恋知る人々


私は人の心が読めると、そう自惚れた事はないだろうか。



よくある話だけど、私は人の心が読める。

昔からだ。

子供の時は何かイメージ? 色みたいなものが伝わってきていて、小学校に入ったあたりから文字になって、三年生くらいの時には完全に言葉だった。

初めはそういうものかと思ってた。皆、口を閉じたり、背を向けていても言葉を外に放り出しているけど"そういうもの"なんだって。



違和感はあったんだ。

だって私もいろいろと言葉を作ってるんだけど、


「アンタは無口な子だねえ」


とか言われるのがしばしばあった。否、確かにあまりもの考えないでボーっとした時間多いし、喋る方もアレだけど、そういう言い方はちょっと無いんじゃないかな的な。

でも子供心に、”無口”という評価でも、自分が他と違うのは嬉しかったのだろう。

私は無口になった。



確定したのは、中学二年のときだった。

帰宅するため、教室を出て昇降口への階段を降りていたとき、後ろから男子の言葉が聞こえたのだ。


『うおっ、パンツ!』


その階段は外からの光が入る窓を持っていたため、まあ簡単に言うと、階段が光を下から反射するとスカート透けるよね、と。一瞬、訳解らなかったけど、すぐに状況に気付いてスカート押さえて振り向いたら、他のクラスの男子が何事も無さそうに階段を降りていった。



私は睨んでいた、と思うけど、その子はこちらをちょっと気にしつつも降りていって、私は"シラを切られた!"と、そんな風に思ったのだ。

だがそのとき、また言葉が聞こえた。


『おお、パンツ見えてる系女子……!』


やはり階段の上からだった。

流石に酷い。

だけどパンツパンツ言ってる訳にもいかないから、私は言葉を作った。


『やめてよそういうの……!』


だが彼らは、何事も無かったように通り過ぎ、降りていき、言葉をこう作ったのだ。


『やべえ、気付かれた?』



気付いているよ。決まってるじゃん。

だけど彼らはこう言ったのだ。擦れ違いながら、


『まあ大丈夫。気付かれてない。スルー』


いや気付いてるって。だけど、


『やっぱ見えるなあ、ここ。──有り難う御座いました!!』


どういたしまして、……とか言うかこの野郎。

だけどちょっとオープン過ぎないか君。



おかしい、と思うよね。

向こうの言葉は聞こえてくるけど、こっちのは届いてない。

そのまま男子に突っかけても良かったけど、無口キャラだ。ついでにいうと、実はちょっとそれなりに評判良い。だからキャラ作ってる訳じゃ無いけど、ここで喧嘩みたいな……、というより、実はちょっとビビった。

何か、訳が解らなかったのだ。

それまで信じていたルールが、実はおかしいんじゃないか、と。



始め、自分だけが閉じてしまったのかと錯覚した。

他の人の言葉はこちらに届き、皆もそれは同じだけど、自分だけ言葉を外に出せない。

スマホのマイクが、私だけ壊れてしまった感覚。



そうなるとちょっと困った。

これまで家族で食事をするときとか、何も言わなくてもテーブルに出てない調味料を寄越してくれたり、出てなかった箸を出してくれたりとか、そういうのがあったのだ。

だけどその夜、夕食の時、私はこう言葉を作った。


『お水、貰える?』


意識して、何の素振りも見せなかった。いつもはどうだったろう。ちょっと食器棚の方とか見ただろうか。ただ、自分が発信できているかどうか調べたかったので、そうしてみた。



すると無視された。



何度思っても駄目だった。



だから私は、母の方を見た。すると母は、私が何も思ってなかったのに、


「あ、グラス出してなかったわね。御免なさい」


と、グラスと水が出てきた。



そして私はグラスを受け取り、


『有り難う』


と言葉を作るのをやめて、言ってみた。


「有り難う」


すると母は明らかに驚いた顔をした、と思う。


『どうしたのいきなり。いつもそんなこと言わないのに』


そう言葉を作って、こう言ったのだ。


「どういたしまして」



あ────。



よく解らん。

ただ、私の思った言葉は、私の外に出ないのだ。

何かいきなり外の世界が変わってしまった気がして、しかしその夜、ノートにどういうことかを書いてみた。



私→通じない→他の人

私←通じる←他の人

他の人→どーなんだ一体?←他の人



どうなんだろう。

そして、こう書いてみて気付くのは、今日あったことが他の人全てに適用出来るなら、自分が多分、有利だということだ。

自分の言葉は他の人に通じない。

だけど他の人の言葉はこちらに聞こえる。

恐らく、他の人は、そうであることに気付いていない。


「だとすると──」


私はきっと、他の人が"隠せている、と思っているもの"を聞いているのだ。



あ────。



そっか。

そーかー。

テストの時、皆、デカい言葉で答えを叫んでたり、解んねえ解んねえ連呼してたりするけど、アレ、実は駄目なんだ。

男子がこっちの胸とか尻とか気にするのって、あれ、フツーじゃないんだ──。

そういうものかと思ってた。

否、そういうもんなんだろうけど、表に出したらいかん系のそういうもんなのか。

私、無口キャラでよかったー。

余計なことを言わなくて済んだ。

だって女子衆の中で会話してるとき、


「ああ、差し込みとか急に来ると死ねるよね!」


とか言わなくて済んだからね。



あ、テストの時、私、他の"解んねえ"派の人に、言葉を作って答えを教えてたつもりだったけど、アレ全部無意味だったと言う事か。

皆御免。テスト終わった後、


「あの問題、解ったよね?」


とか肩叩いて追い打ちかけてた。見逃しプリーズ。



だけどそうして、言ったらいかんことを気にしていくと、何となく解ってきた。

おそらく、他の人達同士でも、言葉が通じてない。



他の人→通じない←他の人



そうだ。こういうことなんだ、コレ。

何故かと言うと、中学校二、三年ともなれば恋愛話とか出てくる訳だけど、マーどいつもこいつもポンポンポンポンそういう言葉を出してきて、誰が好きとか実は嫌いとかそういうのばっかりで胸焼けする。

何でか皆、すぐにハグったりキスったり、ともすると一部合体とかそういうのが言葉として出てきてやりにくい。というかこれまでは答えや憤りを叫ぶテストの時間も、その終了後には誰かが誰かを気にしていたり、そんなことばかりだ。



何でそう、行為を望むのだろう。

自分がする方も、される方も、望むし、望まれたいと、皆、思ってる。

皆そういうものだと、こっちはウンザリしているのに。



だってほら、アレだ。男子!

男子、いきなりこっちの胸見たりするだろ。

あれ一瞬だからバレてないと思ってるだろうけど、心の中で、


『あ、ヤベ』


とか思って気付かれてないと思ってるだろうけど、バレてっからな!? オイ!



でもぶっちゃけ、胸とかは顔見たときに視界に入るから事故な時もある。私も胸のデカい同級生と話すとき、ふと、


『デカいわー……』


とか、貴重なものを尊ぶ我が心に気付くときがあります。ええ。

だけど脚とかマジやめろ。それは性癖の方向だからな……! 横に座ってる、クラスで人気の男子が、物憂げな顔して、


『あの胸の薄い子、いいなあ……』


とか言葉作るの二重三重に心配になるけど、まあ内心だからいいか。

十年後くらいにニュースで名前見た気がするけど他人の一致だと思いたい。



ただ、気付くと、好きとか嫌いとかの相談役になっていた。

距離感だろう。

他人が何考えてるか解るから、距離をとれる。それは近寄ることも出来る、ということで、男子勢とも付き合いが持てたし、彼らが例えば階段スカート系のことをこちらに思うより早く、逃げることが出来る。

女子の方も、チョイと間違えると派閥とかグループとか、逆に孤立する可能性もあったけど、要は上手く流れをつかむことなのだ。ファッションやメイクの話題も聞こえてきたから、自分がするかどうかは別として、話題を合わせるのに困らなかった。これはテレビの番組やネットの配信もそう。他の人達から情報が流れてくるから、私は私の方でボーっとしつつ、相手に合わせていけた。

いつの間にか、情報通みたいな扱いにはなる訳だ。



するといつの間にか、無口ではなく"長老"と呼ばれるようになっていた。

マーそうだろう。相談されたりみたいなのが多くて、他の人に対して”貴方”とか言うようになってる。

そして、上の学年の人が相談に来た時点で、大体決まった。

そうなると、クラスでも一目という存在な訳で、カースト外だが貴重扱いとなる。

つまり安全地帯というか。



相談の流れは簡単だ。別に相談タイムとかある訳じゃない。何となく皆といると、そういう話が流れて来て、こちらに、


『長老に聞いたらどうかなあ』


と来るので、見逃さずにおいておく。

そして機会があれば、相手が何となくボカした話をするので、それとない助言をする。

たとえばこうだ。相手の方から、ファッション雑誌をめくってきて、


「──ちょっとこのモデル、よくね?」


ああ、上級生の誰ぞに似ている感。自分の方は、その上級生の言葉を聞いていないならば、いいねと相手を受け入れ、聞いている場合、行けると判断出来たら、


「その横に並ぶなら、どんなの選ぶ?」


とかいって、駄目だと思ったら、


「あー、憧れるよねー……」


と、否定はしない。



勿論、内心は皆、大戦争だ。


『行けっか!? 行けるんだな!? 盛るぞ──!』


とかいうのもいれば、


『えっ、ちょっ、押す? 押すの? いやいやいやいや駄目駄目、無理無理無理……』


とかいうのもいれば、


『解ってんだよ憧れ程度だってのは……! だけどなあ──』


とか、いろいろだ。何となく皆で「じゃあファミレス行くか」となることも多い。だけど諦める人ほど、本人に言わず、皆集めてカミングアウトして打ち切りにすることが多い気もする。



でも、私に相談する意味、あるのだろうか。

だって、皆、あの人はどうだ。私のことをどう思ってるとか。彼は誰かに興味があるのか。とか、そういうのを相談してくるが、こちらの答えがどうであろうと、結局、想う人はその想いを止めないのだ。


皆、ただ、自分の想いにGOサインを出すか、出さないで秘めておくか、どっちかだ。

ちょっと呆れもする。どうしてそんなに、自分に夢中になれるのかと。



おっかないのが、愚痴に付き合わされるときで、これについては"敵意に同意しない"ことが大事。同意とは、派閥に組み込まれることだ。それが楽しいことならいいが、敵意は、本来が他人のものであるのに、派閥として自分が巻き込まれる。

いい人や理解者の振りをして、敵と味方に分けられてはたまらない。

だから敵意の相談についてはアレだ。カラオケかファミレス。楽しいことで発散。



そういう意味では、色恋沙汰というのは、楽しい方だ。

黙っている、という無口キャラゆえ、誰かの好きの派閥に入るのは問題がない。上手くいけばいいし、フラれた人については、どこか遊びにでも行こうと思ってた人を捕まえて、一緒にどうだと持ちかける。翌日には別の誰かを好きになっていたりするから人間タフだと思う。



そして、ああ、前振り長かったけど本番。

私にも、その時というか、そういう相手が来てしまったのだ。

ああそうだ。ここまで複雑な事情と思ったろう。単に恥ずかしかったんだよ。言わせんな。



去年。高校二年の夏前だ。

夏服で選択授業の美術だった。班のように机を固めて、デッサンって言うんですか、スケッチブックを黒くしていくアレ。それをしているとき、私の横に座ってた彼が、あからさまに私の胸を見ていたのだ。

凝視。

というか、胸チラ(被)はまあよくあることなので、何かアクションされなければいいか的な考えもあったけど、ちょっとピント合わせすぎな気がする。

ただ不思議だったのが、彼が、何も言葉を作っていないのだ。

フツーなら『御得!』みたいな言葉が来る筈なのに、何も無くて、だから私はちょっと引いて、聞いていた。他の皆には聞こえない声で、


「……何か?」


直後。彼が、はっとしたように顔を上げ、こう言葉を作った。


『綺麗だ』



おい。

胸だ。

オッパイとも言う。

女子同士ではよく揉む。私も最近デカいから何度かあるし「長老の胸を揉むと恋愛が成就できる」とかいう変な言い伝えが出来て上級生まで揉みに来る。どうでもいい。

だけど、


「……は?」



疑問詞を投げると、彼が言った。


「御免。俺、絵描くから、何かいい造形見ると"どう描くか"を考えちゃうんだよ。だから、不意に俺、人の身体とか顔とか、思いっきり見る癖があって」

「ああ、うん、はい……。変態ですね……」

「いやまあ、だから、そんとき、何か集中しちゃってるから、駄目だと思ってるんだけど、ちょっと何か、机に乗ってるそれ、どう描くかとか考えちゃって」

「あー……、まあ、うん、言われてみると乗る、ね。初めて自覚した」

「いや、俺もそういうの初めて見たけど、何か”どう描くんだ”って」


ただ、


『綺麗なシルエットだったなー』


そこまで言葉を作れと誰が。



帰宅して、姿見の前でリフトしてみたが、


「机で下から持ち上げられると、ブラの部分から脂肪が溢れるのか……!」


発見した。しなくていい。

でもコレ綺麗かあー? そうかあー?

精肉コーナーで売ってるヤツの白い部分だぞー?



ただまあ、色恋とか、性的とか、そういうのではなく、美的? まあいい、そういう評価が来たのが、多分、インパクトあったのだ。

そして彼の凝視タイム。このとき、何の言葉も作られてないのは、多分、私が理解出来ない表現。つまりは"描く"という、もはや感覚的なことを思っているのだ。



美術の時間。彼の手元を見ていて、言葉を聞くと、面白い。


『──こう、────あ、──いい感じ! イケてる! ──イケてなかった! ──────まあいいか! ──消しゴムするか!? 妥協……、まあいいか! ──ああ、ここ好きだ! ──誰だよ今、ここ好きだとか言ったの! 全体ズレてんじゃん!』


大丈夫かこの人。

ただ長考に入ると、それが夢中ということなのだろう。延々二十分以上、何も言葉になってなくて、ただ手が動いていて、最後に、


『よし』


と来たのは、ちょっと凄いと思った。そして、こっち見て、


『……丸い……』


って御免、そっち覗いてたので机乗ってた。



でも丸いはないだろ丸いは。

美術室に置いてある石膏のアレと同じ扱いですか。

ちなみに、後に描かれた絵を見たら、抽象画って言うんですか。鏡餅みたいなのが二つ並んでいて、ああコレか、と思ったけどタイトル”不意打ち”って何だ一体。



ともあれ、そんなことがあって、クラス内でたびたび話すようになった。

興味というか、基準が違ったのだ。

この人は、こちらを違う目で見ている。他の人達が感情とか性的なものやカースト的なもので見ているのに対し、彼と話していると、不意に手や耳元に視線を運ばれる。

ああ、


『綺麗だなあ』


と、褒められるのに、嬉しかったのか、酔っているのか。ただまあ、リターンはあげますよ、ということで、ちょっと彼が満足するまで黙ってじっとしていたりする。

すると彼は、しばらくしてから気付いたように、


「あ、──御免」

『いかん』


何が?


『まともに振る舞わねば』


それはまたどーなのよ一体。



ただ、面白い。

この人が、こっちの、何に興味を持ってくれるのか、気になったし、彼の、言葉にならない時間を、自分が作っているのだという自惚れじみた感覚には少し酔う。

描かれた絵を見ると、抽象系はよく解らないけど、創作や写実って言うんですか? そのあたりは何となく解る。青いいよね、とか、配分の良さとか、そういうのは何となく解る。ファッションの6:3:1ってやつだ。

浮かれている。

男子の中では、特技があれば一目置かれる。映画とかにも詳しい、となると、結構大人キャラとして見られている。

こっちも”長老”となると、カースト外で安全圏だ。

映画というのは、自分の周囲になかった言葉だった。だから何となく、彼が早口になる系のタイトルは追って見たりして、段々とスマホを横にする時間が増えていく。



時折、自分が変わったと、そう思う事があった。

彼がこちらに目を止め、”描いている”最中、不意にこう言葉を作るときがあったのだ。


『御免』


始め、意味が解らなかったが、すぐに理解出来た。

私が無防備だったのだ。だがその時、彼が、


「ちょっと、襟」


赤面しながら言われて、こう思った。ああ、この人は、誠実なのだと。

そして私も、この人には気を許しているのだと、何となく解った。

だから幾度目か、そういうことがあったとき、


「見てみたい?」

「勘弁して、謝るから」


というのは、可愛いと言っていいのだろうか。



ただ、どきりとしたこともあった。

あ、無防備やっちゃってる、と気付いたことがあったのだ。それはまあ、簡単なことで、夏服のボタンが一個外れてるのに気付かず、ティッシュの出し口みたいなアレをやらかしていたわけだが、そこに目をとめた彼が、


『立体……』


とか意味の解らない言葉で、だけど”描いた”のだ。

いやいやいや、ちょっとちょっとちょっと。

見えてる見えてる。

下手すると先っちょ見えてる。

でも、いつもならそういうのは御免と言われる筈だけど、多分、これは違ったのだ。

いつも見えているものと違うものだったからか、服の構造なのか、描いてみたいと、そう思ったのだろう。

つまり、この人は、必要とあれば、謝ることなく踏み込んで来る。

うわあ。

怖さみたいなものも感じたが、そうされたら自分はどうするか。いや待て待て待て、"そう"って、何だ一体。

でも変な期待感のようなものが来てしまって、それがバレてないか終始落ち着かなかった。



転機は簡単だった。

三年にもなって、同じクラスで選択も同じだったら、まあそうなるわな的な。

映画だ。

お互いの評価が一致する海外の楽団モノ。その三作目が来るというので、半年前からちょっと話をしていたのだ。映画館、というのは私にとってデカい言葉の洪水だ。苦手。だからいつも配信で後追いだが、コレはちょっと見てみたかった。というのも、このシリーズについては私の方が考察で彼を確実に上回る。だから私が配信で後追いとなると、彼は燻るし私も焦がれる。

じゃあ一緒に観に行こうか、と、一ヶ月先のチケットを予約するのはどうかしてた。

でもこれは転機じゃない、というか、転機の始まりだった。



昼休み、クラスの女子衆の一人が、こちらの肩を叩いてきたのだ。

現在、十四連敗という、常連と言えば常連だけど、アレなことに、自分に向けられる好意にはアンテナが働かず、無い方に自分を発信してしまうタイプの子だ。

彼女がこちらの肩を叩き、私にだけ聞こえるようにこう言った。


「いやー、よかった、長老、ホント良かった」

『安心したあ──』

「え? 何が」


問うと、彼女はこう言ったのだ。


「長老も、ちゃんと、誰か好きになるんだねえ。いやホント、皆心配してた」

『良かったあ──。一安心だよ』



よくない。



えっ、というのが感想で、気付くと自分の家で、部屋のベッドの上に倒れ込んでいた。



好き?

色恋?

それが何? 私に? というか私がその状態? ステータス異常というか何?

いやいやいやいや、無理だって、おかしいって。

だって生まれてこの方十八年、そういうのに関してはぶっちゃけちょっと呆れてというか見下し入ってましたけどォ──。

だけどそうなのか。外から見たらそうなのか。

いやいやいや、自分で認知してないからこれはまだ駄目。冤罪。何故なら証拠が無い。

映画に男と行ったら付き合ってることになんのか? 男女の友情とか無い世界かここは。


「おーし大丈夫!」


無口キャラがいきなり声を上げたので、親からあとで、


「学校で何かあったの」

『おかしくなったのかしら……』


とやられましたが、まあ後者がちょっとあります。



翌日、学校に行って解った。彼の視線を、まともに受けていられないのだ。

ふと止められる視線に対し、うわ、と思ってしまう。

良い自分を見せているだろうかと、気になってしまう。

何故か。

昨日言われたことが、引っかかっているからだ。否、自分が彼を好きとか、他人の決めつけだろうと、そう解っているのだが、こう思ってしまうのだ。



じゃあ、彼に見られるときに得ていた感情は、何と呼ぶべき?



やられた。そうだ。多分、ずっと前からそうだった。

気になっていた。面白いと思った。誠実だと思った。自分が変わったと思った。どきりとしたことも何もかも、全部そうじゃないか。

ア──。胸チラしたときの怖れと期待とか、ちょっとお前! お前! そこ座れ……!

状態異常だ。

知ってる。これ、対象を優先として回復術とか勝手に掛けるアレ。こんらん。

というかアレか。つまり赤飯案件か。否、赤飯案件は十三の時にもう股から出した。自転車で段差を降りたのが遠因だと母は言うが、身体が先に発展するものですねえ──。ホントにコレ授業でちゃんと教えるべきだわ。



赤飯案件が急に来たということにして、三日休んだ。



そして気分的に落ち着き、心の整理もついたところで登校した。

長老は訓練しました。ちゃんとイメージトレーニングもしたから大丈夫。挨拶も出来ます。まともに振る舞えます。どんな受け答えもパターンを想定してきました。

だから彼と会って、おはようと言って、そして返ってきた、おはよう、に安堵して、


『よかった』


もう駄目だ。死んだ。机に胸載せて地の底まで沈んでいくから好きにしてくれ。

これか──。これか、皆の浮かれるアレ。

来ちゃったよ。



ただ、困った。

彼と話しているとき、視線が気に掛かるし、そこから降ってくる言葉は大ダメージだ。

恋をしている。

恋って厄介だ。それを自覚することで、いろいろなものが解禁される。そう、先達からの知識がいろいろあるため、たとえばキスとか抱かれるとか一部合体とか、そういう、今までは話を聞いて「ヘーソーナンデスカー」ってものが、「もし自分だったら」と、そう考えてもよくなるのだ。先達からのそういう知識が無ければ違ったかもなー、と思うが長老はそういうのの蓄積が無茶苦茶あります。無理だ!

つまり今まで呆れるように聞いてたことが、全部、私だったら、と考えてもいい。

恋ってのは、いけないことの限定解除だ。

秘めるものであるがゆえ、思って良い。

ああそうか。皆、だから、そうだったのだ。いつもとか、昔からそうだったからじゃない。恋をして、ハジケたのだ。

私はただそれを知らなかっただけ。長老とか言われてたけど、赤ん坊同然だ。映画の名台詞であったっけ、ベイビードントクライ、意味解るか? ベイビーどんと食らえ、って事かな。違う。でも食らった。

いや可能性可能性。将来的にそういうこともあるかもってことですよ奥さん。誰だ。

つまり総合的にまとめると、アレだ。無茶苦茶困ってる私。



ホント、バッドステータス。



いや、だって、ほら、アレだ。

彼がまともにこっちを見て、"描いて"いるとき、こっちはこれからどうなるかとか、想像して一人発情してる訳ですよ。ザッツケダモノ。まあ発情は一人でするもんだとか言わない。

すまない。

いやホントすまない。そっちが真面目にこっちのことを綺麗だと思って見ててくれるのに、こっちは場合によっては一部接触とか一部合体とか考えてしまってすまない。だけど美術の教科書でダビデ像とかこういうとき刺激が強すぎます。もっともっと!! ドントクライ!



ただ、嬉しい。

彼がこっちを見て、綺麗だと思ってくれて、今まで気にしてなかったメイクとか手を出し始めてしまった。すると、彼が不意に、


『御免』


とかいう頻度が増え──、増え──、五回に一回が四回に一回は増えたと観測して良いはず! 頑張る! 

そうだ。何となく、他人の言葉が聞こえるということで、それを有利に使って生きていくのかなくらいの人生設計だったが、そこにとんでもないものが飛び込んで来た。

いろいろなことを思って良いし、行動していい。好きになるってのはそういうことだ。自分を、自分の思うように変えていいし、その反応に一喜一憂していい。それはもう、恋をしなくても、得ていいものだったのかもしれないが、私にとってはそれがスタートだったのだ。

有り難う十四連敗の君! 次の相手で十七連敗だ! ファミレス行こうな!



しかし、高望みをし過ぎたのだろう。映画を見に行くまであと二週間というところで、私はしくじってしまった。

否、彼との関係でクリティカルなことを言った訳では無い。美術の授業でダビデ像を見た彼が、


『あれは無いだろう』


と言葉を作ったのを追求したとか、そんなことはしてない。帰ってから定規は眺めた。

ダビデ像の風評被害が私の中で激しいが、そういうことじゃない。

いろいろ思って、伝わってきて、彼は誠実で、時にこちらに性的なものも感じているようで。しかし踏み込むときは踏み込んで来て。

そんな事全てを、私は、受け入れているのだけど、単純なことが通じない。

私の『好き』は、彼に届かないのだ。



私は不自由だ。



他人の言葉が聞けて、解ったとしても、安全だと思っても、こちらから同じものを届ける事が出来ない。

言ってしまえばいいだろう。口にして、伝えてしまえば、それでいいのだ。

だけど出来ない。

こちらに言葉で伝わってくる彼の思いに、嘘はないだろう。だけど、こちらの勘違いかもしれないのだ。

何故そんな弱気になるかと言えば、これまで相談に乗った相手で、上手く行ったのに、しかし別れたケースを幾つも見ているからだ。ものによっては最初から駄目だったのもある。

勘違いだとしたら、どうするか。私にとって、初めてのことだ。そして何よりも、彼が誠実であるならば、私もちゃんとこの想いを届けたい。

だが出来ない。

呆れていた、見下していた彼女達の方が、よっぽど自由で、勇気がある。

だからちょっと、おかしくなってしまった。

彼の方を見ている時間が増え、逆に「どうしたの?」と言われることが多くなり「何でもない」と笑って誤魔化す事が増え、そういう自分にじれったくなって、下手だと解っていながら、こう願ってしまったのだ。

私の思いが届けばいいと。

出来はしないことを、本気で願った。



すると、翌朝起きたら、言葉が聞こえなくなっていた。



オイッ、というのが、朝食を摂った後あたりから来た確信だった。

言葉が聞こえない。親のものも、道行く人のものも、クラスの皆のものも、だ。

いきなり静かになった。

ちょっと人生初体験なので、戸惑っていたが、これはこれで落ち着いた。部屋に一人でいるときと同じようなものが、外でも得られるようになったのだ。

でもどうしてか。原因が解らない。そしてまた困ったことがあった。

彼の言葉も、やはり聞こえないのだ。



どういうことだ一体。

私の思いが届けば良いとは、確かに思った。

だけど、無理なことを願ったら、消えてしまったと、そういうことなんだろうか。



困った。いつものように話していて。彼がふとこちらに目をとめる。その時に、彼が何を思っているのか、解らない。

誠実なのは解っている。だけど、それがいつもの”描いている”のか、それとも”踏み込んで来ている”のか、解らない。

そしてまた、私は恋をしているのに、彼のことは全く解らないままなのだ。

どうなんだろう。

こっちのこと、見てる? 何処見てる? 見たい? メイク失敗してる? それとも制服で、ちょっとミスある? どうかな?


「あの、ちょっと、近い」


言われて気付いた。言葉が聞こえない分、距離感がつかめなくなっているのだと。



当然のように、ギクシャクした。

私が距離を詰めすぎているのだ。というか、彼が何を思っているか解らなくて、嫌われていたら嫌だと思って、傍にいようとしてしまう。すると彼の方は、


「いや、ちょっと」


と慌てて距離をとってしまう。参った。そうじゃないの。違うの。望んだ方と全く逆になってる。

近くにいて欲しいの。見て欲しいの。褒めて欲しいの。そして貴方のしていることに驚かされて、凄いと思って、踏み込まれてもみたいと、そう思っているの。



だけど、距離を取られてしまった。

だから失敗した。彼を試したのだ。

ほら、もう何か、思い切って、チョイとティッシュの口を開けていた訳ですよ。そしたらふと目をとめられ、


「御免」


言われた。


「ホント御免。──駄目だ」


嫌気だった。

何が駄目なのか解らなかったが、彼が急いで教室を出てしまって、私は動けなかった。

やっちゃった、と、そう思った。



三日ほど、彼と視線を合わさず、合わせても避けられるようになって、終わりだと思った。

クラスの女子の内、何人かが「ファミレス行くか?」と問うて来て、断ったのは強がりだろう。これまで長老だったのだ。大人であろうと、そう思う。

だけど参った。

このまま同じクラスで、ギクシャクしたままか。卒業までどんだけあるのよ一体。

そして放課後になって、皆が立ち上がり帰る中、彼の方を見た。

すると、彼がこちらを見ていた。

どうして?

私のせいでギクシャクして、嫌われたと、誠実な貴方に対して、やらかしたというか、嫌気を抱かれたのはよく解る。



それが何故、こっちを見ているの?



直後。彼が、気付いたように視線を外し、教室の外に出て行った。

逃げられると、そう思った。ケダモノ思考だが仕方ない。そう思ったのだ。

だから追った。急いだ。階段。スカートは透ける時期じゃない。ただ、彼を追いかけて、階段下のスペースで、


「待って!」


肩を掴んだつもりだったが、向こうは階段を降りた直後。私はその途中と言う事で、思い切り転がった。

完全にやらかした……、と思ったが、もうそうなったら覚悟も決まる。

階段下で二人、座り込んで向き合う姿勢。

二者面談。

私は彼の襟を掴んで、声を上げた。


「遠ざけないで!」



自分が何をしたか、解っている。誠実なこの人を、弄んだ……、というほど経験豊富じゃないというか素人悪女だけど、試したのだ。それも自分勝手な好意で、だ。

浮かれていて、勘違いして、それでこんなことしてるんだから、避けられて当然だろう。

身勝手で、振り払いたくなるようなものかもしれない。だけど、


「御免なさい」


謝る。害したのだから謝る。


「貴方が私のこと見てるの、嬉しくて。──でも、浮かれてたわ。貴方が真面目なことに安堵して、その上で、いろいろ、悪いことばかり考えていたの」


でも、


「好きなの。それで赦されないと思うけど、そこは変わらないの。気付いてから、ずっと」


泣けてきた。何だコレ。一ヶ月前の自分に聞かせてやりたい台詞だ。

しかし、一気に来た。このところで押さえてたものが、一息に溢れていく。


好きなの。

我が儘で、勝手な、自分が褒められることに浮かれてしまってて、自業自得だと思うけど、でも、好きだと思うことが停められない。

心の制御がままならない。

迷惑で、こんなこと思われるのも嫌だろうけど、好きになってしまったから、好きだという思いが停まらなくて、酷いことをしてしまった。

でも嫌だ。このまま別れたり、嫌われたり、距離を取られてサヨナラは嫌だ。嫌。嫌なの。もうホント、それは嫌。

どうしようもないかもしれないけど、遅いかもしれないけど、というか遅いけど、ちゃんと伝えるくらいは許して欲しいの。

「好きなの」

言うんだ。

言葉じゃなく、声で、確かに。

「好きなのよ、貴方のことが」



だけど彼が、まともに顔を見ることも出来ない彼が、こう言った。


「御免」


うーわー。来たよ御免なさーい。

終わりだ。死にたい。よく考えたら階段下のスペースは脇に洗面所。終わったらソッコで籠もって用務員が確認に来るまで中で呻いていよう。

そして彼が言った。


「御免」


次に続く言葉は、


「……一週間くらい前から、君の声だけが、何か、ずっと聞こえてくるんだ」



──は?



「おかしいと思った。変だって。でも、君の言動と合致しているところがあって、妄想じゃないと思って、何だろう、これって」


それは、


「多分、こう思ったのが、いけなかったんだ。君との映画の予約で浮かれてる自分に気付いて、君のことが好きだと気付いてしまって、──君のことを知りたいと、そう思った」


そうしたら、


「翌日から、君が、俺のことをいろいろ思ってるのが解ってしまって、これは駄目だと思った。”描く”ことを赦されているというか、君の想いを利用してるだけなんじゃないかって。


 だから──」


だから、


「君を泣かせてしまうなら、君の想いが解らない方が良かった」



私は理解した。きっかけは多分、私が思った夜だ。私の思いが伝わればいいと、そう思った夜。

だけど、


「御免なさい」


私も言った。何となく、全ての原因が解ったのだ。


「貴方、私に、思ってることを伝えたいと、そう思ってる?」

「ああ、そう……、そう思うよ、今なら」

「何故?」

「君を遠ざけたくない」

「もっと」

「たとえば?」

「貴方の傍にいたいの」

「俺も君を近くで見ていたいよ」

「私も貴方に近くで見て貰いたいわ」


じゃあ、と彼が言った。


「もし、それ以上に踏み込んだら、全部”描かせて”くれる?」


その問いに、私は頷いた。強がりの笑みで言う。


「──タイトルは”待ち伏せ”ね」


笑った。二人で顔を見合わせることが出来ないけど、額を合わせて笑った。



一瞬だった。

決意とは、そういうものだろう。不意に彼が眉を上げ、


「あ」

「そうね」


と私は頷いた。

私は今も、何の言葉も聞こえない。

彼もそうだ。きっと、私の言葉も、何も、聞こえなくなっている。



距離が近くなって、言葉が消えたのだ。



あれは妄想だったのだろうか。それとも、勘違いか何かだったのだろうか。

だが、お互いが、伝えたいと思ったならば、カンニングのようなこれは要らなくなるのだ。

私の処にあったそれは、彼のところに行って、私との間で消えてしまった。

もう、お互い、言葉は聞こえない。だけど、


「好きだ」


彼の方から、言葉が来た。

見上げれば、久し振りに見る彼の顔は、赤面しつつ、笑っている。

通じている。言葉が聞こえなくても解る。信じていられる。

そうだ。

同じ事を考えていると、信じられる。

ならば彼の言葉が聞こえなくても怖くはない。

だから一息入れて、私も言った。


「好きよ。ずっと前から、気付いた時から」


笑うと、涙が出た。


「よかった」


彼の言葉に、自分も頷いた。涙を下に落として、


「──よくないわ。だって」


だって、


「これから間近でずっと、貴方に見られていくんだもの」



私は不自由だ。

だけど皆、不自由だ。

気付かれぬ想いを飛ばして、気付くと不意打ちにやられてしまう。

ならば不自由だからこそ、幸いを感じるのだろうか。



ああ、と私達は、階段下でお互いの肩に頭を預けた。

何と言うかまあ、凄くテンション上がっている。帰りは映画館だ。まだ予約のアレは始まってないけど、どうでもいい。

ただ、何だろう。正直、皆には世話になった。だから、私はこう言った。


「……このハッピー、皆に伝わるといいなあ」


すると、こちらを遠巻きに見ていた皆が、一斉に言った。


「見りゃ解るよ……!」


まさか私達の言葉、聞こえてないよね?


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