No.23『演繹法と帰納法』
「おーい不機嫌顔」
「あ? 喧嘩売ってる?」
「売ってねぇよ。最早喧嘩したいだろお前」
ちょっとふざけて呼んだだけでその発想は喧嘩っ早いの域超えてますよね。
「にしてもお前、ずっと不機嫌な顔してたじゃねぇか。なに浴衣の着付けの時点で疲れたん?」
「なわけないでしょ。店の人が全部やってくれるんだから」
「んじゃ全然夏祭りが楽しくないのか」
「そんなこと……ない」
少しだけ違和感の残る間があった。
「じゃあ……やっぱりその足か?」
「……あんた、わかってて一回聞いたわね」
春夏秋冬がギロっと鋭い眼光で睨みつけてきた。お察しの通りわかってたみたいなところはありましたけども。
「この通り、サイズミスが思いの外響いちゃったのよ」
「うぉっ、お前思ったよりもひでぇな」
春夏秋冬が椅子に座ったままポイっと下駄を脱ぎ捨て、足だけ俺に見せる。そのちょっと乱雑な動作さえも、古風で和風故にお淑やかなイメージを持たせる浴衣を着ていると言うのに、春夏秋冬は様になっているから不思議だ。
春夏秋冬の足は、靴擦れならぬ下駄の鼻緒擦れ状態。下駄が自分の足のサイズより小さ過ぎたせいで、歩く度に鼻緒の部分と皮膚が擦れ合ってしまい、赤く血が滲んでいる。しかも不運なことに両足とも。
「これが原因でずっとしかめっ面だったのか」
「……私、そんなに怖い顔してた?」
「いやまぁ怖い顔はいつだってそうなんだけど」
「は? 可愛い顔してるでしょうが」
「相変わらずのナチュラルボーンナルシストっすねー」
事実ですよ、えぇ。可愛い顔してるのは間違いないんですけどね。それをなんで自分から言っちゃうかなぁ。
「確かに足痛かったからちょっと顔怖かったかもしれないけど、別に不機嫌な訳じゃないわ。楽しんでるかって聞かれたら、痛みのせいでそうでもないんだけど。……でもなんで穢谷が私が不機嫌顔してること気にしてんのよ?」
「あぁいや、俺じゃなくて一二が『朱々ちゃん楽しんでないみたいです~』って言ってたから」
「え、めちゃめちゃ一二のモノマネ似てんじゃん……」
夫婦島に続いてどうしてそんな引き気味なの? 俺が一二のモノマネ似てたらダメなの?
「でもまぁ足が痛いせいだったんなら、俺一二にそう言ってくるわ。アイツお前が楽しんでないんじゃないかっていきなり泣いてきたんだぞ」
「ちょ、ちょっと待って!」
「……なに?」
俺が下に降りるべく階段の手すりに手を置いたところで、春夏秋冬は慌てたように俺を呼び止めた。
「一二には、私が足痛くて楽しめてないってこと言わないでほしい」
「なんで」
「ファミレスであんたら待ってる時、夏休みはずっとバイト漬けだったって言ってたの。だからこの夏祭りが唯一あの子にとって普通の高校生になれる時間のはずなのよ。私が夏祭り楽しんでないって言って、一二の楽しい気持ちを落ち込ませたくない」
「一二、お前は本当は行きたくなかったのに無理に誘ってしまったんじゃないかって心配してたし、楽しい気持ちは既に無いようなもんだと思うんだけど?」
「嘘でも何でも吐けばいいじゃない」
さらっと、さも当然だろみたいにそんなことを口走る春夏秋冬。
「そこまでして一二に楽しんでないと思われたくないのかよ」
「そうじゃなくて……いやそうなのかもしれないけどとにかく、一二には言わないで」
「頑なだな」
「自分でも何でこんなに言われたくないのかわかんない。でも、あんたが一二に伝えたら少なからず一二は負い目を感じるでしょ。それは、ちょっと嫌なのよ」
俯き、徐々に語尾が小さくなる。春夏秋冬が嘘を吐いてまで一二に楽しんでもらいたいと考えているなんて思いもしなかった。そもそもこの二人のこと仲悪いもんだと勝手に思い込んでた。
春夏秋冬も何だかんだ言いつつ、後輩を大切にしているということなのだろうか。あの春夏秋冬が? そんなことあり得るのか? いや、待て待て。ついこないだも夫婦島に言われたんだった。俺は春夏秋冬の考え方に偏見を持ち過ぎていると。うん、合宿ン時みたいにしっかり考えてみよう。
俺の中で春夏秋冬は腹黒で常に裏がある女というイメージが固定されているせいで、春夏秋冬が他人を想うことが意外に思えてしまうが、よくよく考えてみれば何ら不思議なことではないのである。春夏秋冬だって一人間であり、一女性。一学期に祟への思い入れが強いことに違和感を持ってしまったこともあったが、今回もそれと同じで一二にもそれなりの思い入れが存在しているのだろう。言ってみれば春夏秋冬だって表裏関係なく人付き合いすることがあるってことだ。
特に俺たちの出会いは表裏が関係無いと言うか既に無い状態だった。普段の春夏秋冬は猫被って表モード(吉岡〇帆似)だけれど、俺たちと接する時は裏モード(新垣〇衣似)、つまるところ……多分そっちが春夏秋冬の素であるはず。素の状態で接することが出来る人間の方が、付き合いやすいのは人間の当然の心理だ。
よって春夏秋冬が一二に落ち込んでほしくないという感情を持つことは、何もおかしいことではない。
「穢谷、何ブツブツ言ってんのよ」
「え、あぁ……ちょっと考え事してた」
「そう……」
流れる沈黙。下に降りるタイミングを失ってしまった俺は、立っているのも疲れるので春夏秋冬の真正面に丸テーブルを挟んで座った。
「……まさか、あんたと夏祭りに来る日が来るなんて思ってもみなかったわ」
唐突に春夏秋冬が腕を組んだまま、テーブルを見つめながら言った。
「まぁ、それは俺も同じ意見だな。てかアイツらとどっかに出かけてるって事実が今でも信じられねぇ」
「アイツらって、下のみんな?」
「あぁ……一学期に想像できたか? アイツらと夏祭りに行くことになるなんて」
「想像出来なかったでしょうね。私が一二に落ち込んでほしくないって思ってるってことに、自分で驚いちゃったもん」
やはり春夏秋冬も自分自身に違和感を覚えていたようだ。度々接しているうちに情が移ってしまった。そのことに自分で気付いていなかったのだろう。一二も人の顔色を窺うのは上手いようだが、その何百倍も上手い春夏秋冬が、自分の感情を読み取ることが出来ていなかったというのも不思議な話だが。
「俺たちって、仲良いの?」
「なにそれ。ふふっ、そんな質問初めてされた」
クスクスと可笑しそうに目を細める春夏秋冬。可愛い通り越して美しいなぁコイツ……ビジュアルが。
「でもそうね。アイツらと一緒に行動して、全然気を使わずにいられるのなら仲良いのかもよ?」
「気ぃ使わないか……。その気って何か説明出来るか、春夏秋冬」
「気を使うの『気』って意味なら、私が思うにそれは他人への配慮ね」
「配慮……」
「うん。その人と自然体で会話したり、行動したり。一緒にいて自分が疲れない相手じゃないと確実に仲が良いとは言えないでしょ? 逆に言えば、仲が良くなければその人に対して会話を切り出す、繋げる、そして広げるってことを意識的にしなくちゃならないのよ。それが気を使う、配慮するってことだと私は思ってるわ。その配慮が要らない他人とは仲が良いって言っても良いんじゃない?」
仲が良くなければその人と無理に会話しようとする努力が必要になる。それでは自分は自然体になることが出来ず、気が休まらないということか。確かに気が休まらない相手とずっといるようなアホはいない。自分の性格と合った、それこそ仲の良い他人とつるむ。
では俺はアイツらに何ひとつ配慮せず、一緒に行動出来ているのだろうか。気は使ってない。これは確実だ。使うようなヤツらだと俺は思っていない(月見さんは怖いから例外)。気を使ってないということはつまり、春夏秋冬の言う配慮の要らない存在、仲が良いということになるのだ。だけど――。
「――それだけで仲が良いって言えんのか?」
「え? それだけって、配慮が要らないだけでって意味?」
「あぁ。配慮しない、気を使わない関係性なだけで仲が良いって言えるとは思えないんだよ」
「その心は?」
「気を使わないでもいい相手だったとしても、自分または相手が仲良くないと思ってたらそれは仲良くないことになるだろ。例えばそうだな……タメ口利いても怒らない若いダメ新人教師がいたとして、生徒はタメ口利いてる時点で教師と生徒って目上目下の関係を弁えてない。つまり配慮してねぇ。だからってこの教師と生徒は仲が良いとは言えないだろ。教師の方は怒らない、怒れないだけで、実際は生徒をウザがってるかもしれねぇし。生徒は生徒でただその教師をナメてるだけだ。だから結局、他人との仲ってもんは双方が仲が良いって思っていないといけないんじゃないかって思うんだけど」
俺は長々と例え話を交えて意見を述べた。よくもまぁ噛まずに全部言い切ったな俺。誰か褒めてくれ。
「穢谷って……考え方が
春夏秋冬は少しニヤついた表情をしながら俺の顔を真っ直ぐ見つめて言った。その顔でこっち見ないでくれ、お前が裏モードの状態でニヤっとするとすっげぇ嗜虐的でMに目覚めそうになっちゃうから。
まぁそれはさておき、俺の初めて聞く言葉が春夏秋冬の口から飛び出した。
「えんえきほうときのうほう?」
「デカルトの演繹法とベーコンの帰納法よ。現社の授業でやったじゃん」
「……そうなん?」
「はぁ……相変わらず無駄知識保有量多いだけで、授業でやるような常識は知らないのね」
春夏秋冬は呆れたようにため息を吐く。全然知らんなぁ、デカルコマニーなら知ってるんだけど。
「帰納法は経験論、簡単に言えば色んな事柄から論理的に思考して結論を導き出す考え方のこと。で演繹法は帰納法の逆。こっちは合理論って言って、誰でも知ってるような常識的なことを前提にその当然や必然を疑い、事実かどうかの確認、実験をして結論を導く考え方のことよ」
「ふーん?」
「全然わかってないわねあんた」
「そーだな。途中から理解する気失せた。とにかく俺はその二つの結論の導き方をプラスしてやってるって言いたいんだろ?」
「うん、そうそう。無駄知識に加えて誰でも知ってる一般論、人がこういう状況ならこういう考え方をするだろうなっていう想像力。穢谷の結論の出し方はそういう色々なもの使ってるでしょ?」
「多分、そうなのかな?」
自分じゃよくわからんけど、俺とは雲泥の差ほど頭良い春夏秋冬の言うことだ。きっとそうなんだろう。
「穢谷のそのウザいぐらい理性的な感じ、私嫌いじゃないわね」
「……さいですか。そりゃどうも」
刹那、海上から打ち上がる一発の花火。気付けばもう花火の打ち上げ開始時刻だ。下の方から『わぁ』っという歓声も聞こえてきた。
「んじゃ、一二に訳話すのは自分でやってくれ。俺より嘘吐くの上手いだろ?」
「当たり前でしょー? 私を誰だと思ってんのよ。あんたが何しても勝てない学校一の人気者よ?」
「はっ。いつか泣き顔晒してやるから覚悟しとけ」
「はいはい。覚悟しときまーす」
俺は立ち上がり、階段を降りるべく今度こそ手すりに手をかけた。そこでふと後ろを振り返ると、やはり足の擦り傷が痛むのか、両足を庇うように小幅で歩く春夏秋冬が見えた。
そんな春夏秋冬に、俺は――。
「おい……」
「……ん。ありがと」
スッと差し出した俺の掌に、春夏秋冬はそっと自分の掌を重ねてくれた。
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