【another story】
No.1『俺たちは社会に歯向かい隊……!』
「ちょっとせんぱぁい! ここ禁煙ですってば! ノースモーキング!!」
とあるビルのひとフロアにて。薄い茶髪をショートカットに切った女性が、自分の隣のデスクでキーボードを高速で叩く女性に向かって頰を膨らませて吠えた。
対する吠えられた方はと言うと、全く動じずいつものことといった何食わぬ顔で煙草をふかし続ける。
「ねぇちょっと聞いてますか、
「あー? うっさいわね、こっちはイライラしてんのよあんたたちの尻拭いで!!」
「それは仕方ないじゃないですか。ちゃんとした研修で僕らに仕事教えようとしなかった会社が悪いんですから」
「マジブラックですよねここ! あーぁ、就活ミスっちゃったなぁ」
「にしてもあんたら今年で二年目でしょうが! そろそろ仕事覚えろ!」
昨年入った二人の社員のポンコツっぷりに、春夏秋冬と呼ばれた煙草をふかす女性は声を荒げる。ただここまでの流れも日常茶飯事なため、二人の心には今ひとつ響かない。
「……それに、ブラックなのはここだけよ。明らかに人手不足なのわかってるクセに求人かけないんだから、人事部からのイジメとしか思えないわね」
「あ、そうなんですか? ってそれよりも煙草! こないだの人間ドックでお医者さんに超怒られたって言ってたじゃないですか! 禁煙してくださいよ!」
「うるさい、ポンコツなあんたらのために先輩が身を粉にして働いてんのよ。少しくらい目瞑れ」
春夏秋冬は言い、頑として煙草を吸い続ける。
「課長もなんか言ってくださいよぉ! これじゃ私たち副流煙で早死にしちゃいますよ!」
「いやー、それはそうなんだけどさぁ……。彼女がいないと、ここ回んないじゃん?」
ところどころ白髪の混じった頭を掻きながら、のんびりとした口調で言う初老の男。
そこに補足するようにショートカットの女性の同僚である黒縁メガネの青年が口を開いた。
「
「まぁ、そういうことなんだよね〜。東日下さんと
「うわっ、超頼りない上司じゃないですか! ……って言っても私ここでしか仕事したことないですけど〜」
などと呑気に会話する社員たちに、春夏秋冬の堪忍袋の緒がついに切れた。
「あぁぁあうるさい!! 喋る余裕あるならキーボード叩く! 手伝いましょうかくらい言えないわけ!?」
「「手伝いましょうか?」」
「いい! 訂正箇所が増える!」
春夏秋冬はそう叫ぶと、煙草を灰皿に押し付け、鬼の形相で画面とにらめっこを始めるのだった。
△▼△▼△
「あー、やっとひと段落ついた……」
春夏秋冬のキーボードを叩く指が止まったのは、それから二時間後のことだった。
システムエンジニアとプログラマーを掛け持つ春夏秋冬にとって、この忙しさはもう慣れっこである。人手不足によるそもそもの自分の大量にある仕事はもちろんのこと、可愛い可愛い後輩たちのサポート(後始末)は、彼女にはもはや日常だ。
課長である阿左見が言うように、この部署の業績の八割は春夏秋冬の働きが占めている。残り二割は阿左見、東日下、上土の三人が何とかやっているといった感じだ。
「ふー……」
タバコを口に咥えて火をつけ、深呼吸するようにして煙を肺に入れる。そして感じていたイライラは煙となって空気中に放たれ、代わりに春夏秋冬へ安らぎを運んできた。
二十歳になって初めて吸った一本以来、二十五歳となった今でもその銘柄は変わっていない。タールもニコチンも高めであり、当然毎日十本以上は吸ってしまうニコ中の春夏秋冬は先日の人間ドックで医者から指導を越えて普通に怒られてしまった。
それを機にアイコスや水蒸気タバコなどに手を出しはしたのだが、先程の様子を見てわかるように苛立つとすぐにいつもの煙草に手を伸ばしてしまうというのが現状だ。
ふと、春夏秋冬は履いているジーパンのポケットからスマホを取り出した。顔認証でロックを解除し、ラインを開く。
学生時代の友人や会社の人間とのトーク履歴がいくつか表示されているなか、春夏秋冬は思い切り下方向へ画面をスクロール。そして一番下までいくと、画面をトンと優しくタップした。
『こないだ同窓会の案内きてたけど、行く?』
という春夏秋冬が送ったメッセージには既読が付いていない――五年前、送信ボタンを押した日から、ずっと。
元よりあまり返信の早い人ではなかった。だが既読が三週間以上付かないことは初めてだったので共通の知人を数人当たってみると、同じく連絡が取れないでいた。
以来、五年前からその人は音信不通、消息不明、生きているのか死んでいるのかも定かではない。
まったく、どこでなにしてるんだか……――春夏秋冬が心中そうぼやいた瞬間。
「なーに見てるんですかっ!?」
「んぅっ!?」
突然背後から声をかけられ、春夏秋冬はビクッと肩を震わせる。
振り返ると、そこには悪戯が成功した時の悪ガキみたいな笑みを浮かべた東日下と、そんな彼女にジト目を向ける上土の二人の姿があった。
二人とも休憩を終えて帰ってきたらしい、東日下の頭には小さな寝癖がついていて、上土からはほのかにブレスケアの香りがする。昼食はニンニク系だったのだろうか。
「あれっ、なんですか彼氏とのラインですかっ!」
「あ、ちょっと勝手に見ないでよ」
「デリカシーないなーお前。パーソナルスペースって知らないわけ?」
「え、何それ。上土横文字ばっかでウザいわ」
「いやデリカシーとかパーソナルスペースくらいは普通に知っててもおかしくないでしょ……。SPIの言語の方で出そうだし」
という春夏秋冬のツッコミを無視し、東日下は話を逸らす。
「そんなことより、ホントにそのライン相手彼氏なんですかっ!?」
「あんたには関係ない」
「えぇ~だって気になるじゃないですか~。先輩からそういう話全然聞かないし、それに先輩ってマジガード固そうですしw」
「東日下、私のこと小馬鹿にしてるわよね?」
「いやいや全然してないですって~!」
笑いながら言う東日下のその言葉には、驚くほど信憑性がない。
春夏秋冬は短くため息を吐き、観念したとばかりに東日下の問いに答える。
「はぁ。彼氏って言っても、元ね。今は普通に友達。……五年くらい音信不通だけど」
「え……。それって、死んでる可能性が、むぎゅっ!?」
「お前っ、ホントに馬鹿! デリカシー以前の問題!」
東日下の口を塞ぎ、叱咤する上土。春夏秋冬に対する気遣いのつもりで咄嗟に起こした行動なのだろうが、本人の前でやってしまうというのも少々いただけない。
だがそれで気分を害するほど器の小さい大人ではない春夏秋冬は珍しく、本当に珍しく二人にニコッと微笑んだ。
「いいのいいの。ホントに死んでるかもしれないんだし。テキトーなヤツなのよ、ホント」
画面を睨みつつ、それでいて愛おしそうな目をする春夏秋冬。先輩のそんな表情を初めて見た東日下と上土の二人は、ぽかんとしてしまった。
室内に満ちる静寂。基本的に春夏秋冬が怒鳴り声をあげまくっているため、なかなかあることではない。
「こんにちは~。営業部の
がしかし、その静寂は場違いな声音をした突然の来訪者によって破られた。
声のした方には、明るい茶髪が印象的なスーツ姿の男がひとり。春夏秋冬はその男に向かって渾身のジト目を向ける。
「……五十右、相変わらずチャラついてるわね。そろそろイタいって言われても仕方ない歳じゃない?」
「そういう君こそ、相変わらず美人だ。どうだい、そろそろその名字を僕と一緒にしたくなってきたんじゃない?」
「ないわね。永遠に」
「ははは。言ってくれるね! だけど、いつか振り向かせてみせるさ! 覚悟しとけよ!」
勝手に盛り上がる五十右とは対照的に本気でダルそうにしている春夏秋冬。日常的とまではいかないが、この光景もここではよく見る。
春夏秋冬と五十右はかれこれ四年ほどの付き合いで、会社の同期。部署は違えど、同期ということで何かと関わることがあり、明確にいつだったかは春夏秋冬も記憶していないがいつの間にか五十右に恋心を抱かれてしまっていた。
「で、今日は何の用? まさかこんな無駄な会話だけして帰るなんて言わないでしょうね」
「安心してよ。僕はちゃんと用事があってここに来たんだ。もちろん、いずれは用事もなく、君に会いに来ることを理由にここにやって来るつもりではあるんだけど――」
「あーはいはい。いいから用件言って」
五十右は春夏秋冬に言葉を遮られるも、満足そうに前髪をかき上げる。性格とかその他諸々厄介で面倒なクセに顔は良いというところが春夏秋冬にとってこの男の一番に鼻につくポイントだ。
「実はある会社から会食のお誘いがあってね」
「ふーん」
「で、それ今日あるんだけど春夏秋冬に行ってもらわなくちゃならないわけ。おっけい?」
「いやちょっと待って、私が!?」
「そう。春夏秋冬が」
「今日、会食に?」
「うん今日、会食に」
「な、なんで私が? それこそ営業部の仕事じゃない。私会食とかほとんどしたことないし、スーツだって急に用意できないわよ……」
だいたい何故当日になって言うのだろうか。行くなら行くでちゃんと準備をしてきたというのに。
そんな風にゴネる春夏秋冬に、五十右は『大丈夫』と口を開く。
「お相手からの意向でラフな服装で構わないってさ。ちょうどいいじゃん、パーカーにジーパンにスニーカーってラフの代名詞みたいな格好してるし。あ、もちろん春夏秋冬はそれでもとても似合ってると思うよ。と言うか、春夏秋冬が着ればなんだって純白のドレスに早変わりさ」
「ちょっとどころじゃなく何言ってんのかわかんないですねこの人」
「いつものことだろ」
キマったぜとでも言いたげなドヤ顔をする五十右に、東日下と上土の二人はジト目を向ける。
「ラフな服装で構わないって、そんなのただの社交辞令的なもんでしょ? なんでいきなり言うのよ……マジで行かないとならスーツ取りに家戻んないとじゃん」
会食自体は全くしたことないわけではない。もちろん好きかと問われれば首を横に振らざるを得ないが。
そもそもどうして営業部にやってきたお誘いを営業部ではない自分が受けなくてはならないのか。春夏秋冬はそれが納得いかなかった。
しかし、その不満は次に五十右の口から発された言葉で解消されてしまった。
「だけど、春夏秋冬宛てにきてるんだよ? お誘い」
「はぁ? でも私、阿左見主任からそんな話聞いてない」
「そりゃだって今日お誘いのメールが届いたんだもん」
「……意味わかんない」
会食に誘ってくる側なのだとしたら、腰を低くするものなのではないのだろうか。あろうことか会食の当日にメールを送信するなんて以ての外だろう。
「まぁとにかく行ってきて。十六時から、住所とか詳細はこれにまとめてるから。それじゃ、またね春夏秋冬!」
「あ、ちょっと待ってよ!」
春夏秋冬の呼び止め虚しく、五十右はそそくさと退室していった。
「行くしかないですねーこれは」
「頑張ってきてください」
「……」
他人事(実際にそうなのだが)のように春夏秋冬へ慰めらしき言葉をかける後輩二人。
春夏秋冬はすっかり短くなった煙草を咥え、ため息と一緒に深く煙を吐いた。
行くしかないかー……――ガックシ肩を落としながら春夏秋冬は自宅に戻ってスーツに着替えるべく荷物をまとめる。
「あぁ! 言うタイミング逃しちゃってたけど、春夏秋冬先輩タバコ!! ここ禁煙ですぅ!」
そんなアンチ煙草勢の
△▼△▼△
スーツに着替え、ピシッとした姿になった春夏秋冬は、五十右から受け取らされたメモを頼りに会食の場所へと向かっていた。
スーツを着るのはかなり久々のことで、クローゼットの奥にしまわれていたものを引っ張り出した形だ。シワ直しのアイロンに余計な時間を割いてしまい、余計バタバタすることになってしまった。
苛立ちを煙草で解消したい気持ちが強くあるが、会食前に煙草の香りをさせるのはまずいし、そもそも一本吸ってる時間がない。
「それにしても、会食ってちょっとお高いお店の個室とかでやるもんじゃないの」
春夏秋冬がこれまで行ってきた片手の指で数えられる程度の会食では、少し高級なお店が大抵だった。
だが、今春夏秋冬がメモに従い向かっているのは高層ビルの立ち並ぶ街だ。食事できる店なんてこれっぽっちも見当たらない。
もしかしたら、かなり大きな企業で社内にパーティ会場があるのかもしれないと一瞬思ったが、すぐにその考えは消え去った。
たどり着いたそこは、周りのビルと比較するとかなり小さめの七階建てくらいのビルだったのだ。
「ここの五階ね……」
エレベーターはなく、上へ上る手段は階段のみ。喫煙ですっかり貧弱になった体にムチを打ち、五階までなんとか上がりきった。
眼前には社名も何も書かれていないプレートが貼られたスチール扉があるだけ。この先が会食場ということで間違いないのだろう。
春夏秋冬は呼吸を整え、汗を拭いてからトントンとドアをノックした。すると『どうぞ』とドア越しにくぐもった女性の声が聞こえた。
女の人か、少しは気楽にいけるかな――そう願いつつ、春夏秋冬はドアノブを回して室内に入り、丁寧に挨拶をしようとして、固まった。
「失礼致しま――」
「やぁ春夏秋冬くん! 七年ぶりだねぇ、元気だった?」
「…………
社長椅子にどっかり腰を下ろし、デスクの上に足を広げて週刊少年マ◯ジンを読むその姿は、春夏秋冬に
【The story may continue.】
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