こぼれ話
『ShikiとShikiに恋したひとりの記者の話』
かつて、『Shiki』というモデルタレントの登場により、芸能界が強く震撼した。
街中でスカウトされたその少女は、弱冠十六歳、モデル経験皆無にして某有名ファッション雑誌の表紙を飾り、それを期に数々の雑誌で取り上げられ、一躍時の人となった。
美しさの中に可愛らしさを兼ね備えた容姿、優しく誰とでも分け隔てなく接するその人柄から老若男女問わず人気を博していた。
しかしある時Shikiは産休という形で仕事を一時休止することになった。二十歳という若さでの産休であったため少々世間に波紋が広がったものの、復帰後のメディア露出にて産まれた娘の話をする彼女の様子が心の底から幸せそうだと、すぐにShiki人気は戻ってきた。
モデルとしての仕事も、テレビタレントとしての仕事も、母親としても、彼女の人生は順風満帆、万事順調、一路順風であった――あくまで、表の部分は。
「いやー、参っちゃったよホント。痛くて痛くて眠れなくってさ〜」
Shikiはベッド横で丸椅子に座る男にそう言って笑いながら、ピンクのニット帽の上から頭をぽりぽり掻く。そんなのん気な様子の癌患者に対して、ジト目を向ける男。
「笑い事じゃないんじゃないのShikiちゃん。少なくとも、私は笑えない」
「もー、
そりゃそうだ、だって私は君に――と言葉を漏らしそうになるのを
「それにしても子宮頸がんって君、やっぱり枕営業が原因なんじゃないのかい」
「あっはは、鬮さん絶対そう言うと思った! それもひとつの発症理由としてはあり得るみたいなんだけどね、先生が言うには私はそれとはまた違った理由らしいの」
Shikiが娘を出産した七年後、二十七歳で発症してしまったのは、子宮頸がん。癌の中でも初期症状がほとんど現れず、気付いた時には癌の進行が凄まじいことになってしまっているなんてことがある恐ろしい病気である。
彼女の場合も癌がかなり進行した状態で見つかり、骨にまで転移してしまっていた。もちろん即刻入院、芸能活動は休止状態となっている。
「それにしても、鬮さんホント優しいよね。枕営業のこと、黙っててくれるなんてさ。普通だったら速攻記事にするくない?」
「そうだよ。だから君は私に頭が上がらないはずだ」
「それが嫌だから黙っててもらう変わりにエッチしよって提案したのに、鬮さん断るしさー。バレてすぐの頃は超ヒヤヒヤしてたけど、一年以上も黙っててくれてるし、私は鬮さん信用してるよ」
これまでにも幾度となくどうして記事にしないでいてくれるのと鬮はShikiから問われたことがあった。そしてその度に曖昧に誤魔化してきた。
何故なら、彼女に一記者として接してきたはずが、いつの間にやら心を射止められていたから。
だから彼女の人気が枕営業によって成り立っているものだと知った時は、とてつもなくショックだった。ショックでもあったし、納得もした。テレビでも雑誌でも異常なまでに引っ張りだこだった理由が明らかになり、スッキリしたのだ。
鬮は惚れた女が幾多の男とセックスしているというスクープを、ひた隠しにすることにした。それが記者として失格であることは重々承知だ。それでも、鬮は彼女がこのスクープによって世間からバッシングを受ける姿を見たくはなかった。だから鬮はこの秘密を墓場にまで持っていくつもりである。
病室の中には静寂だけが息をしている。ただ静かにこの二人きりの状況を見守っているといってもいいかもしれない。
ふと、その静寂はShikiの発した声によって破られた。
「あのね。実は私、余命宣告されちゃったんだ」
「……そ、そうなんだ」
入院して半年以上が経っている。鬮もそれは手術が遅れているか、もしくは治る見込みがないかのどちらかだろうと予測はしていた。
しかしながら、はっきりと本人から後者であると伝えられたこの時、鬮の心は静かに荒れた。赤の他人で記者と芸能人という間柄であるにも関わらず、鬮はShikiが余命宣告を受けたという話を聞かされて心中泣き崩れたい気持ちでいっぱいになった。
「うん。後一年持つかどうかって感じらしい。だからもうクスリ入れるのはやめて、緩和療法にしようって話になってるんだ」
「そっか。良かったね」
「えー、余命一年って言われたって言ってるのに良かったねっておかしくない?」
「だって緩和療法って、もう抗がん剤の副作用とかで苦しむ必要がなくなったんだろ? 良かったじゃないか」
「まぁそうなんだけどさー。まだまだ痛みが唐突に来ること多いんだよね……」
また訪れる静寂。そして静寂を破るのはいつもShikiの方だ。
「鬮さん……ひとつお願いごとしてもいい?」
「なに? 私が出来る範囲内のことだろうね?」
「もちろん」
Shikiは一枚のメモ用紙を取り出し、そこに何かを書き込むと、それを鬮に手渡した。
「これを
「これは、なんだい?」
「それは内緒」
「どうしてわざわざ私が? 君から渡せば良い話じゃないか」
「うーん。いやでもね〜……んッ……い゛ぁあ!」
「っ!? Shikiちゃん!?」
Shikiは唐突に、本当に唐突に呻き声を出してベッドに倒れた。身悶えしたいようにも見えるが、少しでも動くと余計痛むから動けないといったもどかしさが感じられる。
「はぁ……はぁ……。あぁ! ほんとっ、ムカつく……っ! んはぁ、痛い、痛い……っ!」
鬮は癌に蝕まれ、苦痛を訴えるShikiの前でどうすれば良いのかわからずあたふたしてしまった。が、すぐにベッドの上に転がっているナースコールのスイッチを見つけ、押した。
ピンポーンという音がして、まだ看護師が来ているわけではないのに勝手に少しだけホッとした。
「ど、どこが痛いの?」
「こぉっ、し……。痛い、痛い痛い痛い! もぉ!」
聞いたはいいものの癌による痛みの緩和方法など知りもしない鬮は、痛みに悶絶するShikiのベッドの横でただ立ち尽くしているしかできない。
「もぉ……嫌だこんなの! 死にたくないのに、早く死にたいっ! イタイよぉ!」
「Shikiちゃん……」
程なくして看護師が病室に駆け込んでくると、声をかけながら体の向きを変えてあげる。すると少し痛みが緩和されたのか、彼女の口から漏れる吐息がそれを証明していた。
鬮はその間、ゆっくり後ずさりしながら病室を後にした。死にたくないのに、早く死にたいという耳にするだけで胸が締め付けられるような言葉は初めて聞いた。
結局、Shikiからどうして自分で直接メモ用紙を渡すのではなく、他人を仲介して娘にメモ用紙を渡すのかは聞けず、分からずじまいになってしまった。
そして、次に鬮がShikiに会ったのは、葬儀場の遺影の前となった。棺桶の中で儚げな表情をして永遠の眠りについている彼女を見て、自然と鬮の目からは涙が一滴零れ落ちた。
「……ん、あの子は」
ふと葬儀場内を見渡した時、ひとりの少女が視界に入った。その少女は間違いなく、紛れもなく、それ以外の何者でもなく、Shikiの娘だ。
しかし、少女は泣いていない。悲壮な顔をするどころか、母親の遺影へ羨望の眼差しを向けている。自分の母親が亡くなった子供の顔とは呼びがたい表情をしている。
だからと言って、Shikiから受け取ったあのメモ用紙を少女に渡さないという選択肢はなかった。はずなのだが、鬮はポケットの中に入ったメモ用紙を確認し、そのまま葬儀場を出てしまった。
これをShikiの娘に手渡してしまえば、自分の中のShikiへの思いさえ消え去って、死んでしまうような気がしてならなかったのだ。
いつか、いつか必ずあの子に渡す。その時は、きっぱりと彼女のことを忘れようと、鬮は心に誓った。
鬮がそれを果たすのは、それから十年後のこととなるのであった。
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