『連射王』ゲームのスポーツ性を認識していたプレEスポ小説

「今回の話は、連射王が作中で見せている”ゲームというものが本質的に持つスポーツ性”についてです。連射王が書かれた1994年当時、当然eスポなんてありませんが、連射王では縦STGやゲームの”スポーツ的な部分”について取り上げて、示していました。さて、それは何でしょう。意外と先験的だった? そんな話ですね」


「さて今回のネタ、連射王ですが、どういうネタなんでしょう」


「どっちかっていうと、自分的な”ゲーム観”になるのかしら。連射王を書いて、発表してから気付いたんだけど、ゲームの中のスポーツ性というものに、自覚している人達がどれくらいいるのかな、って思ったの」


「? どういうことなんです?」


「ええ。ゲームを上手くなる、ということは、ゲームを遊ぶ行動として、自覚されていない場合が多いと、そう思ったの」


「何か面倒臭そうな物言いになっているので、シンプルめを心がけましょう」


「そうね、なかなか面倒な話だわ」


「じゃあ、どういうことなんです?」


「ええ。ゲームって、スポーツだと思う?」


「ええ。eスポ、ありますよね? スポーツでは?」


「そうかしら? じゃあ、チョイ古いけど、MISTやICOみたいなゲームは、eスポーツになるのかしら」


「……アー……」


「解る? eスポーツになるゲームは、eスポーツになる要因を持っているの」


「eスポーツについては、JESU(日本eスポーツ連合)の定義によれば、

”電子機器を用いて行う娯楽、競技、スポーツ全般を指す言葉であり、コンピューターゲーム、ビデオゲームを使った対戦をスポーツ競技として捉える際の名称”となっているわね。

 だから広義においてはゲーム自体もそうであるけど、狭義、または厳密に言うと、対戦概念が入ってくるという訳」


「対戦、が条件として入ると、一気に狭まりますね」


「そうね。そしてこのeスポーツの概念が生まれたのは2000年。連射王の時代よりもチョイと後になる、ということな訳」


「……連射王は縦STGだから、対戦要素無いですよね」


「そうね。だからeスポーツにはなり得ないわ」


「じゃあ何で、ここでゲームのスポーツ性の話になるんです?」


「ではまず、ソロのスポーツって、無いのかしら?」


「え?」


「……ソロ蹴鞠とか……」


「変化球で来たわね……」


「まあそうでなくても、スカッシュとかありますよね」


「そうね。水泳とか、ランニング、ボルダリングや、重量挙げ、他、計測競技なんかもそうと言えるかもね」


「一人で記録に挑戦、と考えると、結構有りますね」


「そういう意味では、ハイスコア競争が日本中で行われているアーケードゲームは、競い合う場を作ることで、ソロゲームに競技性を与えた、とも言えるわ」


「あ、それで質問があります」


「何?」


「はい。――何でハイスコア競争じゃなくて、ワンコインファーストプレイクリアなんですか?」


「それ前にも言った気がするけど、ストーリーの根幹にあるのが格闘モノのようなプロットだからよね。

 修行と、師匠と、師匠が敗れて弟子が敵討ち、ってのを考えたとき、ハイスコア競争では間接的過ぎる、って思ったの。それに――」


「それに?」


「格闘モノ、って考えたとき、究極の一つは”一撃必殺”でしょ? 初見の相手も一撃必殺って考えたら、ハイスコア競争ではなく、ワンコインファーストプレイクリアになるわけ」


「アー……、根本が、そういうドラマというか……」


「そういうこと。あとまあ、前にも言ったけど、ゲームセンターに来て、ゲームをプレイしようと思った初心者は、まず”クリアをしてみたい”と思うと……、そう考えたのよね。

 ゲーセンに初めて入って”ハイスコア出してやろう”って考える人は少ないんじゃないかと。

 だから小説として考えたとき、読んでる人に理解されやすい題材としては、まず”クリア”を前提に置いた方がいいだろう、って思った訳」


「……だとすると、連射王はeスポーツや競技性から外れてるのでは?」


「そうかしら? ――という処で、話の初めの方のネタに戻る感じね」


「どういうことなんです?」


「スポーツって、どういうものかしら?」


「ええと、一定のルールに基づき、結果を競ったり、楽しみを得る身体活動の総称です」


「そうね。この基準によると、ゲームも身体を使うから、スポーツということにはなると思うの」


「でもそれは、かなり広義の範囲が広いですよね……」


「ええ。それで話の始めに戻るんだけどね? 私、かなり昔に、ゲーム機を買った友人から”ゲームはつまらないから遊んでない”って言われたことがあるの」


「いきなり個人的な過去編ですが、……それは一体?」


「うん。まだファミコンの時代。80年代ね。すでにスーマリとかもあって、皆そういうのを遊んで楽しんでいた訳。でも、その人は、スーマリとかも駄目だったの」


「そうなんですか?」


「――で、ちょっと聞いてみたら、”遊んで面白かった”のは、AVGだけど、これもまたエンディングまで行くことが出来ずに放置で、結果として”ゲームはつまらない”になったのね」


「えーと……、それは……」


「単純なこと。――上手くなったり、クリアするための探求というのかしら、そういうのがゲームに対して発生しない人だったの」


「アー……」


「つまり、その人の中では、ゲームって、今で言う”無双プレイ”をさせてくれるもので、ボタンとかガチャガチャやってたら、それだけで楽しさを提供してくれるもの、って、そういう考えがあったのね」


「それはまた、ちょっと厳しいですね……」


「そうかしら。だって漫画やテレビは、違うでしょ? ページめくったり、テレビの前にいるだけで楽しさを提供してくれるじゃない? 何でゲームは、そうじゃないの?」


「ゲームはインターフェースによってインタラクティブ性を補填するものである……、と言っても通用しないですよね」


「そう。だからその人に、上手くなったり、何が足りないか考えて先に進むものなんだよ、って言ったら”面倒臭い”って言われたのね。アー、正にその通り! って思ったわ」


「楽しさを提供される、ということに対しての考え方が違うんですね」


「そう。そしてこういう人って、実はそっちの方が多数派なんじゃないかってのが、自分的な感想だったりするの。もしも違ったら、皆、テレビや漫画じゃ無く、ずっとゲームしている筈だし、って」


「雑い考えですが、マー個人的な感想として」


「そんな感じね。そしてそこで気付いたのね。――ゲームをクリアする。そのために上手くなる、って言うのは、実は特殊な行動なんじゃないか、って」


「当時、ゲームの攻略本や攻略雑誌は出ていたのよね。そしてそれは、webにも広がって今にも続いているわ。

 でも、攻略法って、つまりはクリアするための方法ではあるんだけど、それ自体が攻略法ではないと、そう思ってるの」


「どういうことなんです?」


「攻略法を提示されて、ハイではいきなり出来ました、って、出来ると思う?」


「アー……」


「初めは、攻略法として書いてあることが実際はどうするべきか解って無くて、実地でそれを試して”ああ、そういうことか!”って解ったりしていく訳よね」


「……そうですね。経験が、それなりに必要です。初の場所だと、やはり緊張とか、ザコの処理とか、他の要因とかも出て来ますし」


「そういう感じ感じ。たとえばの話を今更するけど、アンタがピッチャーだとして、”ここで外角低めに投げれば絶対ストライクです”って言われて、必ずそれが出来ると思う? って話よね」


「……失投の可能性は?」


「マーそうなるわよね。そしてまた、投げ込むだけの自信があるとして、では、その自信を得るまでに、アンタは何をしたの、って」


「それはまあ、練習ですよね……」


「そういうこと。攻略法があるとして、ではそれを体現するには、ゲームのそのシーンにおける練習、もしくはそれまでのゲームに対する経験が必要なのよね」


「一発で何もかも出来る訳じゃ無いですし、初心者がいきなり無双出来ないですからね……」


「初心者が無双出来るなら、私が昔にあった”楽しめない人”も出ない筈なのよね。つまりゲームというのは、詰める場合、初心者からステップアップしていくことになるんだけど、それは経験や練習が必要になる訳。そして――」


「そして?」


「これは、スポーツにおける練習や訓練をやっていることと同じなんだけど、ゲームのプレイヤーの多くは、その自覚が薄いのよね」


「……ええと、自覚が薄いとは?」


「もうそのまま。ゲームをクリアまで遊ぶ、という事自体が、実はゲームに対する練習と特訓の結果であるんだけど、自覚が無いの」


「アー……」


「ゲームの進行に起伏や御褒美的なものが多くて気付きにくいんだけど、ゲームをクリアするということは、マラソンで42.195キロ走りきるとか、野球で勝ってゲームセット迎えるとか、そういうことな訳ね。

 で、それをやりきるためには、そのゲームに精通し、技術などを磨かないといけないんだけど、ゲーム自体が実践であり、また、その進行が一定では無いため、ゲームプレイ自体がゲームをクリアするための特訓を兼ねてる、ってのに気付きにくいのよね」


「言われてみると、訓練って、いくつかの要素がありますよね。

 その最たるものが”慣れるまで教え、練習させること”です」


「そう。幾度もプレイすること自体が、”特訓”と要件は同じことになってるのね。だけどその自覚が薄い。

 これの自覚が生じたのって、格闘ゲームで”必殺技の練習”をし始めてからじゃないかしら」


「アー……。確かにスト2とか、身内と対戦する際、最初に昇竜出るか幾度か試したりとかしてましたね……」


「コレまでやってきたことを再現してる訳よね。そしてこの反復による訓練は、STGにも適用されるわ」


「――でまあ、作中では高村が訓練を始めるのよね。弾を撃たずに避けまくるとか、ハードモードで挑戦、とか、反復の強度を上げていく訳」


「確かに、漫然と何度もプレイしているのでは無く、集中して課題をクリアしようとしていますね」


「これは高村が野球をやっていて、訓練の意味=反復の強度を上げることで、本番を楽にする、というのを知ってるからなんだけど、ここには”スポーツ”の要素があると、そう思っているの」


「スポーツの訓練も、確かに地道な反復練習ですよね」


「そう、トレモで必殺技を練習するのと同じように、STGでも自分で課題を作ってチャレンジを何度も行う。この”上達のための反復練習”においては、STGも格闘ゲームも、差は無いし、ここは縦STGが本質的に持つ、eスポーツの”スポーツ的要素”として上げられるんじゃないかと思うわ」


「――しかし、コレに気付いたのって」


「昔に、そういう努力無しで楽しめないと楽しくないと、そう言った友人の御陰かもね」


「無論、縦STGはeスポーツとして今は考えられてないし、そういう意味では、スポーツ的な要素があっても”プレ”という感じね。でも、ゲームというモノの多くが、上達するということの中に、もう既にスポーツとしての要因を持っていると、そういうことを理解して貰えたら幸いだし、そこに、連射王の、ゲーム小説として他との差が生まれているとも思うわね」


「差があるとか言っても、縦STGの小説は他に無いと思うので、無意味な差では……」


「まあそういうもんよねー……」

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