『ホライゾン』と『クロニクル』の発生について(前編)

「今回の話は、ホライゾンやクロニクルの話が何処から生まれたのか。どういう経緯や時期に発生したのか。そこらへん深掘りしてみようと、そんな話ですね」


「よく考えたら、いろいろ作品について話をしてきましたけど、ここらへん一切触れてなかった気がしますね」


「うん。誰も興味無いものね」


「そういう落とし方をしない……!」


「ともあれホントにどんなスタートだったんです?」


「先行したのはホライゾンで、しかし先に出来上がったのはクロニクルで、でも設定が先に方向づいたのはホライゾン?」


「また訳の解らないことを言い出しましたが、とりあえず供述を聞きましょう」


「いや、物語って、こういう流れをもって作られるじゃない?」



・発案

・書き出し

・完成


「アー、そうですね。発案はつまり企画段階とか”構想●●年”のソレというか」


「そうそう。それでね? 小学校から中学校上がったあたりの馬鹿って、書き方とかもよく解ってないから、こういうことになる訳よ」



・発案

・書き出し

・発案見直し

・書き出し

※上記延々とループ

・完成? すんの?


「アイッタタタタタタ! 過去の開けてはならないトビラにアクセスしてる感ありますね!」


「プロでもいるものねえ、こういうの」


「ハイハイ危険な発言をしない……!」


「でもまあ、このループが確実にある訳だけど、どの段階で”発案が大体出来た”になるのかが、ちょっと不明なのよね」


「ストレートな発案としては、どうなるんです?」


「ホライゾンの場合、それこそ小学校の時に作ったボードRPG」


「そうなんですか!?」


「うん。だって世界観引き継ぎだもの。ストーリーだってボードRPGの”目的”が形を変え続けて来た訳だし」


「アー、つまりボードRPGの”ラスボスを倒す”みたいなものが、回を重ねるごとにいろいろ増えていって今の形になったと」


「ずーっと同じ世界観で、そういう”一応の物語がある”が根底にあった感じよね。

 だからホライゾンの物語が何処で発生したかというと、スタートは間違い無く小学校のソレで、ゼロイチで語るなら、ゼロからイチになったのはそこなのよね」


「とはいえ私が作っていたボードRPGもだけど、当時のゲームって基本的にストーリーってものが明示されてないのよ」


「そうなんですか? 結構、物語はあったと思いますが」


「いや、基本的にはオープニングとエンディングで明示があって、その間にはフラグと情報による位置誘導があっただけなの」


「フラグと情報による位置誘導?」


「ほら、アレよ」



・町に住んでる人が「東には●●の町が有る」と教えてくれる。

・外に出るとグラフィックで東への道が描かれている。

・東に進むに連れて敵が強くなる。

・町には武器が売っている。


「アー、何となく解ります」


「そう。

 オープニングからエンディングまで、主人公は”物語的に移動しなければならない”んだけど、その進行を解りやすくするために当時のゲームの多くは”位置を移動していく”のね。

 初めは緩い地域にいて、どんどん過酷な地域へと移動していく、という。

 つまり過酷をクリアさせていくことで”冒険させる”訳」


「でも、プレイヤーが自ら移動するか解らないから”誘導”する訳ですね」


「そう。

 だから実は物語はオープニングとエンディングでしか明示されて無いの。

 情報を集めて行くと、次に行く場所が解って、それを叶えるための手段も解る。

 だからその通りにしていく。

 するとプレイヤーは矛盾した錯覚をするのね」


「矛盾した錯覚?」


「ええ。プレイヤーは物語を明示されておらず、だからこそ情報から推測し、解決策を見いだすじゃない?

 で、このとき、成功体験をすることになるの」


「アー、……この解答は自分だけが見つけたぞ、というような」


「そうそう。そしてプレイヤーは、誘導されて作った自分の成功体験の連続を”ゲームの物語”だと錯覚するのね」


「つまり、――”自分の成功体験によって生まれたナラティブ”が”ゲームのもの”だという矛盾ですね?」


「そう。ゲームは物語を”オープニングとエンディングでしか語っていない”のよ。

 でも何故かプレイヤーはゲーム中にこそ物語を感じてしまう」


「不思議な錯覚ですね……」


「80年代にRPGなどが出てくると、この錯覚現象は注目されるようになって、パソコン雑誌などで語られるようになったわ」


「個人的観測です」


「そうね。そこで出て来た言葉が”インタラクティブ性”。

 つまりゲームには、他の媒体と違って、インターフェースを介して”媒体と影響を与え合う”ことが可能で、これによって”新しい形の物語が発生している”とされたのね」


「大きく出ましたね!」


「ええ。実際には将棋とかでもこういうのって発生していたと思うんだけど、”物語”として認識されるナラティブが、この段階でほぼ誰にでも認識出来るようになったんだと思うのね」


「でもね? ゲームのこういう”誘導”って、実は物語としては致命的なものを含んでいるの」


「どういうことです?」


「ほら、”位置の誘導”をするために、敵の配置や、それを倒すための武器とかをゲーム側で用意しているじゃない?」


「ええ、そうですね」


「だから、ほら、物語としてはあり得ない、こういうことが中盤あたりから発生し始めるのよ」



・次の町に移ったとき、まず一番高価な武器を買い求める


「アー……」


「現実として考えた場合、障害が確信出来なければそういう”強化”はしないわよね? でもゲームの場合、多くは現実的な自由度が低いから”攻略パターン”が生じるわ。

 ゆえにプレイヤーは”物語”というものの存在を無視して、予知したかのように強化などを行う訳」


「こういうの、RPGに限らず、いろいろなゲームで発生しますね……」


「そうね。そのゲームにおける恒常的な攻略法とか、こういうことを生みやすいわ。

 だからゲームの”物語”というのは、ナラティブに任せてる一方で、だからこそ制御が出来ない部分もあるの。

 そういう意味ではゲームの物語は他媒体と比べて無敵や万能という訳ではないのよね」


「何となくここで気付いた事があります」


「何かしら」


「川上作品が、基本、”作者が語らない”で、状況とか言動とかによって読者を誘導していくのって」


「そりゃあ私が”ゲームのシナリオの作り方”からスタートしてるからよ」


「アー……」


「ここでようやく話が戻ってくるんだけどね? つまり当時の、まだ言葉の少ないゲームに”インタラクティブによるナラティブ”があることに気付いた衆は、つまり物語とは作家が語らなくても作れる。いや、寧ろ読者によって作られるものだと植え付けられてるの」


「主語の大きさは個人的感覚によるものです」


「ちなみにここらの”ゲームから生まれる新しい何か”みたいな熱や勢いを知りたい場合、以下の本を参照ね」




・電子小説批評序説(ビー・エヌ・エヌ)

・神話製作機械論(ビー・エヌ・エヌ)

・幻夢年代記(ビジネスアスキー)

・コンピュータデザイン教本(ビジネスアスキー)

・電脳遊戯考(電波新聞社)


「どれもゲームレビューやクリエイターインタビューだから、今の人でも”未知のゲームのレビュー”を読む感じで行けると思うわ。

 この中だと、電子小説批評序説が、ちょっと変わってるのよね」


「どういうことです?」


「ええ。著者の畑中氏が、ゲームというものが伝える”物語”を書評的に扱えるのかという自問から始まって、幾つものゲームをプレイしていく中で、やはり初めて見るタイプの物語のあり方に戸惑ったり白熱したりしていくの」


「アー、初めてゲームしてる人を横で見ているような!」


「そうそう。

 そしてゲームレビューじゃなくて”評”なのが特殊なのよ。

 つまりゲームとして面白いかどうかではなく、そのゲームが”物語”として出来ているかという”評”な訳」


「それはかなり真剣な取り組みですね……」


「そうね。

 それで回を重ねていくと、段々とゲームにおけるストーリーテリングの善し悪しが解ってきて、後半になるとホントに”評”するの。ホント、プロの仕事として凄いわ」


「87年の本ですから、書かれてる内容的にはそれ以前となると……、86年あたりで既にゲームを、ゲームとしてではなく”物語”としての”評”が出来ていた事になりますね」


「そういうものを横で見ていたことで、”ゲームに物語がある”と知ったこともあって、何となく自分の進路みたいなものが変わっていった訳ね」


「小学校の序盤は漫画家志望で、そこからグラフィッカー志望でしたね」


「そう。でもこの当時、未来のゲームはもっとストーリーテリングになるとされていて、当然自分もそういうものを含めた”ゲームを作る人”になろうと思った訳」


「他、ストーリーを語るゲームとしては、どういうものがありました?」


「そりゃもう当然AVG。RPGがナラティブを発生させることに集中するものならば、AVGは紙芝居的に作り手側がシーンを見せていき、プレイヤーがそのシーンをクリアすることでストーリーを進行させるという、そういうものよね」


「? AVGとRPGのストーリーテリングは、何か違いがあるんですか?」


「ええ。RPGは、キャラクターの成長や位置の移動や情報集めによるフラグ管理などがあるじゃない? そしてそれらによって進行するわ。

 だけどAVGは、基本的に画面や文字から得られる情報を見て、そのシーンで必要な行動を取ることで進行していくのね。

 比較すると、こんな感じ」



・RPG

:進行=位置の移動とそれを叶えるためのフラグ管理と強化


・AVG

:進行=シーンの移動と、それを叶えるためのフラグ管理


「位置とシーンの違い、そして強化の有無ですね」


「そうね。これらの違いが何を生んでいるか、解る?」


「……所要時間の差?」


「ええ。AVGはストーリーを見せるために特化しているから、シーンの移動をさせるためには余計な時間を作らせないの。

 だから各シーンで”謎”を解いたり”フラグ”を立てたら、次のシーンにすぐ行ける訳ね」


「アー、画面のオブジェクトをタッチしてパズルするゲームとか、ああいう」


「そうそう。だからAVGの方が、ストーリーのボリュームがゲームのクリアタイムと直結するわよね」


「そうですね。でもそれが何の違いになるんです?」


「ええ。つまり、――余計な時間に価値を与えられているかどうか、ね」


「余計な時間に、価値?」


「うん。ちょっと考えて見て? AVGで謎解きをやるとするじゃ無い? とりあえずシーンが目の前にあって、謎の答えがしかし解らないとする」


「はい。解らないとします」


「うん。でも結構時間を掛けたあと、謎が解けました。ハイ」


「はい。謎が解けました」


「さてゲームの物語として考えたとき、この”謎が解けるまでに掛かった時間”は”有りor無し”かしら」


「ア――……」


「基本、ゲームの主人公は”プレイヤーよりも悩んでない”わよね。そして何か制限時間のトラップでも発動していない限り、悩んでいる間に、プレイヤー側や世界には何の変化も生じてないわ。

 要するに、多くのAVGの場合、謎に対して悩んでいる時間はゲーム内に”存在していない”のと同じことなの」


「アー……」


「一方のRPGの場合、例えば移動してるだけで敵が出て、倒せばEXPや金とか手に入るじゃない?

 ゲーム中の”時間”を考えると、こういうことになるの」



・RPG

:プレイヤーが操作している間はゲーム中の時間が経過する


・AVG

:ゲーム側が物語を見せた時と、プレイヤーが謎を解いたとき、ゲーム中の時間が経過する


「この二つは、大きな違いよね」


「……RPGの方は、システム的に”余計な時間に価値が生じる”訳ですね」


「そう。だから後にアクションアドベンチャーというジャンルが生じた時、キャラクターが移動したりアクションすることで”プレイヤーに、ゲーム中の時間を与える機会が増えた”ことになった訳。コマンドや選択し、画面クリックだけじゃなく、ちゃんとゲーム中に存在して行動出来たから」


「なお、当時からいろいろジャンルは生じていました。特に”ビジュアルシーン”などを挟むことによってストーリーを組み込んだものが多くありましたね」


「でまあ、私は、ボードRPGを作っていたこともあって、RPG側の作りに向かっていったのね」


「AVG側には行かなかったんですか?」


「AVGでは”世界”が作れないと判断したの。ほら、私は”夢幻の心臓”で”架空の世界で生活出来る”にガツンやられたから、世界を自由に移動して、ちゃんと生活出来ることが第一にあったのよ」


「アー……。確かに今のAVGでも、世界一個とか、そういうのはシステム的にそれを想定してないですね……」


「オープンワールドのAVGもあるけどね。ウォッチドッグスとかL.A.ノワールとか。でもまだ世界の広さと言うより、現場をリアルに見せるための箱庭としてのオープンワールドよね」


「そうそう。だから私の物語の基礎にあるのは、”作者語らず”で、世界から物語が発生するタイプなの。

 そして当時の”世界の作り方”はどんなものだったか、前に言ったわよね?」


「アー、アレですね。世界の連動とかそういう知識や方向性を知らないから、町とか拠点を数多く作ろうというアレ」


「解るでしょ? 町や拠点を多く作ることが、当時のRPGでは”ナラティブの発生箇所を配置する”ことだったの」


「えーと、つまり、これって……」


「ええ。私の大目的であった”世界を作る”=”町や拠点を多く配置する”は、”物語を多量に用意する”ということと同義なの。

 そしてこれは、挫折したりしつつ、しかしいろいろ勉強していくことで”設定を重ねて作り込む”ことに変化していくわけ」



「何となく、また繋がりが出て来ましたね。こんな感じですか」



・コンピュータRPGから”架空の世界”の実現化を夢見る

・物語の見せ方がRPG方式になる

・世界に町や拠点などをたくさん配置してRPG方式ストーリーを潤沢にする

・しかし挫折

・いろいろ勉強して、町や拠点の連動や、各設定を作り込んでいく


「解る? ホライゾンのストーリーがいつ発生したか解りにくいって」


「アー……! 確かに初期の頃の町の配置などは、連動など足りない部分ありましたけど”世界の発生”をゼロイチで考えたら無視出来ませんし、世界自体がストーリー(ナラティブ)を生む作り方な訳ですから、挫折以前の基礎も、挫折以後のものも、全て今に繋がるんですね!」


「ちなみに面白いことを一つ教えるわ」


「何です?」


「小学校のとき、ボードRPGが教室で馬鹿ウケして、先生に褒められたんだけど、先生から夏休みの宿題として”一個作れ”って言われて、それで和風ファンタジーのそれを作り始めたのね」


「ハイ。それで?」


「ラスボスが”織田・信長”」


「ンンンンンン!? 信長!?」


「”信長の野望”(KOEI、無印版)が面白かったのもあったけど、逆張りで対信長有りよね、って。当時だと、まだあまり有名じゃ無かったけど、それなりに資料も多かったから、秀吉とか家康をラスボスにするよりも”格好良かった”のよね」


「アー、”俺だけが知ってる”みたいな」


「そうそう。当時のことを今の人達に言っても信じられないかも知れないけど、信長ってほとんど知られてなかったのよ」


「”いや違う”みたいな意見あるかもですが、今と比べてという感で御願いします」


「信長が知られていったのって、私的には”信長の野望・全国版”(KOEI・1986)からだと思うんだけど、それでも信長人気にはソッコで火がついた訳じゃなくて、口コミ的に広がって言った感あるのよね」


「今で言う読本とか、そういうのが出て行ってから、って感じでしたね。ゲームの出来がよくて、地元大名とかを使っていたら、他の大名達を知りたくなって歴史の本や小説を手に取る、みたいな」


「だからKOEIは当時、自社で読本や攻略本出して、単にゲームとしてではなく文化としてそういったものを紹介していったのよね。

 しかし後年に”伊忍道 打倒信長”(KOEI)が出た時、かなり焦ったわー」


「コレ、ホントにホライゾンのストーリーがいつ発生したか、解らないですね……」


「しかし”挫折”したということは、挫折に至るだけのストーリーを作っていたんですよね? それはどういう流れで?」


「ええ。中学に入るあたりで、私の作っていたボードRPGは各章ごとに進むようなキャンペーン仕立てになっていたのね。だからそれを繰り返して、いろいろ世界観についてディスカッションしたり、それを取り入れてプレイしてね。

 ほら、その頃に出来たのがアレ。

 空飛ぶ東京」



「以前にも見せたことあるけど、ボードRPGの世界観を作るとき、一番近くにあった教科書が地域の”社会教科書”だったのよ。多摩地区をメインとしたもので」


「小学校ではまず日本地図ですものねー」


「そう。だからマップを作るとき、東京を参考にした訳ね。

 折しもラピュタとかの流行で浮上島が流行していたから、じゃあ東京が浮上しているようにしよう、と」


「文字通り、ブッ飛んでますね」


「そうかしら。当時はオカルト的なものも流行していて、古代文明とかそういうの結構マジに語った本とかもいろいろ出てた訳よ。更にはノストラダムスの大予言で1999/7に世界は滅びる、みたいな? そんなのもあってね。

 だからこれは凄く遠い未来で、地球は戦争で無茶苦茶になったけど、主要都市や国は浮上島となっている、って、そんな設定で」


「アー……、要するにコレが極東であり、武蔵の始まりというか」


「そういうこと。よく見ると西側に奥多摩湖あるわね……。アンタの家、多分あのあたり」


「古代の壁画見て”アンタの家アレ”って言われましても……」


「でもこの頃には、今に繋がる設定が出来てたのよね。

 ただ、住人達は人類の生活圏はこの島だけだと思っていて、だけどこの島が統一されると、雲間から日本の各圏の浮上島が出て来て、更には世界各国の浮上島もある……、みたいな」


「キッツい天丼入りますね……」


「そうそう。友人らとのボードRPGでは、キャンペーンとして東京統一までをやってね。そこから先は”じゃあ自分の方でゲームとしてまとめようか”って」


「あ、”そこ”ですね!」


「そうね。中一から中二に上がる春休み。友人の一部は部活動が忙しくなって、なかなか集まりにくくなってね。だから私の方で単独でまとめていくことになったの」


「アー、中学の、良い時期ですね」


「感じ感じ。それで同時にクロニクルも書きだしていたから、その調子でキャンペーンをベースに東京統一の物語を書こうとしたのね」


「そこで挫折ですか」


「そうね。夏休み前には”世界が解ってない!”って事に気付いて、その頃にルーンクエストと会った訳」


「中二に上がるのは88年で、ルーンクエストの日本版が88年8月ですから、無茶苦茶いいタイミングですね……!」


「ちなみにWikiだとルーンクエストの日本版は1987年から発売みたいなこと書いてあるけど、ここのところでルールブックとか見たら88年だったわ……」


「Wikiが間違ってるか、正式なルールブックではなく他のものを先行で出していたとかですかね……」


「とまあそんな感じで、ホライゾンについての発生と挫折は、そういうことね」


「……いやコレ、全く”物語の発案”として、誰の何の参考にもならないんですが……」


「いやだから誰も興味無いだろうなって、そう……」


「しかしまあ、何となく解ったのは、川上作品の基礎にあるのは物語を作家が語ることではなく、事件やキャラクターの決断によって間接的に物語が生じて行くという、ナラティブ的な物語の作り方だったんですね」


「群像劇とか知らずに、そういうものを書いていたのは、そういうことよね」


「アー、そういうのと繋がってきました。何でそんなことやってたのかって深掘りすると、RPGの断片情報と体験でストーリーが作られるアレなんですね」


「そうそう。そして物語としては、要素や設定が先に出来て行ってて、そこに友人らのキャンペーンが乗って来て、それをまとめようとして挫折。

 そこから、既存の世界の作り込みや、他の時代(クロニクルなど)の影響が入って来て今のホライゾンになっていくの」


「企画とか、時代が云々じゃなくて、超熟成なんですね」


「これは別で語ろうと思ってるけど、私にとっては、一見物語に不要な情報ほど、読者のナラティブの発生を支えるために大事なの」


「どういうことです?」


「余分な情報が無い物語の場合、読者は作者の伝える物語しか感情移入出来ないから」


「アー、つまりRPGで言う、経験値稼ぎとかしてる”余計な時間”が持てないんですね」


「そう。RPGって、ストーリーを追うのも面白いけど、でも、余計なことやってるときが一番充実してたりするじゃない? そしてそういうのが無いと、思い返したとき、物語は鮮烈かもしれないけど、体験としては貧しいのよね。

 小説なんかもそれと同じで、余計に思える情報が多ければ多いほど、読んで行く物語に対して思えることの幅が広がるの」


「ただ、それは、狙い撃ち出来ないですよね? 人によって響くのはそれぞれなので、全ての情報が全ての読者にとってナラティブを発生させる縁になるかはわかりません」


「ええ。だから手当たり次第に置いて行くのよ。人によっては”意味が無い”と思える情報も、他の人から見たらナラティブの発生装置になるの。そして――」


「そして?」


「現実の世界だってそうでしょ? 全てのものが私やアンタにとって意味があるとは言えないわ。そして私は世界を作りたいから、読者の全員では無く一部に響くものであっても、置いて行く訳。

 個人的には、こういう”誰かにとって物語となり得る無駄”がたくさんあることこそが”贅沢”だと思ってるのよね」


「成程……、という処で、コレ、前半終了ですね」


「次はクロニクルの発生だけど、コレもまたホライゾン関わってくるわよねー……」


「ま、まあそんな感じで宜しく御願い致します!」

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