エピローグ

『俺は青春を殺したい』

 桜ってのは、どうしてこうもタイミングを間違えて咲いてきてしまうのだろうか。

 普通入学式の時期に満開を迎えるものだろうに、最近じゃ卒業式でチラホラ咲き始め、入学式の頃合いには既に散り終わってるなんてことも珍しくない。

 大抵入学式前の春一番でやられちゃうんだよな。今年はまだ春一番を迎えていないが、そのうちやってくることだろう。

 劉浦高校の桜たちもまだ部分的に蕾が残っているところもあるが、ほぼ満開と言っても過言ではない。来年入学の生徒たちは『桜舞う季節』ではなく『桜散り終わった季節』の入学を避けられそうにない。

 まぁ、どうせ俺今日で卒業だしどうでもいいんだけど。


「うぁぁぁぁあん!! 葬哉そうやくんいかないでぇぇ〜! かなじぃよぉぉー! ヤダぁぁ……」

「ちょ、一二つまびらやめてやめて。泣いてくれんのはすげぇ嬉しいんだけど、めっちゃ恥ずかしいから!」


 人の目がすごいのよ。痛々しい目されるならまだしも、ほっこりした目向けられちゃってて逆にハズいから。

 校舎昇降口前の広いスペースには、今年劉浦りゅうほ高校を旅立つ俺たち第四十三期卒業生が大勢集まっている。皆、友人と別れを惜しんだり家族と写真撮ったり涙したり笑い合ったり、所謂いわゆる卒業式後のグダグダタイムだ。

 小中の時は早く帰ればいいものをと思いながらひとり帰路を辿っていた俺だが、高校では同じようにはいかなかったな。


穢谷けがれやパイセン、結局留年せずに卒業しちゃったっすね。なんか面白くないっすわ!」

「そうだな。面白くなくてすまん」

「ちょ! 今のは『お前何ナメた口利いてんだゴラァ!?』ってブチギレるとこじゃないすか!! 僕もブチギレ待ちだったんすけど!? これじゃ僕が普通に失礼なヤツみたいに――」


 とベラベラベラベラ喚き散らすキモデブオタク。コイツホントうるせぇな、しばき殺すぞ。


「おーい穢谷先ぱーい」


 夫婦島めおとじまへのヘイトを高めていると、後方から俺のことを呼ぶ声が届いた。振り返らずともわかる、俺のことを先輩呼びするのはアイツだけしかいないから。


「よう、佐々野」

「んなっ!? 最後の最後までそのイジリをするんですかあんたは!! 凉弛すずしは佐々野じゃなくて颯々野さっさのだって!」

「あー、そうだったな。でも、お前いつからこれが最後だと錯覚していた?」

「こ、今後もやる気っスか……」


 そりゃもちろんでしょう。個人的にこのくだりお気に入りだし。

 ただまぁ、もちろんながらこれまでのように学校でしょっちゅう会うということはなくなるわけで。必然的に回数は減ることになるだろう。


「ん。てかお前、一年って体育館の片付けじゃなかったっけ?」

「あ、そっスよ。思いっきりサボってきました!」

「お前、よくやるなぁ……」

「へへへ。そうっしょ?」


 いや全然褒めてないからね。チミすごいドヤ顔されてますけど。

 にしても、本当に劉浦高合格しやがるんだもんなコイツ。んで一年中俺に付き纏ってたし。最早俺のこと好きでしょ、なんて勘違いを起こしちゃいそうなほどに颯々野はよく絡んできた。面白かったから全然良いんだけど。


「あ、穢谷パイセン今日の夜は結局どうするんすか? ファミレス集合でいいすよね」

「あーそうか。そういや打ち上げ会みたいなことする的な話あったな」

「ちゃんと来てくださいよー? 一番合戦いちまかせさんとか、四月朔日わたぬきファミリーたち大人勢からの奢りなんスから!」

「へいへい、わかってるよ」


 タダ飯なら行かなきゃ損だしな。それにあの人たちにも久しく会ってない。よもぎなんてもうすぐ幼稚園に通う歳だ。そろそろ会っておかないとこの人誰私知らないわと人見知りされてしまう悲しいことになりかねない。そんなことになったらオジサン多分泣いちゃう。


「あ、いたいた葬哉!」

「……お袋」


 黒スーツに身を包んだお袋がこちらに向かって手を振りながら小走りでやって来た。随分と探していたのか、かなり息が上がっている。

 俺たちの元までやって来ると、お袋は呼吸を整え、改めて俺の名前を呼んだ。


「葬哉、卒業おめでとー」

「うん……」


 それは朝からも言われた言葉だった。しかし卒業式という正式な儀式を終えた今、再度言われると少々気恥ずかしく感じる。

 親というものを経験したことがない俺には今のお袋の心情を察することは難しいが、十八年間見てきた子供がついに大人になるのだ。自分で言うのもアレだけど、きっと感慨深いものがあるに違いない。それかアレだな、やっと子育てを終えられてホッとしてるかのどちらかだ。


「お母さん先に車で帰っとくけど、いい?」

「あー、いいよ。歩いて帰るし」

「そ。じゃあみんなまたね」


 お袋は周りにいる面々に微笑み、クルリと踵を返していった。帰りに何かケーキでも買っていくか。


「あッ! そうだあたしまだ朱々しゅしゅちゃんとお別れしてないですぅ! 朱々ちゃん……朱々ちゃんどこぉ〜!?」


 一二はハっと思い出したようにその名を口にし、キョロキョロと辺りを見回す。しかしながら周囲にその姿はない。

 それもそのはず、だってアイツは――。


「穢谷さん。自分、一二さんのこと、抑えとくのでどうぞいってください」


 と耳打ちしてきたのは、今までこの輪の中にいながらも黙って見ていたたたりだ。今となっては普通につっかえずに喋れるようになっているのだが、まだ自分から何かを発するということは少ない。


「悪りぃな祟。ありがとう」

「い、いえっ。恐縮でありますっ」


 つっかえない代わりにちょっとばかし堅苦しい話し方なのは愛嬌だ。俺は祟に感謝を述べ、校舎の中へと足を踏み入れた。

 生徒がほとんどいない校舎内は、まるでこの世界には自分以外存在していないんじゃないかなんて妄想してしまうくらいに静まり返っていた。普段とは違って静寂に包まれた校舎に自分だけがいると思うと、妙な興奮を覚える。

 廊下を一歩一歩進む度に普段の喧騒の中では気付けない音がいくつも聞こえてきた。ギシっという木の板が軋む音や、手洗い場の蛇口から水が滴り落ちる音、そして男女数人で楽しげに会話している声も……。


「よーっす汚れやくん!」

「何やってんのこんなとこで!」


 教室の中でスマホ片手に写真を撮っている男女数名。聖人君子とでしゃばり王子と来栖きすと二人でひとりなバレー部元マネジだ。これだけで誰なのかわかるから恐ろしい(来栖はそのままだけど)。

 俺は『何やってんのこんなとこで』に対する返答をするべく、教室内に足を踏み入れた。


「んまぁちょっと用事あってな。お前らこそ何やってんだよ」

「俺らは見ての通りバレー部で写真撮影!」


 俺の言葉に諏訪すわが胸を張って答える。お前に聞いたわけじゃないんだぞ、でしゃばんな?


「せっかくだし、穢谷も入れて一枚撮ろうよ。な?」


 来栖は俺に同意を求めるように首を傾げてくる。俺なんかにも一緒に写真撮ろうと提案してくれる辺り諏訪と違ってコイツいいヤツだわ。はっきりわかんだねだわ。

 でも今の俺にはそんなことをしている余裕と時間がないわけで。来栖の言葉はありがたいが、ここは丁重にお断りをするしかない。


「あー、悪いけど俺今から行くとこあるから……」

「いいねそれ! 穢谷くんの写真とかマジレアだよ!」

「ほら早く入って穢谷くん。もっとくっ付いてよお前童貞か!」


 華一かいち籠目ろうもくは俺の言葉を遮って無理矢理スマホのカメラの画角に収めようとしてくる。ダメだこりゃ、全然俺の話聞く気ないわ。あと童貞じゃねぇよ。

 結局七、八枚ほど撮ってからようやく華一と籠目のオッケーが出た。シンプルなカメラアプリで撮るのかと思っていたら、クマさんにされたり肌ごり綺麗にされたりしてしまった。おのれ、そういう類にだけは手を出すまいと誓っていたのに……。


「じゃあ、俺はこれで――」

「葬哉待って」


 手刀を切り、教室を出ようとしたところで、聖柄から呼び止められた。なんだよ、俺いつになったら解放してもらえんのよ。

 聖柄は俺渾身の不機嫌顔には見向きもせずに、言葉を継いだ。


「おれ、葬哉にアセクシャルのこと教えてもらえなかったら、多分一生悩んだままだったと思う。ホント、ありがとう」

「もういいってそのことは……。言ったろ? 本当はもっと早くに気付いてたけど、俺は意地悪で教えてなかったんだって。感謝されるような謂れはねぇよ」

「それでも、結果的には教えてくれたじゃんか。過程がどうであれ、結果が全てだろ?」


 ふむ、聖柄にしてはえらく現実的で堅実的な考えだ。そしてその考えでいけば俺は聖柄に感謝されても構わない人物であると言えるだろう。

 

「まぁ、ありがたく受け取っとくよ。四十物矢あいものやともうまくいってるみたいで良かったな。今後もお幸せに」

「あぁ……。ホント、変わったな葬哉」

「そう見えるか?」

「いや、そう


 ニッとイケメンスマイルを俺に見せつけてくる聖柄。相変わらず眩しくていけ好かない男だ。何でも見透かしたような言い方が非常に腹立たしい。

 ただ、その俺が変わるきっかけを作ったのは悔しいことに聖柄だ。本当は、俺の方から『ありがとう』を言わなくてはならないのだ。


「じゃ、またな。…………ありがとよ」

「ははは。どういたしまして」


 聖柄へぶっきら棒に感謝を伝え、俺は今度こそ教室を後にした。後方から華一と籠目の『今度打ち上げするから来てねー!』という揃った声が聞こえたが、振り返るのも面倒なので軽く手を挙げて反応を示しておいた。

 予想外の邪魔が入り、かなり遅れをとってしまった。下手したらもうアイツはいないかもしれない。

 それだったら今こうして走る意味もないわけなのだが、それでも俺の足が止まる気配はない。きっと心のどこかで彼女のことを信じているからなのだろう。

 どれだけ遅れてしまっても、アイツはそこにいてくれる。待っていてくれている。確証なんてものは全くないけれど、俺にはわかる。

 優しくて、ツンツンしてるけどたまにデレて、頭が良くて、実は面倒見が良くて、口は悪いけど性格は全然悪くなくて、美しいと可愛いを兼ね備えている超絶美少女で。

 後輩思いで、強い人間で、自分を着飾らなくても、偽らなくてもきっと自然と人が集まってくる人格をしていて。

 いくつもの辛いことを経験していて、そのたびに打ちひしがれながらも再起して。

 ちょっとワガママで自己中なところもあるけど実際は周りのことよく見てて、酔うと気が緩んで構ってちゃん化して、俺好みの程良い胸をしていて、肌は白く透き通るように綺麗で。

 目が合うと俺はいつもドキっとしてしまって、呆けた顔は息をするのも忘れてしまうくらい美しくて、そして俺の青春を彩ってくれた人なのだ。

 そんな彼女のことを俺は心の底から――。


 とある教室の前にまで辿り着き、足を止めた。俺の青春が始まった場所で、今日俺と彼女が待ち合わせした場所だ。

 俺は扉に手を掛け、ガラガラと音を立ててゆっくりと開く。



「はぁ。遅い」

「ははっ……。悪りぃ」



 俺たちの物語に終わりなんてない。それは俺たちが死ぬまで続いていくし、学校を卒業するというのは単なる人生の節目でしかない。

 だからエピローグなんてものは必要ないだろう。

 ただ、青春を謳歌する世代を終えるという意味では、ここで一度ピリオドを打ってもいいのかもしれない。

 我が恩師の言葉を借りるなら、青春を終える時は自分で決めることができる。

 俺にとって、今がその時だ。

 青春を殺す時がやってきたのだ。

 いや違うな。時がやってきたんじゃない。俺が決めたんだ。

 だから言い換えるならば、俺は青春を殺したい。

 ありがとう、そしてさようなら。

 俺の青春よ、安らかに眠れ。




【『俺たちは青春を殺し隊……!』終わり】

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