No.18『ちょっと癪だけど、いいや』

春夏秋冬ひととせ、俺たち別れよう」


 唐突だった。いや本当に。

 笑っちゃうくらいいきなりのことで、正直理解が追いつかなかった。

 私の目を真っ直ぐに見つめる穢谷けがれやの真剣な眼差しは、その言葉が冗談でも嘘でもないことを物語っている。

 話したいことがあると言われ、私の家にまでやって来た穢谷。チャイムが鳴り、私が玄関扉を開けて数秒後、穢谷は家の中に足を踏み入れることなく私にそう告げたのだ。


「ど、どうしたの急に……」

「また尻込みしてビビっちまったら今日来た意味がねぇからさ。今言わせてもらった」


 穢谷に何があったのだろう。生気の宿っていなかった目には、もう揺らぐことがないであろう『何か』があった。

 だけどそれは昨日まで無かったものというわけでもない。明確にいつからかはわからないけれど、以前から徐々に出来上がってきていたものだ。

 私は何故か怖くなってしまう。まるで私だけがおいていかれるみたいで、危機感とも似た恐怖を感じる。


「私のこと、好きじゃなくなったの……?」


 あぁ、こんなこと聞きたいわけじゃないのに。私は彼に未だ縋ろうとしている。あの夜からずっと。

 もし、あの日あの夜あの時あの瞬間、穢谷に縋ることができず慰めてもらえていなかったとしたら、今私はどうしているんだろう。

 考えても無駄、過ぎ去ったことだということはわかっているけれど、考えずにはいられない。

 穢谷は私の問いに、首をふるふると横に振った。


「嫌いじゃない、むしろ好きだ。でも、これは恋人としての好きじゃない、と思うんだ」

「じゃあなんなのよ……! 好きなのに恋人としてじゃないって、どういうこと!」


 わからなかった。本気で理解できなかった。

 もちろん理解しようと努力はしたつもりだ。それでも穢谷の言わんとすることはピンとこない。

 解せぬあまり、私は声を荒げてしまう。一歩前に踏み出し、穢谷に詰め寄った。

 すると穢谷は悲痛に顔を歪め、口を開く。


「春夏秋冬、お前はこれまで周りの人たちに自分の性格を偽ってきたんだよな。それで、人気を獲得してきた」

「そう、だけど……」

「好きでもない人に愛想振りまいて、嫌いな人にでも猫被っていい子ちゃんぶって。そうしてる期間がお前は長過ぎたんだ。小さい頃から、それをし過ぎてきちまったんだよ」

「……何が言いたいの?」


 要領を得ない遠回しな言い方をする穢谷に私は苛立ちを抑え、静かに答えを追求する。

 穢谷はその問いに顔を伏せ、躊躇うようにぐっと口を結んだ。陰った顔からは、今穢谷が何を考えているのか何も読み取ることができない。

 やがて、穢谷はゆっくりと顔を上げた。そして私を見つめると、逆にこう問うてきた。


「本当はわかってないんじゃねぇのか? が」

「は……っ?」


 間抜けな声が漏れてしまった。目を点にして、後退りしてしまった。

 だって、それは私が予想していた回答のどれにも当てはまらなかったから。もっとこう、具体的な何かは思い付かないけど、別のことを言われると思って身構えていたのに。

 でもそんなことないはずなのに、どうしてかすぐに飲み込むこともできた。私が気付いていないだけで、もしかすると図星なのかもしれない。

 穢谷は私に向かってさらに言葉を継ぐ。


「お前は、誰も好きなんかじゃない。自分がこの人のことを好きならこういう感じなんだろうなって風に、自分自身を作ってただけなんだ。無意識のうちで」

「なん、で……」

「小さい頃から自分の感情を押し殺して、その時その時で最善の春夏秋冬朱々を作ってきたお前は、いつの間にか無意識のうちに最善の感情を作るようになってしまった。だからあの夜、俺に慰めてほしいって言ったのもそういう感情を自分で作ってただけなんじゃねぇか? 場の空気感とか、流れで」


 辛辣で厳しい言葉が私の胸に刺さる。ビビりな穢谷のことだ、きっとかなり意を決して口にしたはず。

 それは逆説的に、穢谷にそれだけ言わなくてはならないという強い意志が存在していることを表していることにもなる。

 言葉よりも、その事実が私にとっては辛かった。


「でも、春夏秋冬ばっかを責められねぇ。俺だってお前の誘いに乗ったわけだからさ。……それも、一番嫌な感情で」

「違う……。私はホントに! ホントに、穢谷のことっ!」

「好きだったってのか?」

「好きだったよ!! 勝手に私の気持ちとか、私自体のこと決め付けないで!」


 いくら穢谷と言えども、私の全てを勝手に見透かしたように決め付けられるのは腹が立った。

 挙句に私は好きの気持ちがわからないなどと。悲しさを通り越して、どうしてそういう考えに至ったのか不思議だ。

 そして同時に悔しかった。穢谷は私のことを信頼してくれていなかったのだろうか、だから別れようなんて言い出したんだろうかと。


「……お前だって気付いてたんだろ? 俺たちが歪な方向に進んじまってるって」

「な、なによ歪な方向って。私知らないし! 穢谷の言ってることさっぱりわかんない!」


 半ば取り乱しかけていた。

 離れていこうとする穢谷を引き止めたくて、無意識のうちにワザと平静じゃなくなろうとしていたのかもしれない。

 どちらにせよ、縋ることのできる人の消失が私は怖くて仕方なかった。このままじゃ、本当に孤独になってしまう。それは、嫌だった。


「あの夜穢谷にエッチしよって誘ったのも、実際にシタのも、一緒にご飯食べたのも、キスしたのも、全部穢谷が好きだからじゃん! 好きじゃないなら、私なんで穢谷とこんなこと――」

「――お前、本気でわかってないのか……?」

「だから何が!!」


 私は眉間にしわを寄せる穢谷に吠える。穢谷はその圧にやられてか押し黙った。

 それにより、閑静な住宅街に突如訪れた喧騒が少しの間収まる。


「そうか。俺だけが悩んでたのか……。馬鹿みたいだな」

「……穢谷?」


 俯き、ボソボソと呟く穢谷を呼ぶと、視線だけをこちらに向けて口を開く。


「俺は……お前のこと同情で好きになってたんだ」

「……どういう意味?」

「あの時、お前があまりにも不憫に思えて、それで同情してお前の誘いに乗った。俺のこの春夏秋冬に対する好きの気持ちは、同情から築き上げられた偽者だったんだよ。不純だし、間違ってるよな」

「た、例えそうだったとしても、好きは好きじゃない! 穢谷の言うことが真実なんだとしたら、私だって無意識で穢谷のこと好きなんでしょ!? それなら、別に別れなくってもいいじゃん! 好き同士だし、別れる理由が――」

「ダメなんだよ!!」


 穢谷の荒々しい声に、私はピタリと動きを止める。口を噤み、肩の力を抜いた。いつの間にやら、身体中が強張っていた。

 穢谷の表情は悲しそうで、寂しそうで、それでいてもう決めたことなのだと、変わることのない強く固い意志が感じられた。


「俺たちは、お互いのためにも別れるべきなんだ……。このままじゃお互いの足を引っ張って、いつまでもガキのまんまだ。だから、俺は別れたいんだよ。自分のためにも、春夏秋冬のためにも」

「そ、そっか……。……別れたい、のね」


 はっきりとそう口にされたことで、目が覚めたような気がした。ようやく現実を受け入れる心の準備ができたようだった。

 穢谷のことは曲がりなりにも本気で愛しているつもりだ。穢谷は私が好きという感情がわからないと決め付けているみたいだけど。

 まぁとにかくそんな彼が私と別れたいと言っている。お互いのためにも、別れるのが最善策だと言っている。

 ならば、私はそれに応えるのみだろう。彼のことが好きだから、私はそれを選ぶのだ。好きがわからないからではない。そこは曲げたくない。

 ただまぁ、に先読みされていたのは非常に腹立たしいことこの上ない。

 私の頭の中で、ラーメンを食べにいったあの日の記憶が蘇った。平戸先輩から、求めてもいないアドバイスをもらったあの日の記憶が。




 △▼△▼△




「そうだ春夏秋冬ちゃん。ひとつ君に話しておこうと思ってたことがあるんだけど」

「なんですか……?」

「優しくないボクから、後輩へアドバイスさっw!」


 そう言って平戸先輩は口の端を歪め、私をビシっと指差した。

 私の露骨に嫌な顔を見て何故か満足そうに頷く平戸先輩。ラーメンに向き直り、優しげな声音で言った。


「春夏秋冬ちゃん。穢谷くんのことが好きなんだったら、今すぐにでも別れた方がいいと思うよ」

「……はぁ?」


 意味がわからない。この人の言うことに意味を求めること自体が間違いなのかもしれないけれど、それでもやっぱり理解できないことには変わりないわけで。


「君たちは、付き合うことで自分自身らを落としていることにそろそろ気付くべきだw。穢谷くんと春夏秋冬ちゃんが付き合ったところで、何もプラスにはなっていないよwww」

「そんなことないわよ。私たちは付き合ってから成長してるわ。お互い未経験だったところから一緒にステップアップしたし、喧嘩から仲直りもした。付き合ってから初めて経験したことがいくつもあるわ。これって、成長でしょ?」

「いいや違うね。君たちのそれは、変化であって成長じゃあない。幼稚園児のくだらないおままごとと一緒だよw」

「……何が言いたいの」


 私は嘲るような言い方をする隣の小男を睨み付ける。すると平戸先輩は一膳の箸を一本ずつに分け、片方を小さく振った。


「個々人で見てみれば、穢谷くんは成長しようと奮闘している。慣れないことだけに、苦戦してるみたいだけどね」

「穢谷が成長しようとしてる……?」

「なるほど、そこにもピンとこないのか。見てりゃ何となくわかるってのに、恋は盲目とはよく言ったものだねwww!」


 ついムッとした表情になってしまう。思いっきり目の前で馬鹿にされて、ムッとしない方がおかしいと思うけど。

 しかしながら平戸先輩はそんな私の表情に臆することなく、さらに続けた。


「春夏秋冬ちゃん。君は、自分が穢谷くんの成長を押しとどめてしまっているとは思わないかい? これをボクが言わないと気付けない時点で君が成長できていない証拠にもなるわけなんだけどw」

「私が穢谷の足引っ張ってるって言いたいわけ?」

「そうだね。君は穢谷くんの成長を邪魔する足枷だw。それも馬鹿でかい鉄球付きのww」


 そんなこと、思ったことあるわけがない。

 だって私たちは上手くいってるんだから。お互い初めての彼氏彼女だから至らないところもありはするだろうけど、今のところ何も問題はないはずだ。


「ま、少しは頭に置いとくわ。でも私は穢谷の重荷になってるつもりはないから。別れる気はないわ」

「ふーんそうw。別に好きにしたらいいと思うよ。あくまでアドバイスだしねw!」


 私のつんけんした態度にもニタニタ笑顔を崩さない平戸先輩は、次いで誰に言うでもなく小さく呟いた。


「ただ、きっといつか自分で気付くとは思うけどね。春夏秋冬ちゃんは馬鹿じゃないからw」


 後にこのアドバイスを真剣に聞いていればと後悔することを、もちろんこの時私は知る由もなかった。




 △▼△▼△




「わかった。じゃあ、別れよう」


 私が言うと、穢谷は何やら狼狽えたように半歩後ろに下がった。


「あ、あぁ。すまん……」

「なんで謝るのよ。私たち自身のためなんでしょ? だったら、喜ばしいことじゃない」

「そ、それはそうだけどさ……」


 まったく……自分から振っといていざこちらが了承すると申し訳無さそうにするのね、小賢しいったりゃありゃしない。

 私は彼に脅しをかけるように意地悪げな顔で問う。

 

「その代わり、ちゃんとしてよ? もしこれで今よりも落ちぶれるようなら、私許さないからね?」

「……あぁ。もちろんだよ」

「それならよろしい!」


 しんどい。笑顔を見せるのが辛い。今すぐにでも声出して泣きたい。寂しい。今後が怖い。

 あー、これこそまさに東西南北せんせーの言っていた心の弱音を吐いた時だ。やっぱり私は強くも何ともない。一二つまびらは強い人だって言ってくれたけど、むしろ弱い寄りだ。


「……話はこれで終わり?」

「うん。……俺、帰るわ」

「えぇ。またね」

「おう。また」


 これが今生の別れというわけじゃない。また必ず会いはする。

 それでも、ひとつ築き上げてきた関係性を壊すということは怖い。できることなら成長なんてしなくてもいいから、このままでいたい。

 それに今度はどんな関係になるのかまだわからないのだ。ちゃんと友人として関係を再スタートできるかどうか……もしかしたらこのまま気まずくなって終わりかもしれないし。

 まぁ、結局は運と私の行動次第ってわけよね。


「ちょっと癪だけど、いいや。私が一方的にフラれといてあげる」


 帰っていく元カレの背中を見つめ、私は笑う。笑顔を無理矢理作る。

 だけどそれはすぐに崩れてしまった。崩したと言ってもいい。無意識にやってしまうのなら、意識してやらないを選べばいい話なのだから。


「でも、結構楽しかったんだけどなぁ……」


 とめどなく溢れ出てくる涙を拭いながら、私はそっと扉を閉めた。

 これからのことを考える余裕は不思議とある。

 さて、私。

 これから、どうする? 

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