No.25『だからってやり返したら意味がないだろ!』

「……俺たちになんか文句でもあんのか? 付き合えて良かったじゃねぇかよ」


 春夏秋冬が何か答える気配は感じられない。聖柄ひじりづかからの問いに返答せずシカトするのもひとつの手だが、俺は無意識のうちに口を開いてしまっていた。

 それが劉浦高botを匿名でやっていたはずなのに、何故か聖柄にバレていることで動揺してしまったせいなのかは定かではない。けれど、文句があるのかと問うてしまった時点で俺は聖柄から文句を言われるいわれがあると認めてしまったようなものだ。

 俺の返答に聖柄は僅かに顔を負の方向へ歪めるも、すぐに顔面に苦笑を張り付けて取り繕った。


「いや、文句って言うかまぁちょっとさ。実はこのアカウント、二人がやってるって確証は無かったんだ。ちょっとカマかけてみただけ」

「チッ……」


 俺渾身の人に聞かせる舌打ちが炸裂。やられた、普通にすっとぼけとけばよかった。

 いやしかしさっきの言葉は完全に無意識のうちに出てしまったもの。咄嗟に虚言を吐けるほど俺のコミュスキルは高くない。


「そんな嫌そうな顔しないでよ。おれはただ、どうしてこんなことしたのか聞きたいだけだからさ」

「俺たちの動機を知ってどうする?」

「別にどうこうしようなんてことは考えてないさ。今、おれがそれを知りたいと思った、ただそれだけの理由だよ」


 つまり聖柄の単なる知的欲求であると、そういうわけだ。

 人から問われておきながら逆に問い返し、相手が答えてしまったからにはこちらも答えるしかない。俺は一度小さく深呼吸し、今度は虚言モードをフルスロットルにした。

 

「俺たちだってあのツイートでどうこうしようなんて考えてなかったさ。強いて言うなら、お前と四十物矢あいものやの恋のキューピッドになりたかっただけだよ」

「はははっ。似合わないなぁ葬哉そうやがそんなセリフを吐くと。……でも悪いけど、葬哉のおふざけじゃなくておれは朱々しゅしゅの口からどうしてこんなことしたのか聞きたいんだ」


 黒目を俺から隣の春夏秋冬へと移す聖柄。春夏秋冬は俯いていた顔をようやく上げ、ギロリと鋭い眼光を聖柄に向けた。


「あんた、なんでオッケーしたのよ……」

「おい、春夏秋冬」


 ボソッと低く冷たい声音で呟かれたその言葉。俺はそれ以上言わせてはマズいと、制する意味を込めて春夏秋冬を呼ぶ。

 しかしそんな俺の呼び止め虚しく、春夏秋冬の押し留めていた感情は爆発する。むしろ俺の呼び止めが爆発の発端になった節もあるが。


「あんたが、あの女の告白断ってれば……私はこんな思いしなくてよかったのよ!」

「こんな思いって……?」

「惨めで、悔しくて、死にたくなるほど情けなくって、世界中の誰も私の味方をしてくれないんじゃないかって怖くて……とにかく色んな思いよ。せっかく考えた作戦も、あんたのあの一言で全てが無駄になった、ふざけんな!!」

「てことは朱々は、みんなの前で緋那がフられるようにしたかったってことだよね? 緋那に仕返しをしようとしてたってことだよね」


 聖柄は至極真剣なトーンで、且つ優しげな口調を使い春夏秋冬に詰め寄る。だがそんな悠然とした雰囲気が春夏秋冬の癇に障ってしまったのか、春夏秋冬はより一層聖柄を睨み付ける目に力を込めた。


「だったら……なに? 私はずっと今まで耐えてきたのよ、どんなことされても! 辛いって思った時もあるし、泣きたい時もいっぱいあった! それでもひたすら耐えてきたの!!」

「だからってやり返したら意味がないだろ! これまで何のために耐えてきたんだよ、やり返したら、耐えてきた全てが無駄になるじゃないか! 朱々までこんな道徳的じゃないことする必要はなかっただろ!」


 春夏秋冬の激昂に対し、聖柄も対抗するように声を荒げた。

 確かに卒業まで耐えて嫌がらせの被害者で在り続けていれば、こちらに非は一切ないままだった。春夏秋冬が周囲の人間たちを騙していたことが嫌がらせされている理由であるとしても、世論で言えば騙していただけで直接的な被害が無かったのにも関わらず悪質な嫌がらせをしていた四十物矢たちの方が悪とされることは間違いない。

 だけど……道徳的じゃないことをする必要はなかった、か。この場合、大勢の前で聖柄に四十物矢をフらせようとしたことを言っているのだろうけれど、春夏秋冬がどういう思いで復讐するに至ったかを知らずにそう言われるのは俺としては少々腹立たしい。


「朱々、おれは見損なったよ。おれたちを騙していたとしても、倫理的で道徳的な人間だと思ってた」

「知ったような口利かないで! 私があんたたちに見せていた私は私じゃない! 私は元々倫理的でも道徳的でもない! 私のことを勝手に語るな!」

「例え朱々がおれの思い描いていた人物像とかけ離れていたとしても、仕返しなんてするべきじゃなかった。仕返したって緋那たちとの関係は良くならないことが目に見えるじゃないか、どうしてそこに気付かなかったんだよ!」

「私にだって意地とプライドがあるの! 一二のためにも……私は強い人間じゃないといけないのよ!」

「でもおれは今まで嫌がらせに耐えて、何言われても黙って耐えていた朱々の方が強い人間だと思ったよ。やられたからにはやり返すなんて人間強くも何ともない! そんなのはそれこそ弱い人間の考えることだ!」

「クッ……! うるさい、もう黙って!!」


 次の瞬間、春夏秋冬の拳が聖柄の顔面目掛けて飛んだ。一二は春夏秋冬にやられても黙って耐えるような人であってほしくないと言った。それは一二がそんな人間は弱い人間だという価値観を持っているから。だけど聖柄は黙って耐える人間こそ強い人間だと言う。何故なら聖柄がそういう人間こそ強い人間だと思っているから。

 どちらが正解なんて断言することは出来ない。個々人にある価値観に解答なんてない。例えその価値観が道徳的絶対悪だったとしても、その人がそうだと思っている時点でその人にとってはそれが正解なのだ。

 聖柄は春夏秋冬の拳を軽々と受け止めた。あまりにも簡単に、容易たやすく、こちらに無力さを痛感させるかのごとく、聖柄は春夏秋冬の拳を受け止めた。


「おれを殴っても何の解決にもならない。殴るなら、緋那を殴れば良かっただろ」

「は、はぁ?」

こすいことせずに、真正面から緋那にぶつかれば良かったんじゃないのかって言ってるんだ。殴るまでいかなくても、まずは話をしてみるとか、正直に思ってることを言うとか、もっとやり方があったはずだろ……」


 聖柄はそう言って春夏秋冬の手を離すと、クルリと踵を返して階段を降りていく。春夏秋冬は離された手を再度グっと握り締め、悔しそうに歯噛みした。


「んでも聖人君子の聖柄さんも、ついに空気感に押されて好きでもないヤツの告白を受け入れるようになったんだな」


 去っていこうとする聖柄の背中に、俺は皮肉をたっぷり込めて言う。すると聖柄はゆっくり振り返り、四十物矢からの告白を受ける直前のあの寂しげな顔で笑いかけてきた。


「おれがオーケーしたのは別に周りの流れとかそんなんじゃない。おれの意思でだよ」

「あ?」

「葬哉には前に言ったよね。おれは人を好きになれない、恋愛感情が持てないって」


 夏休み、俺が海の家でタダ働きさせられているビーチにちょうど聖柄たちが居合わせた。その日が四十物矢の一度目の告白であり、その際俺は聖柄から恋愛感情、性的興奮を人生で一度も感じたことがないと聞いた。

 その他色々と情報を組み合わせた結果、俺は聖柄が無性愛者アセクシャルなのではないかと決め付けていたのだが……。


「おれはそういう人間なんだって勝手に自分で自分に妥協してた。でもそれじゃダメだったんだ。好きになる努力をさ、おれはしてこなかったんだよ」

「だから、四十物矢を好きになるために努力してみるってか?」

「あぁそうだよ。自分で自分をこういうものだって決め付けて、それで怠惰に過ごしてきたんだ。そんな怠けたおれだったから、夏休みの時に一度緋那に悲しい思いをさせてしまったんだ。だから償いも込めて、おれは緋那を好きになってみせる」

「ふーん……」


 正直、何だそりゃと言う感想しか浮かばない。はっきり口にしようかとも思ったが、それははばかっておいた。

 今まで自分は人を好きにはなれないものだとしてきた、だけど同時にそういうものだからと諦めて人を好きになる努力を怠っていた、だから今回の告白は了承した。

 言い換えればそれは四十物矢を実験台にしているようなものではないだろうか。揚げ足を取るようだが、それこそ道徳的じゃない。夏休みの時に言っていた、人の気持ちをもてあそぶことはしたくないという言葉に反していると解釈されてもおかしくない。

 おかしくないはずなのに、俺はそれを糾弾することもする気にもならなかった。

 聖柄は俺が無反応なのを確認すると、今度こそ踵を返して部屋に戻っていった。踊り場に残された俺と春夏秋冬の間には静寂が流れている。その静寂さは俺たちの心情と相似だ。

 外から聞こえる都会の喧騒やホテルの部屋から時折聞こえる楽しげな笑い声と暗く沈んだ俺たちの心持ちが噛み合わず、余計寂寥感を掻き立てる。


「なぁ、春夏秋冬……」

「ごめん。今はひとりにさせて」


 春夏秋冬のピンと張り詰めるように冷たく物静かな言葉が俺の鼓膜を震わし、俺は金縛りにあった。ひとりになりたいと階段を降りていく春夏秋冬の背中に声をかけることも、追いかけることも出来なかった。否、しなかった。

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