【番外編】マッシュルーム・スナップ10
切り立った山に、螺旋を描くようにしてゆるやかな坂が続き、年季の入った石畳がそれを覆っている。
山側の壁には、
「山の上にあるとは聞いてたが、これじゃ、山ごと寺みてえだな」
「いやー。さすがにお遍路の終着点だけあって、霊験あらたかな感じがしますねえ」
「止まられよ。これより先、四つ足ではゆかれぬ」
凛々しい声が響き、ハルとデイジーの足を止めた。
髭面が上を見れば、切り立った崖の上に、長くたなびく僧衣をはためかせた、まだ年若い僧が立っている。髭面が、了解の意を示すように手を振ると、僧はひとつ頷いて、すばらしい身軽さで崖の間をぴょんぴょん跳ね飛んできた。
僧はカバ車の前に、空気のようにふわりと着地すると、崖側から吹き付ける砂風に少し目を細めて、ひゅん! と手に持った杖で空気を裂いた。驚くべきことにその一薙ぎで風は止まり、山間に響く風鳴りもそこでぱたりと収まった。
「入門をご希望か?」
「いや、入門までしようって訳じゃねえんだが」カバ車を降りながら、髭面が僧に言う。「旅の締めに、せっかくだから……一生に一度は、万霊寺を拝んでおこうと思ってよ」
「良い心掛けです。カバでお越しになる方は珍しい。遠路はるばる、ご苦労でした」
手を合わせて礼をする僧に、二人も慌てて礼を返す。
その僧はとても精悍な美しい顔つきをしているが、顔といわず耳といわず開けられたピアスが仰々しく光り、それに何より、両目に嵌めた開眼器具が、常に爛々とその両目を開かせ、その美しい顔になんとも言えない妖しさを添えている。
(い……イノシゲさん。このひと、目ぇ開きっぱなしですよ!?)
(そういう修行なんだろうなァ。過酷なんだな、万霊寺ってのは……)
こっそり視線を交わす二人に構わず、僧は二人の持ち物を改め、髭面の腰から小銃を抜き、太田のカメラに手をかけて、「これも、なりませぬ。よろしいか?」と聞いた。太田は渋い顔をしたが、さすがに戒律に逆らってまでカメラを持ち込む気はなかったので、仕方なく僧に一眼レフを預けた。
「お二人とも、他に神をお持ちではありませぬな。あるいは最近、何か拝まれましたか?」
「いや、オレたちは……あっ、そういえば、拝んだな。
「えっと、金色の、象……そうだ、ガナンジャです。ガナンジャさま」
「よろしい。霜吹商人のガナンジャ神であれば、ノー・カウントです」開眼の僧は頷いて、頂上まで延々と続く、石の階段を指し示した。「カバ達は私が本尊まで導きます。あなたがたはこの階段で、直接本尊までおいでください」
「げえーーっ……この、階段をかーーっ……」
髭面が掠れるような悲鳴を上げる。それも無理はなく、その石の階段は一段一段が人の膝上ほどの高さがあり、遥かに遠く佇む本尊は、それこそ遠く霞んで見えないほどだ。
「覚悟きめましょう、イノシゲさん。戒名もらうんでしょ」
「い……いいよ。オレ、腰がさ。歳だし。お前、行ってこいよ……」
「何のためにここまで来たんすか!? いいから行きますよ、オラッ足上げろ」
「あなた方は運がいい」十段ほど登り、早くも汗をかきはじめる二人へ向かって、開眼の僧が微笑んだ。「本日はちょうど、大僧正さまがお見えになる。きっと、よき名を貰えましょう」
「ぜえ ぜえ ぜえ」
「ハァッ ハァッ ハァッ」
「そこで口をゆすいで、手をお清めください」
本尊の前、この世の終わりみたいな顔で汗を吹き出す二人に、先回りしていた開眼の僧が、こともなげに声をかけた。
「靴と、靴下もお脱ぎになって……そうです。こちらで正座してお待ちください。すぐ、大僧正がお見えになります」
言われるがままに巨大な寺の敷居をまたぎ、半死人のような表情で膝を折る二人。だんだんと身体に元気が戻ってくると、幾何学的な文様の刻まれた、巨大な球体が眼前に祀られていることに、二人はようやく気がついた。
「なんすかね、これは?」
「見てみろ。そこらじゅうに、キノコが生えてる」
髭面の言うとおり、球体のその胴体にヒビを入れるようにして、太陽の色に輝くキノコの傘が、そこらじゅうから顔を出している。錆を運ぶものとして、世間から忌避されているキノコだが、こうして見るとある種の神性を帯びて見えてくるから、不思議であった。
「ああ……カメラがあればなあ。この角度で……」
太田が両手の指で四角を作り、その御神体を狙う、その真ん前に、
ぴょこん!!
と、何者かが跳び降りて、その眼前に立ちふさがった。「わァッ」と叫んでスッ倒れる太田の背中を、慌てて髭面が支える。
「
「……おおちゃがま、だいそうじょう??」
ぽかんと口を開ける二人の目の前に、それこそ髭面の半分ほどの大きさの、なんだかフワフワした、白い毛むくじゃらのものが座っている。
「大茶釜僧正は、見た目は御若く見えますが、実に御歳百四十を数えられます。仙術に通じるのは勿論、現代のあらゆる徳と智を備えておいでです」
「……御若く見える……ッていうか、わたあめにしか見えないんですけどォ」
「い、いちおう、ジジイだってことは、わかったけど」
毛むくじゃらはその白いフワフワの奥で目をぱちぱちと瞬き、側に控える開眼の僧へ、何やらこしょこしょと耳打ちした。
「「こいつら、だれ?」と、仰せです」
「あっ、ええと……スイマセン」髭面は、その白いフワフワが大僧正であることを思い出し、かしこまって答えた。「群馬くんだりから来ました、役人の……猪茂幸太郎、こいつは」
「太田です、太田斗李子」
フワフワはまたも、フワフワ(毛なんだろうが、どこからが髪で、どこからが髭なのか、さっぱりわからない)の奥で目を瞬き、僧へ耳打ちする。
「「ふーん」と、仰せです」
「通訳いります?」
フワフワ……大茶釜大僧正は、用向きはわかったというふうに立ち上がり、手に持った杖で、足元の石畳を、べしん、べしん! と叩いた。すると、いかなる技か、石畳は綺麗に薄い長方形に切り取られ、二枚の札となってその手に収まった。
開眼の僧が渡す筆を手にとって、すらすらと二枚の札に走らせると、大僧正はおごそかに二人へ歩み寄って、それぞれの札を手渡した。
「おめでとうございます。そちらが、あなたがたの僧名……戒名となります。普段は心の奥にしまい、みだりに口にせぬように」
二人ははっと顔を見合わせ、手渡された札を一斉に見る、
そこには。
『ヒゲブタ』
『ハト胸』
「このジジイ、バカにしてんのかァッ」
髭面が叫んだときには、大僧正はぴょんぴょん跳ね飛んで、本尊から外へ出て行くところだった。そして玄関先で振り返り、開眼の僧に、なにやらしきりに指し示している。
「カバをご覧になったようですな」
「ハルと、デイジーですか?」
「行ってみましょう」
三人が本尊の外へ出てみると、大僧正はすでに筆をとり、ハルとデイジーの顔に、今のほんの一瞬のうちに如何したものか、みごとな神仏の文様を描いていた。
普段は、知らぬ他人に触られることも嫌がる二匹は、むずかる様子も見せず、おとなしく大僧正に撫でられるに任せている。
「おお……」
見事に彩られた二匹の姿に、二人は先ほどの怒りもケロリと忘れて、見入ってしまう。大僧正が再び僧に耳打ちをすると、開眼の僧は驚いたように口を開いた。
「大僧正様。それは、誠にございますか」
「何て、仰ってんすか?」
「カバ……いえ、こちらの方々に、神性があると仰せです、いや、そのもの……智を司る、生き神だと……こんなことは、私にもはじめてのことです」
「ハルと、デイジーが? んな、大袈裟な……」
仰け反る髭面の前に、大僧正はぴょんぴょん跳ね飛んで、膝を降り、頭を下げた。
「だ、大僧正っっ!!! あ、頭を、どうかお上げください!」
「な、何だ、何だ!?」
「ど、どうか……どうか、この一対の神獣を、我らにお預け願えませぬか」開眼の僧は、その美しい顔を汗でびっしょりにして、二人へ懇願した。「運び手のお二人を名付け親とし、ハル神、デイジー神として祀り、何一つ不自由させませぬ。どうか、このとおり……」
「そ、そんな事、急に言われてもよォ……」
髭面は二人の熱意にすっかり困って、縋るように太田を見る。太田は腕を組んで、しばらく何事か思案していたようだったが。
「……うん。いいッすよ」
「おい、まじかよっ!?」
「大切にしてくださいよ! こんなおしどりカバ夫婦、他にいないんだから」
太田は歓喜する大僧正に向けて言い、髭面を振り返る。
「どうせ、次の監査が来たら……兵器にされちゃうところだったでしょ。群馬で、背中に大砲くくりつけられて、離れ離れにされるより……こっちのほうが、ハルとデイジーには、絶対、幸せッすよ」
「そりゃ、そうかもしれねえが。でも、オレたちの、帰りの足をどうすんだよ!?」
「それならば、心配ご無用」
朗らかな笑みを見せて、開眼の僧が笑った。
「万霊寺から、お帰りのヘリコプターを出しましょう。私が操縦をします」
「へ、ヘリだとぉ!?」
「だが、今日はもう遅い。寺にお泊まりください……いやはや、こんなことになるとは。急ぎ、徳の高いお部屋を、ご用意しなくては」
「あっ、待って!」
慌てて本尊に入ろうとする僧を、太田が呼び止めた。
「もう一個、条件……それ、いいッすか?」
悪戯っぽく笑う太田が指差したのは、開眼の僧に預けた、自分のカメラであった。僧がわずかに迷う隙も与えず、大僧正がぴょんと跳ね飛んで、天狗のごとき素早さでカメラを奪い取り、それを太田の首にかけてやる。
「あざます!」
返礼がわりに、ぱしゃり! とシャッターを切る。
吐き出された写真には、跳びながらピースするフワフワの大僧正と、困ったような開眼の僧。そして……綺麗に朱色で模様を描かれたハルとデイジーが、仲睦まじく、その鼻先を寄せ合っていた。
◆本編もいよいよクライマックスに突入!――
気になる続きは明日の更新で!◆
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