No.16『そしてこの人も頭がおかしい』

 校長は受話器を置き、俺たちの方を振り向く。その時の表情は先ほど冷淡で感情の感じられなかった声音とは裏腹に、笑顔だった。無理矢理、笑顔を作っていた。俺にはただいつも笑っているだけにしか思えなかったが、平戸ひらどさんや月見つきみさんは無理矢理笑顔を作っていると言っていた。それが初めて俺にも感じられたのだ。


「好きにさせろって……どうしてよ!」

「どうしても、だ」

「もし平戸さんを止めなかったら、雲母坂きららざかさんが平戸さんの手によって殺されることになるかもしれないってこと、理解して言ってます?」

「もちろんだとも……。平戸くんは平戸くんで色々と考えを巡らせ、この問題の解決策を見出したんだ。わたしはそれを止めさせはしない」


 何故だ、何故校長はそんなにも平戸さんを贔屓する。以前にもこんなことがあった。平戸さんが一二つまびらを救うためレイプ犯たちを瀕死にまで追いやっていた時、校長は無理矢理にでも平戸さんを善人にしようと俺たちに語りかけていた。この人は何故か平戸さんを善人とすることに固執しているのだ。平戸さんを犯罪者にしないためにも、雲母坂さんの命を救うためにも、ここは絶対平戸さんを止める指示を出すべきだろう。

 雲母坂さんを殺そうとする人間がいるという問題に対し、先に自分が殺すことで犯行を起こさせないようにする? そんなの問題解決にはならない。雲母坂さんは結局死んでいるし、本来殺すつもりであった犯人が平戸さんになっただけで、被害は何もしない場合と何も変わらない。


「黎來を犠牲にするつもり!? 犠牲があって問題が解決したとしても、それで本当に解決したとは言えないじゃない!」

「犠牲無しに問題が解決すると思うな! 雲母坂黎來ひとりが理不尽を、不条理を受け入れ、そして犠牲になることでこの問題は解決するんだ、平戸くんを悪く言うんじゃない!」


 確かに平戸さんの考え通り、極論を言えば雲母坂黎來という存在がこの世のいなければ現在起きている問題そのものが無かったことになる。

 雲母坂黎來という人気モデルがいるから脅迫状が送られ、雲母坂黎來が春夏秋冬朱々の大切な家族であるため春夏秋冬朱々はこんなにも焦っている。雲母坂黎來が文化祭という犯罪者出入り自由な日に来てショーをするから殺せるチャンスを脅迫状の送り主に与えてしまったし、雲母坂黎來が脅迫状を送られてきたのにも関わらず芸能人のプライドとか言ってショーを取り止めようとしないからいけないのだ。もっと言えば、雲母坂黎來という人間が存在しているから一連の問題が発生してしまったのである。

 とこんな言い方をすれば、この一件が全て雲母坂黎來によって引き起こされているものだと考えることも出来る。あくまで極論で、悪いのは確実に脅迫状を送った人物なのだが、人の考え方次第で捉え方も違う。俺は無理にそう考えてみたが、平戸さんはこの考え方がマジの本気で正しいと思っているはずだ。

 だから平気で問題解決のために人殺しをしようとしているのである。まぁ平戸さんが反社会的人格サイコパスであることも人殺しを躊躇しないひとつの要因だと思うが。

 しかしだとしても、校長の物言いには無理がある。この状況で平戸さんの方を擁護する意味がわからない。犯罪を推奨しているようなものだ。なので春夏秋冬は校長の言葉に当然反論した。


「何言ってんの、悪いに決まってるでしょ! 今まさに人ひとり殺そうとしてるのよ!」

「前にわたしは君たちに言ったはずだ。過去、わたしが担任を受け持ったクラスで平戸くんがひどい暴力事件を起こしたと。わたしはね、もう二度と学生たちが傷付くのを見たくはない……! そして平戸くんを、平戸くんのような子を悪にはさせないと決めたんだよ!」


 拳を握り締め、ドンとデスクを叩く校長。その表情は歯噛みし悔しそうにしていながらも、不安で誰かに救いを求めたくて怯えているようにも見えた。


「平戸さんが雲母坂さんを殺したとしたら、否が応でもあの人はブタ箱行きですけど?」

「その時はわたしがいくらでも金を使ってどうにかする。生徒を守るためなら、わたしは喜んでいくらでも金を注ぎ込むさ……」


 校長は自分の言っていることの筋が全く通っていないことに気付いていないようだ。平戸さん絡みでまた事件が起こるかもしれないという不安から、おそらく校長の脳内は若干パニック状態に陥っているのだろう。うーん、もしかすると東西南北校長は平戸さんという存在に対して……。


「でも、やっぱりおかしい! よく考えてよ、人が死ぬのよ! それがわかってて何もしないなんて。黎來のショーを無理矢理にでもやめさせて守るか、平戸先輩を止めるべき……」

「春夏秋冬くん君は狙われているのが雲母坂黎來だからそんなに焦っているんだ! これが赤の他人だったとしてみろ、君は表情ひとつ変えずに平戸くんを勝手にさせるはずだ。……違うかね?」

「えぇそうよ、私の大切な家族だから焦ってるの! それが普通よ! せんせーだって、月見先輩が殺されるかもしれなかったら、必死で止めるでしょ!」

「っ…………。君たちは、私に意見できる立場じゃないということを思い出したまえ」

「……っ!」

「命令だ。絶対に何もするな」


 無機質な感情のこもっていない声音で、校長は俺と春夏秋冬にそう言った。その時の校長にもういつもの笑顔は無かった。

 以前は文化祭実行委員の雑務というやけに簡単でアバウトな仕事を課し、その上学級の準備の方を優先してもいいと言っていた。それだと言うのに今の校長は自分の意見を無理にでも押し通し、最後には面倒ごとではなく命令を下してきた。

 百人中百人が校長の様子を見てこう言うだろう、情緒が不安定だと。


 東西南北校長は話は終わりだと言わんばかりに社長椅子に腰掛け、大きく息を吐き、目を閉じた。春夏秋冬はそれを見て口を噤み、くるりと踵を返して校長室を出て行く。俺もその後ろについていった。

 弱みを握って面倒ごとを押し付けてくるゲス校長ではあったが、今まで命令してきたことは一度もなかった。だから初めて命令され、何故か少しだけ悲しい。


 校長室を出ると、人は全然いなかった。代わりに体育館の方から大きな歓声が聞こえる。どうやら私服ファッションショーが始まったようだ。なるほど、こんなに人がいないということはかなり人気の企画なんだな。そしてこの後に雲母坂黎來が登場すると……大盛り上がり間違いなしだ。

 もしほとんどの生徒がいる中で雲母坂さんが平戸さん、もしくは脅迫状の送り主から殺されるようなことになれば、大事件になることも間違いなしだ。

 無言のままどこかへ向かう春夏秋冬の背中を追いかけながらそう思案していると。


「あ、月見先輩……」

「よっ。さっきぶり」


 眠ったよもぎを抱っこした月見さんが、まるで俺たちが来るのを待っていたかのように立ち尽くしていた。笑う月見さんの顔はすごく優しげでありながら、どこか寂しそうだ。


「ごめんな。さっきの校長室の話、外からちょっと聞き耳立ててたんだ」

「あぁ、そうなんですね」

「……時間も無いんだろうけど、花魁ちゃんがなんであんな風になってるのか、少しでいいから聞いてくれないか?」

「え?」


 月見さんの言葉にキョトンとした顔をする春夏秋冬。校長の命令に従わなければ自分の秘密を暴露されてしまうかもしれない、だけど大切な雲母坂さんのことは救いたい、どうすればいいのかわからない。そうして頭が混乱し、若干放心状態にあるようだ。


「聞きます。聞きたくて仕方がないです」


 春夏秋冬の代わりに俺が答えると、月見さんは満足げに頷き、遠い目をして幼馴染の話を始めた。

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