こぼれ話

『ジムるという謎の動詞』

 一番合戦いちまかせうわなりは毎日のようにジムっている(ジムで身体を動かすことを意味する)。今でこそ脳筋のマジバカと扱われているが、実は彼がジムるようになったのは部活を引退してからなのだ。三年で引退し、留年になり再度部活に入部出来るかと思いきや留年生は部活禁止という校則で入部出来ず、身体は鈍るばかり。

 留年しているのだから暇なら勉強すればいいのだが、彼にその理屈は通らず身体を動かしたくてたまらなくなった。そこで初めてジムに足を踏み入れたのだ。

 結果として嫐は一週間の体験で入ったそのジムの会員となることになった。完全に筋トレの虜になったのである。

 だが嫐だけが筋トレマニアのジム通い野郎ではない。マニアとまではいかなくても、週三でジムに通う春夏秋冬ひととせ朱々しゅしゅのことを忘れてはいけないだろう。彼女が部活に所属していないながらも体力測定学年一位をキープしているのには、ジムでのトレーニングと自宅で行う自主トレのおかげなのだ。

 嫐のことを脳筋バカと罵ってはいるが、かなりジムという存在にお世話になっており、中学入学と同時にジムに通い始め、現在高校二年生になるまでトレーニングに励んできた。そもそもの目的は体力と肉体美の維持だったのだが、実は結構筋トレが好きな節が無くもない。

 そして現在朱々は、バタフライマシンで形の良いバストを維持するためのトレーニングを行なっている最中。体育祭前に体を引き締めておかねばと、ここ最近はよりハードなメニューをこなすようにしている。


「おーい、春夏秋冬ー!」

「……え?」


 朱々はここで聞こえるはずのない声が自分の耳に届き、困惑の表情を浮かべたまま動きを止めてしまった。声のした方向に首を向けると、そこにはトレーニングウェア姿の見知った顔がひとつ。二メートル級巨人がのしのしと朱々に向かって来ていた。


「よぉ春夏秋冬! お前このジム通ってたのか!」

「はあ……そうですけど。一番合戦先輩はなんでここに? 隣町のジムって言ってませんでしたっけ?」


 朱々は突如として現れた嫐に訝しげな目を向けるが、嫐はそんな視線を気にも留めずデカい声で訳を話す。


「それがさー、そこ経営難とかなんとか言って潰れちまったんだよー」

「あー、そうなんですね」


 訊いた割に興味無さげな、と言うか実際興味が無いので素っ気ない相槌を打つ朱々。


「今日はここに体験で来てみたんだけど、まさか春夏秋冬の通ってるジムだったとはな! 奇跡ってあるんだな!」

「そうですね、偶然ってあるんですね」


 嫐ごときと会っただけで奇跡にしたくはない朱々は、偶然の部分を強調して頷く。そしてまたトレーニングを再開した。それを見て嫐はまたデカい声をあげる。きっと彼は声のボリューム調節が出来ないのだろう。


「おっ、すげぇな! 女の子で二十五キロってかなり重いんじゃねぇの!?」

「まぁ、始めた当初は五、六キロでしたけど、これでも私ここに四年通ってるんで。徐々に上げていった感じですよ」

「あ、やっぱ徐々にかー。最初十キロくらいでキツいってなってたのが今はその二倍でキツいってなってるって考えたらすごい成長だよな! オレもその口でさー、筋トレって成長が直に感じられるのが良いよな」

「……」


 すればするだけ、やればやるだけ出来るようになる重量、回数が増えていき、努力した分しっかりと自分に返ってきてくれる。

 そこが筋トレの魅力であり、自分が好きになってしまった由縁だと朱々は思っていた。だから嫐の意見が自分と全く一緒だったのが少し癪で黙り込んでしまった。

 嫐は朱々が筋トレに集中しているから反応しなかったと判断したのか、隣のアブクランチに座って自分もトレーニングを始めた。


「……」

「……」

「……春夏秋冬ってさ」


 お互いトレーニングに集中することで生まれた静寂を破るように、嫐は小さく口を開く。


「なんですか?」

穢谷けがれやのこと好きなの?」

「はぁ!?」


 朱々はマシンを動かす手を止め、コイツはいきなり何を言い出したんだと言わんばかりの顔で嫐を睨む。すると嫐はキョトンとした表情をし、こんなことを発言した。


「いやなんかさ、かなり前に穢谷と夫婦島めおとじまと一緒に話してたんだけどよ」

「はい……」

「穢谷がな、春夏秋冬がどうして自分に引かれたくなかったのかわかんないって言って、夫婦島がそれは春夏秋冬が穢谷のこと好きだから引かれたくなかったんだって話になってなー。ホントのとこどうなんだろと思って聞いたんだ」

「引かれたくない……夏合宿の時か」


 諏訪と穢谷をそこそこの仲にするべく奮闘していた朱々は、その時に練った策があまりにもゲス過ぎて穢谷に引かれないか心配になった。

 だけど何故心配になってしまったのか、その答えを朱々は考えたくなく、今まで出さずにそのままにしていた。もしその答えを出してしまったら、自分はきっと彼に負けたも同然だから。

 嫐はジッと虚空を見つめ思考を巡らす朱々に言う。


「穢谷普通にカッケェしさ、プレゼントまでしてくれる超いいオトコじゃん? 告白しても誰ひとりとしてオッケーもらったことないと言われるあの春夏秋冬朱々がついにひとりの男に惚れちまったんじゃないかって気になってよ〜!」

「あり得ませんよ、そんなこと……」


 蚊の鳴くような声で朱々は呟いた。それは嫐に向けて言った言葉と言うよりも、自分に言い聞かせるための言葉と言った方がいいだろう。


「ホントか〜? 最初の頃はめっちゃ喧嘩してたのに、今となっちゃスッゲェ普通に喋るようになってんじゃん」

「それは別に、私だっていつまでもいがみ合うほど子供じゃないですし……とにかく! 私は穢谷のことは別になんとも思ってないです!」


 朱々はニヤつく嫐に向かってはっきりとそう断言した。

 穢谷のことなど、好きではない。断じてそんなわけがない。

 自分は空気を操り、自分の感情と他人の感情すらもコントロール出来るのだと自信を持って言うことができる。だから誰のことも好きにはならないのだと信じていた、この頃までは……。

 恋心はどこかで一気に燃え上がるものだけではない。少しずつ少しずつ、長い時間をかけて燃えるものだってある。そしてそういう恋心は自分で気付かないうちに膨れ上がり、ふと気付いた時には抑え込むことのできないほど大きなものになってしまっているものなのだ。

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