No.9『初めての失恋は女の子を強くする2』

 金曜日の放課後、俺がこれまでの十八年間生きてきて一番心休まる時間帯がここだ。理由は言わずとも明白だろう。明日明後日が休日だからである。

 部活動をしている者にとって休日がやってくるということは平日よりも練習時間が長くなるためそこまで喜ばしいことではないのかもしれないが、幸いにも俺は部活動をしていない。よってこれでもかと羽を伸ばすことができるのだ。

 そんなわけで、通常であればこの金曜日の学校終わりは帰宅部の特権を行使し、フレッツもびっくりな光の速さで帰宅するのだが、現在俺はいつものファミレスの席に着いていた。

 喫煙席の四人がけテーブルで、目の前には可愛い可愛い愛後輩、一二つまびら乱子らんこが座っている。先日、お袋に言われた通り誰かに話してみることにしたのだ。


「なるほどぉ~。それ、なんだか昔のあたしみたいですねぇ」


 一二は俺の先週の修学旅行から今週にかけて起こったアレコレについて、まずそう感想を述べた。

 自覚はあったのか。いや、セックス中毒を克服した今だからこそ客観的にそう理解できているのかもしれない。


「あ、でもあたしみたいにたくさんの人とエッチしたいってわけじゃないのかぁ。それじゃちょっと違うのかな〜」

「うーん、まぁ確かに大勢とヤりたいわけじゃねぇな。むしろ春夏秋冬ひととせにお前のこと好きだって伝えるためにしちゃってるわけだから、春夏秋冬以外とは考えられねぇ」

「それは朱々しゅしゅちゃんもそうなんですか〜?」

「と言うと?」


 俺が首を傾げると、一二は一度野菜ジュースに口を付けて唇を湿らせた。口元に付いた野菜ジュースをナプキンで拭い、言葉を継ぐ。


「朱々ちゃんも同じように、葬哉そうやくんに葬哉くんを愛してるよって伝えるためにエッチしてるんですか〜?」

「はっきりとはわかんねぇ。多分そうなんだと思う。でも、そんな感じになっちまってるってことには確実に気付いてるはずだけどな」


 気付いていて、それを良しとしているか悪しとしているかの違いである。俺が良しとしていないから、求めてくる春夏秋冬に対して若干の不信と嫌悪が生じてしまっているのだ。


「結局、問題なのはそこですよね~。二人ともそれに気付いているのに、ちゃんとお話できてないっていう」

「そう、なのか?」

「そうですよぉ。葬哉くんは付き合ってる相手に言わないといけないことを話せてないことが嫌なんでしょ~? 多分、葬哉くんと朱々ちゃん、二人で一緒に問題を解決していこうってなったら、今葬哉くんが感じてるモヤモヤは取れるんじゃないかなぁ」

「なるほどな……」


 やはり、ちゃんと言葉にしなくてはいけないということだ。言葉にしなくても心が通じ合うなんて絵空事なわけで。面と向かって話をしなくては本当に伝えたいことは伝わらないのだ。

 わかり切っていることなのに、実行できていない。何故か、伝えることで今までの上手くいっていた関係性を崩してしまうんじゃないかという不安が脳裏にチラついているから。

 この一年間は俺にとって劇的に変化した一年だった。多くの人間と関わり、著しく変化する人間関係を目の当たりにし、そして自分自身もその変化の中に加わっていた。そこから俺は人間関係は本当に簡単に変化してしまうということを学んだのだ。

 だから恐れているのだと思う。俺が春夏秋冬にこんな付き合い方はやめようと言うことで、簡単に変わって、崩れて、壊れて、修復不可能になってしまうかもしれないんじゃないかと。

 ヘボくなったな穢谷葬哉。今の俺はクズでもゴミでも社会不適合者でもない。むしろそれ以下だ。中途半端が一番好ましくない。


「うーん。でもやっぱりあたしから言えることなんて少ないと思いますよぉ。ほら、よく言うじゃないですか~、テキセイテキショ?」

「惜しい。適材適所な」

「あ、それですっ! あたし、本気で恋したこと一度しかないですし~、これといった葬哉くんのためになるアドバイスはできそうにないです~」


 一二はそう言うが、全然そんなことない。さっきのお互いに話せていないからモヤついているんだって考えは的を得ていた。一二に相談して一番良かったと思う。

 一番と言うからには他にも相談相手としての候補があったわけで、一二以外にもキモデブオタクとか脳筋バカとか、あと三度の飯より恋バナ大好き二人組とかも考えていたんだけど、結局一二に落ち着いた。その理由としては同姓同士でこんな話は何となく気色悪いし、華一かいち籠目ろうもくに話すと単純にダルそうだったからだ。だったって言うか、あの二人なら確実にダルくなる未来が目に見える。


「ちなみに葬哉くんは、最終的に朱々ちゃんとどうなりたいんですかぁ?」

「どうって言うのは?」

「だから〜、カップルのその先ですっ! 結婚とか子作りとかですっ!」

「あぁ……。んまぁ、全然ありだと思う。でもそんな話よりも現状をどうにかしないとって考えで今の俺はいっぱいいっぱいだな」

「なるほどぉ。もしエッチがマンネリになってきたら言ってくださいねっ! そっちのアドバイスならいくらでもできますから~!!」

「うん、俺の話聞いてた?」


 現状をどうにかしないとって言ったんだよ? 誰もセックスレスだとは言ってないよね?

 俺が内心そう思っていると、一二は何やらクスクスと笑い声を漏らし始めた。訝しげな目を向けると、一二が上目遣いで言う。


「くふふふ……。それにしてもあの葬哉くんが恋の相談だなんて、なんだか可笑しくなっちゃうなぁ」

「なんでだよ。葬哉くんだって恋するんだからなー?」

「それはもちろんそうでしょうけど~。その相手が朱々ちゃんっていうのも、ちょっと未だに信じられないっていうか~」


 一二は比較的俺と春夏秋冬が仲悪い全盛期を見てきた人間だ。当時の俺たちを見ていれば、確かに付き合うなんて考えは絶対に生まれなかっただろう。


「…………」


 暫しの間、俺と一二の間に沈黙が流れた。衣擦れの音、微かな息遣い、氷とグラスがぶつかる音、とくとくと緩やかな心臓の鼓動――普段は気にならない、聞こえもしない音たちが鼓膜を震わせる。

 他に客もおらず、店内にいるのは俺たちだけ。けれど外に目を向けてみるとたくさんの行き交う人々が見える。中の静寂、外の喧騒――この差がまるで俺たちのいる静寂の空間だけ時間の流れが遅いんじゃないかと錯覚させられるようだった。


「……葬哉くんさぁ、あたしが葬哉くんのこと好きだって気付いてたよね〜?」


 静寂を俺への問いで破る一二。唐突で何の前触れもなく一二から発せられたその問いに、俺は一瞬返答に迷う。

 俺が何と答えるべきか思案している最中にも一二はチラチラと上目遣いで見てくるので、考えをまとめる暇もなく俺は口を開いた。


「まぁ気付いてたってか、最初の方は単なる冗談的な感じなのかなって思ってたんだけど、これでも俺は自意識過剰系男子だからな。すぐにこの子俺のこと好きなんじゃねって思っちゃうわけよ」

「ふ~ん。そっかぁ」


 俺の真面目に答えたとは言えない適当な返答にも、満足げな顔をしてくれる一二。その表情に俺は少しだけ罪悪感のようなものを覚えてしまう。


「あたし、風俗のバイトやめたんだ~」

「え、マジで?」

「はい、マジですよ~」

「なんでまた急に……」

「急ってわけでもないんですよぉ。体育祭くらいの時から悩んでたんですけど、やっと踏ん切りがついたって感じです」


 踏ん切り。風俗店でのバイトをやめると決めたきっかけ。それが一体何なのか、俺は何となく理解できている気がした。

 刹那、一二はガタンと大きな音を立てて椅子から立ち上がった。その突然の行動にビクッと肩を震わせる俺を見て、一二がニコッと微笑み声を大にして言う。


「あたしは、葬哉くんのおかげで成長できましたっ! 葬哉くんに恋したあたしは間違ってなかったですっ! だから、葬哉くんありがとぉ!」

「……どういたしまして」


 深々と俺に頭を下げる一二。真正面から感謝を伝えられ、俺は気恥ずかしくなり目を逸らす。それを見て一二はより一層口角を上げた。その顔はどこか寂しげで、それでいて清々しい笑顔だった。


「葬哉くんは今まで色んな問題を解決してきたんだから、きっと今回も何とかなります。自分を信じてくださいっ! 葬哉くんが自分のこと信じられないなら、あたしが信じてますから」


 どうやら、俺に惚れてくれていた一二の持つ穢谷葬哉というブランドのイメージはかなりカッコいい男らしい。本当に買いかぶり過ぎだ、俺はプレッシャーに弱いんだよ。

 だけどまぁ、そう思われて悪い気は全くしない。自分のブランド価値を落とさないためにも、俺は俺自身の問題を曖昧に終わらせるなんてことはせず、逃げずに真っ向から向き合わなくてはならないようだ。

 一二の片方の灰色の目はいつも通り太陽光を鈍く反射していて、そこに映っているひとりの男はニヤリと口の端を歪めていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る