No.17『ここまで来たら付きまとわらせてもらおう』

「花魁ちゃん家は資産運用だけで生活出来るくらいお金持ちで、高級住宅街の一番でっかい一軒屋に住んでた。アタシはその隣の家に住んでて、アタシが産まれた時からの付き合いなんだ」


 高級住宅街の一番大きい家に住んでる人の隣の家で産まれた月見さんもかなり金持ちなんではないのかと思ったが、ここで問うては月見さんの話の腰を折ることになるため、俺はぐっと唾を飲んだ。


「子供の頃の花魁ちゃんは優しくて美人なお姉ちゃんで、頭も良くて、なんだって出来た。逆に出来ないことがなくて暇そうにしてたくらいだったよ」

「マジの天才だったわけですか……」

「うんそーそー。でも出来ないことがないからこれがしたいあれがしたいっていう夢みたいなのは無くて、何となーく入った大学で何となーく取った教員免許使って中学校の先生になったんだ。それが花魁ちゃんの教師人生の始まり」


 何となーくで大学入れて何となーく教員免許が取れる時点で東西南北校長が相当な秀才であることがわかる。しかも月見さんはそれをさも当然のように話しているのだ。月見さんの中にある当時の東西南北校長のイメージからもその度合いが感じられた。


「花魁ちゃんは二十二歳の時、大学卒業してすぐに中学一年生の担任を任されたんだぜ。そん時アタシもちょうど中一でさ、休日とかは花魁ちゃんに勉強教えてもらったりしたんだけど、マジで教えるの上手かったんだよな。アタシも花魁ちゃんの学校に行きたいって何度思ったことか……」


 昔を思い出し、懐かくなったのか楽しそうに笑う月見さん。正直校長が人に何かを教えてる風景が全く浮かばないので、俺としては若干半信半疑なところではあるのだが。


「花魁ちゃんも教師として働き始めてホンットに生き生きしてた。初めてこんなに打ち込めるものを見つけたって。教師が楽しくて仕方ないみたいな感じで、人に何かを教えることにやりがいを感じてきたって言ってたのを覚えてる。……でもそれも、そんなに長くは続かなかった」


 月見さんの声のトーンが変わり、表情も暗くなった。


「二人ともPTSDって知ってるか?」


 その問いに答えたのは、ようやっと放心状態から復帰した春夏秋冬。記憶を探り探りみたいな感じで顎を手でつまみ、言う。


「えっと、トラウマの病気みたいなヤツでしたっけ?」

「うん、まぁそうだな。そんな感じ」


 PTSD、日本語で心的外傷後ストレス障害。簡単に言えば慢性的なストレスによる精神的障害ことであり、難しく且つ詳しく言えばその名の通り心的外傷トラウマ所謂いわゆる身体や精神に身の危険を感じるなどの、強い精神的ショックからその事柄に恐怖を覚え、それが長期的に続くことで生活に支障を来たすストレス障害のことだ……という誰が作ったかもわからないネット記事を読んだ記憶がある。


「花魁ちゃんは五年前のちょうど今ぐらいの季節にそれを発症したんだ。……花魁ちゃんが受け持ってたクラスの、ひとりの生徒が起こした事件がきっかけで」

「それが、平戸凶壱の起こした暴力事件ってことですか」

「そゆこと。その時に花魁ちゃんに何がトラウマなのか聞くのは無理だったし、今も昔の話はしないようにしてるから、結局何が原因でPTSDを起こしたかはわかんない。でも多分、その事件で生徒を傷付けさせてしまったし、平戸凶壱のことを止められなかったって自分で追い詰めちゃったんだと思う」


 前に校長の口からその平戸さんの暴力事件について話を聞いた時、相当ひどい有様だったと言っていた。きっとこの間一二をレイプ犯から救った時のように、生徒を何らかの理由で瀕死にまで追いやったのだろう。

 その悲惨な光景を見た当時の東西南北校長は、自分が教師としての技量がどれだけ足りていなかったかを思い知らされ、クラス担任として自分のクラスの被害者側も加害者側も救うことができなかったという自責の念に駆られた。さらにはもしまたあんな事件が起きたらどうしよう、自分はまた何も出来ず生徒たちを悲惨な目に遭わせてしまうんじゃないだろうかと、教師としての今後に不安、恐怖を覚えたのだ。金持ちの家に産まれ、顔も頭も良く、出来ないことがないくらいの天才だったからこそ、たったひとつの失敗が東西南北校長にとてつもない恐怖を与えたのである。

 ま、勝手な妄想だが大体こんな感じなのではないだろうか。


「花魁ちゃんは部屋にこもって出てこなくなったし、もちろん教師の仕事も辞めることになった。ご飯もろくに食べずにやつれてって……それに学校関連のことを考えたり近くにあったりすると震えが止まらなくるんだよ。だから教師の時使ってた物とか服どんどん捨てまくって、教員免許までいらない捨てたいって言い出してさ。結局花魁ちゃんには返納したって嘘吐いたんだけど、本当は返納したんだけど突き返されちゃったんだよな」


 トラウマの原因となったものやそれ関連の物を自分から遠ざけようとするのもPTSDの症状のひとつだ。しかし、東西南北校長が教員免許を持ってはいないと言っていた謎の真相はこれで明らかになった。本人は持っていないと思っているが、実際は未だ東西南北校長の教員免許は存在しているらしい。


「でもな。花魁ちゃんが家に閉じこもって一ヶ月くらいが経った時、アタシがお見舞いに行ったらいきなり花魁ちゃんが部屋どころか家から飛び出したんだよ。んで作り物みたいな変な笑い顔しながら『わたしは校長になる、平和で平穏な学校を作るんだ』ってアタシに宣言してきた。その時から花魁ちゃんは変わったんだ。普段の表情も喋り方も考え方も」

「無理して笑ってたわけですか」

「あぁ、なんでかはわかんない。でもアタシはそれで花魁ちゃんが元気になったんだから良いってことにした。マジで別人みたいに変わっちゃったけど、我慢することにしたんだ……」


 なるほどな。やはり、何となく俺の想像していた通りだった。東西南北校長は学校という存在に対してPTSDを発症していた。と言うよりも平戸さんの起こした悲惨な事件、もっと言えば平戸さんという存在そのものにPTSDを発症したのかもしれない。

 だから今、また平戸さんが何かを起こすかもしれないという状況になり、五年前の不安や恐怖がフラッシュバックし、先ほどの校長室で筋の通っていない訳のわからないことを言っていたのだろう。

 二学期に入ってずっと気になっていたことがある。東西南北花魁と平戸凶壱は、似ていると。だけど実際はそうではなかった。本当は、東西南北花魁平戸凶壱に似せていたのだ。月見さんは平戸さんに会ったことが無いし、平戸さん自身も自分に似せているなんて思わないだろうから、これは俺たち第三者だからこそわかることだ。

 何故そんなことをしたのかは東西南北校長本人しか知らないことだが、PTSDの原因となったトラウマの発端である平戸凶壱のように自分がることでそれを克服した。自らを平戸さんのように振る舞うことでおそらく当時からサイコパスだった平戸さんの考えを理解するつもりだったのかもしれない。

 まぁとにかく東西南北校長は平戸さんに自分を似せてPTSDを一時的に克服したのだ。それさえわかれば理由は今追求しなくたっていいだろう。


「だけどアタシも今はもうダメだと思う。今の花魁ちゃんは前みたいに教師にやりがいを感じてた優しい花魁ちゃんでも無ければ、あのおかしな性格に変わった花魁ちゃんでも無くなってる。どんどん壊れてってるように感じる」

「そうですね。月見さんみたいに長い付き合いではないですけど、今の校長が明らかにおかしいのは同意です」

「うん、アタシもさっき花魁ちゃんが明らかにおかしなこと言ってたのはわかる。でも、花魁ちゃん自身のことも少しでいいからわかってあげてくれ」


 月見さんの東西南北校長に関する話はそうして終わった。最後に『こっからどうするかは自分らで決めてくれ。時間取らせて悪かった』と言い残し、校長室の方へ歩いていった。きっとこれから校長と仲直りするつもりなのだろう。

 月見さんの背中が見えなくなり、俺は春夏秋冬へ問う。


「どうするんだ。春夏秋冬」

「……止めるわよ。平戸先輩に黎來は殺させない。校長せんせーの身の上も知った上で、私は校長せんせーの命令に逆らう」


 春夏秋冬は俺の目を真っ直ぐに見つめてはっきりと宣言した。心は決まっているようだ。だがもうひとつだけ聞いておかなくてはいけないことがある。


「でも、いいのか? 校長の言う通りにしなかったら秘密がバラされるかもしれないんだぞ」

「もちろんそれも承知の上で言ってるわ。私の秘密がバラされても……絶対黎來は助ける」

「……そか」


 校長の秘密も全て聞き、情緒不安定な今の校長が春夏秋冬の処遇をどうするかもわからない。そんな状況であることをしっかり理解した上で、春夏秋冬は覚悟を決めた。自分の腹黒である秘密がバラされても構わない、自分の秘密よりも守るべき存在の人がいるから。

 だから俺は自分の意思で、春夏秋冬と同じく校長に弱みを握られているよしみから仕方なくなどではなく、俺も心に決めた。


「作戦は?」

「え?」

「まさかお前ひとりでどうこうするつもりだったのか? それとも俺みたいな無能が出来ることはねぇか?」


 俺の皮肉に少し面食らった顔をする春夏秋冬。しかしすぐ呆れたようにニヤッとし、首を傾げた。


「……手伝ってくれる?」

「あぁ、もちろんだ」


 ここまで来たら俺もこの先どうなるのか興味がある、勝手ながら付きまとわらせてもらおう。不思議と俺の口角は上がっていた。

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