自由の置き場

 自由ってあるじゃん。

 何て言うか。それまで持ってた常識とかそういうのがパアンて弾けてさ。たとえば、

「ああ、明日から外でもノーパンでいいんだ!」

 みたいなアレだ。あたしまだパンツ履いてるけど。じゃあ言うなよ。まあいい、例え話だ。アツくなるなよ。

 でもまあ何だ。自由って、解放じゃないんだ。解放されるのは、それで普通だ。束縛がないのがフツーなんだからな? 解るか? じゃあ自由って何だって言うと、あれだ。

 あれだよ。

 言葉が出てこない訳じゃない。まあ、あれだ。

 そうだ。それまで束縛とかルールだと気づいてなかったことからの解放だ。つまり何だ。たとえば、

「ああ、明日から外でもノーパンでいいんだ!」

 みたいなアレだ。さっきと同じか。でもお前、パンツ履くのを何でか真面目に考えたことがあるか? 言っておくけどあたしは無いぞ。パンツを履くのはまだ人類にとって常識だからな。やがて健康のために皆脱ぐかもしれないが、あたしはまだそこまで行かないかなー。どちらにしろ例え話だ。アツくなるな。

 まあノーパン未満の自由ってのに、不意に気づいたんだ。



 あたしのいる学校は高校から大学が一貫で、実質七年生みたいなアレな。でまあ一年の時は、すげえ真面目にやってたんだよ。そしたら内申点? それが通期でかなり良いところまで行っちまってさ。ぶっちゃけトップだよ。

 それで何か計算したら、以後、二年、三年と、馬鹿でも上にいけるってことになってさ。

 あたしスゲーって思いもしたんだけど、こうも思ったんだ。

「これからあたしがすることって、意味あんの?」

 だよなあ。賢いあたしは気づきました。馬鹿でもいいなら馬鹿でいいじゃん、って。



 遅刻すると内申点とは別の評価点が下がる。これは数字で明確だ。

 だから遅刻はしない。

 それは手に入れた自由を破壊することになるからだ。

 だからそういうことは避けて、別で遊ぶ。

 服装とかは、大学一貫なせいで私服もオッケーなんで、遊んでも、下手に目立たなければ叱られない。だからハシャぐならコレだ。まず制服を改造してみた。こういうの一回やってみたかったんだあー的なミニ改造とか、ブレザーの絞りとかな。

 あと、馬鹿でいいならバイトすっか、と、近所のスーパーに併設されてる花屋で働き始めたら、そこそこ稼ぎになったので髪型とかも変えてみた。メイクもそれまでカンで粘土捏ねてるようなアートだったのを、ちゃんと本買ったりで水彩画くらいにはなった。やれば出来るもんだなあ。三ヶ月くらいで自分がなりたい自分と、自分はここまでやっていいんだみたいなのがそれなりに叶ったり、上が見えたりって状態だ。

 まあ大学行くまでの自由かな、とは思うが、とりあえずそれが今のあたしでさ。

 で、私生活はそれとして、学校の方。

 そっちが自由。

 馬鹿でいいんだから、とりあえず、気楽に行こうって。



 教科書要らないんだ! って気づいたのは、二年一学期が始まってすぐだった。

 バッグを買い換えるかなあ、とスマホでカタログ見ようとしたときに、来たね。何かいきなり尻から頭にビビっと来た。

 そもそも教科書いらないじゃん! って。

 あー、そうだ。馬鹿でいいんだ。だったら授業に出る必要はあるけど、教科書は授業じゃない。いらない。ノートで板書する振りでもしとけばいいのか。否、

「先生、ホワイトボードに書いてるの、スマホで撮っていいですか」

 すげえ叱られた。

 何だよいい方法じゃんかよ……。ノートにとれとか、何処の軍隊だよ……。そんな軍隊あるのかは知らん。例え話にアツくなるなよ。でも効率良い方がよくね? どうなのよ?

 だがまあ、ダメと言われると腹も立つが、ここでヒートアップしたらいけない。考え方を変えよう。つまり先生達は”ダメ”という意味でダメと言ってるんじゃない。”イヤ”という意味でダメと言ってるんだ。

 このように考えると、先生達はいろいろな禁止事項につけて、

「イヤアアア! それやられるとイヤなのおおおお!」

 って泣きながらこっちに懇願してる気がしてきて、まあそうしてやらんこともないぞ、って気になる。だから思い切りミニスカどころかナノスカとかピコスカみたいなのを巻いてきたときもダメと言われて、何でダメなのかと聞くと校則云々というわけで、これはつまり校則を決定した校長が、

「イヤアアアア! ミニスカは破廉恥なのおおおおおお!」

 って涙流して訴えてきてると考えるとどうだ。単純にキモいな……。いや、これはダメだろう……。あの校長、始業式で配られたプリントの教員紹介で趣味に「阪神の応援」とか書いてたからな……。阪神好きでミニスカがダメとか、終わってるだろう……。阪神の風評被害をしてしまってすまないが、よく考えたら校長も風評被害か。あと、ついダメとか言ってしまったけど、まあ私はいいんだ。自由だからな。自由、安いな。ついでに言うと私はヤクルトファンだ。ヤクルトいいぞ。朝が楽になる。潤滑油って感じだな!

 何の話だっけ。板書の話だ。よく憶えてたなあたし。もっと馬鹿でいいぞ。というかたまに”私”に戻ってるあたり、育ちがいいなあたし。まあそういうもんか。



 そんなわけで、方法を考えた。


 1:学校に来る途中、コンビニでコピー用紙の束を買ってくる。

 2:授業中、板書をそれに書き写す。

 3:授業が終わったらそれをスマホで撮影。

 4:コピー用紙はダンクシュートで捨てる。

 4だけ難度が高いが、まあ何とかなる。


 なった。やるとクラスの男子がハっとして振り向くが、お前らそんなパンツが見たいのか。そんな焦らなくても、あと五年くらいすれば、大体のお前らもパンツどころか中身も見られるようになるぞ。まあ一生無理なのもいるだろうけど。

 ついでにクラスの女子からは睨まれた。何か男子にパンツ見せて人気とってるとか、そういうことらしい。なので昼休みに、メインの連中のスカート下に落としてやったら大騒ぎになったが自由っていいよな。「何すんのよ!」って馬鹿野郎、こっちは指先で瞬間的に落とせるように、三日くらいうちの弟にスカート穿かして練習したんだぞ。成果を出させろ。弟も始めは嫌がってたけどピーク時には「姉ちゃん凄いよ! 今度は後ろ! 後ろでこう、腰ヒネったときやってみて!」って姉のカースト爆アゲだ。ちなみに弟は中学の柔道部で主将やってっからな。

 でも何だ。初めてバイトして稼いだ金で買った服が弟用のスカートって、ちょっとレア案件じゃね? 羨ましいか!

 なお、授業中だってのに先生に呼ばれた。先生、応接室でうなだれ気味に、

「お前さあ、何で呼ばれたか、解ってる?」

「はい。これから先生があたしに一方的に説教した場合、あたしは帰宅途中で警察に寄って”先生がスカート落としてみろって強制してきて”って泣きながら言う練習ですね?

 さっきドアノブをスカートで拭ったから先生の皮膚とかスカートについてると思います。で、そんなシチュで、先生、少年課の担当役で御願いします。あたし、もう一回ドアから入ってきますんで」

「やーめろよお前。――座れ」

「始まってます?」

「始まってない」

「じゃあどうぞ」

「――というか、何? 他の生徒のスカート落としたとか……」

「いや、偶然ですよ偶然。指が引っかかったら落ちただけで」

「いや、あいつら、お前が脱がせたって言ってるぞ」

「先生、あいつら、って」

「先生は何も言わなかった。いいな?」

「まあ、あいつらはあいつらで。ハイ。じゃあ、あたしはどんな感じです?」

「今の所は”妖怪スカート落とし”だ」

「ワーオ、随分カースト上がりましたね。二回くらい転生しました?」

「転生はいいから反省せえよ」

「先生、漢文の担当だからってそんな荒っぽい韻を踏まないで」

「……お前、そういうところで頭いいんだからさあ」

「いや、でも、スカート落としちゃいけないって、校則に無いですよね」

「公序良俗を乱さないって、書いてあるだろ」

「いや、スカート穿いてる方が扇情的ですよ。スカート穿いてないとパンツ丸出しなだけですけど、穿いてると、まずその内側にパンツがあるかないか観測しないと解らない状態じゃないですか。二分の一でノーパンですよ? どっちが扇情的かというと穿いてる方です」

「あのな? スカート落としてパンツ見せたら公序良俗に反するだろう」

「いや、スカート落とすの公序良俗に反してないですよ? だって、家で脱ぐじゃないですか」

「学校は家じゃねーよ」

「いや、でもうちの校歌にありますよ。”ああ たましいの わがや”って。凄いですよね。実際の家よりも上級のソウル我が家。それがうちの学校」

「あれは、その、何だ……、アーティストがハジケたアレだ」

「じゃスカート落としも生徒がハジケたアレってのでどうです?」

「お前、ホントに落としたの?」

「いや、落ちたんですよ。フツー、指先だけでどうやって落とすんですか」

 フツーは弟相手に三日間練習だよな。

 だがまあ、二度としないように、という注意で解放された。

 クラスに戻って、手を挙げて皆に挨拶したあと、新任の英語の先生のブラをシャツの上から指一つで外して声を上げさせたら、一部の女子に睨まれたけど全体的にウケはとれた。

 ブラ外しも弟に(略)。

 まあそんな感じで。こっちは基本的にあまり目立たないように生きてきたわけで、一部の女子はこっちを”視界に入れたら負け”みたいな感じで非常に宜しい。窓の外回って視界に入ったら悲鳴をあげられたけどオイオイ可愛い声で鳴くじゃねえか御嬢ちゃん。うちの弟みたいだな。

 弟の風評被害が激しくなってきた気がするので話題を変える。



 まあクラスの中でも、こっちがメゲない上でポジション獲得すると、女子も大体寄ってくると言うか、戻ってくる。あたしの地金がいいのは解ってるから、いろいろ授業のヤマとか質問とか来るし、こっちもカンを鈍らせない感じで応じてると楽しい。

 あと、アレだ。馬鹿になろうと思って外出多くしたら、フィジカルが良くなった。何か体育の時間で「あれ? 走れる?」みたいな気になったので、弟のランニングに自転車でついていくようにしたら体が軽くなって、あたしって天才じゃなかろうか。あと土手とか走ってるときに、

「弟! 今、エロ本落ちてた!」

「マジかよ姉ちゃん!」

「うん! アンタが拾うと問題だから、姉ちゃんが保護してくる!」

 通り過ぎたり土手にいる連中が振り向くけど気にしないこととする。

 しかし何と言うか、いろいろ拾ってみたけれど、アイドル系みたいなのがやっぱいいんですかね。まあ拾いに行って良く見たら”緊縛スナイパー”みたいなのだったりした場合は、

「弟、……夜露で湿ってて、姉はあれはダメだと判断したよ」

 と、そんな気遣いを見せるもんだが、まあこれは正しいことだと思う。だって柔道の試合の時、弟の襟を持ったらその下の体に縄目があるとか、対戦相手はトゥクンしちゃうだろう。それは避けたい。ただでさえ、この前はブラのハーネスの跡つけさせてんだから。

 結果としてまた弟の風評被害をアゲてしまった気がする。



 先生が知恵を効かせたのは、一学期始めの小テストが終わってからだ。

「そこ」

 あたしは後ろの娘に振り向いた。

「先生が呼んでるよ」

「――お前だよ」

「あたしですか。ダメですよそんな、カワイイからって内申点アップとか」

「いいから。お前、隣な? これから横の席のは、そいつに教科書見せてやるように」

 言われて右を見ると、席を空けられた。そんな照れるなよ……。

 だが左のヤツは、先生に会釈して席を寄せてきた。

 あ、と思った。先生が肯いたのもだが、これ、話を合わせてあんな、と。

 横、眼鏡のレイヤーカットに、あたしは横目を向けて、

「――有り難う」

 面倒な事を、と思った。先生も結構解ってる。あたし、こういうの断れないタイプなんだよね。

 すると横の男は一つ頷き、

「じゃあ」

 とヘッドホンを机から出して耳を塞いだ。

 漏れ聞こえる音楽は、あたしも知ってるヤツだ。紅白でスベったバンドのアレ。



 こっちは板書コピってスマホでダンクだから、教科書は要らない。というか、教科書を要らなくするためにそういう流れにしたのだ。

 だが横の眼鏡は、逆だった。

 この男、板書をノートにとらない。というかノートを持ってきてない。

 あるのは教科書とペン類だけで、何をするかというと、板書を眺め、

「――――」

 教科書の、該当箇所に色ペンでラインを引いていく。そして小さい字で注釈を書くときもある。

 だが。それだけだ。

 ……マジかよ?

 と思ったけど、マジだった。

 こちらとの間に置いた教科書で、それをやる。

 こっちが教科書をとりあえず見てる間でも、サっと書いていく。さりげない。アレだ。バーでバーテンがさりげなくグラスをコトって置くアレだ。バー行ったことないけど刑事ドラマで見たアレだ。大体犯人コイツな。

 あ、他にもしてることあった。授業中に音楽聴いてる。あと、授業後にスマホ見て何してんのかと思ったので、

「何してんの?」

「授業で出た単語を検索してブックマークしてる」

「そういや教科書にライン引いてるのは、何?」

「先生の説明で出た部分で、適当なところに引いてるだけだよ」

「それで意味解んの?」

「解らない。だから後で見直して、線引いた箇所を繋げられるように考える」

 ああ、とあたしは思った。単純な暗記系じゃなくて、出来事の関連で憶えるタイプだ。この手のは文法関係も強いんだよな。



 それから、全ての授業で、あたしは横のヘッドホン眼鏡という設定盛り過ぎな男と、教科書を共有することになった。というかあたしが間借りするような感じだ。



 教科書を間に置いて。

 あたしは板書をソッコで書き写してスマホ。向こうは中央に置いた教科書に書き込みをリアタイで行っていく。だけど、これはどう見ても、

「あたしのほうに教科書を突き出してるのやりにくくない?」

 一週間位すると、ビミョーに慣れるというか、ダレるのあるだろ、アレだよ。倦怠期。じゃない。違う。何かまあ、教科書があるのが当然、みたいな感じになってる。始めた頃は各授業終わるごとに机を離していたけど、今は一限からHRまで繋げっぱなしだ。

 だが、横のヘッドホンは、首を傾げてこう応じた。

「いや別に。邪魔じゃないよ。線引くだけだし」

 あ、そ、と止まってしまった。

 ややあってから、向こうが、

「そっちこそ、コピー用紙に書き込んでるの、こっちの教科書が邪魔じゃないか?」

「いや別に。邪魔じゃ無いよ。B4じゃなくてA4だし」

 あ、そ、と向こうが止まらなかった。

「そっちのコピー、見せて貰える?」

「はあ?」 

 だって、と相手が言った。

「僕の教科書の線引きとか、結構見てるよね。僕、板書しない派だから、逆にそれをやる人の要点、見てみたい」



 仕方ないな、と。昼休み前に捨ててやろうと思ってたものを出す。

 前の授業は世界史だ。

 コピー用紙を渡す。すると、

「ミリペンで書き込んでるのか」

「シャーペンだと芯の入れ替えしなきゃいけないから、荷物増えるだろ。ペンだと一本あればいいし、どうせ板書を移すだけだから書き直しも無いからな」

「驚いた」

「頭いいのが解って?」

「いや、絵が上手いんだな。――カノッサの屈辱で土下座してる皇帝がハゲとか卑怯だ」

 顔を背けて笑うなって。奥ゆかしいぞ何かお前。それに、絵だけじゃないぞ。

「板書をそのまま映すのも何だから、あたしのレギュレーションで重要だと思ったところはデコってる」

「この星がたくさん書き込んであるのは、デコか。重要度は?」

「そこは結果的に今回一番低かったから、相対的に他が派手にならざるを得なかった」

 また笑われた。お前、沸点低いだろう……。



 で、コイツがコピー用紙を見終えたあとで、こう言った。

「――面白いな」

「感心したとか、よく出来ているとか、そういう風に褒めろよ」

「それは君に失礼だろう」

「あたしは褒められれば何でも嬉しいぞ」

「たとえば?」」

「カワイイとか綺麗とか言われると嬉しくて飛び跳ねてパンツ見えるときがある」

「何てカワイくて綺麗なコピー用紙だ」

 何も書いてないコピー用紙を折り紙してやった。

「ハイ、パンツ。大事に持って帰れ」 

「女性から下着を貰ったのは初めてだ……」

「トゥクン……、じゃねえよ。ほら」

 手を出すと、首を傾げられた。

「だーかーら、その板書のコピー用紙、手元にあるやつ返せって」

「捨てるんだろう? だったら貰いたい」

「はあ? 何でだよ」

「ああ、僕は板書しないから、こういうのがあると助かる」

 このヤロウ……!

「あ、今、一瞬見えた表情、凄くカワイイ。どんな感情だった?」

「お前にコピー用紙は貸してやらんと、そういう感情」

 じゃあ、と提案が来た。

「コピーとらせてくれ」



 そんな訳で、相手のバッグにコピー用紙を本日の授業分。収めて帰宅途中で向かったのは、学校近くのコンビニだ。何をするかと言えば、

 ……コピー用紙のコピーか……。

「一種の親子丼だよな……」

「イートインならあっちだよ」

「そうじゃないって。ほら早くコピー」

「解った」

 と、言ったコイツが、コピー機を前に辺りを見回す。やたら不審な動きだったので、こっちも察して。

「……まさかお前、使い方知らない? コンビニのコピー機だよ?」

「うちにあるのと違う」

「うちは何やってんだよ」

「経理士」

「……何か変なの来るかと思ったら、存外に生々しいの来たな……」

「コレ何? 下から出るの? ここに金いれるの? カード使える?」

 仕方ないなあ、と手を出す。すると、

「何コレ」

「金出せよ。やってやっから」

「驚いた」

「親切キャラだとギャップでトキメいたか?」

「いや、掌の生命線が長くてキレイだね」

 このヤロウ、と思ったら掌に五百円玉を乗せられた。

 こんな要らんけどな、と思って、横の機械にコインを落とす。手を指し出すと、始めの授業分のコピー用紙が眼鏡のバッグから出されてきた。

 そしてコピー機のカバーを開けると、あー、ここのは縦置きか。

「いいか? こう使うんだ」

 言ってカバーを開け、撮影面に顔を伏せる。鼻をガラス面に当てないのがコツだ。上からカバーを頭に乗せて一枚。ガーっと行ってガーっと戻る。そして下から、

「おお、美人さんが一枚撮れたぞ。今の、憶えたな? 目を開けてちゃダメだかんな?」

「コレ、僕の五百円から十円削れたよね?」

「授業代だよ、憶えとけ」

「コピーの使い方の?」

「馬鹿、十円であたしが美人だって教えてやったろ。この年になると聞くのも恥ずかしいから授業してやらないとな」

 無言でヘッドホンを耳に掛けたので、その手を掴んでコピー機に挟み、一枚撮ってやる。

「うわっ、熱……、くないか」

「ハーイ、人を馬鹿にしたヤツの指紋確保」

 押しつけて、正規の一枚目を撮る。そして二枚目、三枚目と進み、全部終える。

 お釣りは結構ある。それを戻して手渡そうとすると、

「何か飲むものでもオゴろうか」

「気にすんな。荷物になるからいらないよ」

 そっか、と相手は引き下がる。だが、ややあってからこう問うてきた。

「何で、何も持たないんだ?」

「いや、揚げ足取りで悪いけど、スマホとか財布とか持ってるから」

 まあでもそういうことじゃないよな。

「――何かいろいろイヤになってさ。多分コレ、リセットの儀式なんだよ」

 そうなんだ。と相手が言う。だがそれだけだった。

 あたしは自分のコピー用紙を横の屑籠に突っ込んで終了。

 そこから、何かまあ、コピー機の使い方とか憶えるかどうかとか、そんなことを話しつつ、

「じゃあな」

 駅前で別れる。あたしの家は駅前。向こうは電車だ。



 翌日から、コンビニでコピーをとる風習が出来た。

 何か、あたしがコピー機担当。

「……何であたしが、アンタのためのコピーをとるの?」

「コピー機も美人さんに操作して貰った方が嬉しいと思うんだよ」

「メスかもしんねえだろ。やってみろよ」

 やらせたら原稿をいきなり横向きに突っ込んだのでイラっと来た。

「うちだとこうなんだよ」

「ここのは安いんだよ。省スペース用」

 店長が「裏切ったな……」という顔をこっちに向けてるが無視する。

 あのなあ、と御坊ちゃんの肩を叩き、原稿を手にする。

「こっちの作業中にヘッドホン掛けたら、二度とやってやらないからな?」

 言うと、何も言わずに横でこっちの作業見て、下から出るのを確認し始めるが、意味ないからやめろ。何かやってる振りをするな。鬱陶しい。あと邪魔。鬱陶しいのと同じか。じゃあ邪魔でいい。超邪魔。



 一週間ほどすると、提案が来た。

「僕だけが君のコピー用紙のコピーを貰ってるのは悪いと思う」

「その行為自体が悪いって気づかないの凄いけど、一歩前進したな? 何だ? 常識との結婚祝いで聞いてやるから言ってみろよ」

「僕の教科書をテスト前に貸そう」

「荷物になるからいらないって」

「荷物にはならない」

「どうして」

「君の家が駅前だからだ」

「直接配送かよ」

 そういうことになった。

「次の中間テスト。テスト前に日程調整して、一冊ずつ貸そう。二冊がいいか?」



 そんなことを繰り返していると、テスト前になった。

「……結構書き込んだ教科書だな……」

「驚いたか?」

「引いた」

「日程的に土日あるから、土曜日曜はこっちが取りに来よう」

 聞いちゃいない。だがまあ、

「いつ来る?」

「昼丁度の電車があるから。それでいこう。――電話番号を聞くのは何だからね」

 自分から言うなよ。こっちが自分に浸れないだろう。



 コピーをとっていると、教科書男が問うてくる。

「前にこちらが答えたので逆に問うけど、君の家は何やってるんだ?」

「父親はファーマーズナンタラいう即売所で何かいろいろやってる。市の業務だったらしいんだけど民間化して、それについてった感じ?」

「道の駅みたいな?」

「あー、似てるけどアクティブな農民系? 何か地元の祭とかも敷地でやるとかで、この前に何か家のゴミとか燃やす派手な火祭りみたいなのやったら、期限切れの消化器突っ込んだバカがいて大爆発して警察沙汰になってた。――何笑ってんだよ」

「いやまあ、成程ねえ」

「うわキモいわ、その達観。――あとまあ、母親もそこで働いてたんだけど、トマトの箱持ちあげて腰やっちゃってな。以後、うちでトマト出ねえんだ。でもピザは食う」

「割り切りが効いてていいね」

「もっと褒めろ。あとは、弟が一人な。柔道部主将であたしの初めてのバイト代は弟のスカートに消えたから」

「は? え? 何?」

 二度と言うか。だがまあ、向こうは首を傾げて、

「柔道部主将とか、弟さん、凄いな」

「彼女の一人でも作って連れ込んでくれればねえ。妹欲しいよな。いたらいいぞお、何しろ最初のバイト代が妹の穿くスカートになる」

「何か拘るね」

「プライドが先に立った案件だから仕方ねえけどな」

「弟さんの姉への評価は?」

 ああ、とあたしは肯く。

「姉ちゃんは作画が凄くて抜けないエロ漫画みたいな存在だから、って真顔で先週言われた。

 ――だから何笑ってんだよお前」

「いや、御免。――で、何て答えたんだよ、君は」

「ああ、――でも一番長くつきあえるのは企画系だからな? って言ってやった。

 ――引かずに笑えよ! 身の置き所がねえだろうが!」



 そして教科書のレンタル期間がスタート。

 継いで中間テストもスタートする。

 基本、教科書の方は、うちにある教科書に線を引き写していくだけだ。

 一日一冊。一夜漬け、とはならないようにかなり前倒しスケジュールでスタートだが、やはり一日一冊だと追いつかれる。

 土日。

 土曜日、駅のエントランスに立っていると、ヘッドホンがやってきた。

 私服はブルゾンか。シャツインしてるかと思ったら違って意外だ。あとまあ脚細いな。細くて悪くないけどローキック食らったら折れそうなのはどうにかした方がいいと思うぞ。

「何か僕、思い切りガン見されてる?」

「こっちはジャージですまんねえ。近所なもんで」

 というか格好つけて出ようとしたら、確実にうちの御両親と弟に気づかれる。今も「コンビに行ってくるわ」で出てきてるからな。

「ほい、今日の上納品」

「じゃあこっちも」

 と、それで終わりだ。まあ下りが来るまで十分ほどあるが、

「あ」

 とブルゾンが言った。

「正直、凄い点が採れると思う」

「あー」

 と、何か遠回しに褒められてる感を得つつ、自分も言う。

「あたしもだ。自由になって馬鹿になったと思ったら、また今年も結構上にいけると思う。だとしたらアンタのおかげだな」

「うん」

 と、それだけ言って、ブルゾンと教科書の交換。

 最後の一冊。

 経済か。月曜のテストだから、あたしにとっては今日が勝負だ。



 しくじった。

 土曜の夜から、いきなり月一のアレが来た。

 いや大体解って用意はしてたんだ。キッツいのとユルいのの二種類があって、このところ後者ばかりだから、油断してた。

 あたしの場合、キッツいのはマジでキッツいんだ。何か腹の奥がずっと何か出したい吐き気みたいなの来て、それが収まると酷く冷えて絞られるように細くなる。痛いとか、そういうのじゃない。出したいけど出せないのと、細くなるのの交互だ。

 腹の奥が、足より下に落ち続けていくような錯覚がある。

 抜けると一気にテンション回復して菩薩みたいな気分になるんだけど、今はそうじゃない。

 ダメだ。今日は昼に教科書の交換だ。

 あたしコレ、今日はダメな気がするけど、あの男の方はそうさせちゃダメだ。だけど昼まで、

「うわ、まだ九時かよ……!?」

 流石に残り三時間、耐久勝負をやってる余裕は無い。二階の自室から下に降りて鎮痛剤を採取することにする。が、余程酷かったのだろう。母がこっちの顔見て、薬箱ではなくて冷蔵庫を漁り始めた。

「母さんの腰の痛み止め、飲む? ス――っとするよ?」

「スッゴイ不安な爽快表現だけど、頂きます……」

 飲んだ。

 どうだろう。とりあえず、あまり動きたくないので、リビングのソファに返す教科書を持ってジャージ姿で待機しておく。あと三時間か。何かまあ、こっちの調子が悪いのは丸わかりだから、言い訳を考えておかないとなー……。



 気づくと窓の外が夜になっていた。

「ワッツハプン!?」

 聡明なので思わず英語で言ってしまったが、時計を見ると十二時だ。

 夜のな。

 ……マジかよ……!?

 十五時間寝てた。

 教科書――、はリビングのテーブルの上に置いてあった。抱えてたのを落としたらしい、というか、体には毛布も掛かっている。何かと思っていると、母が来た。

「ああ、よく寝てたわね。でもスッキリした顔して。薬、効いたみたいね」

 御免。それどころじゃない。教科書掴んで、あれだ。

「ちょ、ちょっとコンビニ行ってくる!」



 いるわきゃない。

 そこから明日の勉強をするときの気まずさが凄い。明日の言い訳ばかりが先に浮かぶ。

 そういや連絡網って……、ああ、保護者だけに渡してるんだっけ? 子供同士だとスマホ持たせない御家庭もあるとかで。

 詰んだ。



 翌朝、とにかく早めに駅のエントランスで待つ。

 早めに返して、少しでも穴埋めになるようにしないとダメだと、そう思う。

 そして電車が来る。

 でも来ない。来ない。来ない。おいおいおい随分遅いな。

 待っているのがメンタルにかなりキツい。時間も無くなっていく。これは会っても言いたいこととか言ってる暇ないなあ、ガッコに急ぎだなあ、と、併設コンビニでメモを買う。ペンは持っているから、

『教科書返すの失敗して御免。後でちゃんと謝る』

 メモを教科書に挟んでおく。すると電車が来て、人が来て、見知ったのが来た。よく見ると、

「シャツインかよ!? まあ見慣れてるけど」

「――大丈夫か!?」

 いきなり声が掛けられた。



 大丈夫かって、何事かというか、アレ? コレ、あたしが謝るターンなんですけど? 何か丁寧語になってしまうけど、ワッツハプン?

「あ、いや、昨日、君が来なくて」

「ああ、御免」

「君が来ないとか、――君に致命的な何かが起きたのかと思った」

「あたし、どう見られているんだ……」

 まあ心配されてるのは間違いが無い。だがとりあえず教科書を返して、

「御免」

「理由を」

「発音的には整理」

 数秒して、シャツインが額に手を当てた。ハー、と吐息して、

「うちは妹がいてさあ」

「マジ!? うちと交換しない!?」

「やだよ」

 それはうちの弟に失敬な気がするが、まあ今は反省ターンなのでおとなしくしておく。



 急ぐ。歩きながらで、

「――まあ、確かに致命的ではあるよな」

「それごときで、と言われなくて良かったけど、でもマジですまないわ……」

「いや、僕の方も、君の家を知ってる訳だから、訪ねれば良かった」

「家までつれてったこと、あったっけ?」

「このエントランスは見晴らしがよくてさ。君が家に到着するのと、僕が階段を上りきるのが大体同じだ」

 あー、と言ってから、あー、と言い直す。

「うち来ていいよ、って言っておくべきだったか」

「あと、スマホな。SNSとか、格好つけずに聞いておくべきだった」

「いやそれは、こっちも教えておくべきだった」

 譲らない。というか譲る気が無い。だから、

「お互い、気遣い過ぎたってことで」

 それで手を打ち、学校に急ぐ。



 テストはキツかったが、朝の遣り取りで少しは気が楽になっていた。三教科で、最初の経済を終えたら、まあ、”終わった”ようなもんだ。後の二教科は準備的には万全なのだから、二人でエンジンが掛かったようになる。

 だが三教科目のとき、事故が起きた。

 最後の教科と言うことで、教科書をバッグの中から出し入れするシャツインの手、というか、手にした教科書から、一枚の紙が落ちたのだ。

 メモだった。

 あ、と思う間に、それは前に飛び、丁度そこにいた女子に拾われる。

 あたしがスカート落とした娘だ。彼女は、こちらを見て、メモを見て、

「……ちょっと!」

 ハイー、来ましたよー。

「何だよ一体。またスカート下ろして欲しいのか御嬢ちゃん」

「馬鹿! 教科書って、返せなかったって……!」

 ああ、まあ、このところのうちら見てると、大体事情は察せられるよな。

 どうしたもんか。その件はもう話がついたと言って、いいんだろうか。否、コレは逃げだな。自分の悪いところを見ないようにして、逃げてるだけだ。だから、

 ……あたしが不手際やって、悪いことしたよ。

 と、そう言おうとしたときだ。横でヘッドホン外したシャツインが、立ち上がったのだ。そしてこちらに来ていた相手を見据えて、

「――そのメモは、僕のものだ」

「――――」

 相手が、一回、何か言葉を選んだ。だが、もはやこちらではなく横の方を睨んで、

「貴方、それでいいの!?」

 は?

「貴方、去年、学年二番で悔しがってたじゃない!? その相手に、今、嫌がらせみたいなことされて、自分の方がピンチになってるのよ!?」



 ああ、と、何かいろいろ合点がいった。

 この娘があたしに突っ掛けてきたのって、アレか。

 コイツに惚れてた……、まで言っていいか、そういうことか。

 アー、じゃあしょうがねえ。

 色恋の沙汰は面倒くせえことばかりだけど、止められないってのは解ってる。事故みたいなもんだ。しょうがねえ。何もかも無しだ。それとまあ、

 ……アンタ、実は超良い奴じゃねえか。

 惚れた男が、横にパンツ見せる頭の良い痴女がいるというカオスな状況なのに、気ー遣ってたんだろ。悪いヤツじゃない。何かいろいろすまん。あたしは貝になりたい。アワビとかミル貝とか、時期的にそっちを考えてしまうが、美味いよな。だけど、

「話がズレているよ」

 彼が言った。

「そのメモは僕のものだ」



 メモは丸められて窓から投げ捨てられて、何のドラマだ……、と思いました。

「文化が違う……」

「君だったらどうする?」

「目の前で食って”うめえー!”って言ってやる。――笑うなよ、こっから先、至難だぞ」

「至難?」

 あー、まあ、解らんか。向こうでは彼女が泣き出してるし、フォロー民が凄いいるし、

「一週間くらい、お前の悪い噂がとびまくって嫌がらせうけて、あたしの方にも痴女とかコマシとかお金を貰ってピョンピョンゲームとか、そういう噂が広がる」

「一週間か。――テスト休みと返却期間があるからそれで消化だな」

 コイツ意外に剛胆だなあ、とは思う。

 だがちょっと、さっきはまあ、何となく、あっちの彼女が惚れるのも解った。明らかにズレてるんだが、あたしのメモをああやって宣言されると、流石にちょっとクる。チョロい。



 だけど、幻想ってのはすぐに消えるもんだ。ハイ、イリュージョン終了! って感じで、テストが終了したときに、それが解った。

 男子連中が、ヘッドホン掛けた横のアレのところに、集まってきたのだ。

 教科書だった。

 机の上に、あたしが借りた覚えのあるものが、詰まれていく。

 つまりはそういうことだ。

 あたしだけじゃなかったと。



 あー。何だろう。悪い意味で種明かしをされた気分。

 何だよ何だよ。ちょっとは”良い”と、そんな疚しいことを思ったせいだろうか。そんなことはないと、お前も”顧客”の一人だと突き放された気分。

 まあ、そうだろうなあ。

 さっきの遣り取りが少しは気に掛かっているのだ。

 ……二番か。

 あたし、去年の一番。そして今、馬鹿の一番をやってるつもりだったけど。向こうはそういうつもりは無かったのだろう。

 何か、すごく、肩すかしを食らった気もしたし、こっちがえらく失礼なことをやらかしていたというのも、解ってきた。

 馬鹿だ。

 馬鹿になろうと思っていたから、馬鹿になったんだろう。

 だけど、もうちょっと良い馬鹿が良かったなあ、とは思う。



 まあ、ちょっとクールダウンが必要だ。

 テスト休みと、返却期間は、確かにその役目を持った。

 経済のテストはどっちもまあ、平均点くらいだよね的な感じで、全体で見て、一、二を争うとか、そういうレベルではなくなっていた。

 リセットだ。

 お互い。まあ、あたしが原因だけど、トップ争いからは事故のように落ちた。

 これから、次、期末に向けてという感じで、仕切り直しだ。

 土日を挟めば、通常授業がまた始まる。そこで再開。でも、前と違って、ちょっとは良い馬鹿で行こうと、そう思った。



 土日開けて最悪の馬鹿が生じた。

 教科書男が、教科書も、バッグも持たずに学校に来たのだ。

「どうした一体」

「いや、……この前の返却日のラストで、机の中に入れてた教科書を全てバッグに入れて持ち帰ろうとしたんだよ」

「あー、パンパンのアレ。馬鹿じゃねえの、って見てたけど、どうだったんだよ」

「――で、帰りにゲーセンでリズムゲーやってさ。調子よくてハイスコア出して”よっしゃあ”って言ってたらバッグが消滅していてな」

「観測結果か」

「うん。観測するまではあったんだよ」

 ダメだろう、どう考えても。だが授業は始まる。どうするか。

 ああ。

 まあしょうがない。原因はと言えばいろいろとあたしだ。だから右の席の娘に、

「悪い。今日、教科書全部貸してくれ。こっち、どっちも持ってなくて」



「……君、今、すごく痴女とか、お金貰ってピョンピョンゲームとか言われてるし、パンツ写真が出回ってるけど、そのコミュ力はホントに凄い……」

「お前そのヘッドホンが悪いんだよ。個室状態だろ」

 とりあえず板書はする。だけどお互いの共通見解として、

「他人の教科書じゃダメだな……。当たり前だが書き込めない」

「被害届? 出したの?」

「出した。まあ期待してない」

「じゃあ教科書の買い直し?」

「注文してる。全部揃うのに二週間くらい掛かるって」



 仕方ない。ホント仕方ない。だけど仕方ない。だから翌日は、

「ほら、うちからもってきてやったよ。あたしの教科書」

「くれるの!?」

 食いつくな。そんなこと今やったら、噂の七十五日が延長戦に入るだろうが。

「これは、あたしの」

「見てるだけだと、僕は意味が無いんだけど?」

「でも、お前に書き込ませても、あたしのものであることは変わらないからなあ……」

 じゃあ、と眼鏡を鼻の上に上げて、向こうが言った。

「君が線を引け。僕が板書する」



 やってみたら、出来が散々だった。

 コピーをとりに行ったコンビニで、コピーを途中で止めてイートインで議論する。

「だーかーらー、板書はフラットなんで、強調が必要なんだよ! 取り柄が一個しか無い男がヘッドホンつけて個性出してるようなアレだ! そういうのが必要なんだよ!」

「君の方も、接続詞の部分にまで線を引く必要は無いぞ。そういうのやってると、何処まで引いていいかが曖昧になる! もっと短くだ! スカートのことじゃないぞ! 僕は今のでいいと思う!」

 店長が「こいつら静かにして死なないかな……」って顔してるが、無視する。コーヒー買うと表情がリセットされるので、上手く使っていきたい。



 やる。議論する。それを一週間もすると、少しはお互いマシになった。

 あたしの教科書も、何となく見覚えあるというか、コイツの直伝くらいの出来にはなってきた。

 そしてまた期末テストが視野に入ってきたあたりで、

「いい板書の写しじゃないか。あたしの指導が効いたな。――でも絵ーつけようぜ」

「そっちこそ、教科書の注釈も的確になってきたな。僕の指導のおかげだ」

 ハイタッチ。



 軌道が元に戻ったような気がする。だけど、

「はい、教科書」

 毎日の荷物が増えて何やってんだ、って感じだけど、こっちから机を寄せて教科書を中央に置くというのは、ちょっとした儀式だ。問題なのは、あたしが右側だけど右利きなんで、体をヒネって机に伏せる必要があることだ。すると、

「? 何見てんだよ」

「いや、胸の変形率が凄いなって。あと、体を捻るのに脚を組むとパンツ見えるんだけど、作画がいいから大丈夫です」

 褒めてるつもりか。だがまあ、実はちょっと、これヤバい。何がヤバいって、アレだ。

 世話してる感が凄いある。



 母性ってこんな安かったっけ? だけど、教科書をこっちが出すのを期待されて、終わった後に礼を言われると、ちょっとクる。それが毎日六回くらいあると、アレだ。一日三食で御馳走様を言われるようなもんだ。

 その上で、コピーをとると、もうアレだ。あたしより上手い。

 あたしのも、思いつきでいきなり始めたことだったから、コイツみたいな関連づけタイプには得意の仕事なんだろう。

 何と言うか、まあ、

「コレが続いたほうが良いよなあ……」



 思って、気づく。あたしは、何言ってるんだ、と。

 自由だろう。勉強とか意味ないと解って、自由になろうと思ったんだろう。

 それが何だ。

 毎日毎日バッグに教科書入れて、授業なんてテキトーに聞いてればいいのに、机をこっちから寄せに行って、マジで攻略に掛かっていて、そしてそれを、続いた方がいいとか。

 束縛を望んでる。

 何だコレ。

 ああ。解ってる。

 今の状況が、すごくいいんだ。楽しいというか。何だ。

「――――」

 ”顧客”の一人が、サービスのいいバーテンに惚れたようなもんだ。



 そうだ。居心地良くて、惚れてる。

 まあ何てことだ。自由でいようと思ったのに、自分からそれを捨てにいくとは。

 でもそうだ。惚れるって言うのは、その相手に対して、自分を何とでも出来るってことだ。相手の負担になるような馬鹿をやらかさなければ、なにをしてもいい。つまり、

「自由か」

 束縛を選ぶのも、また自由だ。

 知らなかった。そんなこと。否、惚れるかどうかが入ってくるのはレギュレーション外か? でも事故のように気づく心は、誰だって持っているものだろう。

 合法だ。



 ああマズイ。変だぞあたし。

 彼にあまりパンツ見せないように気ー遣い始めてしまったし、その一方で、他の男には見せなければいいか、とか思い始めてしまったし、机の上に伏せたとき、形良く潰れてるかどうかとか気にし始めてる。ついでに言うと自宅の机と姿見でトレーニングした。

 こうか。これがいいんか? ええのんか? 終わってる。でも結構パンツって見えるもんだねえ……。姿見を前にちょっとアクロバットなポーズとってたら、弟がドア開けて、

「姉ちゃん、アイスの残りが――」

 というところで目が合って逃げだそうとしたので、そのまま姿見でランスチャージした。

「見なかった。いいな? 姉の作画は安定してんだから後は脚本だけだ」

「ヒイイイイ、従うであります!」

 まあそんなこともあったが、こっちは”顧客”だ。一線は引こうと思う。それに、

「――いきさつが、な」



 正直、二番が誰か、とか、気にしてなかった。彼はそうじゃなかったろうに。ホント失礼なことをしたと思うし、

「――――」

 気づくと、こっちと彼の変な噂が生じなくなっていた。

 彼女の方が、やめたのだろう。

 つまり、彼女は、仕切り直したのだ。

 あたしはどうだろう。何と言うか、持ち直したような気もするけど、上手く誤魔化してしまったような気はする。あのとき、彼女に対し、面倒臭さと同居する自分の悪因を自覚もしているのだ。だったら、

「そうだなあ」

 彼女への義理という訳じゃ無いけど、本当の仕切り直しを考えてみるのは、有りだろう。

 あたしの方は、彼に思いを告げて、断られたら、そこから正しく友人づきあいでいい。大丈夫だ。お互い、共通の目的はあるんだから、やっていける。一方的な勘違いかもしれないけど、何と言うか、あの時の引っかかりは消せると思う。



 決行は、期末テストの最終日。最後のテストが終わってからと決めた。

 それまでフツーに、何か、気づくとそういうことを忘れるくらいに楽しくて、あたしホント馬鹿だなあ、と思う。

「今回は土日挟まないのかー」

「僕が君にメーワクを掛ける可能性が無くなったと言うことだな」

「おっとォ? マウンティングの始まりかよ? だったらこっちもまた別の話だすぞ?」

 帰宅して、楽しかったと思いつつ、ベッドに倒れてちょっと呻く。何か自分が、”顧客”の勘違いというか、卑怯なことをしてるような、そんな感覚が超ストレス。何もかもがアグレッシブワールドだ畜生。楽しんだ分だけ跳ね返る。



 決行の時は、アッサリ来た。前夜から台詞は考えてある。風呂の中で何度も暗唱したら、風呂を出た後で母親から、

「アンタ、ハマるんだったら般若心経にしなさい? いい?」

 とか言われたが確かに般若心経はロックでいいけど今は違う。何言ってるんだあたし。

 勉強は彼の書いたコピーに頼る、というか、少し甘えさせてくれ。原盤が欲しいけど、捨てるところまであたしと同じだとか、勘弁してくれ。夢が無い。ああでもそれもあたしの所行か。自由自由言って、何だ、捨ててばっかだった気もするな。今更解るとか。



 だが本番。テストが終わってみると、なかなかタイミングがつかめない。テスト終わった直後は彼やあたしに人が集まってきてダメだったし、これはもう、帰りの途中でやるか。

 ともあれ期末テストの終了後は、いろいろやることがある。教室後ろのロッカーの整理もそうだ。テストの返却日が短いので、いろいろ片付ける期間が無い。

 だから、どうしたもんかなあ、と思いながらロッカーを開ける。まあ何か持って帰るようなもんはないけど、選択授業の絵の具セットくらい?

 どうだろうなあ、と思っていると、横に彼が来た。

 ちょっと不意討ちで息を詰める。それを気づかれないように息を潜める。というかロッカーが近い。出席番号順か、と思っていると、彼がロッカーからあるものを取り出した。

 バッグだ。



 ……あれ?

 ベコベコだが、バッグだ。見覚えある。だけど、

「……あのさ? それ、盗まれたんじゃなかったっけ?」

「ああ、盗まれたよ? 一週間後に捨てられてるのが拾われてさ」

 ……ちょっと待て?

 あのさあ、と、少し考えながら、問うてみる。

「中身は?」

「ああ、あるよ」

 ……ンンン?

「ちょっと」

「何?」

「あたし、お前が教科書無いから、見せてたんだけど?」

「うん。最初一週間はそうだったね」

「じゃあ、何? それ」

「うん。一週間後に言い出そうかと思ったら、君が机寄せてきてさ。作画が良かったから、じゃあこれで行こうか! って」

「おい」

 何かよく解らなくなってきた。

「どういうことだよ?」

「どういうって……、ああ、あれか!」

 彼が、辺りを見回し、自分達以外いないことを確認する。

「成績のことか」

「成績のこと?」

「そう。君が一番でさ、僕が二番で、悔しくてね。――で、二年になって、同じクラスだろ? どんな勉強してんだ、と思ったら、教科書持って来ないで板書だけって」

 聞いた。

「じゃあ逆やってやる、って、教科書オンリーで始めてさ」

「おい」

「何?」

「そうじゃない」

 いや、そうであったんだけど、そうじゃない。何か、つまりはあたしか! みたいなのを直撃されたが、そうじゃない。だから、

「そうじゃなくてさ」

 と言ったところで、彼がようやく首を傾げた。

「あの、ちょっと、……何か、ビミョーに話がズレてると思う」

「ああ、何か、あたしもそう思う」

 だよなあ、と彼が腕を組む。そして、

「昨日の、メモ、見た?」



「メモ?」

「ああ、昨日返した教科書に挟んでおいたヤツ」

 見てない。というか開いたけど、見たのはテストの該当箇所だけだ。表紙側とかに挟まれていたら見ない、というか、前に彼がメモを落としたのも、あたしが表紙裏に挟んだからだ。

 何か、しくじった、という思いが今更くる。だけど、

「そのメモって……?」

 あー、と彼が、額に手を当てた。そして、

「仕切り直し」

 反射的に、あたしは自分の机に戻ろうとした。教科書を、そこに挟まれてるメモを確認しに行こうとした。だけど、

「待って」

 手を掴まれた。引っ張られる。思ったより強い力だ。

 あ、ヤバイ。あたし、泣きそうになってる。だけど、彼が言った。

「ホント、始めは、何いい加減やってんだよ痴女、って思ってたけど、見てると凄い楽しそうでさ。逆に、僕、何やってんだろうな、って」

 だから、

「君が僕の隣で、机を寄せたときは、凄いテンション上がった」

「いや、待てよ。あたしは、ほら、自由だ云々言って――」

「でも僕が横にいることを受け容れてくれたし、いることを選んでくれた」

 そして、

「凄い楽しかったよ。それでまあ、僕の教科書がなくなった後、――僕のやってた方法を君が始めてくれたとき、何かもう、参ってしまった。

 自由だ、と言っていた君が、自由じゃなかった僕の方法を選んだとき、僕も自由になったような、そんな風に思ったんだ」

 だから、

「――このままがいい。続けたい。もっと良く出来るなら、そうしたい」



 手を離されて、自分の机に行く。

 昨日返された教科書を開くと、確かにあった。最終ページと裏表紙の間。馬鹿だなあ、と思うのはメモの折り目が教科書のノドにハマっていて、これはなかなか気づかない。

 まあ、彼の照れ隠しなのだろう。

 とりあえずメモを開いて、読む。そして、

「馬鹿」

「え? 何が?」

 あのさあ。

「”好きだ。テストの後で話をしたい”なんて、こんなの昨日の夜に読んでたら、今日、ボロボロだろうがよー? 何だもう、ホント」

 涙が零れる。止まらないし、止める意味もない。だけど、

「そうしようか。――これから、仕切り直して、さ」



 自由だ。

 何もかも放り出して、そうじゃないと気づいて、自分の望む居場所に収まるのも、あたしの自由の行き先だ。

 恋は、自由の意味すら越える。制限から解放されるがゆえの自由という、それすら制限として、好きにしろと言ってくれる。

 言われたのなら、行くしかない。

 自由の置き場は、あたしが決めた場所だ。

 それでいい。



 これからは、駅に着いたら着信貰わないとね。

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