第2話『私のこと、嫌いになったの?』

No.7『歪』

 校長からの面倒ごとをひとつ解決しても、俺にはもうひとつ面倒ごと……否、すべきことがある。

 彼女である春夏秋冬に、俺の本心を伝えなくてはいけない。

 やはり本音を伝える、何かを告白するという行為には緊張が伴う。現に今も俺の膝はガクブル状態で一歩も前に進めない(それは盛った)。

 兎にも角にも、春夏秋冬は未だ復讐に燃えている。そして春夏秋冬は俺が同じく復讐に燃えていると思っている。

 はっきりと言わなくてはならない。もう仕返しなんてするのはやめようと。

 だけど俺の言葉を素直に聞いてくれるだろうか。聖柄から説教のようなものを喰らい、余計ヘソを曲げてしまっているんじゃなかろうか。だとしたら俺ごときが春夏秋冬の固まった決意を揺るがしてやろうなんて出過ぎた真似なんじゃないだろうか。

 ……いや、うだうだしていても仕方がない。結果がどうであれ、本心を伝えられてこその彼氏彼女の関係ではないか。

 そりゃもちろん自分の持つ秘密の全てを打ち明けなくてはとは思っちゃいない。でも、これは打ち明けるべき事柄だとは思っている。

 ならば、臆さず打ち明けるのみ。俺は意を決して春夏秋冬宅のチャイムを鳴らす。

 ドアの奥からパタパタと音がして、開かれる。そこには私服姿の春夏秋冬の姿があった。春夏秋冬は俺を見て微笑み、言う。


「いらっしゃい」

「おう」


 久々の春夏秋冬家に足を踏み入れた瞬間、春夏秋冬自身からもフワッと香っている強過ぎ弱過ぎない、それでいて不快感もない良い匂いが鼻腔をくすぐった。

 春夏秋冬の母親、元人気モデルで今は亡きShikiさんのお金で建てたというこの家は、豪邸と呼んでも過言ではないほどに大きい。天井が高く、ひとつひとつの部屋サイズが大きいから不思議と外から見た時よりも巨大に感じる。

 そんな一般家庭、パンピー家族の住まいには絶対あり得ない、不必要ではないかと思わせるほどに長い廊下を歩き、リビングへ。春夏秋冬はキッチンの方に消えていった。

 俺が反発性抜群のソファに腰掛けてボーッとしているフリをして虚空を見つめていると、程なくして春夏秋冬がお盆を持ってやってきた。

 ひとつのカップを俺の前に差し出し、春夏秋冬も俺の隣に腰掛け、自分のカップに口を付ける。俺も同様にカップの中に入った紅茶で唇を湿らせ、口を開いた。


「結局、この家に住んどくことにしたのか?」

「ううん。今年の春から黎來れいな家にお世話になることになってるの」

「あー、そうなんだ。良かったな」

「うん。でもまぁ、歓迎ムードとは全く呼べないけどね」


 やっぱりそこは変わらないのか。春夏秋冬と実家との間に生じている確執。それは母親であるShikiが作ってしまい、そのまま春夏秋冬に受け継がれてしまった。

 娘である春夏秋冬には全く関係ない話だし、罪もないというのに……全く理不尽な話だ。雲母坂さんがいるとは言え、その家族によく思われていないと知っていながら生活させてもらうというのは気まずいだろう。

 まぁそれももう後二年もすれば終了だ、耐えるしかない。今は我慢と大人になるための準備期間なのだから。

 成人までの約二十年、耐えて堪えてその時を待つ。そう考えれば成人式でハメ外してしまうのもわからんでもない。腹立つよなー、『まったく最近の若者は……』と直接迷惑になってない人間から文句を言われ、それを間接的にハメ外していない俺たち別の若者全体がハメ外したヤツらと同じように扱われるの。

 ただ言っちゃうと俺はそこまで大人への憧れはない。大人になると同時に多くの厄介な責任も連なってくるし、自分が生きるために自分で行動を起こさなくてはいけない。それが今から考えても面倒で仕方ない。

 ……いかんいかん。またも俺はこんな卑屈な考え方をしてしまっているじゃないか。もっと善良的にならなくては。


「前から思ってたんだけど、雲母坂きららざかさんとお前が従叔母いとこおば従妹姪いとこめいの関係ってことはお前のおばあさんに当たる人って結構歳の差がある兄弟がいるってことになるよな」

「そうなるわね。確か六人姉妹じゃなかったかな。全員会ったことあるわけじゃないから曖昧だけど」

「ほーん……」


 それだけいるならきっと何十歳と離れていてもおかしくない。穢谷家は親父もお袋も一人っ子だから俺には従兄弟もいなければおじおばもいない。

 親父のお袋、つまり俺の祖母は離婚しており父方の祖父はおらず。俺のお袋の親父、つまり母方の祖父は既に死んでいて、母方の親族も祖母だけ。俺の会ったことある親族はほぼ手の指で収まる程度だ。

 それを考えると、春夏秋冬は身内が多いにも関わらずここまでひとり悩んでいる現状が不憫で勿体なく感じ、俺はまた余計なことを言ってしまう。


「んでも、その住まわしてもらえるって機に少しでも距離が縮まると良いな。元々春夏秋冬自体が実家に何かしたわけでもないんだしさ」

「それはそうだけど……母さんの葬式に顔出しただけですぐ帰って、誰ひとりとして泣かなかった人たちなのよ? 家を出た人間には同情もしなければ、涙も流さない。冷淡っていうか薄情っていうか、ホント徹底してるのよね」

「徹底してる……春夏秋冬家って、何なの? そんな由緒正しい伝統ある裏切り者には容赦しない的な家なわけ?」

「んー。ひいおじいちゃんから『春夏秋冬』なんだけど、ド田舎の結構デカい屋敷に住んでるから、なんか厳しい家庭なのはそうみたいよ。黎來が年に二、三回行くらしいんだけどそれ曰く、サマー◯ォーズみたいなんだって」


 何それすっごい……。一瞬で頭の中に映画のお屋敷が浮かんだわ。あのレベルになると普通に家で葬式だの結婚式だのやるらしいからな。実際映画でも最後葬式は本家でやってるし。

 春夏秋冬家のことについてさらに知りたくなってきた俺だったが、そんな俺の知的欲求は春夏秋冬の問いでかき消された。


「そんなことよりも、こないだ私が言ったこと、覚えてるわよね?」

「ん、あー。アレだろ? 復讐……」


 元より今日はこのことで話をしようと思っていたのだ。春夏秋冬から話を振ってきてくれて助かったと言えば嘘にはならない。


「そうよ! 今度こそ、四十物矢あいものやに一矢報いてやるわ。それとあのムカつく聖人君子にも何かしてやりたいのよね」

「そ、そのことなんだけど!」


 怒涛の勢いで喋る春夏秋冬を、俺は大きな声を出すことで無理矢理遮り止めた。

 春夏秋冬は少しだけ驚いたような顔をしたが、すぐにどうぞと五本の指を俺に向ける。


「あのさ、もう、やめにしないか。復讐なんて」

「……」


 俺の提案にピクッと眉を動かす春夏秋冬。何か言う気配は感じられなかったので、俺はさらに継ぐ。


「あー、その……つまりだな。俺は聖柄ひじりづかから言われたこと考えてみて、結局その通りだなって思っちまって。んで、これまで堪えてた春夏秋冬がやり返そうとしてんのは道理っちゃ道理なのかもしれねぇけど、それじゃ前に進めない、進展しないってのも聖柄の言う通りでさ。春夏秋冬と四十物矢が進展しなくても、俺たちだけは前進できると思うんだよ。大人に、なれると思うんだよ」


 普段は無駄口ばっかりで意味もないことばっかり言ってる俺だというのに、どうしてこういう大事な場面では口下手と化してしまうんだ。

 昨晩何度も思案し、まとめてきたはずの自身の考えが全然相手に伝えられている気がしない。

 大人になれる、俺はなりたい、それだけでも伝わっていれば良いが――。


「――私のこと、嫌いになったの?」

「は?」


 あまりにも唐突で、脈絡のないその問いに俺は間抜けな声をあげてしまった。

 今まで黙って聞いていた春夏秋冬は、一体何を思ってこの問いを投げかけてきたのだろうか。


「き、嫌いになんてなってねぇよ。何で急に」

「じゃあ、キスして」

「……」


 迷った。

 春夏秋冬のことは好きだ。

 でも迷った。そうするべきか、そうすることが正しいことなのか、迷った。

 

「んっ……」


 俺の唇が触れ、やけに婀娜あだっぽい声を漏らす春夏秋冬。

 キスをしてしまった。自分から彼女の小さな肩に手を置き、柔らかで吸い付くような春夏秋冬の唇に自分の唇を重ねてしまった。

 迷ったなんて表現は俺の自己防衛の結果でしかない。結局それを選択したのは俺なのだから。俺が俺を悪としないために、自分を正当化するためにそんな言い方をした。

 春夏秋冬もきっとそうなのだと思う。そして俺もそうだ。


 俺も、春夏秋冬も、お互いの身体を重ね合わせることでしか、相手から愛情を感じられないのだ。

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