【番外編】マッシュルーム・スナップ9

「おきゃくさん、ちょうど、よかったよ」


 霜吹しもぶき県の商人キャンプで出迎えてくれた宇宙服の霜吹商人は、カタコトではあれ標準語の話せる人間だったので、二人はいくらか包んで(その商人は日貨にっかを信用しない主義だったが、カバ豆を代わりに渡したらえらく喜んだ)、その商人にキャンプを案内してもらうことにした。


「いま、おまつり、やってるの。ほんとは、ここ、あんまりそとのひといれないけどね。いま、おめでたいから。ブレイコーだよ」


「どこのテントも、てっかてかに飾ってますよ! わー、綺麗ッすねえ!」


「いや、派手だとは思うんだけどよォ」髭面は吹きすさぶ雪風に身体を縮めながら、その大きな図体を太田おおたに隠すようにして、側の商人に言う。「あの、どのテントの前にもある、象の置物は、なんなんだよ? どいつも、一つ目で……見張られてるみてえで、不気味だぜ」


 髭面の言う通り、テントの装飾にはそれぞれ個性はあれど、玄関先に金色の象を置いている点においては共通していた。その単眼の象はどうやら何かの神であるらしく、二足で立ち、その手に剣や秤、金貨のようなものを持っている。


「ガナンジャさま、ショーバイのかみさま。ぶきみじゃないよ。ガナンジャさまいないと、おかねみつからないよ。ガナンジャさまいると、おかねみつかるよ」


「がめつい割には、けっこう、信心深いんすねえ」


「どうだか。招き猫、置くぐらいのもんじゃねえのか?」


 ぱしゃぱしゃとシャッターを切る太田と髭面を連れて、商人はキャンプの中央、円形の広場のようなところへたどり着いた。四方に篝火が焚かれたその中央には高く櫓が築かれ、その中で、何やら屈強な二人の男が、殴りあっているのが見える。


 この極寒の地で、熱く燃えるその筋肉は熱くほてり、白い湯気をたてている。ラリアットにエルボー、パイルドライバーと、お互いの技が交互に炸裂するたび、周囲の観客から怒号のような歓声が飛び、実況席はしきりに「おーでま! おーでま、アックスボンバ! ヒナンジャマスク、けるひんーーーっ!」などとマイクでがなりたて、言葉の意味はともかく、気持ちだけは嫌というほど伝わってくる。


「いま、おすもう、やってるよ。かみさまに、ショーバイハンジョ、いのってるよ」


「いやいやいや! こりゃお前、相撲っていうか……ガチンコじゃねえか! うわァッ、モロに入った! ありゃ、手加減なしだぞ!」


「ヒナンジャかめん、ガナンジャさまのむすこ。でも、あぶないね。ここ十年、負けなしだったけど、こりゃ、ことしで、こうたいかもしれないね」


 ヒナンジャ仮面は、金色に一つ目をあしらったマスクの、なるほどガナンジャ神の息子を模した善玉力士らしかったが、若く凶悪な相手力士の猛攻を喰らい続け、いまや金色のマスクはまだらに赤く染まり、顎からは滝のような鮮血が垂れ落ちている。


「んなーーーっ!! バァックドロッ、おーでまーーっっ!」実況の通り、強烈なバックドロップがヒナンジャ仮面を捉える。相手の若手力士は凶悪な笑みを浮かべ、観客を煽るように両腕を上げて見せた。


「「ゆーーびーーしっ! ゆーーびーーしっ!」」


 観客が一斉に上げる罵声にかき消されないように、髭面が声を張る。


「おい、もう止めてやれよ! あれじゃ、死んじまう!」


「何言ッてんすか、イノシゲさん! これからッすよッ!」


 なぜか、その場の熱気に完全に呑まれた太田が、頬を火照らせて叫ぶ。


「見てください、ヒナンジャの顔を! あのギラついた目は、まだ諦めてない証拠ッすよ!」


「目ってお前、ありゃ、マスクだろうが……!」


 髭面の言葉が終わるか終わらないかのうち、グロッキーだと思われていたヒナンジャ仮面が、弾けるようなその肉体で相手の腕を払いのけると、バックナックルからのドロップキックの鮮やかな連携で、相手を土俵際のロープへブッ飛ばした。


「わーーっ! やったーー! ヒナンジャーー!!」


 手を叩いて喜ぶ太田を、櫓の上からヒナンジャ仮面が指差して、ふん! と筋肉を誇示してみせると、会場に割れんばかりのヒナンジャコールが響いた。


 ロープに振られて戻ってくる相手の身体を背中に抱えて、ヒナンジャ仮面が吠える。そして驚くべきことに、櫓のへりを蹴って3mほどの高度から飛び、相手の背をへし割るように、雪上に着地したのである。


「おーでまーーーっ! ヒナンジャ・バスタ! ヒナンジャ・バスターーッッ!」


 試合終了のゴングが鳴り響き、ヒナンジャがその腕を高く掲げると、再び雷鳴のようなヒナンジャコールが広場を包んだ。


「す……すっげえ……なんだ、あの技は!」


「うおーーーっ! やったー、ヒナンジャーーッッ!」


 呆気に取られる髭面と、喜ぶ太田の間を押しのけるようにして、霜吹人の親子がヒナンジャ仮面に駆け寄る。親子は戦いを終えたヒナンジャ仮面に抱きつき、女は自分のカプセルを脱ぎ捨てて、熱烈なキスをヒナンジャマスクの上から浴びせた。


「あっ。奥さんいたんすねー! さすが、強い男は違うなー。いやあ、いいもん見れましたね、イノシゲさん!」


「……。」


「イノシゲさん?」


「ミナコ……ナオ太……」


「……ええッッ!?」


 髭面が呆然と見守る方向を凝視して、太田も度肝を抜かれた。


 いま、まさにヒナンジャ仮面の方の上で、愛おしげにマスクを抱きしめる少年。


 その顔は……


 髭面のデスクにしまってある、元気そうな少年の写真、そのものだったのである。


「…………。」


「い、イノシゲさ……」


「……ハルと、デイジーを、見てくる……。」


 太田に表情すら見せず、髭面はのそりと振り返り、ざくざくと雪を踏んで歩いてゆく。


「ヘイ! おにーさん、おまつり、これからだよ。おにく、たくさんでるよ!」


 呼びかける商人の腕を掴んで、太田が首を振った。ぽりぽりと、頭のカプセルを掻く商人越しに、太田は髭面の後ろ姿を、何もできずに見送っていた。




 酒瓶を呷ろうとして、それがとっくに空であることに気がつき、髭面は情けなさそうにそれを懐にしまう。


「ぶるる」と鼻をよせてくるデイジーを撫でてやりながら、霜吹の祭の明かりに照らされたオレンジ色のキャンプを、髭面は遠くから眺めている。


「イノシゲさん」


 それほどまでに思い詰めていたのか、髭面は声をかけられるまで、隣に太田がいることに気がつかなかった。「うおっ」と、驚いて少し仰け反ってから、髭面は不器用な作り笑いをしてみせる。


「へへ、悪いな。どうも腹の調子が悪くてよ。オレのことはいいから、祭の写真を……」


「ヒナンジャ仮面の子供と、話、してきたッす」


「……。」


「これ、綿牛の、肋骨のとこだって。もらってきました。食べるでしょ?」


「……。」


「座るっすよ、隣」


 素直に肉を受け取る髭面の隣に座って、太田も少し黙った。霜吹の、独特だがどこか郷愁をかきたてる祭の笛の音が、オレンジに照らされた二人を包み込んでいる。




「……。」


「……。」


「……。」


「……ヒナンジャの、子供……元気だったか?」


「はい」


「……そうか……。」


「パパ、強かったねえ、って、言ったんす。えへへって、笑ってました。ぼくのパパは、世界一、強いんだって……」


「……。」


「それに……。」


「……。」


「もう一人いるんだよ、って。教えてくれましたよ。今は会えないけど、ぼくにはもう一人、パパがいるんだって。とっても優しくて、料理がとっても上手な、人なんですって」


「……。」


「……。」


「……あんな、可愛い子、ほっといて。どうしてんだ、その、大馬鹿野郎は……」


「……死んじゃった、って……」


「……。」


「関所で、群馬県を守るために、死んじゃったんですって。だから、会えないけど、天国から……ずっと、ぼくを見てるんだよって……」


「……うう……。」


「言って……ぐすっ……。」


「……ううう……。」


「うわああーーんっ……。」


 太田はできるだけ、最後まで表情を崩さないように努めたけれど、それでも最後まで言い切ることは結局できなかった。二人はしばらく身を寄せ合うようにして、霜吹の雪に、ぽたぽたと涙の雫を落とし続けた。




「色々、世話んなったな、商人さん」


「いいよ。その、カバ豆、みんなほしがる。やくにんやめて、ショーバイするといい」


「がはは、考えてみてもいいかもな」


 言いながら、髭面は自分の腕時計を外し、その商人に向けて、ひとつ頼みごとをした。


「これをよ、ヒナンジャ仮面に……渡してくれねえか。あんたの試合に感動したって。的場製鉄まとばせいてつの時計だ、悪いもんじゃねえ」


「それは、いいけど、これはちょっとちいさい。ヒナンジャかめん、うで、すんごいふといよ。このおおきさじゃ、はめられないよ」


「それじゃあ……ヒナンジャの息子にでも、やってくれや!」


 霜吹のキャンプを遠ざかりながら、手を振る商人に、太田が手を振り返す。一夜明けて、髭面の横顔は、何かを吹っ切ったようにさっぱりとしている。


「じゃ、ちょっと名残惜しいけど……新潟経由で、帰りますか、イノシゲさん」


「何言ってんだ、お前らしくもねえ。まだ、休みは残ってるだろ」


「ええっっ!?」


 髭面の、思ってもみない言葉に、太田もさすがに驚いた。どうも最近は、マイペースなはずの太田が、驚かされる側に回りつつあるらしい。


「せっかく霜吹くんだりまで来たんだ。北にある、万霊寺ばんりょうじを拝んで……そうだ、戒名を貰ってこよう。それで、旅の終わりとしようじゃねえか、なあ?」


「……。」


「何だよ、そのツラは。やっぱり帰るか?」


「イノシゲさんってぇ。正面から見ると……けっこう、イケオジっすね??」


「何だァ、てめえ、急に!?」


「あっはははは!! 行く行く、行きましょう!」


 やかましく騒ぐカバ車の前で、腹いっぱいのハルとデイジーは「ぶるる」と唸り、雪を踏みしめて北へ向かってゆくのだった。




◆優しくて料理上手なイケオジ、イノシゲさんに幸あれ!

 ――一方、大切な姉の元へ向かったミロの行方は明日の更新で!◆

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