【番外編】マッシュルーム・スナップ8

 歩きゆくおろち林道りんどうの端々に、積もった雪が見え出すようになり、髭面は急な冷え込みに思わずぶるりと身体を震わせた。


「ぼちぼち、おろち林道の、北ッ端じゃ」


 ナッツが、先のすずテントウ戦で傷んだ銛を研ぎながら言う。


「たぶん、旅小屋がそろそろ……見えたな、あれじゃ。あそこで商人を待つ。ちょうど繁忙期やき、二日も待てば、誰ぞか通りがかるじゃろ」


「おお、旅小屋があるのか。ありがてえ、火でも焚かねえと、寒くってかなわねえ……太田おおたもお前、そんな薄着で平気なのかよ?」


「……。」


「お、太田……」


「……へっ? あ、へ、平気っす。自分、寒いの、平気なんで……」


 ぎこちない笑みを返す太田に、髭面もどう言葉を返していいのかわからない。太田は先ほどからずっと、手元でひしゃげた一眼レフを見下ろして、一言も喋らずに俯いていた。


 いつも飄々と捉え所のない太田の、ここまで分かりやすく落ち込んだ姿を見たのは、髭面にも初めてのことであったから、どう励ましたものか検討がつかない。


 旅小屋の横にカバ車をつけて、ハルとデイジーを休ませ……そうそうに旅小屋に引っ込むナッツを見送りながら、髭面はなんとか気を利かせて太田に声を掛けた。


「……なァ、太田。そりゃ、大事なカメラだったのかも知れねえけどよ。もともと危険な旅だ、命があったんだから、カメラで済んで良かったじゃねえか」


「……。」


「それにお前、随分使い込んでたろう、そのカメラ。そうだ、いい機会だし、その霜吹の商人とやらに聞いて、新しいのを……」


「イノシゲさん。」


「おう?」


「優しい、ッすね。でも、平気ッす……ごめんなさい。自分で言いだして、こんな……」


「お前なあ」


 気まずい沈黙をなんとか破ろうと、髭面が太田を励ます方法を模索する、そこへ……


『ブモウ』『ブモウ』


 と、何か角笛でも吹くかのような動物の鳴き声が、そこらに響きわたった。ハルとデイジーが、何事かと顔を上げるその先から、何やら大型の、牛引きの荷車がごとごとと林道を揺れてくる。


「商人じゃ」ナッツが旅小屋から飛び出して二人へ叫び、ハルの背に乗ると、銛を大きく振って合図してみせる。「しかも綿牛引きじゃ、ええのを引いたな」


 どうやら、先ごろからのその『ブモウ』なる音は、ナッツの言うその綿牛とかいう、荷車を引く毛むくじゃらの生き物が発しているらしく、どうやらそれが、屋台のラッパみたいな役割も担っているらしかった。


 綿牛引きの車が、ハルとデイジーに顔を突き合せるようにして停まる。


 その豪華な造りの荷車の中から、カプセルのようなものを頭に被った、宇宙飛行士じみた奇妙な格好の人間がのそりと這い出してきた。


「……し、霜吹しもぶきの、人ですかね?」


 落ち込んでいた太田も、思わず顔を上げて息を呑む、それへ、


「おーべー、しゃーでった」


「……な、何だって?」


「おーべー、しゃーでった。スナカバ」宇宙飛行士は、目の前のハルとデイジーを指差して、古いラジオから出るみたいな声で、喋り続ける。「スナカバ、おーべー、げるげる。しゃーでった。だんだん、べう、つるより」


「おい、若頭領! 何つってんだ、あいつ?」


「知らん」ナッツは、ごきりと首を鳴らすと、面倒臭そうにハルの上に横になった。「霜吹語はわからん。商談は、ぜんぶコースケに任せちょった。おまんら、役人やろ。意思疎通ぐらい、自分らでなんとかせい」


「んな、無茶な……あっ、太田お前、語学部だったな!?」


「ええっ!? いやいやいや! 霜吹語なんて、履修してないっすよ!!」


 一同ががやがやと慌てるのを見て、宇宙飛行士は腕を組み、やがて荷車の中へ向かって、何事か呼びかけた。


「凍えて、死ぬよーっ、つってんの」


 高く可愛らしい女の声が、荷車の中から響いた。一同が顔を見合わせる、その目の前に、ピンク色の、くらげのようなお下げの少女が、宇宙飛行士の脇に立って、ひとつ、ふわあ、と欠伸をした。


「カバには毛がないから、霜吹じゃ凍えて死ぬよって。うちで防寒具買ってきなって、そう言ってんの。ね? ダーーリン?」


 くらげの少女はそう言って、もこもこの宇宙服に抱きつき、その滑らかな肌をすり寄せて花のような香りを振りまいた。宇宙飛行士の表情はわからないものの、可愛らしい少女にいちゃつかれて、満更でもなさそうな気配は十分感じ取れる。


「と、とにかく、良かった。通訳がいるんなら、安心だ! これで……」


「百日貨にっか


「な……何だって?」


「いまのはお試し版。こっから通訳いるんなら、百日貨だよ」


 くらげ少女が、そのお下げをくるくると指で遊びながら、居丈高に二人へ言い放った。


「ひゃ、百だって!? ほんの少し買い物するだけで、取りすぎじゃ……」


 髭面に最後まで言わせず、くらげ少女はその三つ編みを躍らせて飛び上がり、ハルの背中をひとつ跳ねて、髭面の眼前、膝の上に着地する。


「そんなら誰か他に、仲介できんの? このまま行かせたら死んじゃうから、ふつーなら二百とってるところ、サービスで百日貨にしてんだよ。金と命とっ、どっちが惜しいんだよ、おっさん!? ん? おうっ?」


 物怖じのなさに加えて、威圧感と愛嬌の絶妙なバランス。見た目は少女ながら、商売に関しては達人の手管であった。髭面はくらげ少女にその額を押し付けられながら、ぐりぐりと胸元を強く押されて、太田の冷ややかな視線にどんどんいたたまれなくなってゆく。


 その口から「わ、わかった」の声が出るまで、実に十秒もかからなかった。




 結局、髭面一行はかなりの額を毟られたものの、二人には大熊のコート、ハルとデイジーにも、防寒具をフルセットで購入することができた。全身を毛皮のコートで覆い、分厚い靴と、もこもこの耳当てを付けたデイジーの姿は傍目にも可愛らしく、着ているデイジー自身も気持ち良さそうに目を細めている。


 むずかるハルに防寒具を着せようとする男衆の有様は、可愛らしく朴訥で、いかにも写真映えしそうな光景であった。


(いい感じ! よーし)


 太田は久々に笑顔を取り戻し、手元のカメラを構えて……


 そこで、ファインダーに何も映らないのを思い出し、がっかりと肩を落とした。


(……もう、撮れないんだっけ)


 引っ込んでいた涙が、わずかに目の奥から溢れだすのを抑えるように、ひとつ鼻をすする。


 その、背後から。


「あんた、カメラやるの?」


「え、えっ?」


 急に声をかけられて、周りを見回す太田の肩に、ピンクのお下げが垂れた。綿牛の上から身を乗り出したくらげ少女が、面白そうに太田の手元を覗き込んでいる。


「んん? 何それ、ぐしゃぐしゃじゃん。なんでそんなもん、首から下げてんの?」


「……あはは、ほんと、っすね……」


「カメラなら、うちの荷車にも、確かあったよ。売ってあげようか? 望遠付きのなら、そうだなぁ、百四十日貨……」


「形見、なんす、コレ……」


 太田の静かな声が、くらげ少女の言葉を止め、その金色の目をぱちぱちと瞬かせた。その視線の先で太田は俯き、何か諦めたような笑みを浮かべている。


「……パパの。錆びて、死んじゃったっすけど……写真、好きで。よく撮ってて……」


 太田はそこで、自分を覗き込むくらげ少女の視線に気づき、恥ずかしそうに笑って見せた。


「だから、もう、いいんすよ。新しいのは。自分も写真は、これで……」


「直りゃいいの?」


「……んえっ?」


「だからさ。そのカメラのまま、直りゃいいわけでしょ?」チロルは悪戯っぽくその白い歯を覗かせて、太田に笑いかけた。「それ貸して。こっちのカメラの部品バラして、組み替えてあげるよ。見たとこ、ボディ自体は無事みたいだからね」


「で、できるんですか、そんなこと!?」


「あんた、運が良かったね。こんな繊細な作業できんの、日本であたしだけだよ!」


 太田からカメラを受け取り、荷車に引っ込むくらげ少女に、太田が慌てて言う。


「ああっ、で、でも、お金! もう、ほとんど、残ってなくて!」


「……金、ねえ?」


 くらげ少女は、荷車からひょっこり顔だけだして、にやりと笑った。


「まあ、勘弁してあげる。カバの服、倍の値段で売ってるし」




「よう、これねるど、つるよき」


「つるよき、つるよき! ガッハハハ」


 短時間ですっかり打ち解けたらしい宇宙服と背中を叩き合いながら、髭面が笑った。太田ともども大熊のコートとブーツで、防寒も万全といった具合である。


「ほいじゃ、おれもここまでじゃ。この車に乗せて貰って、海まで帰る」


「頭領さん、本当、ありがとう。頭領がいなきゃ、自分ら、死んでました!」


「構わん、武者修行ついでじゃ。……自分も、それ、直ってよかったな」


 ナッツは持った銛の先で、新品同様になった、太田のカメラを指し示した。太田はそれを言われて、心底嬉しそうに、顔の横にカメラを掲げて笑ってみせる。


「林道を出て、雪道を道なりに行けば、霜吹の集落がある。そっからはもう、新潟まですぐだよ。雪ヒョウが出るから、カバから離れないようにしなよ」


「嬢ちゃんも、親切にしてくれてよお……ほんとに、何て礼を言ったら……」


「いいさ、礼なんか。こんな、ろくでもない世の中だからね……あたしは、人情だけは大事にするって、決めてるの!」


「聞いたか、太田! 世の中、まだまだ……グスッ、捨てたもんじゃねえよなあ!」


 涙ぐむ髭面がこちらを向いた瞬間に、ぱしゃり! と、太田がシャッターを切った。


 写真には、荷車の上のナッツ、手綱を取る宇宙服、その横に、髭面の背中へ向けて、ぺろりと舌を出すくらげ少女が写っている。


 散々ぼったくられていることは、知らないほうが髭面も幸せであろうとは思ったので、太田もそのことは黙っておくことにした。




「カメラ、直ってよかったな、太田ァ」


 雪の舞う霜吹の道を行きながら、髭面が言った。


「本当はな。オレも、寂しいと思ってたんだ……これから先、写真がねえと思うとよ。帰ったら、その写真ぜんぶ焼き増ししてよ、関所小屋に飾ろうや。ちょうど、赤星にブッ壊されて、殺風景だったしよ……」


 楽しそうに話す髭面を、太田は横から眺めて……ただ何も言わずに、しばらく微笑んでいた。





◆大事なカメラ直ってよかったね、太田ちゃん!

 ――一方気になるビスコたちの様子は明日の更新で!◆

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