『機甲都市 伯林』何でこれまでシリーズやってなかったの?

「今回の話は、もう二十年以上まえの当時、シリーズ化が当然であった時代に、何故かそれを避けていた理由。いろいろあるけど、最後はコレに落ち着きますよね、と、そういった理由についてです。一体どのタイミングで”代表作”があるべきなんでしょうね。そんな話ですね」


「そういえば新伯林で疑問があったんですけど」


「? 何?」


「新伯林まで、上下巻っていうのはあっても、シリーズ化はしなかったですよね? どういうことなんです?」


「んー……。自分的に理由はあるけど、今、コレ読んでる人達、ビミョーに違和感得ていると思うのよね」


「? 何か変なこと言いましたか?」


「いやホラ、”シリーズ化はしなかった”って」


「…………」


「……アー!」


「シリーズ化するかどうか、当時は、こっちに判断があるんですね!」


「そうそう。

 どういうこと? って思う人は、当時を忘れてるか、または当時を知らない人。

 ああ! って解った人は、当時を知ってる人ね」


「――つまり新伯林を発刊した当時、ほとんどのラノベは、書くんだったらシリーズ化が前提、もしくはほぼ確で。今(2022)よりも、シリーズ化するためのハードルが低かったの」


「うちも初代担当さんから、書くならシリーズ化出来る内容で、ってよく言われましたけど、アレ、何でなんですかね」


「営業的な処はよく解らないけど、当時はレーベルの乱立も無かったし、月間点数も少なかったし、電書もまだ今のように盛んではなかったものね。

 だから書店の意味が今より大きくて、定期的に書店に来るようになる”シリーズ化”は、棚を取る意味でも、読者の生活パターンとしても合ってた、ってことかしら」


「当時はまだ”マルチメディア”って言葉が生きていたから、長期続いているタイトルはメディア化するための”準備期間”も保って、都合が良かったとか、そういうのも有りそうですね」


「マー雑に語るのはいろいろ有りとして、中にいて書いていた側からすると、ホント、ラノベはシリーズ化してナンボ、みたいな空気というか、シリーズ三つくらいやって一人前、みたいな空気感あったわね……」


「でも何で、そんな中でシリーズ化しなかったんです?」


「いや、初代担当さん(倫敦まで担当。今は編集部に在籍せず)には、35の後、GENESISの世界観使ったシリーズとか企画出してたのよ? でも”信長が女とか、有り得ないでしょう。歴史ものってだけで、古くさいと思われますよ”って弾かれて」


「アー……、当時だと確かに……」


「――でまあ、担当さんが代わって二代目の佐藤さん(ウオッチメン佐藤さん)になったんだけど、佐藤さんはこっちの好きにさせてくれるタイプだったのね。

 一方、香港は前担当さんとの間でベースが出来ていて、では次に何やるか、と考えたとき、倫敦で気付いたいろいろなアイデアがあったし、何よりもちょっと、文章力とか勉強し直そうと思ってたのよ」


「何か前にもありましたけど、そこから文章勉強ですか……」


「初代担当さんが、叙情系の文章じゃないと通じない人で、自分は写実系だったから、そこらへんどうしようか、って。だから佐藤さんに話したら”書きにくい方法をやって書けなくなるなら、書きやすい方で行った方がいいです”って言われて」


「…………」


「……名言だと思うんですが、ソレ、後から”言うんじゃなかった”って思われる台詞じゃないですかね……?」


「非常に判断難しいボケを振ってきたわね……」


「そしてOSAKAから、写実系に文章を戻して行って……、ってやるんだけど、こんな調子だとシリーズ化なんて出来ないじゃない? 実力無くて」


「アー、成長期間だと、自分の方向性が何処に行くか解りにくいですからね……」


「でまあ、チョイと時勢戻るけど、そうやって倫敦で自分の実力不足というか、小説というフォーマットと、文章に対しての思索不足を感じたのよね。そのとき、一番恐ろしいと思ったのは”自分の実力がないときに、自分が人生掛けられる作品を書く”ことだったのね」


「まあ、”やれるときにやっておけ”ってのもあるのよ。実力云々言っていたら、いつまでも書かないだろう、って。

 だから段階を経て、自分の実力を上げていくことにしたの」


「どういう?」


「文章の作法みたいなものを、作品ごとに組み込んで行こう、って。

 これは別で話そうと思うんだけど、実は段階的に、文章に”使えるもの”が増えていくのね」


「使えるもの?」


「そう。”――――”とか、それを話し言葉の区切り的に使うとか。()とかの使い方なんかもね、実は35でも自分的に”技術的に溺れる”と思って導入してないものがあるんだけど、自分の未熟を感じた倫敦では、もっと削ってね。

 文体は叙情系だけど、表現技術的には倫敦が一番リセット。

 そして香港以後、段階的にいろいろなことを導入していくの」


「感覚としては、武道で、基礎をやってから技に入って、応用にいく、というような?」


「そう。だから、応用に入る前、つまり記号とかそれらを多用する前に、まずそれらが無い状態で文章を書いて、自分が出来るかどうか確認した訳。

 ここらへん、連射王を書いた動機の一つが”プロになるなら長編を書けねばならない=原稿用紙1000枚以上の作品を書く”だったのにも通じるわね。

 実力をつけねば、と思うならば、試験もして証明しないと」


「でもその時は、何でそんなことしたんです?」


「表現というものを自覚したかったから。

 だから技術的に劣ってることを理解の上で、技とか記号に頼らないようにして、そこから一つ一つ、表現(記号や技術)を採用して、自分が表現を能動的に使っていけるようにしたの」


「アー」


「何よ」


「当時、クソ汚え文章の作家って言われてましたよね……」


「まああれは写実系の文体がほぼ無い時代だったから、ってのもあると思うわ。今はこんな感じでアイコントークだし、写実という以外、文体に拘りが無いのよね」


「でまあ、巴里をやった段階で、ある程度、表現的な部分としては下地が出来たと判断したのね。そして上下巻構成が多かったから、五巻構成でやってみようと、そういう感じ」


「結果として、ちゃんと五巻、終わらせることが出来ましたね」


「そういうこと。――OSAKA以降は写実系の取り戻しもしていたし、巴里は写実と叙情の合成ということで、”何でも書けるんでは”という確信があったのね。

 一方で、やはり写実ベースが自分に合っているということが解ったから、新伯林はトータルで写実傾倒になってるわ」


「何か、思い出深いネタはありますか?」


「三巻目である1941、これ実は、自分なりに最も写実だけで書いた一冊なの。それでまあ、実は一文だけ叙情になってる箇所があるんだけど、読者さんの中で気付いた人がいてね。

 ”ここの文章だけ違和感がある”みたいな。

 その感想見たときに、自分の写実スタイルが成ったと思って、以後、叙情的なものも組み込んだ文体になっていくの」


「解る人には解るんですね……!」


「クソ汚え、って言われた文体だけど、私は好きよ。だって、たった一人かも知れないけど、自分が自分のために構築した文体で、一行だけ仕込んだものが読者に通じるって、嫌いになれる訳ないじゃない」


「――そんな感じのいきさつだけど、ホント、いろいろ考えるわね。

 凄い長編のアイデアがあったり、そう出来る機会があったとして、己の実力や方向性が合致してるときにそういうものが書けるかどうかは別でね」


「こればかりは、なかなか掴みづらいですよねー……」


「そう。でもね? 実力は狙って上げることが出来るから、自分の不足を把握して、長所を伸ばしたり、追加していくことを怠らないように、って話だと思ってるの。

 いつ”その機会”が来てもいいように、可能な限り、漫然ではなく、進歩しないとね。その部分については、こちらがどうにか出来る処なんだから」


「うちは新伯林もクロニクルも、ホライゾンも、それに見合った実力や方向性が合致した、という感ですからね……」


「あ、そこはちょっと、ホライゾンについては別でね? ホライゾンの話の時に、ネタにしようと思うわ」

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