”写実描写主義・後編”
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「今回の話は、これまでの総まとめ……、という処を飛び越えて、では文体とは何なのよ、と、そんな定理にまで踏み込みます。そしてこの文体を使用していくことになった経緯など、いろいろな変遷ですね。ええ、そんな話です」
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「というか、何で”写実派”として、こんな文体使ってるんです?」
「いや、コレ、実はメジャー文体なのよ? とはいえ元々、私の”文章”への気付きが、古文の怪談読んで”ぶったぎりの情報で終わる”のがクールだと思ったからなんだけど」
「変な処から来ましたね……」
「そうね。次に文章でハマったのが80年代とかのバンドブームとかポップスの歌詞で、その次が平家物語だから」
「それは文章って言うんですか……!?」
「いやもう、だから、根本的に間接表現とか省略表現で始まってんのよ。体言止めが多い!? 平安時代の連中に言いなさいよそんなの……」
「いやまあ、でも、メジャー文体って……」
「ええ。それは中学の時に出会った横光・利一」
「アー、現国授業」
「そうね。うちに丁度全集があって、ガチ読みしたわ。何しろ文体が短文ぶった切りが多かったり、暗喩とか多用。しかも写実情報の使い方がクローズアップ系でね」
「読解授業でやりましたね……」
「そうそう。特徴は、こんな感じかしら。何か、教科書や検索で出るようなことをそのまま、って気もするけど」
・人間では無いものに人間の比喩を与える
:時間が近づく、など。
・五感で感じるものを、直接書かず、五感を通して感じたように書く。
:砂糖は甘い、ではなく、舌でどう感じたか。
・見せたいものをクローズアップしていく。
:映画的表現。遠くの情景から、一気に近づいていく。
「アー……。何か、コレはしょうがないな……、って感じが」
「そうね。人間じゃない物、事象とかに人格与えたような表現って、ほら、怪談とか、歌詞とかでよくあるアレだし、感覚表現も古文とか暗喩で大好きなのよ。そして映像的表現でしょ? ハマらない訳ないわ……。
その中から自分に合っている部分を組み込んで、今の自分の基礎が出来てる感じね」
「……アーハイハイ。でも、何かコレ、歴史的に見たらメジャー文体だと思うんですけど、使い手が少ないですよね。どうしてです?」
「もうそりゃアンタが今まで言った通りよ。今の”正解を伝える文章”に比べて、遠回しが多いし、主流じゃないの。
それに横光・利一達は太平洋戦争で政府側広報に回ってしまったのよね。だから戦後、冷遇されて、……まあうちみたいなのがいるから、消えては無いって感じだわ」
「アー……、なかなか難しいですね、文学史……」
「そう。だから私はこんな風に呼んで区分してるの」
・叙情派:作者が語って正解を伝える文章
・写実派:作者が語らず正解を描写で間接表現する文章
「言葉の意味がビミョーに違うような……、と思いましたが、コレも間接表現だと考えるとそれでいいんですかね……」
「そんな感じで”派”が見えたところで、何度目か、って感じだけど”叙情派・写実派”の読解システムの部分を並べて見るわね。
■叙情派
・文章を読む
↓
・文章で書かれている正解から、与えられた情報を理解する
■写実派
・文章を読む
↓
・文章で書かれている光景を想像する
↓
・想像した光景から、捉えるべきものを理解する
「並べて見ると解る通り、叙情派の文章に慣れてしまうと、写実派の文章を読んだとき、2工程目で終わってしまって、3工程目に辿り着けない……、という話はしたわね」
「はい。――だから”読めない・何が書いてあるか解らない・目が滑る”ということになるんですね」
「でもまあ、そう言っていいのは、ちゃんと正解の言葉を選択出来ていた場合ね。
言葉通り”読めない・何が書いてある解らない”ようなこと書いてたら、それ以前の問題だから」
「な、なかなかキツイ現実ありますね!
――でも、逆に写実派に慣れていると、叙情派の文章はどう見えるんです?」
「何か”親切すぎる……”って感じるときがあるわ。あと、”動きがキャンセルされてる?”みたいな?」
「ああ、動作についても、叙情派はある程度まとまった動きを書きますけど、写実派は何処までも細分できますもんね……」
「そう。でも写実派は、だからこそアクションを書くのが得意なの。
何故なら叙情派はアクション書くときも常に正解を書くから、一語一語に”動作と、正解”が掛かってきて重いのね。読解工程は2工程だけど、3工程分の情報量を持っている訳だから」
「でも写実派は、その分、描写を重ねるんですよね。
作者の言葉ではないドライな言葉を選択しても、一文単位では軽く出来たとして、全体としては長文化して、重くなりますよね? 例えば前出ですが――」
■叙情派
午後になって空に雨雲が広がると、強い雨が降って来た。
それを見上げる少女は、秀麗な顔に哀しみの感情を浮かべている。
■写実派
西日の空に暗雲が広がり、湿りを帯びた風と共にあるものが落ちてきた。
雨だ。
そして、ただ降るものを見上げる少女がいる。
長い眉を下げ、目尻に雨が当たるのに任せている。
「文章として短いのは叙情派です。
どちらも、情報として与える重さは同じだとしても、文が多い写実派の方が総理解工程が多いと言えます」
「総理解工程ってのは良い見地だわ。読み疲れを解読する手法になるものね。
でもまあ、写実派だって、実は長文を用意しないでもいい場合があるの」
「What? どういう場合です?」
「ええ。”中編”で言った定理を思い出して欲しいわ。
・文章は、理解させることで読者に通じる
・文章は、理解させなければ読者に通じない
このことから導くならば”理解させられるなら、どういう方法であってもいい”ということになるのね。そして、本来有るべき文章を短く出来る場合は、――神道のアンタなら解るんじゃないかしら?」
「神道?」
「…………」
「……神話界におけるエリミネートアンダーグラウンド神話だという事実は関係しますか?」
「興味深い話だけど、ちょっと今回違うんじゃないかしら」
「じゃあ、えーと、神道の利点というと……」
「――代演!」
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「そうね。”代行”って言えばいいかしら。
文章を短くするには、一文単位で見るのではなく”文章全体”として見て、”何処かの文章が、他の文章を理解する工程を代行してれば、以後の理解のための工程は要らなくなるの」
「も、もう少し解りやすく!」
「定理的に言うと、こうなるかしら」
・先出しした情報によって、これから書かれる情報が予測出来る場合。これから書く情報は省略出来る。
「アー……、確かに”同じ言葉を連続して使わない”のも写実派の特徴ですから、”同じ情報を連続して使わない”みたいなのも、有りなんですね……」
「そういうこと。この場合、読む側がこれまでの情報から、ここから先の情報を補完してくれるから、一気に答えを書いていくことも出来るわ」
「一文だけ書いてるわけじゃなくて”小説・文章”を書いているから、先出し情報が、後の情報の補足になるんですね……」
「そういうこと。
ただこれ、理解の工程の定量性を外れることにはなるから、行けるかどうかは書き手のお気持ちの部分が強くなるわ。
一方で理解の速度にメリハリがつくから、当たれば効果があるのよね。
うちだと、こんな省略するときもあるわ」
「かなり吹っ飛ばしますね!」
「これらは、ここに至るまでに充分”前情報を出した”ものだものね。文章としても、ドライな一語描写の連続は、だからこそ読者で想像するものが違って面白いわ」
「だから高速戦闘の細分化みたいなのをやるんですね。でもソレ、叙情派しか読んでない人が読んだら……」
「いちいち全て書いてるクソ重くて汚え駄文よねえ。
だからよく言われるわ。”目が滑る・書いてあることが解らない・下が空きすぎ”とかね。
でもうちの文章が読める人にとっては、”こうじゃなきゃ駄目”だと解ってる筈。
文章って、見た目とかじゃなくて、どのように情報を届けるか、っていうことだけど、情報を理解する工程数というものがあることや、そこから作られる”形”があるということだから」
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「あとまあ、写実文章を選んで書いてる理由がもう一つあるわ。それは写実の最大の利点。――カメラワークが使えることよ」
「これなんか顕著だけど、空だけの超ロングから、下の大地をカメラに入れて、そして空を流れる風と波を追って行くと……」
「武蔵が画面に入ってくる、という流れですね」
「うちが属する文体でいうと”映画的表現”って言うんだけど、これは写実派の特徴よね」
「さっきの泣いてる云々の比較も、そう言われると意味が解りますね。映画とかの映像媒体だと、”哀しい”なんて出ませんから」
「そういう意味では、文章で映像を表記しているようなものね。――もしもうちの本を読んだことがないなら、そういう書き方もまた”小説”であるのだと、そう思って貰えると嬉しいわ」
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「……ええと、ちょっと難しい質問、いいですか」
「? 何?」
「……文体、昔は今と違いましたよね? 都市の頃とか、そういうのじゃなくて、35とか倫敦だと、どっちかって言うと、前者の文章だと思います」
「ああ、ぶっちゃけ初代担当(35、倫敦、香港は途中まで担当、今は編集部から異動)さんがうちの文章全く読めない人でね……。あの形にしたという訳。あ、コレ、ネガティブな話じゃないからね? 当時はマジで叙情派だけのラノベ界だとこっちには見えていたし、仕方ない感」
「それが、香港あたりから変わったような?」
「二代目担当さん(香港を引き継ぎ~神々まで担当)に、自分の本来の文体の話をして、こっちの方が書きやすいのでそうしていいか、って聞いたら、OKが出たの。
二代目担当さんは、こっちの文章読めたのよね」
「それはラッキーでしたね……」
「その時に言われたのよね。”この文章は写実の文章ですよね”って」
「写実とか叙情とか、そういう言い方は、そこから?」
「いや。その言い方自体は、高校の時の現国の先生から。
その先生が読解をする際”文章の二派を文体から見切れ”って、そういう話をしたのね。題材として、夏目・漱石(叙情派)と横光・利一(写実派)を出して来た訳」
「アー成程、それは詳しくなりますね……」
「そこで”叙情派・写実派”って言い方が自分の中で出来た訳ね。そしてノウハウを蓄積していくことになった感」
「それまではどんな言い方してたんです?」
「現代文と古文? そんな感じで、自分は古文派だったから”直接派・間接派”って言い方。
でもこれだと、情報の理解工程なんかの説明は解りやすい一方で、ではカメラワークとか、表現としての部分が説明出来てなくて。しかし言葉が明確だから”解った気になる”がこっちはありそうで、怖いのよね」
「”叙情派・写実派”でも完全に説明は出来てないですけど、ちょっと曖昧な方がいろいろ放り込めていい的な?」
「そんな感じ感じ。
でまあ、そんな担当さんと意気投合してからまず香港だけど、香港は前担当さん宛に書いていたものがベースだから叙情派? 自分でもちょっと不明な文章なんだけど、OSAKAで一気に写実系に戻した訳。OSAKAが技能表記入れてるのは、アレ、自分の写実系と”合う”からって、そういう”カンを戻す”意味もあったのよね。
技能表記で代行する分、写実系としては情景描写に集中出来るし」
「アー……、じゃあ巴里が日記文学になったのって……」
「私は元々は写実系だけど、一応なりとも叙情系の体験もしたから”二重にやれるんでは”ってのがあったのよね。
だから叙情性の強い一人称の日記と、写実系の強い”加詞筆”が出来た訳。これはダブルヒロインとベルゲの差にもなってるわよね。
――で、両方が使える、って解ったから、以後は自分が好きだった写実系メインで振っていた訳。そしてそれをまた写実メインだけど、一人称的に叙情を少し戻したのがホライゾン」
「何で叙情を入れたんです?」
「三人称的一人称? それがクロニクルで”出来る”って、途中で解ってね。多くの人数を個性出して回すには、絶対必要な技術だから、ホライゾンで導入したの。
もちろん、フルで戻した訳じゃなく、一人称でそのキャラが語る時に絞ってるけど。
これはヘクセンや神々を通して、アイコントークになっても活きているわよね」
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「何かまあ、長々と……、でも叙情がそれなりに使えるのに、何で写実メインでやってるんですか?」
「だってその方が嬉しいから」
「What?」
「正解をそのまま伝えたら、確かに正しいし、伝わるけど、そこに嬉しさを感じないのよね。寧ろ”当然のことをした”という感じ。
でも間接的に自分の伝えたいことを置いていって、それが通じた時って、ホント、本来だったら伝わらないことが伝わった訳だから、嬉しさが段違いなのよね」
「商業作品で賭け事やっているような……」
「アンタ、相方に毎日”好きだ”って言って欲しいタイプ? 私は、マルゴットの日々の仕草や会話から”ああ、私のこと好きで居てくれるんだな”って思える自分が好きなタイプ。そういうことよ」
「ああ、そういう……。でもいろいろ見てると、実はちょっと裏技めいたこともしてますよね? そのあたり、どうなんです?」
「そうね。そのあたりもまあ、二十五周年ということもあって、いずれちょっと明かしてみようかしら」
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