第4話『俺は』『私は』

No.16『最後の面倒ごと』

 よもぎを傷付けたヤバい高校生として、平戸ひらど凶壱きょういちは全国ニュースで報道された。さらに日が経つにつれてその他のアレコレも予想通り明らかになっていった。

 颯々野さっさののボディガードの時、一二つまびらの強姦魔の時、雲母坂きららざかさんの殺害予告の時、春夏秋冬ひととせの父親もどきの時。全てが警察の取り調べで公にされた。

 特に後ろから二つは雲母坂さんの知名度、枕営業スクープもあってそこそこ世間に波紋を呼んだ。その中には全部人助けのための暴力なのだから仕方がないこととも言えるんじゃないかという好意的な意見もあったりしたが、その考えを持つ者が少数派なのは言うまでもないだろう。

 劉浦りゅうほ高校はこの事態にもちろん会見を余儀なくされた。会見場に赴いたのは西校長、教頭、そして平戸さんのクラスの担任の三名。

 流れとしては東西南北校長が全ての経緯を話し、そこからは質疑応答。俺もその様子をテレビ越しに観ていたけれど、校長は正直に何もかも包み隠さず話していた。

 いや、話し過ぎていた。嘘偽りが全く何もなかった。自分のことを保身しなさ過ぎていたのだ。

 

 ――自分は平戸凶壱にボランティアとして様々なことをさせてきた。それは過去、平戸凶壱が起こした暴行事件の一関係者として、一教師として彼を更生させなくてはいけないという勝手な使命感からきていた。

 良心の欠如、衝動的な暴力、無責任な思考や言動――彼が精神病質者であることは知っていた。だからボランティアを通して、人の役に立つことを経験して、彼には善悪の感情を豊かにしてほしかったのだと。

 だけど平戸凶壱を更生させようと考え過ぎるあまり、自分は彼のことを不必要なまでに守り過ぎてしまっていた。

 彼に過剰な保護を続けてきてしまった結果が今回の事件だと思っている。今はただただ自分が情けない。もう二度と同じような惨劇は起こさないようにと息巻いていた過去の自分が恥ずかしい――。


 東西南北校長が会見で語った言葉を要約するとこんな感じだ。この自分の全てを曝け出すこととなった会見の後日。

 東西南北よもひろ花魁おいらんは、劉浦高校の校長を

 いや、どこかでそうするんだろうなと思っていた節もあったのだ。だけどいざ現実のこととなると、何故か受け入れがたいものがある。

 世間の目からは単なる大人が責任を取るという意味での辞職に見えるだろうが、本質は違う。

 もちろんそれも理由のひとつであるけれど、東西南北校長にとってはけじめだ。責任とはまた違うのだ。

 一度は全てを投げ出して教師という職から身を引き。そこから再度奮起し、今度こそ誰も傷付かない平和な学校をつくると立ち上がり。

 そうしているうちに少しずつ東西南北校長の強い意志は歪んでいってしまった。

 子供を、生徒を守る。誰ひとりとして傷付けはしない。その信念は徐々に間違った方向へと向かっていってしまったのである。

 その結果、よもぎに被害が及んでしまった。幼馴染の娘を巻き込んでしまった。

 教師として、失格だ。だからここで一度自分の教師人生に区切りを打つ。

 そういう意味でのけじめが今回の辞職なのだと、俺は思っている。


 今日であの日からちょうど二週間が経つ。よもぎはどうやら左足に麻痺が残ってしまうらしく、さんと月見つきみさん……もとい四月朔日夫婦は今もテレビや新聞の取材が多く来ていると愚痴っていた。

 校長の辞職には、あえて触れないようにしているようだった。

 もちろん普通にその話をする人間もいる。校長室登校できなくなると嘆くキモデブオタクがいたり、突然の辞職に困惑し戸惑って驚愕する可愛い可愛い愛後輩がいたり、全然現状を理解できていない脳筋受験生がいたり、冷静に現実を受け止めることができていたお喋り苦手なリケジョがいたり。

 むしろこの非日常に騒がない方が変と言えば変なのだ。事実、臨時休校が解除され、授業が再開するや否や学校中では様々な噂が飛び交っている。

 でも、その多くが勝手な憶測で勝手な言いがかりで信憑性に欠けることこの上ない。

 それでも皆面白がって話を広げる、盛る、嘘の情報に踊らされる、ワザと踊る。非日常を終わらせまいと、自分と直接関係のない事柄を肴にしているのだ。

 ……悔しい。


「あー、マジ訓話とかいらねーわー」

「あの事件以外にも平戸凶壱がやってきたこと隠蔽してきたんでしょ?」

「そんなヤバイ人からの訓話とか入ってこねーよww」

「それなw! 平戸もヤベェけど何よりヤベェのは東西南北だわ」

「んなヤツの話とか聞く意味ねぇー」


 朝会前の集合時間。どこかからそんな声が俺の鼓膜を煩わしくも振動させる。

 各々言いたい放題に校長のことをディスっている。それは東西南北校長のことを深く知らない人間だからこそ言えるわけで。そして深く知ってしまっている俺にとって、そのディスは非常に腹立たしく思えるわけで。

 これだから嫌だと言ってきたんだ。他人とズブズブの関係になるのは危険だと。

 他人のことを悪く言われるのを聞いてこんなに歯痒い、許せないと感じてしまったのは夏休み前のあの時以来かもしれない。


『全員起立』


 アナウンスがかかった。それに従い生徒たちはお喋りを抑え、立ち上がる。

 

『全校朝会を始めます。気を付け、礼。……校長訓話、東西南北先生お願いします』


 その指示で、ステージ袖から東西南北校長が現れた。生徒たちは閉じていた口を開き、抑えていたお喋りを少しだけ再開させる。

 俺は集中する。煩わしいざわつきに聴覚を奪われないよう、校長の話に全力で耳を傾けた。


『おはようございます。みんなどうぞ座って、いつも通り楽な姿勢で聞いてくれ。まぁ、聞く価値もないと思われてるかもしれないけど……少しだけ情けない負け犬に遠吠えする時間をください。

さて、みんな知っての通り、わたしは今週いっぱいでこの学校を辞めます。その理由は、言わなくてもわかるよね。一々説明してたら朝会の短い時間じゃ話し終われそうにないから、省かせてもらうよ。

学校の一番上に立つ者として、責任を取るため! なんてカッコいい辞め方なら良いんだけど、残念ながらわたしは違う。

今回わたしが学校を辞めるのは単なる『逃げ』でしかない。

責任から。世間の目から。君たち生徒諸君から。教師という職から。生徒に何かを教える立場から。わたしを取り巻くありとあらゆるものから逃げたくて、それで学校を辞めるんだ。

ちなみに良い意味で逃げるってあんまり使われないけど、それじゃあ逆説的に逃げるという行為は悪なのだろうか?

答えは否、逃げることは悪でもないし良い行いでもない。状況によって良いとも取れるし悪いとも取れるんだよ。

ははっ、何言ってんだコイツって顔だね。多分わかるヤツにはわかるし、わかんないヤツにはわかんないと思うから、そのままでいいよ。

大切なのはわかろうとするかどうかだからさ。

話を戻そう。では、何故人は何かから『逃げる』のか。

そもそも君たちはどんな時に逃げるかな? 今まで生きてきて一度も逃げたことがないなんて人はいないと思うけど、もしそんな人がいるのならこの質問は考えるだけ無駄だし意味がないか。

うん、例として今のわたしを使おう。

わたしがどうして辞職という形で逃げてしまったのかわかるかい?

……さっぱりって感じだね。考える気ゼロの子もいるみたいだけどw。

まぁいいや。答えはね、わたしの心が弱音を吐いたからだ。

意味わかる? みんな自分の逃げた経験を思い返してみてほしい。

もうダメだ、諦めよう、やるだけ無駄だ、苦しい、辞めたい、詰んだ、終わった、勝てるわけない、死にたい。

そんな心の弱音が形になったもの、それが『逃げる』という行為なんだ。

さっき言ったよね。『逃げる』は状況によって良いとも悪いとも言えるって。

じゃあ、ここまでの話を踏まえて。今回のわたしの『逃げ』はどっちだと思う?

簡単にわかるよね。もちろん悪い意味での『逃げ』だ。

一度は誰も傷付かない学校をつくると息巻いた。校長として平穏で平和な学校づくりに励んできたつもりだ。

でも、その結果わたしは今ここに立っている。問題を起こし、自分の立場に耐え切れず、全てから逃げ出したんだ。

本当に情けなくて弱い人間だよ、わたしは。

……まあ要するに、みんなにはわたしのようになるなと言いたい。わたしを反面教師に、こうはならないでほしいんだ。

もちろん、時には逃げたっていい。逃げることが正解という場面だってあるからね。

ただ、その時には自分の『逃げ』を許容しないようにしてほしい。諦めることを当たり前にしてしまう人間には、絶対にならないでほしい。

ま、この世に絶対なんてことはないから、結局はわたしの単なる願望でしかないんだけどね。

もし逃げそうになったら自分の心の中で弱音は吐くな。誰かに弱音を吐くんだ。親でも友人でも先輩後輩でも、誰でもいい。何かから逃げるくらいなら、誰かに話して心に余裕を持つんだ。

わたしには残念ながらそういう人がいない。話すことができる人がね。周りに人はたくさんいるのにも関わらずだ。

でもそれはみんな一緒。今前後左右に座っている人が友達知り合いかそうでないにしろ、人間は多くの人間と共に人生を歩んでいく。

わたしは多くの人々が周囲にいながらも、その関係性は歪だった。自分より上に立つ者が怖くて仕方なかったんだ。

それでワザと歪にしようと奮闘していたんだけどさ、ずっとやってたら本来の自分は忘れてしまったよ。ホント、間抜けだよね。

あー……とにかく、ちゃんと友達はつくること! 一ヶ月もしないうちに卒業する三年生にはちょっと言うのが遅いけど、高校でできた友人ってのは大抵将来も仲良くしているものだ。小中の友人なんて所詮人生におけるその場しのぎにできた仲の良い赤の他人でしかない、本当に長い付き合いをする友人は高校でできるんだ。

余談だけどわたしの顔見知りに、人間関係の構築を意味もなく毛嫌いする輩がいるんだ。その男は昔から友達と呼べる人が全くいなくてね、せっかく仲良くなっていた人たちに対して本当に友達なのかどうかわからないなんて言うんだ。

自分が怪我をしているという情報を聞いてすぐに心配して駆けつけて来てくれた人たちに対してだよ? その時は人間不信なんじゃないかとも思ったけど、よくよく考えてみれば何もおかしくはないんだよね。

だってその人は人生で一度もそういう仲の良い他人がいたことがないんだから。わからなくて当然なわけだよ。

でもそんな彼は今、自分のダメだった部分を自分で見つめ直し、成長しようとしている。あ、確証はないんだけどね。ただ最近その男の目付きが変わったからさ。

あぁ、やっと自分で変わろうとし始めたんだなって、勝手に嬉しくなった。

……で、結局何が言いたいかっていうと、人間いつかは大人にならなくてはいけないってことだ。

彼の言葉を借りるなら、いずれ自分で自分の青春を殺さなくてはいけない日が来るんだ。まぁ正確には彼の言った言葉とは意味のニュアンスが違うんだけど。

大人になるってのは何も歳を重ねれば自然となれるものじゃないんだよ? 歳だけ重ねて中身はしょうもないガキみたいな人間だってごまんといる。

今、君たちは人生でそのどちらにでもなれる場所に位置している。

そして、先程言った彼は、いい大人になるとわたしは確信している。

まさしく彼の心は今、大人になろうとしているんだよ。成長しようとしている、それはつまりこのままではダメだということに気付き、一歩前に進もうとしているということだ。

実にカッコいいよ。わたしは彼のことを尊敬する。

わたしなんて、三十路を前にしてようやく自分の改善すべき点を見つけたんだからね。

学生時代に気付くことができることほど幸せなことはないよ。わたしも、もっと早く気付いていればこうはなっていなかったのかもしれないしね。

……長々とすまない。昨晩ちゃんと伝えたいことを文字に起こしてみたんだけど、いざ話すとなるとどうもまとまらないね。

そろそろ真剣に聞いてくれてる人でも集中力が切れてしまう頃だ。これで最後……。


青春が終わる時、人は大人になる。


終わる時がいつなのかはその人その人で違うと思うけど、それは勝手に終わりを迎えさせることもできるし、逆に自分で終わらせることだってできる。

決めるのは君なんだ。選択するのは君自身なんだよ。

わたしは言ったからね、くれぐれも名ばかりの大人にはなってくれるなよ?

そうはならないためにもみんな、成長から『逃げる』なんてことはするな。

変化を恐れるんじゃない。

一歩を踏み出しなさい。


……以上だ』


 校長はぺこりと頭を下げ、ステージ袖へ帰っていった。時間にして十分経つか経たないか程度の訓話だったが、聞く人間が聞けば本気で考えさせられる話だ。

 東西南北校長の言う彼というのは、十中八九俺のことだろう。変わろうとしていることを言い当てられてしまうというのは、何とも面映ゆくむずがゆい。

 しかしながら同時に嬉しくもある。それは単純に人に認められたことによる喜びからきているものだ。しかも東西南北校長からともなれば、余計に。

 こうして考えていると、何故か胸を締め付けられたような感覚になる。俺は、きっと東西南北校長との別れを惜しんでいるのだろう。

 人との別れを惜しんだのはこれが初めてだ。思い返せば東西南北校長からは俺に多くの初めてを経験するきっかけを作ってくれた。

 たくさんの思い出があるから、別れが惜しいと感じるのだろう。俺にとっては本当に感謝すべき人だった。ゲス校長と揶揄してばかりで、気付くのがちょいとばかし遅かったかな。


「穢谷くん!」


 放課後、俺は教室を出たところで誰かに呼び止められた。振り返るとクラスの学級委員長、てのひらさざなみが重々しげな顔で立っていた。


てのひら、どうした?」

「あの……伝言をね、預かってるの」

「伝言?」


 掌経由での伝言なんて誰からだ。俺とコイツの共通の知り合いなんていないはずだが……。


「『二年六組の穢谷けがれや葬哉そうやは至急校長室に来てください』だってさ」

「そうか……。うん、ありがとな」

「いいえ、どういたしまして」


 俺は掌に軽く感謝の言葉を述べ、靴箱ではなく校長室の方へと足を向けた。




 △▼△▼△




 東西南北校長は今週いっぱいでこの学校から立ち去らなくてはいけない。

 だからこれが最後の呼び出しになるだろう。当初は卒業までしっかり扱き使われるんだろうなと半ば諦めていたところもあったが、まさかこんな終わり方を迎えるとは思ってもみなかった。

 校長室の前まで来て、俺は一度深呼吸する。二度三度息を吸い吐きして、ノックをせずに扉を開けた。


「やぁ穢谷くん。元気にしてたかな?」

「……はあ。すこぶる元気にやってますよ」


 校長室の中はすっからかんになっていた。もちろん元からある家具や棚はそのままなのだが、乱雑に床に置かれていた少年漫画誌もなければ、デスクの上にあったゲーム機とモニターもない。

 無くなっているものと言えばその程度のことではある。でも、たったそれだけで殺風景に感じてしまうのだ。

 俺はソファのいつも座っていた位置に腰を下ろし、一息吐く。それを確認し、東西南北校長は口を開いた。


「会見は、見たかい?」

「……えぇ、まあ。一通りは」

「だったら話は早いね。会見で言った通り、わたしは平戸くんに君たちとボランティア活動させることで少しでも更生したらいいなくらいの気持ちでいたんだ。……結果はお粗末となったけどね」


 顔を伏せる東西南北校長。しかしすぐに顔を上げ社長椅子から立ち上がると、深々と俺に向かって頭を下げた。


「すまなかった。あんな危険な子と一緒に行動させて」

「今さら謝られても……。んでも、俺たちだって危険な存在だってのはわかってました。その上で一緒にいたんです。だから、その点で謝られる筋合いはないです」

「そう言ってくれると、少しは気が楽になるよ。本当に、名ばかりの大人とはわたしのことだ。君の進級も、保証できるかどうかわからないし……」

「まぁそこは何とかなりますよ。追試で点取りゃいいわけですから」

「ははっ。君の成るように成る精神は目を見張るものがあるねぇ」


 東西南北校長の表情からようやく陰りが消えてきた。相変わらずのコピペ笑顔ではあるけれど、やはりこういう雰囲気の方がしっくりくる。


「よし。特別に、穢谷くんのためだけに朝会の訓話の続きを話してあげよう」

「続きがあるんですか?」

「もちろん。君だけにね」


 東西南北校長はニヤッと口の端を歪め、ピシッと俺を指差す。社長椅子からソファに移動し、俺の真正面に座った。


「いいかい。成長しようと奮闘することは素晴らしいことだ。その点わたしは素直に君を褒め称える」


 本心からそう思っていると、東西南北校長の目が語っていた。ジッと俺を見つめ、言葉を継ぐ。


「でもね、成長するにしてもその人その人にあった成長の仕方があるんだ。例えばそうだな、君が努力して聖柄くんのような聖人君子になるってのは、違うだろ?」

「……確かにそれはそうですね。つまり、俺にあった成長をするべきってことですか」

「そういうこと!」


 ビシッと今度は強く俺を指差し、顔を綻ばせる。がすぐにその手を口元に持っていくと、どこか遠い目をしながら呟く。


「わたしも成長しないといけなかったよねぇ。説教ができる大人になっていれば……」


 その呟きは部屋の中に響くことなく、儚く消え去った。それが今さらどうすることもできないことを表しているようで、何だか虚しく思えてしまう。


「あ、そうだ。穢谷くん、覚えてるかな? 君と春夏秋冬くんを初めて放送で呼びつけた時、わたしの提案を受けてくれるなら、わたしの身体と財産のどちらかを好きにして良いって言ったこと」


 あぁ、そう言えばそんな約束していた気もする。当時は究極の二択だと感じていたが、今となっては身体に関しては間に合ってしまっているというか……。

 俺がそんな風に思案していると、校長は意地悪な顔で首を傾げた。


「君はもう身体の方は必要無さそうだし、財産の方をあげようかと思うんだけど、どう?」

「んなっ!? 身体の方はって……知ってんの?」


 驚きのあまり、俺はソファから立ち上がってしまった。その様子を見て、可笑しそうに目を細める東西南北校長。


「春夏秋冬くんと付き合ってるんだろう? わたしはこの学校の元校長だぞー? 生徒のことで知らないことはないさ!」

「…………本当は?」

「うさぎから聞いた」


 あっさりリーク元言っちゃったし。あの人意外と口軽いんだな。まぁ黙っといてとも言ってないんだけど。

 にしてもそうか。どうやら俺には選ぶ権利があるらしい。

 考えた末、俺は東西南北校長にひとつ提案をした。


「身体も財産もいりません。代わりに質問にひとつ答えてもらえませんか」

「ふむ……いいだろう。質問っていうのは?」

「東西南北校長。あんた本当は、春夏秋冬の秘密を暴露する気は無かったんじゃないですか?」

「はて、その心は?」


 ピクッと眉を動かす東西南北校長は、目線だけをこちらに向けて問うてくる。


「……別に何も理由はありません。ただ、俺がそうだったらいいなって信じたいだけです」

「そうか。じゃあ答えてあげるけど、わたしは本気だったよ。事実、文化祭の時暴露しようとしただろう? 期待させて悪かったね、わたしの中身はそんなもんだよ」

「そう、ですか」


 その返答が嘘だろうと本当だろうと構わない。それが東西南北校長が俺に言うべきだと思った返答なのだろうから。

 でも、できることならそんなに悲しそうな顔で言わないでほしかった。ゲス校長、金の亡者を演じ切ってほしかった。


「うーん! なんか、最後の最後で君に上回られた感あって悔しいなぁ」

「なんですか上回られた感って……」

「よーし。てことで穢谷くんに、わたしから最後の面倒ごとをプレゼントしてあげよう」


 俺の言葉にフル無視なところも相変わらずだ。勝手に話進めるんだもんな。ホント、困ってた。

 東西南北校長は立ち上がり俺に歩み寄ると、俺の両肩に優しく手を置いて言った。


「君のやりたいようにやり、君の生きたいように生きるんだ。悔いの残る人生には、絶対にするな。いいね?」


 最後の最後に、一番難しい面倒ごとを押し付けてきやがった。やっぱりこの人はゲスで鬼畜だ。未成年で十個も年下の俺にそんな面倒ごと押し付けてくるなんて。

 だけど――。


「東西南北先生」

「ん、なんだい?」

「俺にとって、初めて恩師と呼べる人が出来たかもしれません。ありがとうこざいました」

「そうか……。それは良かった」


 俺が頭を下げると、しみじみと噛み締めるように呟き、にっこり柔和な笑みを浮かべた。この人のこんなに柔らかくて人間味溢れる笑顔は、初めて見る。

 間に合って良かった。今ここで感謝を表すことができていなければ、きっと俺は一生後悔していただろうから。

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