたもんかな......」

ちょうど一週間前にまたバイトをやめた。

考えずにはいられないのは、男の変に生真面目な性格の悲しいところか。

婚約者と愛娘が交通事故で亡くなったあとも、酒や賭博に走ったものの、他人様に迷惑がかかることはしなかった。自分が勝手に泥沼にはまっていっただけだ。

「いや、俺だって昔は.......」

お決まりのようになんども口にしたフレーズは今の容姿と相まって男のものとなっていた。

確かに、酒と賭博に溺れる前、男は一日も休みをもらうことなく町田組の土木建設員として汗水垂らして働いていた。

しかし、今では町田組の職場に顔を出さなくなり、親分の好意で籍だけおかせてもらっている。

親分はいつでも帰ってこいというが、同僚の白い目には耐えられそうにない。

代わりに安いバイトをして小金をためては酒をのみ、余った金は競馬や競艇に投げる。

好きな時に起きて、好きなものを食べて酒を飲む。

仕事が面倒になればやめてしまい、次の仕事を探すだけだ。

ーーーそれでいいだろ........


 ただ、男の頭から張り付いて離れないのは、失った家族のことだった。

まだ三つになったばかりの愛娘が

「パパッ! パパッ!」

と、愛くるしい顔をくしゃくしゃにして笑顔で両手をこちらに伸ばす。

それを思いっきりハグしてチューの嵐をするだけで仕事の疲れなど吹き飛んでしまった。

ーーー将来はきっと妻のように美しくなるだろうな、結婚相手は厳しく見てやろうか....

などど親バカをしていたのが今では夢のようだ。

妻も妻で、綺麗な黒髪を揺らしながら

「反抗期が来ても泣かないでくださいね」

などと笑って、男をおちょくって来たものだ。


 しかし、憎いほどまん丸な満月が空に登った日に悲劇は起きた。

妻と娘は横断歩道を渡っていただけだった。

交通事故はトラック運転手の不注意運転によるものだった。

青年だった。

救急救命室の前で襟首を乱暴に掴み、白い壁に押し付けてやる。

だのに、涙をボロボロ流しながら、何度も何度も誠心誠意謝ってくる彼に男は何も言えなかった。

ただ、唇を噛み締めて耐えるしかなかった。

ーーーこれだから、世の中やってられない

二人の代わりに自分が犠牲になれればどれだけ良かっただろう。

今だって、自分が生きてる価値など男にはわからない。


「.............くそっ」

ボソッと呟くが、夜の街にはよく響く。

無性にタバコと酒が欲しくなる。

満月の日には寝付けなくなってしまった。

もうあれから、四年が経つ。

ーーーまた家族でたわいのない会話がしたい


 それから長いこと男は歩いていた。

気づけば、妻と娘が亡くなった横断歩道の前まで来てしまった。

この時間、車はほとんど通らない。

来るとしても高速道路の迂回路として利用するトラックくらいだ。

満月がいやにギラつく。

ーーーそうだ、あのときも確かこんな満月が......

ふと、顔をあげると小さな子供を連れた母親が横断歩道を渡ろうとしている。

だが、左手から横断歩道など知らぬかのようにスピードを出すトラック。

ーーーおいっ!あぶねえっ!

心臓がドキンっと跳ねる。

ーーーこれじゃっ、まるで......

駆け出していた。

身を投げ出して親子を突き飛ばす。

「ブーーーー」

クラクションが叫ぶ。

ーーー俺は....


「おいっ!きゅ..救急車呼べっ!!! はやくっ!!!」

トラックの中年が叫ぶ。

親子連れは呆然と座り込んで立てないでいる。

「ああ.....もう...死んで.....」



 男は冷たいコンクリートに半身をつけて倒れている。

体は痛々しく傷ついている。

だが、なぜだろうかーーー

彼の表情はそう、まるでーーー

ーーー仕事を終えて.....

ーーーーーぐったりと、でも満足げに家族の元に帰っていた、

ーーーーーーあの頃のようだった........

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