作り手としてのテーマの発露と形成(前編)


「今回の話は、ホライゾンに至る作品のテーマの遷移と、各シリーズで想定していたテーマや、そのあり方……、と行こうと思ったんですが、完全に脱線してそこまでたどり着けなかったので別枠として、最初期の頃のテーマや、それに影響を与えたものとか、そんな話ですね」


「――で、何の話だっけ」


「テーマについて語ろうと思ったら案の定脱線して酷いことになったので、まあテキトーに行きましょう。ちなみに前編です」


「ホントに流れの決まってないコラムだわ……」


「まあ別枠ということで、都市~ホライゾンにおけるテーマの変遷じゃ無くて、それ以前のテーマや、そこに影響を与えたものとか、そんな感じで」


「アー、小学校くらいの処まで行くアレね。了解」


「初期における自分のテーマって何よ、と、そういう話ね」


「どんな感じだったんです?」


「ぶっちゃけ、初期も初期の最初期である小学校や中学校の時って”俺だけが作れるものを作ってやろう”よね」


「そんなに自覚的だったんですか?」


「オリジナルってものに凄く自覚的だったってのはあるわ」


「どういう?」


「私、小学校の時、子供の落書きレベルだけど自分の絵で”動いてる人間”とか描けたから、当時の担任に”漫画部”を立てて貰ってね。そこでまあ、オリジナルの漫画? コマ割りのある何か、みたいなの描いてたのよね」


「当時はファミコンとかアガってきてましたし、アニメや週刊少年ジャンプとか勢いあったので、そういうキャラ絵を描くというのもあったと思いますが」


「私、ゲームにハマるまでは将来の志望が漫画家だったのよね」


「アー、当時の子供達の憧れる職業上位ですね」


「そうそうそう。だから、もし将来それでやって行くとしたら、他の人のものでは無く、自分自身のものでなければ駄目なのでは、って思ってたの。

 そこらへんは”漫画の描き方”系の本でもオリジナリティの大切さについて語られていたし、そうやって作られたプロの漫画はどれも個性が際立っていたものね」


「アー」


「そういう意味では、”創作で身を立てるには、自分だけのものを持っていないといけない”と、そんな考えがあったし、ソレを証明するような創作物が多く溢れていたのよね」


「そんな昔を経た人間からすると、二次創作の受容が市場的にも自分的にもアガった今は、ちょっと不思議な感じよね」


「昔と比べると無茶苦茶変わりましたよね……」


「でもまあ、二次の方に行っていたとして、”自分だけのもの”を考えるとしたら、やはり何処かでそれを真剣に考える必要があるし、今は受容がなされているからこそ”自分だけのもの”を作ったり、詰めて行くのが難しいのかもしれないわねー……」


「まあそんな感じの漫画家志望が、ゲームに触れて、変化するんです?」


「そこら辺は別口で語った方がいいと思うけど、ぶっちゃけ、ゲームに触れてハマったけど、プログラムで”市販レベルのゲーム”を作るのって至難だというのはすぐに解ったから、あまり”自分で作る方に行こう”とは思ってなかったのよね」


「それがどういう変化で?」


「ええ。うちにパソコンが来たのは1984年なんだけど、当時はまだRPGのブームも起きて無くてAVGが主流だったのね。

 そしてAVGの方は、グラフィックの質が向上していってて、ほら、漫画家志望の子供は思う訳よ。自分の持とうとしてる絵の技術とかは、ここで活かせるんじゃないかって」


「アー」


「そんな感じで、プレイヤーとしてのゲーム好き少年が発生すると同時に、漫画家志望者から今で言うグラフィッカー志望者の少年へのクラスチェンジが発生した訳」


「ホントにもう”アー”って感じですが、でもここではまだ”ゲーム企画者志望”じゃなかったんですね」


「当時のパソコンゲームって、企画者=プログラマってのが大半だったんじゃないかしら? 詳細調べてないけど、独立した”企画者”の存在は希薄だったように思うわね。

 だからグラフィッカーとして、何か物語とか載せて絵を見せていく職業に就ければなあ、と、そんなフワフワした小学校四年生」


「まあその年齢だと、そんな感じですかねー……。

 でも、その頃は、漫画志望者のときのような”自分だけのものを作る”になってないですよね」


「そうね。だから正直なこと言うと、この時期、”自分だけのものを作る”は根底にあったんだろうけど、それを発揮する場にいなかった訳。

 グラフィッカー志望だとしても、実際にグラフィック描いてゲーム化出来る環境になんて当然いなかったし。

 だから”将来機会があれば”くらいのものでね。たまに方眼紙使ってドット絵とか、200ラインの”ライン+ペイント”を想定した原画を描いたり、ベーマガのプログラムを打ち込んでいたりしてね。

 でも、どちらかというとプレイヤーの時間の方が長かったわね」


「それが何処で以前からの”自分だけのものを作る”を引き継いだ”企画者的な自覚”になったんです?」


「1985年末に、当時のパソコンで”御三家”となるRPGが発売されたのよ」


「アー、いつも言ってるザナドゥとかですね。そのザナドゥが?」


「いや、ザナドゥはそのときすぐには来なかったの。アレは”作る”にシフトしたとき、設計やマニュアルの要素が役立つと解ってから自分の中に”来た”のね」


「じゃあ何が?」


「夢幻の心臓Ⅱ」


「夢幻の心臓Ⅱって言われてもここ読んでる人は大半が解らないので解説どうぞ」


「夢幻の心臓Ⅱはクリスタルソフトが発売した”夢幻の心臓”シリーズの二作目。

 死した時に神への呪いの言葉を吐くと、成仏出来ず墜とされる世界がある……、という今で言う転生ルールの世界観で、マイケル・ムアコックの影響が強いわね。

 ドラクエ以前のゲームだけど、世界は鳥瞰フィールドで描かれてる一方、海岸線などは四角いマップチップじゃなくて斜め切りも入った自然的な絵でね」


「自然的なフィールド形状はなかなか珍しいですね……」


「ええ。そして森や山があると、そこがブラインド処理されるという”視界”システムが、不穏な世界を歩いてるってのをいい感じに演出してたのよね。

 そして街や城に行くといろいろな人達がいて、ブラインド処理で隠された場所を探り当てるとヒントを与えてくれる賢者がいたりとか……」


「何となく言いたいことが解ってきました」


「ええ。この”夢幻の心臓Ⅱ”をプレイしたとき、ガツンって来たのね」


「それまでのゲームは、RPGであっても狭いフィールドやダンジョン中心だったんだけど、”夢幻の心臓Ⅱ”は”世界地図”みたいなフィールドで、しかも各街や拠点では個性持った人々がいるわけ」


「今で言う”オープンワールド”に初めて触れたときのような」


「ええ。既にパソコンゲームではウルティマ(洋ゲー)とかはそういう世界を提示していた訳だけど、私はコレで初めて知ったのね。

 御三家のハイドライドⅡもフィールドは広かったけど、キャラが二頭身のアクションだったから鳥瞰性としては広さを感じなかったし、街とか”生活感”は無かったものね。これはザナドゥも同じで、”果てしなさを感じる世界”感は他二作だと希薄だったわ」


「つまりゲームの中に”世界丸ごと一個”を感じた訳ですね」


「そう。漫画とか、グラフィッカーとして描くAVGじゃなく、その世界をうろうろして永遠に遊んでていい訳。夢幻の心臓Ⅱは”食糧”の概念もあって、ちゃんと敵を倒して稼ぐ理由もあってね。ゲームのクリアとは別で、観光するように幾つもの”界”と、そこの大陸を巡って良かったの」


「――でも”作れない”ですよね。まだ”自分だけのものを作る”が手元に戻るには至ってない訳です」


「そうね。将来そう言う道へ行こう、というのは心の中で決めてたけど、”ゲームを作る”手筈がよく解らない。

 そうしてる間にドラクエ(1のこと。1986年5月)が出て、同級生達の間でフィールドを旅するRPGの概念が理解され始めたの」


「ドラクエ、どう思いました?」


「正直、当時は”コレ、夢幻の心臓Ⅱの真似?”。

 ”夢幻の心臓Ⅱ”が移動はフィールドで戦闘はウィザードリィのような対面戦闘だったから、ほぼ同じ構成なのよね。逆に言うと”無限の心臓Ⅱ”は両作の影響を受けてるとも言えるんだけど」


「それでどうなりました?」


「ええ。86年の梅雨の時期ね。何となく”ゲームを作る練習”みたいな感じで、”ドルアーガの塔”のボードゲームを見つつ、方眼紙に16×48くらいのダンジョンマップを描いてたら、いきなり閃いたのね。

 ボードゲームのように、ダイスを使ってボード式のRPGが作れるんじゃないかって」


「アー」


「何か偉い勢いでA3方眼紙に描いて作って、翌日に学校持って行って友人らとテストプレイしたらクラスの皆も白熱してね。担任の先生が興味をもってくれたんで説明すると、えらい褒められて」


「一種の成功体験ですね」


「そう。単純なルールのものだったけど、これによってゲームバランスの思案や、モンスターや武器とかの設計、そしてフィールドとかデザイン出来るって思ったの」


「パソコンでプログラムとか出来なくても、ゲーム化の雛形を手元で作れると、解ったわけですね」


「そう。つまり、――ガツンと来た”世界丸ごと一個”が、手元で作れると解った訳」


「ここで”自分だけのものを作る”が戻ってくる訳ですね」


「そうね。そして完成度上げた次作を作ったんだけど、ここまでは”夢幻の心臓Ⅱ”とドルアーガを混ぜたような世界観だった訳。

 そこからオリジナルのものを作ろう、と決めて考えたのが、和風のファンタジー」


「いきなり変わりますね……!」


「”源平討魔伝”(旧NAMCO:AC)が好きだったのよね。それと、当時は時代劇とかそういうのしか無かった”和風”に、ファンタジーや現代的アプローチってのがあると、ギャップが良いと思わない?」


「どんなのを想定していたんですか?」


「ええ。恥も何も無視して出すけど、うちの小学校、卒アルは”生徒が刺繍したカバーをつける”ってのがあったの。卒業式直後に配るものだから、刺繍自体は六年生の前半で終えないといけないんだけどね。ソレがコレ」




「もう何でも出しますね、このコラム……」


「探したらあるから恐ろしいわ……。クロスステッチの刺繍だと左右の目を分けるのが難しいし頭身高めはMURIだから、目玉つながりのSD武士キャラが釣りしてる、って感じね。上にUFO飛んだりしていて小学生のセンス爆発しすぎだわ……」


「髪が赤いのは何です?」


「80年代ファッションよ? つまりメッシュで染めてるの。

 あと、インナーが黒Tシャツだったり、足下はスニーカーよね」


「アー、靴穿いてるって言われると、一気に”うち”感出ますね……!」


「当時の落書きとかが発見されない(ボードRPGのマップなどは発見)んだけど、つまりインナーは現代風、靴など穿いた連中の現代ナイズされた”和風”を想定してたのよね。

 現状では、恐らく最古の”ホライゾンに繋がっていくデザインの始祖”じゃないかしら」


「このあたりで”自分だけのものを作る”が、結構強固にガツンとハマった感あるのよね」


「以後、どうしていたんですか?」


「ええ。ボードTRPGを拡大化して行くと、一枚の方眼紙で収まらないから、地図みたいな大型フィールドと街や拠点、ダンジョンに分化したり、術式とかも分類分けしたりといろいろ進めて行ったわ」


「”夢幻の心臓Ⅱ”が”世界”の参考、ザナドゥなんかはモンスターや、数値を含めた”設定”の参考になった訳ですね」


「そうそうそう。でも当時のパソコンゲームとか、いろいろ足りない処が多くて、それが個々の個性を生んでいたと思うんだけど、段々こういうの作って行くと”決定版・完全版”みたいなのが欲しくなってきたのよね」


「そこらへん、以前にチョイと語ってましたね」


「そうね。だから自分の中で”未来の自作”としてそういう”自分だけが作れるものを”があった訳」


「それって、何か揺らいだり、変化して……、ないですね、すみません」


「何アンタ勝手に話進めてんの。でも正直な処、かなり揺らいだ時ってのがあったわよ」


「それは一体?」


「ルーンクエストとウルティマⅤが出たときね」

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