エピローグ

『ちゃんとした仲違い』

 東西南北よもひろ花魁おいらん月見つきみうさぎ。

 この二人は幼馴染であり、うさぎが産まれたその時からの付き合いである。そんな長い付き合いの中で二人の間には固い絆があった。それはある事件とそこから結んだひとつの約束による力が強い。

 しかしそんな固い絆で結ばれていたはずの二人は今、少々ギクシャクしてしまっている。うさぎは花魁に対しツンとした冷たい態度を取り、花魁は花魁で何故うさぎがそうするのかわからず、ただうさぎのツンとした態度を黙って見ることしか出来ていない。

 どちらともちょっと歩み寄れば良い話なのだが、長い付き合いの中で喧嘩など一切してこなかった二人にとって、一度崩れた仲をどうやって修復すればいいのかわかっていながらも実行することが出来ないのだ。


「花魁ちゃん」

「……ん、なにかな?」


 校長室。いつも通り娘のよもぎを迎えに来たうさぎは久々に幼馴染の名を呼んだ。いきなり名前を呼ばれて一瞬動揺する花魁だったが、すぐにいつも通り飄々と振る舞う顔と口調で取り繕った。するとうさぎは何やらため息をひとつ。


「いいってもう、その顔と口調は。二人だけの時くらい安心しなよ」

「ははは、なんだい急に。顔と口調って、どういうことかな?」

「だからやめろってば! アタシの知ってる花魁ちゃんはそんな……そんな無理して笑ってなかった!」


 うさぎの悲壮な顔に同じように取り繕った笑顔を向けることは出来ず、花魁は顔を伏せた。


「……わたしはもう昔のようにはなれないよ。今はこれがわたしなんだ。五年間そうしてきたんだしね」


 花魁は顔を伏せたまま、はっきりとそう言い切った。もう前のようには戻れない、昔は忘れてくれと、そういう意味を込めて。


「そうやって花魁ちゃんが、それであの時の花魁ちゃんが元気になったからアタシは目を瞑ってた。それで花魁ちゃんが元気になったんだからいいことなんだろうって」


 うさぎはゆっくり滔々と自分の思いを吐露する。花魁もそれをただただ黙って耳にしている。校長室にはうさぎのハスキーな声だけが響いている状態だ。


「だけど、今は見てられないんだよ! その顔と喋り方をする度に日に日に花魁ちゃんが怯えながら迷ってるみたいな……アタシ、バカだから上手く言えないけどとにかく花魁ちゃんが何かに迷うとこはもう見たくない! またあの時みたいに花魁ちゃんがなったらどうしようって、心配なんだよ!」


 うさぎは立ち上がり、花魁へ詰め寄って声を大にして言った。それを受け花魁はグッと何かを抑え込むように口を噤んだ。

 うさぎの目には花魁の自身を偽る行為に迷いが出ているように見えていたのだ。そしてうさぎはそんな花魁を見たくはなかった。本当は自身を偽る行為すらして欲しくは無かったが、花魁がそれを選択したのだからと、うさぎはそれには目を瞑っていた。

 それなのに今の花魁は、そうすることに迷いが出ているようなのだ。うさぎにとって花魁は家族同然の存在であり、尊敬するお姉ちゃん的な存在でもある。

 だからこそうさぎは花魁のそんな姿は見たくなかった。花魁だって人間なのだから完璧なんて不可能だと言うことは理解している、それでも花魁には完璧に近い存在でいて欲しいのだ。

 だが、うさぎが花魁に対して怒る理由は他にもある。と言うよりも、こちらの理由の方が重大だと言えるだろう。


「転校してきたんだろ、平戸ひらど凶壱きょういち


 うさぎの口から出てきた言葉にピクッと反応を見せる花魁。だがなるべく平静を装って首を捻る。


「それが、どうかした?」

「どうかしたじゃないだろ! アタシとの約束忘れたのか! なんでも相談してくれって、花魁ちゃんの力になるからって! 五年前にしたじゃねぇかよ!」


 あまりにも素っ気ない花魁の問いに声を荒げる。要するにうさぎは花魁に相談してもらえなかった、信頼されていなかったということに怒りを覚えていた。悲しかったのだ。おこがましいのかもしれないが、自分をもっと頼って欲しかった。それが今まで冷たい態度を取っていた理由である。

 しかし花魁はそれでも声のトーンそのままにこう言い切った。


「別に平戸くんが転校してきたからってわたしに直接被害があるわけでもないし、相談する必要も無いと思ったまでさ。君が心配する必要はない」

「相談する必要も無いって……。何言ってんだよ! 心配するに決まってんじゃんかよ! 花魁ちゃんはアイツのせいで……っ!」

「わたしはぁ!!」


 うさぎの今にも胸ぐらを掴みそうな勢いでの発言に対抗するように花魁は声を大にした。


「わたしは、彼になんの影響も受けていないし被害も受けていない。平戸くんのことを悪く言うのはやめなさい」


 口調は穏やかで諭すようなのにその声音は震え、ギュッと恐怖に抗うように自身の腕を握っている。その痛々しい様に、うさぎは耐え切れず唇を噛み締めながら何度も何度も呼んできた幼馴染の名を口にする。怖いのなら自分を頼ってくれ、大人だからって強く在ろうとしなくていいから、もう充分アタシにとってはカッコいい大人だからと。そんな感情を込めて。


「花魁ちゃん……っ!」

「ごめんうさぎちゃん。今日はもう、出てって……」

「……わかった」


 花魁の震える声と昔のような優しげな口調にうさぎはこれ以上言い返すことは出来ず、そもそもする気も無くなってしまった。ソファでスヤスヤと眠る娘を抱き、静かに校長室を後にする。

 二人が出会ってから実に十八年、これが初めてのちゃんとした仲違いだった。




【Vol.4終わり】

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