『神々のいない星で』かなりガチの90年代構築と雑学
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「今回の話は、”神々のいない星で”の舞台となっている90年代日本。もう三十年以上前の東京、立川そして他地域や世界各国を再現している訳ですが、これがかなりガチのレベルです。では一体何故そんなことをしているのか、しようと思ったのか。そんな話ですね」
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「何故そんなことを、って……」
「…………」
「……私、これから、今まで考えてもなかったことを喋ることになるわけ?」
「そういう不安な前置きをしない! いいですね!?」
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「いやでも究極的なことを言うと”企画が通ったから”じゃないかしら……」
「アーまあ」
「ともあれ90年代って、トータルで見て、パワー有るまま突っ走った時代よね。00年代とか、後半で失速感があるかどうかは個人の観測では解らないからここではハッキリ言わないことにしておくわ」
「何を意味の通じにくい言い訳つきの言動吐いてるんですか」
「でもまあ、90年代が勢い重視の時代だったってのはその通りだと思ってるわよ」
「そうなんですか?」
「80~90年代は、日本のエンタメの基礎となるものが多く出ているものね。しかもその多くは”作る”ことと密接だったの。だからテラフォームを考えるとき、現代よりも当時の方が、ギャップも含めて面白そうだと、そう思ったのは確かよ」
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「ギャップがベースということは、今はそういう時代ではない? と?」
「クソデカ主語案件が来たわね……。今は今でいろいろあるわよ。ただ、現在進行形の案件と、三十年前の案件を比べたとき、俯瞰して語れるのはどっち?」
「アー」
「いろいろなことがあって影響を与えて今に至るとか、こんな凄いものがあったけど単発で消えていったと、そう言えるのは、今のものではMURIなのよね。
そして何よりも、さっきチョイと触れたけど、90年代からだと、80年代に地続きのアクセスが出来るからよ」
「……80年代?」
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「そう。90年代に日本のエンタメの多くの基礎が生まれているとしたら、80年代はその更に基礎や発案の時代でもあるの」
「だったら、70年代や60年代もそうなんじゃないんですか?」
「それがねえ……」
「?」
「私の基礎って、ゲームにあって、特に家庭用PCとかCS機なんかは、80年代からがホットなのよね。一応、前段として、日本における家庭用PCの火付け役はこのあたりかしら」
・AppleⅡ:1977/6※米国
・MZ-80K:1978/12
・PC-8001:1979/05
「アー。70年代でも後期なんですね……」
「そういうこと。これがCS機になるとファミコンもSEGAのSG-1000も1983年。
ゲームセンターでは、タイトーのスペースインベーダーが1978年だから、これもやはり70年代後期。
80年代の話題の延長として触れることが出来る位置にいるのよね」
「神話かと思ったらそうでもなかった的な」
「Eniac(1946)やManchester Baby(1948)あたりが神話で、計算尺(1600年代)あたりが壁画。アンティキティラ島の機械(BC3世紀?)とかが化石かしら」
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「まあ、そういう意味では観測範囲としては自分の得意分野や好きな分野をベースとしてるの。嫌いなものは、やる気も起きないけど、昔の自分が知らずにいたことや、後で知って驚いたこととかは、今の読者にとったら、それこそ”近所から化石が出た”だと思うのよね。
読んでいて”ちょっと誰かに話したくなる”ような、そんな気分になって貰えたら幸いだわ」
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「しかし、どうやって90年代の東京、立川なんかを再現してるんです?」
「資料ベースで、記憶と照合したりって感じよね。あまり特別なことはしてないわ。友人らと話し合って確認とかもするけど、基本的には自分が当時行った処なんかを中心としたり、安全な箇所を用いてるつもり」
「資料って、ゲーム雑誌とか?」
「パソコン関係、ゲーム関係はそういう雑誌が多いわね。特に手触りの分では、うちでまだ稼働してるレトロパソコンなんかを起動して動作を確認するわ」
「こういうのを使って、ゲームや当時の空気感とかの確認をしてるわけ。
パソコンはX68とMSX2だけど、あと88と98、コンシューマ系は一通り揃ってるわ」
「趣味なんです?」
「マー、後でいろいろ話すと思うけど、多種多様?」
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「実のところ、見立てが甘かったのが一周して、逆に今、活きてるのよね」
「どういうことなんです?」
「ええ。私は中学校時代にクロニクルの原版書いたとか、その頃にEDGE(当時はAHEAD名義)の世界観を考えたとか、そういうこと、話したわよね?」
「はい。聞きました」
「――で、当時はパソコンなんかも息が長い機種があったのね」
・PC88
:当時のホビー系最強シェア。8BITで機能はそこそこ?
:1981~1989
・PC98
:親父が持ってた! な人も多いんじゃないか的な16BIT機種。
:1982~2003
・X68K
:ホビー系最強機種とも言われる。16BIT。
:1987~1993(他社改造機種が1995まで)
・MSX(2以降含む)
:お手軽ホビー系。1は性能が低かったが、2は一気に強化。
:1983~1995
「他にもいろいろ名機種あるけど、うちの管轄範囲だとこんな処ね」
「どれも長いですね……」
「今のOSでレゲーを復刻させてるサイトは昔から有るし、機種自体も最近になってミニ化して復刻とか、そういう流れはあるわね。やはり皆、当時の人達にとっては刺さって抜けない矢みたいな感じなのよ」
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「――もはや完全にインターネット老人会というか中年会ですね」
「70代は高齢者じゃ無いとか、そんなこと言われる時代だから、うちら凄くやりにくい世代よねー……。
でもまあ、私の高校時代は、こういった機種がまだ現役で、たとえば衰退したとしても、代わりの機種が出てくるだろうな、と思うのが日本のパソコンシーンの特徴というか、世界的なパソコンの風潮でもあったのね」
「機種が、幾つもあったんですか?」
「今はAppleとウインドウズが機種とOSで二分していて、そこにLinuxとかあるけど、80年代や90年代前半は、各メーカーが自分達の機種を作って、シェア競争してたの。
それで”うちの機種が一番!”みたいなことを、たとえばゲームセンターのゲームの移植や、一番流行してるゲームの出来とかで競っていたのね」
「それが、今のような状況に?」
「そう。90年代半ばから、日本ではバブルの崩壊とかいろいろあって物価が激変。そんな時に海外から”自作パソコン”とかの文化がやってきたり、仕事でパソコンを使うために統一規格が必要だったりで、皆、”機種”よりもOSとか、値段とかに流れて行ったのね。
決め手がウインドウズ95じゃないかしら。アレで日本のパソコンが完全にとどめを刺された感あったけど、まあ、大体はそれ以前に生産中止になっていたから、実際には”日本規格”っていう文化が終わった、っていう処ね」
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「それが、”見立ての甘さ”ですか?」
「ええ。高校時代、80年代から90年代初期の私にとって、当然あるべき筈だった流れが、90年代中期に急激に途絶えて、大学生活の半ばくらいからは、もう完全に”個々で生き延びている”くらいのものとなったのね。
これは、小中学校の時代で、そういうものが途絶えないという前提でいろいろ作っていた私にとっては、かなりショックなことだったわ。
幸い、機種の生産は終わっても、ソフトウェアの開発は続いているものもあったりで、68なんかは機種の生産が終わってからが本番、みたいな感もあったわ」
「でもまあ、消えてしまうものは消えてしまうもので……」
「そうね。私も大学入ったときにノート98買って、その上ではウインドウズの3.1が動いていたわ。――クソ遅いのでMS-DOSに切り替えて動かしていたけど」
「何でそう、変な処で現実的なんですか」
「いやホント、クソ遅いしGUI操作も面倒だったから、MS-DOSに戻してプロンプト打ちした方が楽だったのよね。このあたり、68でもそうだったし」
「ええと、じゃあ、さっきの見立ては……」
「うん。私は、世界が80年代や90年代前半のまま、繰り返していくものと思っていたのよね」
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「――だから、中学校くらいでクロニクルの原盤を書き上げたとき、こう思ったの。”将来、これを本格的に書くとしたら、舞台としては80年代かもしれない”って。
だったら80年代の資料を今から集めて置こう、ってね」
「……気の長い話を……!」
「まあそんなものよ。そして90年代に入っても、クロニクルの原版を書くとした場合、”舞台を90年代にしても、まだまだ行けるなー”くらいで、引き続きいろいろと集めていたのね。そうしたら、95年で、そういう”解りやすい流れ”が生じちゃって」
「アー」
「だからうちのパソコン雑誌とか、実は95年途中くらいまでしか主に蒐集されてないの。逆にそこからは、パソコン雑誌じゃなくて、当時は”次世代機”って言われてたプレステとか、サターンとかCS系の本なんかを集めて、ゲーム企画志望って方に移行していくのね」
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「だとすると、手持ちの資料は、死蔵に近かったんですね」
「クロニクルを実際に書くとき、流石に90年代を舞台には出来なかったから、祖父世代と親世代とで三世代に分けて、主人公達を2005年に置いたじゃない? これでまあ、ホントに、昔集めてきた資料とは”切れた”なあ、って思ったのよ。だから新庄がよくわからんレトロ派なのは、元々、クロニクルが80年代、90年代を舞台にしていたこと、そのままなのね」
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「それが、神々では、どうなったんです?」
「ええ。クロニクルを実際書くまでに、都市を書きつつ、都市用やクロニクル用に世界の資料とかを調べていって、それはそのままホライゾンの資料集めとかにも繋がっていったのね。そうやって歴史を調べていって、古代から現代近くまで何度か往復していると、ある自覚が生まれていったの」
「それは?」
「自分がメインとして生きていた80年代、90年代が、”歴史”になりつつあるって」
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「既に90年代半ばから後半に、60年代ブームが起きて、映画が作られたり、ベルボトムの再来とか、そういうのがあった訳ね。だからそういうの感じながら”二十年後には、自分らのいた80年代が、こういうことになるのか”って思ってた訳」
「実際、懐ドラや、懐かしの歌謡曲で、段々近づいてきてますね」
「そう。当時は漠然と思っていたんだけど、クロニクルを書いてるあたりだと、そういうのが解る頃合いってのがあったのよ」
「何です?」
「ゲームの中古価格が暴落」
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「アー」
「そう。プレステが出たり、またそれがPS2とかに変わる中で、例えばGBAはゲームボーイのカセットも差し込める上位互換機種だったりして、それによって80年代から90年代半ばまでのゲームとかが中古市場に出るようになってね。この”中古市場”は子供達のゲームの循環に役に立ったせいで、たとえばKONAMIが”セーブデータを消せないようにする”みたいな施策を出したり、いろいろあったわよね」
「ありましたありました! 中古市場自体が問題になる、というような」
「そう。つまり”世代が変わる”というのを、そこから感じて、大学時代は中古ゲームショップでバイトしたりとか、ゲーセンでバイトしたりとか、そういうのやってたのね」
「それでどうしたんです?」
「ええ。80年代の”パソコンが、廃れても新しく開発、投入される”ような繰り返しは消えてしまったけれど、こういう”一回捨てられたものが、やがて皆の地層として発見される”という繰り返しは必ず生じると、そう思ったの。
だから友人らと手分けして、各機種、各CS機とかのゲームや資料を集めていった訳」
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「一回途切れたものが、また始まった訳ですね」
「ええ。そういうことをやりながら資料を集めてクロニクルやホライゾンを書いていたら、ホライゾンの5のあたりで、担当さんがこう言ったのね。
”ホライゾンは最後まで完結できます”って」
「売り上げが、充分そこまで達することが解ったんですね」
「そういうこと。だからアニメの二期の仕事やりつつ、5下も書きつつ、昔のEDGEの資料を広げてみたら、マー、宇宙時代と言うことでいろいろ書いてるんだけど”魔術、神術、法術、聖術(今で言うtsirch系)が使えて、神々が存在している”ことになっているのよね」
「SFではなくて、ファンタジーの宇宙版ですね……」
「感じ感じ。それでまあ、宇宙の歴史として、人々が星を開拓し、大戦争をするようになっていく長い年代記……、というのが頭の中にはあったんだけど、昔の資料を改めて見ていたら、ドカっと来るものがあったのよ」
「何です?」
「シムシティとシムアース」
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「出ましたね名タイトル……!」
「そう。ホライゾンを挫折した程度の私が、EDGEで無数の星の開拓や興亡を書くなんてほぼ不可能、と思っていたら、海外から”都市を造るゲーム”と”星を制御するゲーム”が来てしまったのよね。当時は他にも凄いゲームが海外から移植されてかなり影響を受けたんだけど、そういうのが思い切りリフレインしちゃって」
「決定的ですねー……」
「それでまあ、クロニクルのためもあって神話などを調べていたら、神話とかファンタジーの知識が、日本では90年代前半、下手すると80年代くらいから更新されていないってことに気付いて、――なんか、いろいろ、来てしまったのよ」
「それは?」
「皆が、忘れていたり、忘れたことにしていることや、見ないことによって、新しくなっているのを無視されてるものを、”神話”として改めて語ろう、って。
それは、いずれ”歴史”になるだろう、って思っていた80年代、90年代と重なったし、今、20年代にとって、正しく”そういうもの”だろう、って思ったのよね」
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「だから私にとって、忘れられていたり、見ないことにされてる神話や神々ってのは、80年代や90年代の”当時あったこと”と同じなの」
「アー……、つまり”神話・神々”の忘れられ方や、再発見と更新は、”80年代、90年代”の忘れられ方や、再発見と更新と、同じものというか」
「ええ。だから私の、過去からの資料や、断絶して取り返した資料は、今で言う”失われた文献”だし、私が見つけてくる当時の資料や真実、事実は、遺跡の発掘と同じなのよね」
「そこに神々や神話の話が、等列で入ってくると……」
「そう。だから当時を知る人達にとっては、あの80年代や90年代という時間が、どのように発生して、影響を与えていったのかをリアルタイムのように知り直すことが出来るし、その一方で神話や神々が、80年代や90年代の常識から更新されるから、ちょっと逆転現象が生じて酩酊入る筈よね。
忘れていた80、90年代を解像度や視野広く思い出させられる一方で、当時ゲームとかで広まっていた神話や神々の知識は20年代の最新に更新されるから」
「構造として、振り回される感ですね」
「そうね。――それでいて、話題にする80年代や90年代のネタの多くは、今の時代に繋がるものだったりするから、当時を知らない人達にとっては、自分の知らない、しかし今に繋がる”古代日本”を探検しているような感覚だと思うわ。
その上で、今、ゲームとかで触れてる多くのファンタジーや神話知識が90年代あたりから更新されてないものだから、そこについては最新の情報で、頭吹っ飛ばして帰って貰うつもりね」
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「まあ、いろいろあるのよ」
「あ、さっき言ってた”多種多様”ですね」
「そう。昔からEDGE世界観についてはいろいろ考えていて、他タイトル書きながら資料も集まって、そしてホライゾン5の時に担当さんから話を聞いて”自分にとっての神話をやろう”と思ったんだけどさあ」
「何です?」
「ホライゾンの本編が完結するのが見えてきて、神々のネタも考えていた処で、ふと、変に自分を俯瞰したときがあったのよね」
「見つめ直す、みたいな?」
「ンンン、どうだろう。今までいろいろ書いてきて、ホライゾンも、中学校の頃の挫折を超えて何とか出来そうだ、と。そういう意味では人生のスゴロクを2つか3つアガってることになる訳だけど、じゃあこれから”神々”を書くとして、自分の未来を作っていく一方で、この自分を作ったのは、何なんだろう、って」
「今更、自分探しですか?」
「いや、自分は居るのよ。だから未来に向かって進んで行ってる訳。そしてここまで来たルートだって、最初の頃の”挫折”があるから、過去は見通せてるのね」
「だとしたら、何が? 何が自分を作った、と?」
「ええ。私が集めてきた資料とか、過去とか、自分では無く、そういうものを俯瞰したときに、あるものが見える筈なの」
「それは?」
「自分を作ったものやムーブメントを作った、さらなる”もの”や”ムーブメント”」
「アー……、自分が神話の存在だとしたら、既に神話は知ってるから……」
「そう。自分の所属する神話は、じゃあ、何処から来たの?」
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「調べていくと、いろいろ解ってくるのよ。コレまでは手の届く範囲、記憶の届く範囲だったけど、今、いろいろな資料を一斉に読んでみると”ゲーム雑誌”じゃなくて、”当時のムーブメント”が、たとえば日本や米国、欧州とかで影響しあっていたのが解るのね。
日本のゲームだけじゃなくて、海外のそういったものが日本に渡って、”いいぞいいぞ”って、しかし日本なりに形を変えていく。そういうのが見えてくるの」
「神々の移動や習合そのままですね!」
「そう。だからまあ、仕事とは別で、私は80年代や90年代のゲームシーンとかいろいろを探りながら、当時の誰も見通せてなかったこと。今で言う、神話の移動や習合を見て、そこにいる自分や友人達を再確認してる感なの。
これはホント、不思議な感覚だし、再経験? そんな意味も強くてね」
「でもそれが出来てるのって、……当時の資料、あってこそですよね……」
「そうそう。ホント、よく集めて置いたもんだわ……。
だからこれ読んでる皆? 自分が10代くらいにハマったものがあったら、最低でも30、40代で可能な限り集め直しておくといいわ。何かふと、自分の立脚点の更に外を思えるような、そんな視界を得ることができるかもしれないから」
「すごくあやふやなアドバイスですね……」
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「何が何やらという感じですが……、でも、やがて、この神々もまた、”古く”なりますよね」
「ええ。それはいいことだわ。この”神々”に書いてあることがもしも”歴史”になるならば、将来、過去まで掘り下げなくても、ここで歴史を回収できることになるし、また、これに書いてあることがもしも”更新”されるならば、正しくエンタメは、昔を脱却して進歩し続けてるってことなのよ」
「未来志向ですね」
「そうね。過去は過去では無く、現代や未来を予見し、繋がるものでもある。そういうのを知るのを”浪漫”と言うのだし、そういう意味では私達は常に未来から見たら浪漫の住人。
だったらそれを楽しんだらどうかしら。――そういう思い入れで書いてるのよね」
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