No.13『若い男女が一夜を共に過ごす。是即ち……?』

 春夏秋冬に我が家の二階にある風呂へ案内し、俺は脱衣所から一度出る。自分の部屋から学校ジャージを持ってきて、シャワーの音がするのをしっかり確認してから脱衣所に入った。


「春夏秋冬。一応着替え、俺の学校ジャージ置いとくからな」


 磨りガラスの奥、浴室内で春夏秋冬の裸体がピクリと動いたのが見えたが、春夏秋冬は何も答えはしない。


「下着は……そりゃ濡れてるよな。どうしよ」


 俺は脱衣所から再度出て、自室の椅子に座る。今春夏秋冬に下着をどうするべきか聞いたところで返答は返ってきそうにない。俺のパンツとシャツは春夏秋冬が嫌がりそうだし、俺のがダメならもちろん親父のを貸すことも出来ない。と言うか何となく俺が嫌だ。

 となると無難なのはお袋の下着か? でも胸のサイズとか違いがあるかもしれない。そもそも女って絶対ブラ必要なのだろうか。必要無いのであれば別に俺の肌着貸してもいいんだけど。なんか着けていないと形が崩れるって話を聞いたことある気がする。それに確かナイトブラってブツも存在するはずだ。ナイトブラは直訳すりゃ夜のブラジャーなのだろうから、きっと寝る時に装着する用なんだろう。やっぱりある程度発育している胸にブラジャーは必須か。

 となるとパンツは俺のを我慢して履いてもらうとしても、やはりお袋のブラを持ってくる必要がありそうだがサイズは……まぁ大丈夫か。俺の目視でいけば春夏秋冬もお袋も対して変わらないし。


「穢谷」

「うぉっ……!」

「あ、ごめん……電気ついてたから」


 下着について真剣に考えていると、ドアの隙間から俺の学校ジャージに身を包んだ春夏秋冬が顔を覗かせていた。

 春夏秋冬はゆっくりドアを開いて、俺の部屋の中に入り、ベッドの上に腰掛ける。タオルで拭いただけの春夏秋冬の髪が揺れるたびに、小中の修学旅行で体験したことのある女子の風呂上がり特有の不思議ないい匂いが漂ってくるような気がした。気のせいかもしれない。

 

「あー、えっとその、お前下着は?」

「……今着てない」

「そか」


 男子のLサイズを着ているせいなのか、萌え袖どころか手と足の先が隠れて見えなくなっている春夏秋冬は、俺の視線にくすぐったそうに小さく身をよじる。今コイツがノーパンノーブラで俺のジャージを着ていると考えると、なんだかちょっとアレな気分にならなくもない。


「取り敢えず、落ち着きはしたみたいだな」

「うん。まぁね」

「さっきの話、もう一回ゆっくり話してくれるか?」

「えぇ」


 春夏秋冬はコクリと頷き、先程取り乱していたことで俺に全く伝わらなかった話を、今度は伝わるように丁寧に話し始めた。




 △▼△▼△




 クリスマスパーティーがお開きとなり、穢谷家から出るとすぐに他のみんなとはお別れすることになった。私は徒歩で帰れる距離だけどみんなは反対方向、駅の方に行かなくてはならないから。

 私はみんなに軽く手を振ってクルリと踵を返す。コートのポケットに手を突っ込み、自宅へ向かって歩みを進める。

 ホント、アイツらとクリスマスパーティーまでするような仲になるとは思ってもみなかった。夏休みに花火大会に行った時も同じ感想だったけど。きっと一学期のブイブイ言わせてた(死語)全盛期の私にアイツらとここまで仲良くなるぞと言っても確実に信じない。

 そもそもあの頃に学校一の人気者が学校一の嫌われ者になるとも思わなかったし、校長に弱みを握られはしたが、何とか切り抜けられると、大丈夫だと思ってた。

 でもそれがずっと続くってこともなかったんだろうなとも思う。見栄えをどんなに綺麗に取り繕っていても、内側が美しくなければいずれボロが出る。だからいつかは化けの皮が剥がされて、私の裏の顔が表に出ることになっていたはずなのだ。そのタイミングが早いか遅いかが違うだけで。いやでもまさか自分から暴露することになるとはね。そこは想定外だったかもしれない。

 にしても、本当に楽しい時間だったなぁ。涙を流してしまうほどに心が幸福感で満たされていた。もっとその時間を過ごしていたかったけど、私には今日は家へ帰らなくてはいけない理由がある。

 実を言うと、例年クリスマスイブは父さんが帰って来る割合が高いのだ。だから今年ももしかしたらと思ってさっきは帰宅の流れを自分から作った。私のケアのためにパーティーを開いてくれたという一二には悪いけど、父さんとも少しは距離を縮めなくてはいけないなと、最近すごく思い始めたから。

 小さい頃から、正確に言えば母さんが死んだ時くらいから父さんは私に対して冷たいと言うか、私のことなど眼中にないと言った感じだった。でもそれは母さんが死んだことからくるショックで一時的なものなんじゃないかと思ってたんだけど、結局今の今まで父さんの私への態度は変わらない。それでも嫌いと言い切ることが出来ないのは、やはり今まで間接的ながらも私を育ててくれた人だからだろう。もし父さんが帰って来てたら、せっかくのクリスマスだし何か夜食を作ってあげよう。

 そんな風に考え込んでいると、いつの間にか雪が雨へと変化していた。次第に雨音は大きくなり、傘無しではびしょ濡れになってしまいそうなほど降り始めた。

 まずいまずい、今日着てるのは結構気に入ってる服だ。もう手遅れな気がしなくもないけど、あんまり濡らしたくないし走って帰ろう。

 私は雨の中、自宅に向けて駆け出す。どんどん強くなる雨から逃げるようにスピードを上げ、そこからものの数分で自宅へ辿り着いた。

 私は家の鍵を開け、玄関に足を踏み入れる。そして電気をつけ靴を脱ごうとした瞬間、私は眉を顰めた。

 まず第一に私の予想通り、父さんは帰って来ていた。昼には無かった父さんのだと思われる黒い靴が置いてある。

 しかしもちろん私が眉を顰めたのは、父さんが帰って来ていたことに関してではない。父さんの靴の横に、が乱雑に脱ぎ捨てられていた。私はそれを見て眉間にシワを寄せたのだ。

 控えめに言って大きい、控えめに言わなくてバカデカいこの家は、母さんがモデルやテレビ出演で稼いだお金を注ぎ込んで買ったらしい。そんな我が家のそこそこ長い廊下の奥、リビングの方からぼうっと薄く光る照明の明るさが見て取れた。

 私はゆっくり足音を立てずにリビングへ近付く。そしてそっと部屋の中を覗いてみると。


「と、父さん……?」

「ん……おぉっ? 朱々かー」


 私はその光景を見て、驚きのあまりあんぐり口を開けたまま固まってしまった。ソファの上で半裸の父さんと私の知らないこれまた半裸の謎の女が抱き合って眠っていたのだ。

 私がおずおずと父さんを呼ぶと、父さんはとろんとした眠そうな目をして私の存在を認識した。テーブルの上に置かれたワインボトルの数が、父さんの赤い顔と普段とは違う馴れ馴れしい口調の原因であることを物語っている。


「ん、んん〜……あれ、誰この子?」


 父さんの上に乗っかって目を瞑っていた謎の女も目を覚まし、私を一瞥してから父さんに向かって首を傾げる。


「あー、コイツが前に言った朱々だよ」

「へぇ〜。じゃあこの子があのShikiの娘なんだぁー。どうりで美人なわけだ」

「まぁなぁ」


 知らない女は私のことを興味深そうに上から下まで舐めるように見て、テーブルのワイングラスを手に取り、そこに残っていた微量の赤ワインを飲み干した。

 一体誰なの、誰の許可があって母さんの家でそんなにくつろいでるのよ。

 私は悠然とした態度の知らない女に若干苛立ってしまったが、相手は所詮酔っ払いだと自分を落ち着かせ、父さんに問う。


「父さん服を着て。ちゃんと説明して、この人は誰なの?」


 私の問いかけに父さんは一瞬困ったような顔を見せる。だがすぐに頭を数回ぽりぽりと掻いて、答えるのが面倒だと言わんばかりの表情で、逆に私に問うてきた。


「あのさー。俺、この人と結婚してここで暮らすから、朱々出て行ってくれないか?」

「……は? け、結婚?」

「そーだよ結婚結婚。この人と婚姻したいんだよー」


 酔っ払っている父さんは何故か楽しげにそう言った。知らない女はそれを聞いて嬉しそうに顔を綻ばせる。

 言葉の意味は理解出来た。父さんはこの知らない女と結婚しようと思っている。だから私にこの家から出て行ってほしいと。

 それを理解出来たとしても、私には納得いかない点がたくさんあった。


「でも母さんのことは……」

「アイツのこたぁ、もうどうだっていいよー」

「どうだっていいって、そんな……」


 あまりにも軽々しく、しかも煩わしそうに言う父さんに、私は驚愕してしまった。ずっと母さんのことを好きなんだと思っていた。夏休み頃のニュースでも、今でも母さんのことを愛していると言っていたはずだ。

 それなのにどうしてこんなにも父さんは簡単に母さんのことを忘れ、別の女と一緒になろうとしているんだろう。しかも、娘であるはずの私に家を出て行けなんて。


「わ、私出て行くなんて出来ない。出て行ったらどこに住めばいいのよ。それに、ここは母さんの家だし。結婚は別にいいから、私も一緒に住んじゃダメなの?」

「俺はな、この人と二人っきりで生活がしたいんだよ。正直、お前は邪ー魔ーなーのー」

「じゃ、邪魔……っ!?」

「ちょっとそれはひどいんじゃないの〜」


 と知らない女。ニヤニヤと面白そうにしている様子は苛立ちを通り越して殺意さえ沸きつつあった。

 しかしその殺意さえも薄れさせる父さんの私が邪魔だという言葉。それが頭の中で反芻し、目眩を感じて壁に寄りかかった。


「いやいや、そもそもにこの歳まで金使ってきた俺の身にもなってみろよ〜」

「自分の子かも、わかんない……?」


 父さんの発言で引っかかった言葉を鸚鵡おうむ返しする。すると父さんは酔いが回り赤くなった顔をにへらっと緩めた。


「お前を産んだアイツはなぁ、たくさんのお偉いさんとヤりまくってあんだけ人気者になったんだよ」

「え……?」

「知ってるだろー? 枕営業ってヤツだよ。アイツが新人のクセしてめちゃくちゃテレビ出たり雑誌の表紙飾ったりしてたのは、ぜーんぶ身体売ったからなの」

「な、何言って……」

「お前を妊娠した時はホント焦ったよー。マネージャーだった俺と結婚することにして一応枕営業のことは隠せたけど、結局お前がどのお偉いさんの子種からデキてんのかはわからず終いだしなぁ」


 理解出来なかった。否、理解したくなかった。母さんについてのその真実を、私の出生に関するその事実を、信じたくはなかった。

 だから私はぶんぶんと首を横に振って父さんに言い返す。嘘だと信じたい一心で声を荒げる。


「そんなの嘘よ! 母さんがそんなこと……無理矢理やらされたに決まってる!!」

「いやいや無理矢理なんかじゃなかったって。むしろ自分からヤる気満々だったぞぉー? テレビ局の上層部のオッさんとか所属事務所はもちろん、所属してない事務所のお偉いさん方と毎日のように寝まくってたからなぁ」

「嘘、嘘だ……」


 私はわなわなと震え、そう呟くしか出来なかった。頭の中で、私の母さんが崩れていく。一度は越えようと思っていた人気者だったはずの母さんは、全く尊敬すべき人物像では無かった。幾人もの男と夜を共にし、それによって人気を得ていた。母さんには人気者としての素質も才能も何も無かったんだ。

 そして今私の目の前にいる男は、私の父親ではない。言い切れないのかもしれないけど、可能性は低いだろう。母さんの卵子に誰かわからない男の精子が入り、意図せず受精してしまった結果産まれたのが私なのである。

 最早驚きの感情は通り越した。今はただ、ひたすらに悲しくて悲しくて、誰かに縋りたい。縋って優しく慰めて欲しい。

 気付いた時には、私は家を飛び出していた。どこに行くかなんて考えず、この家にこれ以上いたくないというただそれだけの気持ちで飛び出してしまった。

 どしゃ降りの雨の中、傘も持たずコートも着ないでただただ走った。寒さや冷たさなんて感じない。溢れ出て止まらない涙も、顔に激しく降りかかる雨と一緒に流れ落ちてゆく。

 きっと私は現実から目を背けたかったんだと思う。父さんの……否、父さんのフリをしていた男の言葉全てから。信じ難い真実全てから。

 だから私は走った。あの家から離れれば離れるほど、認めたくない事実から逃れられる気がした。

 走って走って、とにかく無心で走って。そうして私は、ここに戻って来たのだ。




 △▼△▼△




「どう思う?」

「へ?」

「今の私の話聞いて、どう思う?」


 春夏秋冬は話を終えると、唐突に俺に問いかけた。どう思うと言われても、俺にはその問いに対しての正確な答えを出すことが出来そうにない。春夏秋冬の口から間接的ながらも真実を聞いて、俺だって驚いているのだから。


「母さんは、枕営業で人気になってたのよ……私の尊敬していた自慢の母さんは、男と寝て! それで芸能界をのし上がってたの!」

「お、おい……落ち着けよ」


 俺がなんと返答するべきか迷っていると、春夏秋冬はまた冷静さを欠いて、感情的になってしまった。落ち着いてから俺に改めて話してしまったせいで、薄れていた悲しみが再度湧き上がってしまったのだろう。

 春夏秋冬は俺の言葉に聞く耳を持たず、さらに自分の思いを吐露する。言う側も聞いているこちら側も辛くなるその悲痛な叫び。俺は耳を塞ぎたい衝動を抑え、春夏秋冬の言葉を受け止める。


「それに私の本当の父親は、誰かもわからない! 私は生まれてくるべきじゃなかったのよ! 作りたくて作られた子供でもなくて、出来る予定も無くて、あの男も私のこと邪魔だって言ってた! ひどい、ひどいわよこんなの!」


 慰めの言葉なんて、俺にはかけられない。俺ごとき底辺の人間がこんな辛い思いをしているタメの女の子にかける言葉なんて存在しない。


「どうして私がこんな目に遭わなくちゃいけないのよ! なんでこんな思いしなくちゃなのよぉ! だれか私のこと愛してよ、優しくしてよ……私を慰めてよ!!」


 泣き崩れる春夏秋冬。涙でぐじゃぐじゃにしたその表情は悲痛そのもの。春夏秋冬は心を悲しみに痛め付けられていた。

 強く、強く。誰も経験したことないほどに強く。

 もう、見ていられない。

 そんな彼女を俺は無意識のうちにギュッと強く抱き締めていた。慰めの言葉はかけてあげられなくとも、行動でそれを表し、伝えることは出来る。

 ただその行動を俺がしたことには、自分自身驚かされた。だけど、無意識ということは俺の本能がそうしたいと思ったと、そういうことだ。俺は春夏秋冬に人の温もりを与えたいと思ったのだ。あまりにも不憫な彼女のことを愛してあげたいと思ったのだ。

 春夏秋冬は俺が背中に手を回して優しく力を込めると、俺に身体を委ねるように首の力を抜いた。こくんと俺の胸に顔を埋め、静かに涙を流す。


「ねぇ穢谷……。私のこと、お願いだから慰めて?」


 春夏秋冬は俺を抱き締めたまま、ベッドの上に仰向けに倒れ込んだ。俺は咄嗟に春夏秋冬の背中に回していた腕を解き、ベッドに手をつく。

 それによって自分の真正面にきた俺の顔をジッと見つめてニコッと微笑むと、春夏秋冬はジャージを捲り、その細くなよやかな指を俺の腹から胸辺りにかけてつーっと撫でてきた。


「ちょ、待て待て春夏秋冬。お前本気かよ、もう一回落ち着いて冷静になれって」

「私は冷静よ。冷静になって考えて、私はこういうことがしたいの。してほしいの……」


 学校ジャージの前チャックをゆっくりと下ろす春夏秋冬。先程言っていた通り、春夏秋冬は下着を着ておらず、白く綺麗な肌が露わになった。俺はそのなまめかしさにゴクリと生唾を飲む。ドキドキと鼓動が高鳴り、目の前の少し頰を赤らめたしおらしい表情の少女のことで頭がいっぱいになってしまう。

 俺は緊張で息が荒くなるのを隠すことだけを意識して、片手をゆっくりと彼女の胸に置いた。ジャージの少しだけザラついた肌触りの上から、春夏秋冬の胸の柔らかな感触が手の平全体に伝わってくる。


「穢谷ごめん……やっぱ恥ずかしいから、電気は消して」

「……わかった」


 俺は春夏秋冬の要望通り、部屋の電気を消してベッドに戻った。これで彼女を慰めてあげることが出来るのならば、俺は喜んで『こういうこと』を受け入れる。いや受け入れるなんて烏滸おこがましい。俺が受け入れさせてもらうのだ。春夏秋冬のことを慰めさせてもらうのである。

 この行為が正しい行いなのかはわからない。いつだって俺は何もわかっていない。でもわからないからこそ、『こういうこと』が出来たのかもしれないわけで。

 何はともあれクリスマスイブの夜。俺、穢谷葬哉と春夏秋冬朱々はひとつになった。

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