『連射王』ゲームセンターの空気感抜群

「今回の話は、連射王の舞台となっているゲームセンター、その空気感についてですが、ちょっと描写の話としても進めてみようかな、と。そんな話ですね」


「――で? 何の話」


「いや、だから連射王のゲームセンターとしての空気感ですって」


「あれ? 前にそんな話、しなかったかしら? 昔の描写がどうだこうだとか」


「あれは九十年代の云々についてでは?」


「アー」


「アー」


「まあいいわ、とりあえず、何か前に話したネタとカブってしまうところもありそうだから、情景とか風景の描写とも、チョイと絡めて行きましょう。

 ケッコー短く終わるんじゃないかしら」


「そうなんです?」


「ええ。コミケの準備が最終段階に入っていてね……」


「そういう実情をここで言わない!」


「まあでも、情景とか風景とかいろいろあるけど、そういうのってどういうものか、解る?」


「ええと、意味としてはこういうことになりますね」



・情景:人間の心を通して表現される景色や場面。

・風景:自然の眺め。景色。

・光景:目の前に見える景色や事件の有様。

・場景(じょうけい):場面、その場の光景


「大体そんな処ね。でもまあ場景なんて言葉はほとんど使わないわ。”場面”で済ませてしまう感じだし」


「アー確かに確かに」


「――で。この中で、一つだけ特殊なものがあるの、解る?」


「一つだけ?」


「ええ。一つだけ、他とは明らかに特殊なものがあるわ」


「ええと……」


「あ! 情景です! これだけ、”人間の心を通して”というのがあります!」


「そうね。上記の”景”を主観と客観で分けると解るわよね」



・情景:主観

・風景:客観

・光景:客観

・場景:客観


「情景が主観で、他は全て客観ですか!」


「ええ。だって条件として見た場合”人間の心を通して”とあるから、主観を通したら全ては情景になるの」


「えーと……、だとすると……」


「解る? 実は情景って、下に並ぶ”風景・光景・場景”を全て含むものなの。

 何故なら情景は、”話主が目に見えるものを語っている”のであって、その対象には制限が無いからね」


「つまり”情景”と”他の景”は別モノだと、そう憶えておく必要があるわね。

 今、このシーンで必要なのはどちらだろう、と。そして――」


「まだ何かあるんですか?」


「ええ。実は大半の小説は、これらの中に無い”景”を使っているんだけど、解る?」


「ンンン? この中に無い”景”?」


「いや、ぶっちゃけそんな”景”は文法や文章技法的には無いんだけど、でも、小説には何故か多くそれが使われているの」


「……何です?」


「ええ。――”作者の目を通して見た景”ね」


「解るかしら? 情景という言葉の意味は”人間の心を通して”とあるわね? ここでいう”人間”は、小説の場合、登場人物が該当するわ」


「作者は該当しないんですか?」


「作者は作中に存在していないから、私小説や一人称小説で作者=登場人物、というのもあるけど、これは結局”登場人物”よね」


「だとすると、作者の”景”というのは……」


「厳密に言うならば、こういうことかしら」



・ト書きで使われている文章に対し、作者の感性が入ったら、それは”作者的情景描写”である。


「とはいえ、作者の感性が入らない文章というのはあり得ないわね。AIやランダム配置を用いたら、それは作者が書いた文章ではないし」


「ただ、この時点で、気をつけなければならないことがありますね」


「そうね。多段的な注意をするべきことがあるわ。ト書きで描写する場合、以下のことを順に思う必要があるわね」



・描写するべきは”情景”か、他の”景”か。

・”情景”を書く場合、それは”登場人物(話主)の情景”か、”作者の情景”か。


「これを意識しておくだけで、文章はかなりキレイになるわ。

 登場人物の視点であることを理解していれば、ト書き部分でキャラを立てることだって出来るし、作者の視点になっていることを理解していれば、作中の視点に縛られない”神の視点”での情報出しや注釈なんかも可能だものね」


「コレの”登場人物と作者”の区別がついてないと、どうなります?」


「ンー、ぶっちゃけ読者から見たら、あまり関係ないと思うわね」


「そうなんです!?」


「ええ、そうよ。書く側はあまり気付かないかもしれないけど、文章関係の技術って、大半の読者にはどうでもいいことだと、私はそう思ってるの。

 だってそんな技術的なことって、そもそも読者は知らずに読んでるし。

 もし気付いたとしても”ンー、何か今、目が滑ったなー”くらいじゃない?」


「アー」


「でもね。気付く読者はいるし、やはり書き手としても”指針がある安心感”って大事なのよね。

 今、自分が書いているものが、”伝えるもの”として正しく機能しているかどうか。

 その確信が持てることって、作者にとっては大事なのよ」


「ちなみにこの後、何故そういう技術を詰めるか、という話で長文書いたけど、あまり今回とは関係ないから削除したわ……」


「この企画、結構そういうのがありますね……」


「説教くさくなったら駄目よね……。御気持ち創作論はしないと、そう決めているし。――あ、でも」


「何です?」


「”情景描写を書いてみましょう”みたいな御題を見たとき”コレ、登場人物のものですか、それとも作者のものですか”って問うて、出題者が”え?”って反応したら、時間を無駄にしない方法を考えてね」


「危険な示唆をしない……!」


「いや、よくあるのよ。このあたりの区別が無い上で、更には”情景描写とは”って言って、情景じゃ無い他の”景”の説明始めるのとか」


「アー……、そういうのは不幸というか何というか……」


「さてそんな感じで、描写の種類などは解りましたが、何でコレ、連射王のゲームセンターの話に含めて来たんです?」


「ええ。”景”の描写って、大事だと思う?」


「えっ? いや、それは、大事……、では?」


「そうかしら? web小説だと”景”の描写なんて省くのが正義、みたいな言われ方をするときもあるわよね。読者は”景”の描写があると読まない、とか。

 実際、”景”の描写がほとんどないの多いし、これは極端な意見だと思うけど、そういう描写はコミカライズやアニメ化したときに解ればいい、みたいなのも見たわ」


「アー、まあそういう時代というか」


「そういう時代よね。

 なお、私たまに、そういうweb発やwebアガリの作家さんの書籍化とか、試読を頼まれるときあるんだけど、


・読みつつ街のマップ作っていたら建物の位置がワープしてる

・ダンジョンの入り口が四方向に開いていませんかコレ

・小さな街を軽く歩いてる描写の歩数から計算したら街の直径が4キロ超過

・学校内の移動で、廊下を曲がる回数数えたら左に三回曲がった(一周する)

・学校内の移動で、一階と二階が構造的に全く違うんですけど?

・夕日の入る窓の部屋から外に出たら正面に夕日が見えた

・夕日が沈むのが見える校舎から外に出たら西日

・この建物、非常階段が無い……?

・教室内の描写は大窓があるが、校舎の描写は腰窓


 ――とか、こういうの結構あるけど、校閲も編集者も見落とすのよね……。

 最近、試読を私に回すのって、こういうの指摘させたいのかな……、って思うわ」


「アイタタタタタタタ!!」


「ちなみに編集者からは”ソレ川上さんの特殊スキルです”って言われたけど、そうじゃないと思うわ-」


「ちなみにホライゾンのアニメを作るとき、一話を作成中の小野監督が変わったことを言い出したのよ」


「何です?」


「背景の雲の形と流れる方向。――ほら、武蔵上でのランニング戦闘だけど、屋根上や下の路上から振り返ったりするし、左右にも分かれてるでしょ?

 だから空をいろいろな方向から見上げることになるんだけど、そのとき、空を流れる雲の形と流れる速度に矛盾があってはいけない、って、そういう話だったの」


「流石ですね……!」


「あのとき、この人は信用出来るわー、って思ったわね」


「まあ、”景”の軽視してると、変な事故起こすこともあるって話ね」


「それが連射王の、何と関係があるんです?」


「…………」


「連射王の話、今度にしない? 今回は”景”の描写の話ってことで!」


「いいから連射王と絡めて話なさい……! ハイ!」


「まあじゃあちょっと話をするけど、ゲームセンターの空気感って、何だと思う?」


「え? それは、筐体がいっぱいあって、ゲームしてる人達がいる、みたいな?」


「ンー、それで合ってるけど、そうじゃないわ。

 ゲームセンターの空気感って、大前提として”外界とは違う空間”ってことなの」






「最初の描写がまず大事なので、ここ見るわね。

 まずゲーセンの前に立って、自動ドアの向こうに学生達の姿を見る」


「それで周囲の描写がありますね。高村がヘッドホンを外すのが、コレ、”場面の切り替わりの示唆”ですか」


「そうね。学校帰りの学生という存在が、自分自身を閉じるようなイメージを持つヘッドホンを外す=外界の音が聞こえてくるわ。そしてゲームセンターの中に入る」


「初めは、入り口近くにある大型筐体です」


「このあたりではまだ音は来ないわね。でも奥に行くと、筐体が並んでいて、画面の光や音が聞こえてくる。――ここで外界とは切れた事になるわね」


「以後、舞台となるゲームセンターの説明描写が、高村の視点で行われます」


「ここまで見て解ったろうと思うけど、”情景描写”を使い分けているの」



・冒頭部分は、ゲームセンターに来る学生達について、中に入ろうとする高村の見解を含む”高村視点の情景描写”。

・節が変わってしばらくは、周囲の光景なども含め、フラットな写実をする作者の情景。

・22ページになった直後、高村の思考が書かれ、以後、”高村視点の情景描写”。


「描かれている内容としては、こういうことですね」



・ゲームセンターにいる学生についての見解

 :高村視点

・ゲームセンターの周辺状況と、内部の状況

 :作者視点

・ゲームをしようと準備する高村

 :高村視点


「見ると解るけど、高村はゲームセンターに対して肯定的なのよね。

 そしてゲームセンターに入ろうとする高村と、入った後の高村の間に、フラットな写実描写で、”外界→ゲームセンターの奥まで”視点を動かしてるわ。

 この効果、意味が解る?」


「外界とゲームセンターに対して好悪や善し悪しの”評価”を与えることなく、外界→ゲームセンターと切り替えて、しかし肯定的な高村が”外界・ゲームセンターの奥”にいることとなります」


「そう。中央の外界とゲームセンターの比較部分が、無評価なの。

 もしここで高村の視点だったら、ゲームセンターは完全に肯定されるようなものになっていたと思うけど、初見においてゲームセンターは無評価で、感情が無い場所として扱われているのね」


「こういう描写の使い分けは、どういう効果を持つと考えてますか」


「読者に対しては、ゲームセンターという場所に対し、緊張感を残す一方で、高村がゲームセンターでテンション上がってしまっていると、そういうのが伝わると良いわね」


「無論、筐体とかゲームとか、いろいろな説明はあるけど、文章から漂う空気感としては、私がゲームセンターに対してはフラットな無感情で描写し、しかしゲームセンターにいる人達からはその人達なりの”情景”を書いたのが重要だと思ってるわ」

 

「ええと、それはつまり……」


「ええ。当時の空気感を示すのに、当時の私達がゲームセンターとどういう関係であったかを、描写の方向性で書き分けたの」


「一応、まあ、他にもあるわよ? 例えば音よね」


「音?」


「ええ。ゲームセンターというとゲームがあるから、ゲームの音楽が聞こえると思うだろうけど、しかし無数の筐体が同時に音を鳴らしていると、そこにあるのはゲームセンターを満たす聞き取れないゲーム群の音なの。

 そういう”環境”を描写しているのも、当時感の再現になっているわね」


「木じゃなく森を見ろと、そんな感じありますね……」


「ディテールをどう捉えるか、よね。だからゲームセンターの二階に行ったら、そこは筐体や基板の設定が違って、逆に静かになるとか、そういうメリハリもつけて、ゲームセンターという空間が外界とは全く違うというのを示しているわ。

 そういうのが蓄積されると、コレが意味を持つわよね」




「下巻のクライマックスの一節。ここまで読んだ人は、ずっとフラットに書かれてきたゲームセンターの描写に、ここで一気に感情が与えられていくのが解ると思うわ。

 ここは、ゲームセンターに肯定的だった高村達と、読者が重なる瞬間で、それをするには、ここまでの、作者によるゲームセンター描写に感情があっては駄目なの」


「……いろいろと、方法がありますね!」


「そうね。でも面白いのが、やはり作者の情景ではフラットに徹したせいか、ゲームセンター世代じゃ無くても何となくゲームセンターという場所や空気感を理解して貰えているようなの。コレは多分、写実派の強みだと思うわ」


「写実派の強み?」


「ええ、叙情派は、感情を入れて情景を描くことが多いから、誇張やバイアスが入り安いのね。それは、シーンによってものの見え方が違うとか、そういう齟齬を起こしやすくなって、”見たことがないもの”を伝えるのには向かない場合があるわ」


「アー、たとえばサッカー漫画でいう、状況によってゴールの大きさが変わったりするアレみたいな」


「感じ感じ。そういうのも演出なんだけどね。でもそういうことされてると”正しいゴールの大きさと形は?”ってのが、伝わらなかったりするのよね」


「……何となく、さっき”景”の描写の軽視とかに触れた意味が解りました」


「解った? ”景”の描写って、要らないように思えるし、実際、現状はそうなのかもしれないけどね? でも、――今、書いてる世代に対し、新しい世代の読者が来たら、どうなるのかしら?」


「……つまり今の世代が、描写無しで”ゲームセンター”で通じても、次の世代には通じないという訳ですよね……」


「ええ。ファンタジーだって形は違っていくし、学校だって、最近は防犯などの考慮で設計や運営が変化して行ってるわ。

 衣食住、インフラなども同じよね。

 ”説明しなくて良い”は、世代が同じで、共通する文化を持っているから通じることなの」


「じゃあ、共通する文化を持っていない場合は……」


「そうね。その場合、今の世代は、新しい世代に対し、自分達の持っている世界観を”景”の描写で伝えないといけないわ。

 でもそのとき、新しい世代はどうなのかしら。

 新しい世代が”景”の描写を軽視したならば、それを許されなくなった今の世代はやがて衰退するわよね。

 そして、そもそも、”景”を軽視していた人達は、その描写がどのくらい出来るのかしら、って話にもなるわね」


「これは……、読者側も同じですよね」


「ええ。読者も、新しい書き手が”景”を軽視している場合、新しい書き手の書いたものに対して文化、理解的な齟齬を生じ、読めなくなるわ。

それはムーブメントに乗れなくなったと、そういうことで、――コミカライズやアニメ化された作品以外は追わない、とか、そんな風潮になるのかしら」


「または”景”をちゃんと説明してくれとか、そうなってからそういう意見が出るのかもしれませんね……」


「書き手も読み手も、ムーブメントや時代性はあるとしても、それが全てだと思ってるとガラパゴスするから気をつけてね。時代を生き残るのは”最低限の実力”があれば充分だけど、偏るとそれすらも持てないから」


「ゲームセンターの空気感の話から、かなり飛びまくった上で、なかなか怖い話が出てきましたね……」


「まあそうならないかもしれないし、そもそもそれまで”小説”があり続けるのかも謎だけどね。ただまあ”景”の描写が出来ると言うことは、新しい世代に対し、今あるものや過去あった世界や場所を伝える事が出来ると、そういうことなの」


「軽視は出来ても軽んじるなかれ、みたいな?」


「空気感は伝えられるけど、空気じゃ無いのよ、と、今回のタイトルとしてそんな風にまとめてはどうかしら」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る