【番外編】マッシュルーム・スナップ9
「おきゃくさん、ちょうど、よかったよ」
「いま、おまつり、やってるの。ほんとは、ここ、あんまりそとのひといれないけどね。いま、おめでたいから。ブレイコーだよ」
「どこのテントも、てっかてかに飾ってますよ! わー、綺麗ッすねえ!」
「いや、派手だとは思うんだけどよォ」髭面は吹きすさぶ雪風に身体を縮めながら、その大きな図体を
髭面の言う通り、テントの装飾にはそれぞれ個性はあれど、玄関先に金色の象を置いている点においては共通していた。その単眼の象はどうやら何かの神であるらしく、二足で立ち、その手に剣や秤、金貨のようなものを持っている。
「ガナンジャさま、ショーバイのかみさま。ぶきみじゃないよ。ガナンジャさまいないと、おかねみつからないよ。ガナンジャさまいると、おかねみつかるよ」
「がめつい割には、けっこう、信心深いんすねえ」
「どうだか。招き猫、置くぐらいのもんじゃねえのか?」
ぱしゃぱしゃとシャッターを切る太田と髭面を連れて、商人はキャンプの中央、円形の広場のようなところへたどり着いた。四方に篝火が焚かれたその中央には高く櫓が築かれ、その中で、何やら屈強な二人の男が、殴りあっているのが見える。
この極寒の地で、熱く燃えるその筋肉は熱くほてり、白い湯気をたてている。ラリアットにエルボー、パイルドライバーと、お互いの技が交互に炸裂するたび、周囲の観客から怒号のような歓声が飛び、実況席はしきりに「おーでま! おーでま、アックスボンバ! ヒナンジャマスク、けるひんーーーっ!」などとマイクでがなりたて、言葉の意味はともかく、気持ちだけは嫌というほど伝わってくる。
「いま、おすもう、やってるよ。かみさまに、ショーバイハンジョ、いのってるよ」
「いやいやいや! こりゃお前、相撲っていうか……ガチンコじゃねえか! うわァッ、モロに入った! ありゃ、手加減なしだぞ!」
「ヒナンジャかめん、ガナンジャさまのむすこ。でも、あぶないね。ここ十年、負けなしだったけど、こりゃ、ことしで、こうたいかもしれないね」
ヒナンジャ仮面は、金色に一つ目をあしらったマスクの、なるほどガナンジャ神の息子を模した善玉力士らしかったが、若く凶悪な相手力士の猛攻を喰らい続け、いまや金色のマスクはまだらに赤く染まり、顎からは滝のような鮮血が垂れ落ちている。
「んなーーーっ!! バァックドロッ、おーでまーーっっ!」実況の通り、強烈なバックドロップがヒナンジャ仮面を捉える。相手の若手力士は凶悪な笑みを浮かべ、観客を煽るように両腕を上げて見せた。
「「ゆーーびーーしっ! ゆーーびーーしっ!」」
観客が一斉に上げる罵声にかき消されないように、髭面が声を張る。
「おい、もう止めてやれよ! あれじゃ、死んじまう!」
「何言ッてんすか、イノシゲさん! これからッすよッ!」
なぜか、その場の熱気に完全に呑まれた太田が、頬を火照らせて叫ぶ。
「見てください、ヒナンジャの顔を! あのギラついた目は、まだ諦めてない証拠ッすよ!」
「目ってお前、ありゃ、マスクだろうが……!」
髭面の言葉が終わるか終わらないかのうち、グロッキーだと思われていたヒナンジャ仮面が、弾けるようなその肉体で相手の腕を払いのけると、バックナックルからのドロップキックの鮮やかな連携で、相手を土俵際のロープへブッ飛ばした。
「わーーっ! やったーー! ヒナンジャーー!!」
手を叩いて喜ぶ太田を、櫓の上からヒナンジャ仮面が指差して、ふん! と筋肉を誇示してみせると、会場に割れんばかりのヒナンジャコールが響いた。
ロープに振られて戻ってくる相手の身体を背中に抱えて、ヒナンジャ仮面が吠える。そして驚くべきことに、櫓のへりを蹴って3mほどの高度から飛び、相手の背をへし割るように、雪上に着地したのである。
「おーでまーーーっ! ヒナンジャ・バスタ! ヒナンジャ・バスターーッッ!」
試合終了のゴングが鳴り響き、ヒナンジャがその腕を高く掲げると、再び雷鳴のようなヒナンジャコールが広場を包んだ。
「す……すっげえ……なんだ、あの技は!」
「うおーーーっ! やったー、ヒナンジャーーッッ!」
呆気に取られる髭面と、喜ぶ太田の間を押しのけるようにして、霜吹人の親子がヒナンジャ仮面に駆け寄る。親子は戦いを終えたヒナンジャ仮面に抱きつき、女は自分のカプセルを脱ぎ捨てて、熱烈なキスをヒナンジャマスクの上から浴びせた。
「あっ。奥さんいたんすねー! さすが、強い男は違うなー。いやあ、いいもん見れましたね、イノシゲさん!」
「……。」
「イノシゲさん?」
「ミナコ……ナオ太……」
「……ええッッ!?」
髭面が呆然と見守る方向を凝視して、太田も度肝を抜かれた。
いま、まさにヒナンジャ仮面の方の上で、愛おしげにマスクを抱きしめる少年。
その顔は……
髭面のデスクにしまってある、元気そうな少年の写真、そのものだったのである。
「…………。」
「い、イノシゲさ……」
「……ハルと、デイジーを、見てくる……。」
太田に表情すら見せず、髭面はのそりと振り返り、ざくざくと雪を踏んで歩いてゆく。
「ヘイ! おにーさん、おまつり、これからだよ。おにく、たくさんでるよ!」
呼びかける商人の腕を掴んで、太田が首を振った。ぽりぽりと、頭のカプセルを掻く商人越しに、太田は髭面の後ろ姿を、何もできずに見送っていた。
酒瓶を呷ろうとして、それがとっくに空であることに気がつき、髭面は情けなさそうにそれを懐にしまう。
「ぶるる」と鼻をよせてくるデイジーを撫でてやりながら、霜吹の祭の明かりに照らされたオレンジ色のキャンプを、髭面は遠くから眺めている。
「イノシゲさん」
それほどまでに思い詰めていたのか、髭面は声をかけられるまで、隣に太田がいることに気がつかなかった。「うおっ」と、驚いて少し仰け反ってから、髭面は不器用な作り笑いをしてみせる。
「へへ、悪いな。どうも腹の調子が悪くてよ。オレのことはいいから、祭の写真を……」
「ヒナンジャ仮面の子供と、話、してきたッす」
「……。」
「これ、綿牛の、肋骨のとこだって。もらってきました。食べるでしょ?」
「……。」
「座るっすよ、隣」
素直に肉を受け取る髭面の隣に座って、太田も少し黙った。霜吹の、独特だがどこか郷愁をかきたてる祭の笛の音が、オレンジに照らされた二人を包み込んでいる。
「……。」
「……。」
「……。」
「……ヒナンジャの、子供……元気だったか?」
「はい」
「……そうか……。」
「パパ、強かったねえ、って、言ったんす。えへへって、笑ってました。ぼくのパパは、世界一、強いんだって……」
「……。」
「それに……。」
「……。」
「もう一人いるんだよ、って。教えてくれましたよ。今は会えないけど、ぼくにはもう一人、パパがいるんだって。とっても優しくて、料理がとっても上手な、人なんですって」
「……。」
「……。」
「……あんな、可愛い子、ほっといて。どうしてんだ、その、大馬鹿野郎は……」
「……死んじゃった、って……」
「……。」
「関所で、群馬県を守るために、死んじゃったんですって。だから、会えないけど、天国から……ずっと、ぼくを見てるんだよって……」
「……うう……。」
「言って……ぐすっ……。」
「……ううう……。」
「うわああーーんっ……。」
太田はできるだけ、最後まで表情を崩さないように努めたけれど、それでも最後まで言い切ることは結局できなかった。二人はしばらく身を寄せ合うようにして、霜吹の雪に、ぽたぽたと涙の雫を落とし続けた。
「色々、世話んなったな、商人さん」
「いいよ。その、カバ豆、みんなほしがる。やくにんやめて、ショーバイするといい」
「がはは、考えてみてもいいかもな」
言いながら、髭面は自分の腕時計を外し、その商人に向けて、ひとつ頼みごとをした。
「これをよ、ヒナンジャ仮面に……渡してくれねえか。あんたの試合に感動したって。
「それは、いいけど、これはちょっとちいさい。ヒナンジャかめん、うで、すんごいふといよ。このおおきさじゃ、はめられないよ」
「それじゃあ……ヒナンジャの息子にでも、やってくれや!」
霜吹のキャンプを遠ざかりながら、手を振る商人に、太田が手を振り返す。一夜明けて、髭面の横顔は、何かを吹っ切ったようにさっぱりとしている。
「じゃ、ちょっと名残惜しいけど……新潟経由で、帰りますか、イノシゲさん」
「何言ってんだ、お前らしくもねえ。まだ、休みは残ってるだろ」
「ええっっ!?」
髭面の、思ってもみない言葉に、太田もさすがに驚いた。どうも最近は、マイペースなはずの太田が、驚かされる側に回りつつあるらしい。
「せっかく霜吹くんだりまで来たんだ。北にある、
「……。」
「何だよ、そのツラは。やっぱり帰るか?」
「イノシゲさんってぇ。正面から見ると……けっこう、イケオジっすね??」
「何だァ、てめえ、急に!?」
「あっはははは!! 行く行く、行きましょう!」
やかましく騒ぐカバ車の前で、腹いっぱいのハルとデイジーは「ぶるる」と唸り、雪を踏みしめて北へ向かってゆくのだった。
◆優しくて料理上手なイケオジ、イノシゲさんに幸あれ!
――一方、大切な姉の元へ向かったミロの行方は明日の更新で!◆
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