No.6『アセトアルデヒド分解中』
ピピピッ、ピピピッという電子音に煩わしさを覚え、私は寝ぼけた脳のままいつもスマホを置いている枕元に手を伸ばす。
がしかし、いくら探しても手中に収まらない。手の平はずっとシーツを撫でるだけで、私のスマホがない。音はずっとしているので部屋の中にあることは間違いないはずなのだが。
見つからないこととアラームの五月蠅さで次第に苛立ちが募り、と同時に寝ぼけ眼も開かれていく。少しの間ボーッと真っ白い天井を眺めていると、何だかアラームの音にも慣れてきてしまった。
私がスマホに設定しているアラームはAM5:45とAM6:15。一度早めに目覚めてから30分間は二度寝タイム、これが私の決まった起床だ。一回目と二回目で音を変えているので分かる、この音は二回目の方だ。どうやら一回目の方は睡眠の力の方が勝ったらしい。全く気付かなかった。
朝起きたらまずシャワーを浴びて髪乾かして歯を磨く。朝ご飯は食べない、寝起きはセッターと決まっている。ベランダで朝日を眺めながらのタバコが一番美味い。
その後トイレ行って軽く化粧して、服装自由な会社なのでとにかく楽な格好に着替えて、ニュース見ながらもう一本だけ吸って出社。これが私、
お気付きの方もいらっしゃるでしょうが、限界ヤニカスの私は他のこと無視して意地でもタバコは吸います。かと言ってシャワーやら化粧やらを疎かには出来ないわけでこの二度目のアラームで確実に起きなくてはいけないのですけども……。
「ヤバイっ!」
そう叫んで上体を一気に起こす。するとふらっと目眩がして、私は一度頭を元の位置に戻した。
あー、ヤバい。どう考えても異常だ、この頭痛は尋常じゃない。いくらなんでも飲み過ぎだ。昨日の記憶があやふやで断片的にしか思い返せない。
確か東西南北校長に久々に会って、そしたら穢谷とも再会して、で穢谷との再会に内心めちゃくちゃテンション上がってしまってつい居酒屋で飲んで飲んで飲みまくってしまって……。
「ゲロにお姫様抱っこ……。恥ずかし過ぎる、普通に死ねる……」
25にもなってひどい飲み方をしてしまった。いつもはちゃんとセーブしてるんだけどなぁ。
私は痛む頭を抑えながら立ち上がり、テーブルの上に置かれたカバンの中からスマホを取り出してようやくアラームを止めた。
頭痛薬あったかなぁ、と戸棚に足を向けたところでもう一つ肝心なことを忘れていたことを思い出した。
「ていうか穢谷は!?」
そも、この家に帰ってきた記憶が無い。穢谷が運んでくれたというのは何となーく覚えているんだけど、お姫様抱っこくらいからマジで記憶が無い。てかヤバい、私と穢谷の身長そんな大差無いのにアイツ私のこと軽々持ち上げてた。え、男だったら普通なのかな、違うよね、穢谷五年前よりも確実に筋肉質な感じ出てたし、穢谷が力持ちなだけだよね。どうしよ超ギャップ萌えなんだけどカッコい、あヤバい、多分今私めっちゃニヤけてる、鏡見てないけど分かる、私キモ。
そんな風に久々に再会した元カレの意外な一面を発見して、年甲斐もなく胸をギュンギュンさせていると、カバンの横に身に覚えのない頭痛薬が置かれてあった。
「穢谷……」
薬の紙箱の下に細長い長方形の紙が挟まれている。ボールペンで書かれた文字がチラッと見えて、私はそれを引き抜いた。とめはねはらいのしっかりした綺麗な字は、穢谷の書いたもののようだ。
レシートの裏を使われたその手紙には、私の身体を心配する気持ちと五年間雲隠れしていたことへの謝罪に加えて、昨日の東西南北せんせーからのお願いごとに関しての穢谷なりの結論、そして自分の新しいLINE IDが書かれていた。
私は手紙を置いて、カバンからタバコを手に取る。ベランダに出ると、朝の陽光が眩しく光り輝いていて、街を照らし始めたところだ。
タバコを口に加え、安物ライターで火をつける。最初の煙は思いっきりふかしてから、次に目一杯肺に煙を取り込んでやると、気持ち頭がスッキリしてくる。気のせいらしいけど、実際そんな感じするし頭も冴えてくるんだよね。
「ふぅー……。『俺はやるけどお前は?』って、そんなの遠回しに『やるだろ?』って言ってるようなもんじゃない」
書かれてあったIDで穢谷のLINEを追加。『私もやる』と短く端的に打ち込んで、私は送信ボタンを押した。穢谷の前のアカウントとのトーク履歴は、まだ消せなかった。
△▼△▼△
その後、私は朝支度を二日酔いによる頭痛に耐えながら急ピッチで済ませ、何とか普段通りの時刻のバスに乗車することが出来た。
バスに揺られること15分ほど、会社のあるオフィスビルに到着。このバス停で降りたほとんどの人間が同じビルに向けて歩き出し、駅からやって来た人たちと合流、人の流れができている。
「春夏秋冬ッ、おはよっ!」
「あーうん、おはよう……」
ビルに着くなり、背後からうざったい挨拶をされてしまった。振り返るまでもなく
朝っぱらから元気な挨拶されるとしんどいんだよねぇ。特に自分に好意があること明らかなヤツからされるのはしんど過ぎる、何回振れば諦めてくれるわけ?
「おいおいあからさまに歩行スピード上げるなよ〜。俺だって傷付かないわけじゃないんだぜ? 悲しいなぁ、何がそんなに気に食わないのさ」
「あんた同期ってだけで馴れ馴れしいのよ。言っとくけどね、部署は違えど私は係長、あんたは平。少しは敬意を見せなさい」
「いつも見せてるじゃないか! 俺は春夏秋冬のことが好きだ、って。これ以上の敬意の表し方が他にあるって言うのかい?」
「まあ、あるでしょうね」
具体的には私も言い表せないですけども。
その後もごちゃごちゃと生産性のない会話を押しつけてくる五十右だったが、エレベーターに乗ってからようやく口を閉ざした。イイ、この静かな空間に一生いたい、このチャライケメンマジジャマくさい。
「じゃ」
「おう、たまにはゆっくり休めよ……!」
営業部営業企画課に配属されている五十右と事業部システム開発管理課所属の私は同じビル内ではありながらもフロアが別。なので下の階に部屋がある私が先に降りる。
厄介なことに、ただの顔が良いチャラ男ならテキトーにあしらえるのだけれど、普通に話す分には結構フツーなんだよねぇ。むしろ今みたいに私の顔色見て体調悪いの察したのか、労いの言葉すらかけてくれる。よく出来た男だ、付き合うかどうかはまた別の話だけど。
私の配属されている部署、システム開発管理課はその名の通りお客様から依頼されたシステムの開発と管理を任されている部署だ。
そのまんま過ぎて多分そっちの分野に詳しくない方にはさっぱりだと思うので、もう少しだけ補足しよう。顧客の求めるシステムを構築し、作成し、運用すると、簡単に言えばこんな感じだ。これで伝わらないのならggrks。
元々はシステムエンジニアとして採用、入社したわけなのだが、我がシステム開発管理課、自分で言うのも何だけどこの会社のかなり重要なポジションにある。それなのに異常な人員不足によって、私はプログラマーとしても働く羽目になっているのだ。
廊下をのそのそ歩き、『システム開発管理課』と書かれたプレートの掛けられているドア前に到着。これを開ければ今日もまたしんどい一日が始まる。ヤダなー、仕事したくないなぁ。
ここ数年ずっと思っていることを頭をぶんぶん振ることで振り払い、意を決す。中を覗くと、やはりいつものように誰よりも早く出社している社員が一人。後輩、
会社の要でもあるこの部署に舞い込んでくる膨大な量の仕事を、たった四人でこなさなければいけないというプレッシャーは5年目の私ですら流石にこたえる。社会人2年目にはしんどいだろうし、そりゃこの顔にもなる。
「春夏秋冬さん、おはようございます」
「んー、おはよう。昨日私が早退した後ちゃんとやってたでしょうね?」
「してましたよ俺は」
「
私の後輩二人はどちらも双方まだ完全に一つの仕事をそれぞれ一人に任せられるほどの技量がない。基本的に私と
4ヶ月ほど前まではこの開発管理課も私含め八人体制で仕事をしていた。元係長だった人は過労で胃に穴を開けて逃げるように退社、前主任だった人は何も言わずバックれ、さらに私の一個上の先輩は寿退職し、部長は定年退職している。八人でもそれなりに忙しかったわけで、今でこそ慣れて何とかやっているが四人になったばかりの最初の頃は死に物狂いで仕事を片付ける日々だった。マジで2ヶ月くらい仕事してた記憶しかない。
「忙しくてちゃんと仕事教えられてない私も悪いんだけどねー」
「あ、いや、すんません……。それはもう普通に俺らが見て学べばいい部分なんで、春夏秋冬さんは気にしないでください」
「上土、東日下と一緒にいるとチョケるけど一人だと真面目よね」
「え、そうすかね?」
いや全然そうでしょうよ。昨日は東日下と一緒して私から怒り狂われてんだから。
ただ、上土は強豪野球部出身ともあってか上下関係をしっかり弁え、空気も読めるし割と気が利く、東日下と比べれば仕事は真面目に取り組むタイプ。対してその同期入社東日下
噂をすればなんとやら、遅刻ギリギリの時間にドタドタ足音を立ててやって来た東日下。タイムカードをなんとか時間内に差し込んで、安堵のため息を吐いた。
「おはよーございまーす! あ、春夏秋冬先輩今日後ろ髪に寝癖付いちゃってますよ可愛いですね!」
「東日下ァ……、昨日私が頼んでたところ、ちゃんと終わってるんでしょうねぇ?」
「へっ? あ、あれ、いやそれは……」
何故そのことがバレているのか分からないといった様子の東日下。目をパチクリ
「ちょ、上土!? もしかして裏切った!?」
「……ごめん、つい口が滑った」
「ついじゃないんだけど、ついじゃ!! 二人で約束したじゃん、春夏秋冬先輩には黙っとこうって――」
「――東日下」
「は、はいっ!?」
「あれ、納期いつまでか分かってる?」
「えと……今週の水曜、ですよね?」
「分かってるならゴチャゴチャ言い訳せずに手を動かしなさい」
「はっ、はいぃ〜!」
東日下は私の威圧に慄き、あたふた自分のデスクトップPCを起動させて仕事に取り掛かる。昼までに半分以上終わっていれば褒めてあげよう、量的に十中八九無理だろうけど。
私も同じようにパソコンの電源ボタンを押して、起動までの少しの間にタバコの準備をする。そろそろ灰皿に貯まったシケモク捨てないとなぁ。溢れかえってきちゃう。
タバコのことを指摘したそうにチラチラうずうずしている東日下だったが、流石に怒られたばかりの今回は口をムッと噤んでパソコンと睨めっこを続ける。
ごちゃごちゃ言ってくる生意気後輩がいないだけで実に気持ちよく吸える。あー、仕事しながら吸うタバコが一番背徳感あって気持ちいいわー。
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