No.9『私の腹は真っ黒々に焦げている』

 穢谷けがれやとの会合を終え、私たちはカフェを出た。確かに穢谷の言う通りとてもオシャレなカフェだった。此処ここが行ってみたいって言ってたから何となくここを選んだんだけど、なかなかいい店を見つけた。

 穢谷は休日まで自転車で移動なんてことはしないようで、私と同じく駅へと歩みを進める。私とコイツは帰る地区方面がほぼ一緒、と言うか穢谷宅がどこにあるかはっきりとはわからないけど、多分私の家から歩いていけるくらいの距離にはあると思う。

 そんなことを考えていると、はっきりとした穢谷の家の場所がどの辺か気になってきた。何故か若干私の後方を歩く穢谷を振り返ろうとした瞬間……。


「キャッ!?」

「へ……?」

「は!?」


 いやいや何なの穢谷その顔。その驚き顔は私のものでしょ。

 やけに後ろを歩くなと思っていたら、穢谷は突然振り返った私にシリコン製のゴキブリオモチャを投げてきたのだ。私は普通に悲鳴を上げて驚いてしまった。なのに穢谷ときたら私が驚くのが不思議みたいな顔でキョトンとしてる。


「何のつもりよ……っ!!」

「あ、いやお前が虫嫌いっての設定じゃなかったのか……」

「はぁ? なに設定って、私普通に虫嫌いだし! 大体虫好きって言う女子の方が少ないでしょうが!」

「た、確かにそうだな……」


 何故か納得いかないみたいな感じで首を捻る穢谷。どこから私が虫嫌いっての聞いてきたのか知らないけど、私に弱点が無いとでも思ってるのかなコイツ。私だって得手不得手ぐらいあるわけで。


「あんた、誰から私が虫苦手なの聞いたの?」

「こないだお前がヒロイン役に決まった時、諏訪すわがお前のこと完璧だってベタ褒めした後に聖柄ひじりづかが『虫以外はね』って言ってたのを聞いた」

「それ、聞いたんじゃなくて盗み聞いたのよね」

「違ぇよ聞こえてきたんだよ。お前らの声バカみたいにうるせぇから」


 私が気になった点について問うと、穢谷は真顔でそう返してきた。私たちそんなにうるさくしてないでしょ、諏訪以外は。


「まぁ、苦手って言ったら虫もそうなんだけど……私にとっての一番の苦手は父さんかな」

「……親父さんと仲悪いのか?」

「仲悪くはないわよ。私にとってたったひとりの家族だし。でも、なんかちょっとね、私のこと見てくれてないのよね」

「ふーん、そ」


 穢谷はそう素っ気なく相槌を打ち、前を向いた。その目は眠たそうでいて何かを思案するような、どこか遠い目をしている。心がこっちの世界に無い感じと言うか、心ここに在らずみたいなそんな顔。

 私は穢谷のこの表情が実は結構好きだったりする。これまでの傾向から、大体この目をした時穢谷は何かを考え込んでいることが多い。何を考えて思案して思考を巡らしているのかはわからないけど、不思議と様になっているのだ。

 人それぞれに似合う服装、髪型があるように、人それぞれ似合う表情もある。その人が一番キマっている状態の顔が。穢谷の場合がこの心ここに在らずフェイスなのだ。きっと誰もがこの穢谷の表情を見ればカッコ良いと言うはず。

 と言うか穢谷はちゃんとキメればしっかりカッコ良くなると思うんだけどなぁ……。

 ……私は一体何を考えているんだ。一瞬頭の中で穢谷に洋服を着せ替えてしまった自分が悔しい。


「ていうか、親戚とかいねぇの?」

「父さん側の親戚には会ったことない。母さん側は、まぁちょっと疎遠って言うかね……」

「……なんで?」


 聞いていいのかわからないけど聞いてみよ的な間があった。ホント、空気は絶対読まないとか言うクセにすっごい人の顔色見てるんだよね。

 私は別に聞かれて困るようなことでもないので、さらっと大した内容じゃないように答える。


「母さんがモデルやるってなったのが十五歳で、それから一年後の十六歳で母さんはモデルとして食べていくって家族に宣言したらしいんだけど……」

「まぁ普通に反対されるだろうな」

「そ。それで結局母さんは家飛び出してその時のマネージャーだった父さんとこに居候したらしいの」

「ほーん、なるほど」


 母さん側の親族には母さんの葬式でしか会ったことがない。と言っても大して記憶には残っていないけど。それにその時の私は初めて会う親戚なんかよりビビッとくるものがあったから仕方ない。

 あの日あの時あの場所で、私は母さんのような、母さんを超える人気者になろうと心に決めたのだ。今思えばそれが無ければ今の私は確実に無い。アレがあっての今の私の地位だから。


「ま、今さら親戚に会ったところでって感じだから別に良いんだけどね。それに昔からひとりだけこっそり私に会いに来てくれてる人もいるし」

「こっそりって……何なの、会ってることバレたら懲罰でもあんの?」

「そういうことじゃないけど、あんまり私母さん側の人たちに好かれてないからさ。会いに来てくれるのは嬉しいんだけど、私の方がバレないかヒヤヒヤしちゃうのよね」

「会いに来る人って、誰なの?」

「続柄で言うなら従叔母いとこおばかな」

「家系図のどこだよそれ……」


 聞き馴染みの無い続柄名称に穢谷は眉をひそめた。私も彼女と私はどんな関係性にあるのか知りたくて調べて初めて知ったんだけど。ちなみにあっち側から見た私は従姪いとこめいとなるそうだ。


「ようは私の母さんの従妹いとこよ」

「あー、なるほど。だから従叔母って言うのか」

「うん。無駄雑学知識ピカイチの穢谷でも知らないことあるのね」

「俺はおじさんおばさんもいないんでね。親父もお袋も一人っ子だから」

「ふーん、そうなの。じゃいとこもいないわけか。そう言えば穢谷、穢谷ママさんと顔結構似てたわよね」


 穢谷の“親父”と“お袋”という発言でふと思い出した。体育祭で一二つまびらを探している時に穢谷ママと初めて会ったけど、笑っちゃうほどに顔がそっくりだった。正直かなり美人だったから、穢谷の性別が男じゃなかったらきっと相当美女だったと思う。女性として似合う顔をしているが、残念なことに穢谷は男なので中途半端なイケメンと化してしまっているんだろう。


「だろー。中途半端なイケメンに産んでくれたお袋に感謝だわ」

「お父さんとは似てないの?」

「俺のお袋、元ゴリゴリのギャルで陽キャだったんだよ」

「え、話聞いてた? 私の質問と穢谷の答えが噛み合ってないんだけど」

「だから今の俺を見ての通り、陽キャのお袋の性格は受け継いでねぇの。お袋から受け継いだのは顔だけで中身は完全に親父似なんだよ、多分」

「ふーん、そうなんだ」


 私は小さく数回首を縦に動かし、駅の方向を向く。穢谷も自分から何かを多く語る性格ではないので、私が口を結ぶと静かに足を動かし始める。

 二人並んでこうして歩く。休日に二人きりで会って、そして二人で自宅への帰路を辿る。

 よくよく考えてみなくてもわかる。少し前ならあり得ないことだった。私は確実に穢谷に対しての気持ちが変化している。言い換えれば彼への嫌悪的な気持ちが薄れているのだ。


「私もだけどさ……」

「うん?」

「穢谷も変わったよね」

「なにが?」


 成績ドチャクソ悪いクセに、変に頭良い穢谷のことだ。きっとその答えをわかった上であえて私に問うてきている。

 だから私ははっきりと、そのを口にしてやった。


「私はあんたへの、あんたは私への接し方よ。お互いにお互いへの気持ちが変わってるでしょ?」

「……俺はお前のことが嫌いだった。猛烈に、ワンチャンあれば刺してたくらいに」

「でも、なんでしょ?」

「あぁ。悔しいけど、お前が人気を集めようとする理由を教えてもらった時は春夏秋冬朱々って人間がカッコいいとさえ思ったよ」

「へぇー、そっか。カッコいいか〜……」


 穢谷の嘘のないであろう言葉に、私は自然と口角が上がってしまう。それを隠すように穢谷のいる方とは別の方に顔を向けた。

 どうしてカッコいいって思われたのかわかんないけど、穢谷にそう思わせることができたのは何だか気分が良い。それでいて少し面映ゆい。そんなこと言ってこないような人間からそんなことを言われるのが一番心に響くものだ。


「お前はどうなんだよ。俺に対して今と昔で変わったとこあんだろ?」


 俺は喋ったんだから当然お前も喋れよみたいな意味合いを含ませた口調で穢谷は私に問う。


「うーん……なんて言うんだろ。めちゃくちゃ悪いヤツじゃないなーって、クズだけどただのクズじゃないんだなーって感じかな」

「それ褒められてる?」

「褒めてるはず。一学期からあんたをしっかり観る機会が増えて思ったの。意外と私と感性似てるとこもあって、頼りになる時はちゃんと頼りになってくれて……私も、正直カッコいいって思うことが多いかな」

「おぉ、そうか……」


 穢谷も私と同じで気恥ずかしくなったのか、外方そっぽを向いた。

 そんな穢谷を見て私はニヤリと笑みを浮かべる。その笑みは私と同じことをした穢谷が可笑しくて。ではなく、私の思い通りに穢谷を動かすことが出来たという喜びからである。

 私は穢谷をカッコいいと感じたことは多いと言ったけれど、本当のことを言えばそうでもない。何度か思ったことは認める。でも多くは思っていない。

 最早無意識なのだ。こうして他人を自分が考えた通り動くようにすることが。小二の頃から場の空気を読み感じ、操ることが出来るように努力してきた。私は批判を浴びず私に注目が浴びるように空気を作ってきた。

 私はもう意識せずとも空気を作ろうとしてしまうようになっているのだ。自分に都合が良くなるよう空気を操り、他人の大雑把な気持ちも変える。

 その行為が真人間のすることではないことはわかっている。でもそれに気付いた頃には時既に遅し。

 今の私は形成され切っていた。もうどうしようもない。穢谷に対して少し気持ちの変化があったから、もしかすればこの形成され切った私も変わることが出来るかもしれないと、そう思うこともあったけど、穢谷にそれを期待した私が馬鹿だった。彼に過度な期待を寄せた私が間違いだった。

 要するに、私の腹は真っ黒々に焦げきっているのだ。ここからこれ以上黒くすることも、逆に白くすることも出来ない。

 だから私は焼き切った自分に白い塗料を塗る。そうして見えるところだけを取り繕うのである。

 母さんのような天性の人気者気質を持ち合わせていないのなら、私は頭を使って、どんな手を使ってでも人気者気質を持っている自分を作る。

 これを私は、この命が尽きる時まで続けていくつもりだ。


「……」


 ふと、自分の左手首に巻いているシュシュが私の視線に入った。

 違う……これは絶対に違う。違うはずなのに、どうしてこんなに嬉しい気持ちでいっぱいになるのかわからない。わかりたくない。わかってしまったら、私はきっと今の私を失ってしまうから。

 私は違うと信じたい一心でそっとシュシュから目を離し、歩くスピードを早めた。

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