【番外編】マッシュルーム・スナップ11
『先日、日本政府からの独立を宣言した
『これはねえ忌浜側もあれだけ大それた事をしてのけたわけだから、周辺県との関係を良好に保っておきたいのは当然でしょうな。群馬県としてはこれは難しい選択でねえ、会談に応じれば日本政府からの圧力は避けられませんし、かと言って忌浜新知事の猫柳氏は元軍人で、大変な過激派だという話も……いやしかしこりゃまたキレーな方ですなあ……』
関所小屋に備え付けられたテレビが、篭った声で喋り続けるのを、受付に頬杖をついた髭面が、のんびりと眺めている。
停職処分を解かれ、戻ってきた退屈な日常に、髭面は、安堵と名残惜しさのないまぜになった不思議な気持ちを心中に抱え、今日もただ無口に、通るもののない関所を守っている。
綺麗に立て直された関所小屋の壁には、髭面と
「イノシゲさぁーん。餌やり終わりましたァ」
「おう」
「もう、草木がだいぶ萌えてきてますよ。涼しそうで、カバもみんな喜んでます」
「そうだなァ。そろそろ、スプリンクラーでも、引っ張ってやるか……」
髭面は言って、関所の受付から、旅に出る前の、倍近くも伸び上がったエリンギの塔を見遣った。
エリンギの根元を中心として、錆び混じりの砂は徐々に湿り気と栄養を取り戻し、今やエリンギの周囲一体は、草木の緑できらめく、オアシスのようになっている。
「
「だから、言ってただろォオレは最初から。赤星は、根っからの悪人には見えねえってよ」
「最初からぁ〜〜? 途中からっしょ」
二人はしばらく、白いキノコの塔の下、風にそよぐオアシスと、そこで遊ぶカバ達を眺めていて……やがて、太田のほうから静かに口を開いた。
「……イノシゲさん。自分……」
「辞めるか?」
「……。」
「こっち来てみな、太田」
どこか嬉しそうな髭面に連れられて、関所小屋の外に出て行くと、何やら大型のものに銀色のシートがかけられ、ぎらぎらと陽をて照り返している。
「いつ言い出すか、待ってたよ。県庁役人から、風来坊のカメラマンか。全く、たいした奴だぜ」
「イノシゲさん、止めてください。自分はただ……」
「バカなのは解ってらァ」
髭面はげらげらと笑い、それでもその毛だらけの大きな手に愛を込めて、太田の背を叩いた。
「それが、羨ましいってのよ。写真家、か……そういう生き方もあっていい。まして、こんな壁の側で、一生過ごすなんてよりは、よっぽどいい……」
髭面は感傷深げにそう言うと、その銀色のシートを引っ張り、ずわりと捲って見せた。
「……ああっっ、イノシゲさん、これって!」
布の中から現れたのは、黄緑色にぴかぴかと輝く、小型の生体ホバーバイクであった。
そのボディは、緑玉カブトのすべらかな甲殻で覆われ、ハンドルの中央部からは雄々しいながらも愛嬌のある頭部が突き出し、ボディから前後に伸びるホバー機構が、いまもゆるやかに周囲の砂を波打たせている。
「ビートンM2じゃないですかっ!? こ、こんな最新式、なんでまた!?」
「もともとオレの給料なんて、使い道なんざないんだ」
髭面は、珍しく驚きを露わにする太田に満更でもない顔をして、返事を返す。
「餞別だ。乗っていけ! 礼はいいから……たまには、写真と便りをよこせよ」
「……イノシゲ、さん……! あ、あたしっ……!」
「書類はオレが書いとく。退職金が入るまで、口座はそのままに――」
「二人乗りッすよッッ!!」
太田の叫び声に、思わず髭面が振り向く。ビートンを指差して、口を結び……顔を真っ赤にした太田は、今にも泣き出さんばかりに髭面を見つめている。
「ビートンは……二人乗り、ですよ、イノシゲさんっ……」
「お前……」
「わがままだって、わかるけど、でも、あたしっ!」
「……。」
「あ、あたし、二回も……」
「……。」
「二回も、お父さんと、お別れしたくないんです……」
太田がその表情をくしゃくしゃにして泣き濡れるのを、髭面はどうしていいか解らずに、ただ砂風の中で立ち尽くす、そこへ、
『ブブー』
と、関所小屋から、呼び出しのブザーが鳴った。振り返る髭面の横を突っ切って、太田は涙を撒き散らしながら関所小屋へ入り、旅人が差し出す手形に、ばんばんばんばん! と凄まじい勢いで判子を押すと、そのまま仮眠室へ飛び込み、ばたん! と戸を閉めてしまった。
驚きに円らな瞳をぱちぱちと瞬かせる、受付前の旅僧に、遅れてきた髭面が、なんだか申し訳なさそうに声をかける。
「身分証の判子……は、いま終わったんだな。じゃあ、手形を出してくれ」
「はい。こちらに」
「いま、役所に照合かけるからよ。ちょっとそこらで、待ってな……」
髭面が慣れた手つきで、二枚の手形を認証機に通すその横で、目の前の旅僧はじっと仮眠室のほうを見つめている。
「悪いなァ。いつもは、あんな雑な奴じゃないんだが」
「泣いておられました」
「……。」
「お心当たりが?」
いつもなら、余計な事を聞くなと一喝しそうなものだが、先ほどの太田の涙を見せられて髭面も思案に暮れているところだった。加えて、目の前の僧の、邪気のない美しい眼差しに当てられて、髭面も知らず思ったところを口にしてしまう。
「なあ、その。例えばの、話だが……」
「……。」
「四十路の、世間知らずの役人が……今から仕事をやめて、広い世界に出て……その、幸せに、うまく、やっていけると思うか?」
「その方は、お一人で旅に出られるのですか?」
「いや、その……」
「誘われているんですね。先ほどの、恋人さんに?」
「バカ言うなよ、そんなんじゃねえ、あいつは……娘、っつうほど離れちゃあいねえが、とにかく、その……」
「であれば、それは、相棒と呼びます」
美貌の僧は呪布の奥で笑って、慌てる髭面に穏やかに話した。
「それまでの貴方を引き剥がそうとして、相棒が呼んでいるのなら……その通りにするべきです。今までのあなたの人生は、相棒を見つけるためにあった。見つかったのなら、そこから離れて、二人のために生きて下さい」
「……坊主のくせに、ずいぶん、思い切ったこと言うんだな」
「ええ、確信がありますから。それにもう……あなたの心は、決まっています」
美貌の僧は口元の布を下げて、にっこりと笑う。空色の髪が呪布からこぼれ、風にふわりと躍った。
「相棒はそういうものです。片方がそう思ったなら、もう一方もそうなる。磁石みたいに……かならず、気持ちが呼び合うように、できているんです」
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