No.8『きっとこの関係は“正しい”には程遠い』

 『大事なのは愛か金か』と問われた場合、俺は必ず金を選ぶ。愛を伝えるためには金が必要だと思っているからだ。

 値段や質の良さは愛情に比例する。相手が自分に対して大きい額を使ってくれるとそれだけ愛してくるているのだと感じるし、逆もまた然りだ。

 でも別にそれだけが愛を表現する方法だとは思っていない。言葉にして愛を伝えることもできるし、行動でそれを表現することもできる。世のカップルたちのそれぞれに多種多様な愛情表現の仕方があるのだと思う。

 しかし、もし、そのどの方法でも愛が感じられないとしたら。否、そのどの方法からも逃げ、たったひとつ身体を重ね合わせ、相手と繋がることでしか愛を感じようとしていないのだとしたら。

 それは、続けても良いのだろうか。

 今までセックスしたことはあっても愛し合って好き同士だったから、それは咎められるべきことではないように思っていたのだが、今俺と春夏秋冬は愛し合っていると確認するためにセックスしてしまうようになっている。相手のことが好きだから身体を差し出しているのではなく、相手のことを好きだと表すために身体を差し出している。

 それがなんだか不純に感じるのだ。

 言うなれば、過去の一二と一緒。他人から愛されたい欲は強いのに、セックスだけでしか相手からの愛情を感じられず、多くの人間と肉体関係を持とうとしていたあの出会ったばかりの頃の一二と変わらない。相違点を挙げるとするならば、多くの人間とではなくひとりの相手に固執しているところだろうか。

 だから俺も春夏秋冬も決してセックス中毒というわけではない。それは確信を持って言える。そしてもちろん、セックスという行為が不純だと言っているわけでもない。それでしか相手からの愛情を感じられない、感じようとしていない現状が不純だと言っているのである。

 愛という非常に抽象的なものを、皆どうやって伝えているのだろうか。教えてほしい、きっと今のこの俺と春夏秋冬の関係は“正しい”には程遠いから。

 俺はそう苦悩しながらも、劣情に身を任せて春夏秋冬の透き通る柔肌の隅々にまで指の腹を滑らせる。それが秘部に触れると甘い嬌声が漏れ、春夏秋冬は恥ずかしそうに身を捩る。

 するとそんな俺の愛撫に対抗してくるかのように、春夏秋冬のなよやかで長い指が俺の服の中に侵入してきた。少しだけ冷んやりとしたその指は俺の胸部付近を焦らすように掻き撫でてくる。

 次第にお互い身体は火照り、理性が薄れていく。残るのは本能、相手を欲する強い性の欲望だけ。


「んっ、けがれやぁ……いれて」


 頰を紅潮させた春夏秋冬は、物足りなそうな顔で俺を見つめる。俺は断るはずもなく自分の中の淫欲に従い、彼女の腰へ自身の腰をゆっくりと押し当てた。

 そして気付いた頃には、きっとお互いソファの上で果てているのだ。息を荒げ、欲を満たし、愛を感じているのだ。

 これを、絶対に良しとしてはいけない。それを理解していながらも俺は愛されていると実感するべく、春夏秋冬の身体を抱きしめてしまうのだった。




 △▼△▼△




 何分経ったんだろうか。いや、何分なんて言わずもしかすると何時間と経っているのかもしれない。えらく長く時間が過ぎ去ったように感じる。

 窓外に視線をやると、既に空一面暮色に包まれていた。もうすぐ二月とは言え、まだ夜の風は冷たい。完全に夜と化し、一層寒くなってしまう前に帰らないといけないな。それに明日も普通に学校がある。

 俺はテーブルの上に置いておいたスマホを手に取り、時刻を確認――六時十八分。いつの間にチャイムが鳴ったんだろう。普段は全く意識してないんだけどふとしっかり耳にした時、五時に流れる『夕焼け小焼け』は猛烈な物悲しさを心に植え付けていく。でも聞き逃してしまうとそれはそれで何だか寂しい気持ちにもなるあの感じ、何なんだろうね。


「私は、ひとりでも復讐を続けるから」


 ソファの上、俺と背もたれの間で春夏秋冬が突然そう呟いた。

 仰向けの状態で春夏秋冬家リビングの天井を眺めながら、俺は口を開く。


「そか……。ごめんな」

「謝らなくて良いよ。穢谷は何にも悪くない、ただ私のワガママに付き合ってくれてただけ。そうでしょ? だから、負い目は感じないで?」


 そんなこと言われても、無理なものは無理だ。どうしたって負い目は感じてしまう。

 だけど感じるだけで、無理にでも復讐をやめさせようとはしなかった。これはもう春夏秋冬が心に決めたことだから俺が何を言っても揺るがないと、勝手に決め付けて。

 それは俺が本気で復讐をやめさせたいと思っていなかったからなのか、春夏秋冬の決めたことに反発し嫌われてしまうことを恐れたからなのか、それともそのどちらともなのか。


「穢谷」

「うん?」

「好き……大好き」

「あぁ。俺も、好きだ」


 言って、俺は春夏秋冬の頭を撫でる。つややかであり、それでいてサラサラの黒髪に五本の指をくしのようにして梳くと、春夏秋冬がくすぐったそうに目を細めた。

 可愛らしい。美しい。綺麗で可憐だ。好きだ。愛している。一生一緒にいてもいい。本心からそう思う。

 そう、思っているはずなのに。

 どうしてこんなにも虚しいんだろうか。

 自分の言いたいことを伝えられはした。

 それでも、これは俺が本能的に望んでいた結末ではない。

 ダメだった。

 春夏秋冬を変えられなかった。

 春夏秋冬の意思を揺るがすことはできなかった。

 悔しかった。

 後悔の念が頭の中を駆け巡る。もしあそこでこうしていれば、あの時何か違う言葉を発していれば、もっと早くに気付いていたならばと。

 でもそれは取り返しのつかない考えても無駄なことで。その不毛な思考に余計虚しさが掻き立てられてしまうだけ。

 そもそも自分の意見を言うだけのつもりだったのに、俺はいつから春夏秋冬も変えてやろうなんて考えていたんだろうか。烏滸がましい、自分も変えられないのに、出過ぎた真似をしようとしていた。

 俺はソファから上体を起こし、立ち上がる。すると春夏秋冬も同じく立ち上がり、床に落ちた俺の服を拾って手渡してくれる。

 

「今日は、もう帰るわ。明日も学校あるし」

「うん。わかった」


 春夏秋冬は頷き、綺麗な白い肌の上に服を纏う。俺はその間に荷物を持ち、玄関へ向かう。

 俺が靴を履いていると、ぱたぱたと春夏秋冬が駆けてきて、ニコッと微笑み言う。


「じゃ、またね。大好き」

「おう」


 ギュッと抱き締め合い、どちらともなく手を離す。春夏秋冬の名残惜しそうな顔を横目に、俺は春夏秋冬家を後にした。




 △▼△▼△




「あ、葬哉おかえりー」

「……うん」


 帰宅するとリビングからお袋が声をかけてくれた。でも俺は心ここに在らず、空返事して自室へ続く階段に足を向ける。

 するとお袋はリビングから顔を覗かせ、こてっと首を傾げて言った。


「なんか悩んでるんなら、話聞くけど?」

「……悩んでるように見える?」

「超見える。あと、葬哉のそんな顔初めて見たし」

「そっか。流石は我が母上様だ……」

「でしょ? これでも十八年間葬哉のこと見てきたんだから〜」


 俺の軽口にお袋は冗談めかしてドヤ顔を見せつけてきた。そう言えば確かにこんな思い悩みながら帰宅したことは今までの人生で一度もない。

 と言うか、ここまで思い悩み、後悔していること自体俺にとって初めての経験だ。今までの人生をどれだけ適当に過ごしてきたか、よくわかる。


「もしお母さんとかお父さんに話しにくいことなら、友達に相談してみるのもいいと思うよ。単純に話すだけで気が楽になるかもしれないしさ」

「友達に相談か……」


 お袋の優しい声音にふと涙腺が緩みかけてしまった。溢れ出そうになる涙を、呟き、歯を噛み締めることで堪える。


「ありがと。夜飯は、いらねぇから」

「ん、わかった」


 短く感謝を述べ、俺はお袋に顔を見せないようにして早足で階段をかけ上がる。自分が今どんな顔をしているかはわからないけれど、きっと情けない顔をしているんだろう。

 自分の不甲斐無さからくる悔し泣き。久々にあくび以外で目から水分を発し、俺はそんな自分に苛立ちを覚える。

 拳を握りしめ、歯を食いしばり、自室の壁を殴る。その行動に意味なんてない。ただの八つ当たりだ。

 窪みすらできていない壁は、腑抜けた俺を嘲笑しているようだった。

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