【番外編】マッシュルーム・スナップ7

「あたしたちに、ガイドを頼みたいって?」


「頼むよ。どうにか新潟まで抜けなきゃいけねえんだが、もう頼れる奴がいないんだ。道中、またあんなフグの化物に襲われたりしたら……オレたちだけじゃ、ひとたまりもねえ」


 人形の街の最上階(つまりは顔の中を部屋にしつらえてある)で、髭面が頭を下げた。プラムとナッツは顔を見合わせて、少し困ったような表情をする。


「に、新潟に、ここから、抜けようと思ったら」ナッツの足元で地図を睨むタニシ帽子の少年が、少し舌ったらずな声で答えた。「どうしたって、し、霜吹しもぶきを通らなきゃ、いけない。安全なところを行くなら、時間も、お、お金も、かかるよ」


「お金はね! けっこう持ってるんですよ、自分たち! ぜんぜん、使うあてのないお金だったから……こういう時のためにですねえ……」


 太田おおたは懐から分厚い財布を取り出し、髭面と目配せして頷きあうと、その中から日貨の札束を抜き出して、拝むようにプラムへ差し出した。


 プラムはその白く細い指で日貨にっかの額を数えると、うーん、と短く唸って、親指の爪で唇を掻いた。そして、何事かひそひそとナッツに耳打ちする。


「え、えっ? 少ないッすか!? それ以上ってなると、その、色々……」


「少なかァねェが」ナッツがそのサザエの帽子を被り直して立ち上がり、腕を組む。「カバで霜吹を行くんなら、防寒具やら何やら、普段の倍以上、金ばかかるがよ。道中の出費を考えりゃ、うちから出せる人間は、一人がいいとこじゃァな」


「そ、そんなァ。そう言わねえでくれよ、一人ぽっちじゃ、オレたち……」


「んや、心配いらん」


 ナッツはそう言って、壁にかけてある一本の銛を手に取ると、だん! と、その柄の先を床に打ち付けて、部屋に快音を響かせた。


「一人は一人でも、いッち番、強え一人が付く。実質、百人いると思ったらええ」




 大勢の子供たちに手を振られて形の街をあとにした二人と二匹は、ナッツの案内に従って一旦西へ向かい、貝砂海かいさかいを抜けておろち林道りんどうに入った。直接的な距離で考えれば、北上したほうが無論早いのだが、それには腐姫沼ふきぬまという沼地を経由する必要があり、到底カバ車で踏破できる地形ではないらしい。


「霜吹の商人どもは」林道の木漏れ日の中、ナッツはカバ車に乗る髭面と太田の膝の上に寝転びながら、ぼりぼりとカバ豆を齧っている。「林道を大回りに回って、うちの街を経由して、忌浜いみはまへ行く。今は、連中の経路を逆に行っとる。まず、間違いは、ねえ」


「子供だてらに大したもんだ。今の時代、くたびれちまった大人より、おめえら若いもんのほうが、元気があって……なんつーか、清廉だァな」


 髭面は人形の街を出てからこっちずっと上機嫌で、それはいつも隣にいる太田が驚くほどであった。あのいつも不機嫌な髭面が、膝の上に無礼な子供を乗せて笑っているなど、関所で壁を睨んでいた頃からは考えられないことだ。


「おめーも、早いとこ嫁に行ってよ。元気な子を産めよ、太田ァ」


「えっ。なに急に。セクハラすか? どしちゃったのほんと、イノシゲさん」


「考えてみりゃ、あの赤星あかぼしだって、ガキだったよなァ。あの時は、とんでもねえ目つきの悪さで、気が付かなかったが……どうも今から考えりゃ、悪気があって、あんな――」 


「赤星、じゃと」


 そこで、暇そうに豆を齧っていたナッツが弾けるように起き上がり、上機嫌な髭面の眼前に、その顔を突き合わせた。その、鮫みたいなぎざぎざの歯を食いしばり、鋭い瞳にめらめらとほむらを宿らせている。


「おっさん。赤星ちゅうたか。野郎に、会ったこつばあるんか!」


「い、いやっ、その」髭面は横目で、細かく頷き返す太田を伺い、曖昧な返事を返した。「き、聞いたことあるだけだぜ。あ、赤星は、群馬でも有名な、賞金首だからよォ」


「……ふん。なんじゃ。紛らわしい。おれは、てっきり……」


 ナッツはつまらなそうに声のトーンを落とし、また、寝転ぼうとして……不意に、あたりに響きだした何かの振動音に、再び飛び起きた。


「……出たな。おまんら、そのまま動くな!」


「え、ええっ、なに、なに!?」


「お、太田、上だァッ」


 髭面の声に上を見上げれば、何やら大ぶりのボーリングの球のようなものが、その羽を高速で羽ばたかせて、周囲に滞空している。うちの一体が、羽ばたくのをやめて球形になって落ちてくるのを、ナッツの閃く銛が打ち弾いた。


 弾かれた球形のものは、そのまま林道の細木にぶちあたって、幹からそれをへし折ってしまった。その様子だけ見ても、恐ろしい硬さ、重量である。


すずテントウじゃ」ナッツが叫ぶ。「こいつらは、諦めが早い。何分か堪えろ、頭を守ってりゃ、死にはせん!」


「ほ、本当かよォッ」


 二人は言われるままに、両手で頭を守って、カバ車の中でうずくまる。太田がちらりと前方を盗み見れば、ナッツ少年はまさしく山犬のごとき身軽さで銛を操り、降り注ぐ錫テントウ達を打ち落としてゆく。地面に落ちて、仰向けで暴れる錫テントウは、ハルとデイジーが持ち前の体重で圧し砕いてゆく。


「……わ、わああーッ、か……かっけェーーッ」


 太田は今この場が、とてつもなく危険なそれであることも忘れて、その勇壮な光景に見とれてしまった。当然のように手はカメラに伸び、劇的な一枚を狙う。


 そこへ。


 二匹がかりの攻撃を、回転薙ぎで跳ね除けたナッツの方向から、一匹の錫テントウが、球形のまま、すごい勢いでブッ飛んできた。


「危ねえ、太田ァ」


 咄嗟のことに身動きのとれない太田の背中を引っつかんで、間一髪、錫テントウは太田の手元を掠めて通り過ぎ、カバ車の壁をブチ破って通り過ぎていく。


「うおお……あ、危なかっ……」


「あ、ああーーーーーッッ!!」


「ど、どうしたッ!? どっかに当たったか!?」


「か、カメラが。カメラがーーっ……!」


 悲痛な叫び声を上げる太田の手元には、錫テントウの身体に打ち付けられて、すっかりひしゃげてしまった一眼レフが握られている。


「馬鹿野郎っ! 伏せちょけッ!」


 落ちてくる一匹をナッツの一振りが弾き飛ばし、宙を舞う錫テントウ達をビリヤードののうに二、三と叩き落せば、錫テントウ達はそこで見切りをつけたのか、カバ車に背を向けて林の中へ逃げ去ってゆく。


「……よし、連中、諦めたぞ。この、カバ達のお陰かもしれんな」


「太田! もう平気だとよ、なあ、起きてこいよ!」


「……。」


「お、太田……?」


「……んえっ!? あ、あはは、ごめんなさいっ! いやあ、すごかったッすね、ナッツくん!」


 顔を上げて、精一杯いつもの笑顔を作ろうとする太田の目は赤く染まり、露骨に涙で潤んでいた。その睫毛に涙が伝って、ぽろりと落ちるのを、慌てて手の甲で拭う。


「お前、カメラを……」


「い、いいんッす。どうせ、……ずっと昔の、古い、カメラッすから。撮るより、見るほうが大事だって、お告げかもしんないすね。もう平気ッす、行きましょう、太田さん!」


 髭面は戸惑いながらも、太田の言う通りカバ車の手綱を取って、その歩を進め出す。


 心配そうに振り返るナッツに、太田は気丈な笑顔を返しながら、それでも……ひしゃげてしまった一眼レフを首に下げ、手を離そうとはしなかった。




◆カメラが壊れて落ち込む太田――。

 一方、ミロ&アクタガワを救うため奮闘中のビスコとパウーは?◆

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る