No.6『正式な仲違い』

 定標じょうぼんでん此処乃世ここのせはいつだって不機嫌な顔をしている。此処乃世自身いつからこの顔がデフォルトになったのか覚えていない。

 小さい時からストレスを感じやすい性格で、自分の思い通りにいかなかったりならなかったりすると猛烈な倦怠感が此処乃世を襲うことが多々あった。だからその倦怠感のせいで不機嫌な表情をすることが多くなり、この顔が定着してしまったのではないかと、此処乃世は思っている。

 かなり幼い頃にはこの表情が出来上がっていたため、此処乃世は皆から距離を置かれることが多かった。此処乃世が自分から距離を詰めても、愛想笑いとお世辞が横行してばかりの友人もどきしか出来ないのだ。

 此処乃世にとってそれは大きなストレスだった。心の底から笑い合えるような友達が欲しいと、心の底から思っていた。でも自分の性格と表情のせいでそれは叶わない。

 溜まりに溜まったストレスから、此処乃世は魔が差してコンビニで万引きをしてしまった。初めて盗みを働いた時の強烈な快感は今でも忘れられない。忘れられないからクレプトマニアになってしまったのだ。

 今まで感じていた倦怠感や寂寥感は全て窃盗行為で解消される。それがわかった時には毎日のように万引きを繰り返した。欲しくもないものを盗っては捨て盗っては捨ての繰り返し。

 そうして今日も此処乃世は、昨日のスーパーへやって来ていた。万引きをすることで、満たされない気持ちを埋めたくて。

 でも埋まるのは盗みを働く時だけ。少ししたら罪悪感に苛まされることになる。そしてその罪悪感を忘れたいがためにまた万引きしてしまう。

 まさしく負のループだ。それがわかっていながらやめられないのだから、もう自分じゃどうしようもない。

 此処乃世は高鳴る鼓動を感じながら、少しだけ息を荒くして陳列棚へ手を伸ばす。商品を手に取り、ソッとパーカーの腹ポケットに忍ばせようとした瞬間、ガシっと横から手を掴まれた。


「此処、ダメだよ。盗んじゃ」

「……朱々しゅしゅっ!?」


 春夏秋冬ひととせ朱々しゅしゅは、万引き寸前だった此処乃世の手を握り、真っ直ぐに此処乃世の目を見つめた。

 朱々は自分じゃどうしようもないと悩んでいた時、此処乃世の前に現れ、親身に相談に乗ってくれた上に万引きしないよう放課後度々此処乃世を導いてくれた。

 だから、此処乃世は本気で彼女のことを大切に思っていた。大切で大事な友達だと、本気で思っていたのだ。


「ちょっと話がしたいの。ついて来て」


 朱々はそれ以上何も言わず、手を離した。そしてクルッと踵を返し、スーパーを出て行く。一切振り向かず堂々とした朱々の足取りは、此処乃世に有無を言わさない。此処乃世は商品を棚に戻し、黙ってついて行くしかなかった。




 △▼△▼△




 スーパーを出て、数分歩いた後に辿り着いたのは、私が普段から使っているファミレス。人気ひとけがないから人気にんきないのか、それとも人気にんきがないから人気ひとけないのかはわからないけど、とにかく人が少ないので秘密の会合には持ってこいの場所なのだ。


「で。なに、話って」


 私がいつも使ってる喫煙席ではない禁煙席の椅子に座るや否や、此処は口を開いた。私は一度息を整え、此処の目を見て言う。


「正直になって聞いてね此処」

「……」

「此処さ、私に裏切られて悲しかったのよね?」

「……は? 悲しい?」


 此処は私の言葉を聞いて顔を歪めた。自分の心中を当てられたことによる動揺を隠していると捉えることが出来る表情だ。素直になって聞いて、と言ったところで此処が素直になってくれるわけがないことくらいわかる。ここは先に私が言いたいことを全て伝え切る方が良いだろう。

 

「まずは謝らせて。猫被って良い人ぶっててごめん。此処を裏切ることになって、ホントにごめん」

「何言って……」

「これが本当の私。だからもし此処がまだ猫被ってる私を信じてるのなら、今すぐきっぱり忘れて」


 痛い、胸が痛い。数週間前、クラスの連中大勢を前にした時なんかとは比にならない痛みだ。

 だけど痛いのは相手も一緒。いや、一緒どころか此処は私以上に長い間この痛みを経験していたかもしれないんだ。

 私のためにも此処のためにも、私はまだ自分の思いを此処へ伝えなくてはならない。全て出し切らなくては今話をしている意味もないのだから。


「でも聞いて欲しいの。私、此処のことは本当に友達として好きだった、と思う……。私本当に仲良い友達が出来た経験がほぼ無いからよくわかんないんだけどさ」

「そんなの、どうやって信じればいいの……」

「信じてとは言わないわ。ただ私が聞いて欲しいだけだから。私は此処が好きだった、それに一緒にいて面白かったのも事実。私はみんなの前で、此処の前で性格を嘘偽ってたわけだけど、それでも楽しかったの本当なの。あのクラスが好きだったのよ。それだけは出来れば頭に入れといてほしい……」


 昨日たくさんある伝えたいこと、思ってることを頭の中でまとめてきたのに、いざ話すとなると言葉足らずになってしまったところもある。でも一応伝えたい内容は全部言えた。

 その時、ひと段落ついたと私が息継ぎしたことで生まれた静寂を、此処が盛大に破った。


「あーしだって……マジで好きだったし!」

「え?」


 此処からの想像していなかった返答に、私は少し面食らってしまう。しかし此処は私の反応など気にも留めなかった。


「あーしは本気で朱々に感謝してて、本気で朱々のこと友達だと思ってたんだよ! それなのに……それなのに、お前はあーしの気持ちを踏み躙ったんだ!」


 たがが外れた此処は、席を立ち上がって声を荒げた。今にも泣き出してしまいそうな悲痛なその声は私の胸をギュッと締め付けて来る。


「あーそうだよ! あーしは悲しかった!! 友達だと思ってた人に裏切られて悲しくて仕方なかった! だからまた盗んじゃったんだ……盗みたくないのに、悲しいのを忘れたくて盗んじゃうんだよ!」


 此処は悔しそうに拳を握り、ドンとテーブルを叩く。

 私は此処に正直な自分の気持ちを伝えた。だから此処もそれに答えるようにこうして本音をぶつけてくれた。これで私と此処の間には何もしがらみはない。

 だけどこれからもう一度やり直すなんてことは出来ない。出来ないというか、してはいけない。しがらみが無くなったからこそ、仲直りするのではなくその逆をいくべきだ。


「此処。私とちゃんと縁切ろう?」

「……え?」

「私と、正式に仲違いしようって言ってるの。これ以上、私のせいで此処が苦しまないためにも」


 此処は私の提案に口を噤み、俯く。

 此処がクレプトマニアの症状を再発してしまったのは、私が原因だ。自惚れなんかじゃなく、これはほぼ確で事実。

 私と出会ったことで此処のクレプトマニアの症状は落ち着いていた。それなのに私が本性を現したことで此処の中に裏切られたという悲しみが生まれ、その悲しみを埋めるためにまた盗みを働いてしまった。私がずっと裏の顔を見せないようにしていれば良かったものを、自分から見せてしまったのが悪いのだ。

 だけどそれはつまり、此処の中で私の存在がそれだけ大きなものとなってしまっているということでもある。春夏秋冬朱々は定標此処乃世の心に侵食し過ぎてしまったのだ。

 であれば。裏を返すと此処の心にいつまでも居座る人気者だった頃の私を取り除いてやれば、此処のクレプトマニアの症状は落ち着くはずだ。ここ数週間のうちに此処がまた万引きをしてしまっているのは、人気者時の私に裏切られたという悲しみが元になっているのだから、原因になっている私が此処の中に存在していなければ、私のことで何かを思い悩むことだってなくなる。

 そうすれば今ある此処のストレスは軽減され、ストレス発散に万引きをすることもなくなるんじゃないか。と言うのがまぁ私に協力要請してきたバカ男の見解なんだけど。ホント、こっちの気も知らないで鬼畜なこと言うわ。いや、わかってて敢えて鬼畜なこと言ってるのかな。


「……うん、わかった。ちゃんと友達やめよう」


 此処は数分の間思案した結果、私の提案に乗った。正式に仲違いをして、縁を切り、友達をやめると。

 此処が葛藤したかどうかはわからない。でもしていてくれたら嬉しい。そう感じてしまっているということは、春夏秋冬朱々が定標此処乃世の中に居座っていたように、定標此処乃世も春夏秋冬朱々の中にまだ居座っているのだろう。

 ……いや、居座っているんじゃないか。此処はもう席を立って、歩き出しているんだ。私がいつまでも背中を追いかけてしまっているだけで。

 こんなんじゃダメだな。


「ありがとう。それじゃあ、一生さよなら」


 私は感謝の言葉を述べ、笑顔で手を振る。此処が私を忘れようとしているのだから、公平に私だって忘れなくちゃいけないだろう。

 此処は私の振る舞いを一瞥し、いつの間にか出来上がっていたいつも通りの不機嫌そうな表情を顔に貼り付けてファミレスを出て行った。

 初めて、友達をやめるということをした。なんだか不思議な感じだ。なろうと言ってなれるものでもないし、やめると言ってやめれるものでもないと思っていたのだけれど、案外簡単なんだな。所詮、人間関係なんてそんなものなのかもしれない。

 今喫煙席の方で私たちの会話に聞き耳を立てているバカが前に言っていた、高校生活なんて人生八十年分の三だって。悔しながら、最近その言葉に猛烈に共感してしまう。


「で? あんたのお望み通りの展開になった?」


 私は席を立ち、磨りガラスの壁で仕切られた喫煙席に座る穢谷けがれやへ問う。すると穢谷は私から目を逸らし、申し訳なさそうに答えた。


「なったよ。お疲れ……悪いな、こんなことさせて」

「別にいいわよ。私が一方的に壊した関係を、改めて同意の下に壊しただけなんだし」

「そうか」


 私は穢谷の前の椅子に座り、足と腕を組む。癖になりつつあるこのポーズだが、落ち着くのだから仕方ない。偉そうに見えるし、実際偉い気になれるから気分良いし。


「でも、正直お前が手伝ってくれるとは思わなかったわ」

「なんで?」

「だってお前もう校長の面倒ごとに絡む必要は無いんだし、俺とお前の唯一の繋がりだったあの勝負も、その……終わっちまったわけだからよ。お前が俺に協力する必要もメリットも、道理もないじゃん」

「だから、私は手伝わないと思ったわけ?」

「うん、まぁ……」


 私が威圧的な目を向けると、穢谷は少しだけ気圧された感じで頷いた。

 全く、コイツは私のことを何だと思ってるんだ。


「はぁ……。穢谷、この際だから言っとくけどさ」

「ん?」

「私、あんたのこと嫌いじゃないからね?」

「お、おぉ? ありがとう、なのか?」

「当たり前でしょ、めちゃくちゃ感謝しなさい」

 

 首を傾げる穢谷に私は得意げな顔をしてやった。穢谷は納得いかない表情だったけど、私は此処とのこともあってか不思議と清々しい気分で、ゆっくり口角が上がった。

 感謝しないといけないの私の方だ。穢谷へ、この時間を作ってくれてありがとうと。此処より素直になれない私は、目の前に座る彼へその気持ちを伝えることはしなかった。

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