【番外編】マッシュルーム・スナップ6

 可愛らしくもたくましいカルベロの少年漁師たちに連れられて、髭面と太田おおたは傷ついたスナカバを気遣いながら貝砂かいさの海を渡り……やがて日が沈むころ、巨大な人形をくりぬいて作ったような、奇怪な様相の街へ辿りついた。


 貝砂の海に佇む巨大な人形の街という、驚くべきロケーションではあったが、目下大事なペットのカバの容体が気にかかって、太田もカメラを構えるどころではない。


「それで、どうなんだ。ハルは……ハルは、大丈夫なのか?」


「平気さ。脂肪が厚いからね、内臓まで牙が届いてない。出血は多かったみたいだけど……処置はしたし、まあ、カバのことだからね。二、三日たらふく食わせりゃ、すぐに良くなるよ」


「よ、良かったあ~~……」


 横たえたハルに包帯巻き終えて、ツノガイの帽子を被った女の子が、こともなげに答えた。安心して脱力する良い歳の大人二人を横目に女の子は立ち上がり、軽傷であったデイジーの治療に取り掛かる。デイジー自身は、さきほどから相方のハルを心配して、その顔にしきりに鼻先をすり寄せている。


「よーしよし。平気だ。彼氏は助かるよ……」


 ツノガイの女の子は穏やかに笑って、デイジーの額を撫でながら、耳元に囁いてやった。


「おい、プラム。今日は早く飯にしてくれ。みんな、疲れとる」


 少年漁師たちが大きなトビフグの身体を引きずってくるのを指揮しながら、彼らの頭領らしき、サザエ帽子の少年が女の子に呼びかける。


「それから、味付けも少しは変えてくれって、みんな言うとるぞ。確かにここんとこフグばっかりで、飽きた。塩鍋じゃなくて、なんかこう、気の利いた料理が食いたい」


「あのねえ、ナッツ。今、あんたの言う通りカバを診てんだよ、見りゃわかるだろう。他の女も、今日はみんな漁に出たじゃないか。今日の飯は遅くなるって、伝えといて」


「ええーーっっ、嫌じゃ、おれは、腹ァ減ったんじゃ!!」


「なあにが、皆が疲れて、だよ! 結局あんたが、腹減っただけじゃないか!」


 その、ナッツというのが、このサザエ帽子の頭領の名前らしい。先ほど見せた海神のごとき活躍とは裏腹に、年相応の子供っぽく駄々をこねている。


 その一方でプラムと呼ばれた少女は、すっかりそれに慣れた様子で、涼しい顔でそれをいなしてみせていた。


「おう、何だい、若頭領! 炊事当番が足りねえって、そういう話かい?」


「……何じゃァ、余所もんが、急に」見慣れない大人二人が、にこにこと機嫌よく話しかけてきたので、ナッツも怪訝な顔で声をひそめた。「カバが治ったら、とっとと出てけ。おまんら、たまたまおれたちが遠出したから助かっただけで、普通なら今頃、フグの餌じゃぞ」


「だから、その礼をさせて貰おうってんじゃァねえかァ」


 髭面は酒が入っているのか随分な上機嫌で、その大きな手でナッツの肩をばんばんと叩く。


「いやァ、格好よかったなァ、頭領! あの、銛でフグのドタマを、ずばぁんと……いやあ天晴れだ、孫悟空かと思ったぜ!」


「な、なんじゃァ、おまんら……」


 ナッツは半ば呆然としながらも、褒められていること自体は満更でもないのか、わずかに頬を赤くして、髭面のするに任せている。


「自分ら、関所の役員でして。する事ったら、カードか、人生ゲームか、料理ぐらいしかなかったからァ。けっこう、お料理、自信あるんッすよォ。こう見えてこのヒゲのおじさん、魚を煮付けさせたら、めちゃめちゃ美味しく作るんすよ」


「飯ならオレたちに任せな。こんないいフグなら、美味い煮込みが出来るぞォ」


 楽しげに話す二人の横顔を、デイジーに寄りかかって腕を組んでいたプラムが見つめて、面白そうにナッツに呼びかけた。


「いいんじゃない。こっちはタダでカバ診てやったんだ、料理番ぐらい、やってもらったら? ナッツの言うみたいな、一味違った料理が出てくるかもしんないよ」


 参謀役のプラムにまでそう言われてナッツは言葉を失い、満面の笑みを浮かべる二人の大人の前で、ううん、と一声唸って腕を組み……


「う……うーん……まあ。そんなに、仕事が、してえってんなら……」


 と、根負けしたように言った。




「うんめえええーーっっ! な、なんだ、この味! こんなフグ、食ったことないぞっ!」


「これ、骨まで食えるぜ! おっちゃん、おかわり!」「バカ、おれが先だよっ!」


「おう、押すな押すな! たっぷり全員分あるからなァ」


 巨大な人形の、その腹のあたりから突き出した広いラウンジのような場所に、大鍋が炊かれ、フグが味噌で煮える芳醇な香りが漂ってくる。


 腹を空かせた少年少女達は、その若さに任せてとんでもないスピードでフグの煮込みをかき込んでは、押し寄せるようにして髭面にお替わりをねだった。


「ほ、ほんとに、美味しい! ねえ、お姉さん、こ、これは、どういう、り、料理なの?」


「お姉さん、だって。へへ」太田は太田で、包丁でばんばんとフグの身を叩き、ミンチになったそれに何やら豆の絞り汁をまぶすと、それをその、配膳係の少年に手渡した。「イノシゲさんが煮てんのは、カバ豆煮付けっていう、群馬じゃメジャーな料理なんすよ。自分のこれは、カバ豆の……まあ、なめろうみたいなもんすね。イノシゲさんの酒のつまみに、よく作らされて……あはは、君らは酒やらないから、ちょっと味濃いかも知んないすねえ」


 群馬人は何を食うにもカバ豆の汁をかける、というのは周辺の県には知れていることであり、この二人も例外なく、カバ車の中に大量のカバ豆を背負ってきていた。独特の酸味と強い塩気が料理の旨味を増す、群馬人曰く最高の調味料である。


 ただ、名前の由来が、カバの糞に種を撒いて育てる、というところから来たもので、そういう一見田舎じみた食文化が群馬県が不当に軽んじられる原因にもなっているのだが、太田自身は、目の前で眼を輝かせる少年のためにもそのことは言わないでおいた。


「太田ァ! そろそろ手休めて、おめーも来いよ! 腹減っただろ!」


「はァーい! 最後、この鍋だけ、火ィかけたら!」


 太田はそう言って、振り向き……


 夜の中、鍋を炊く火に照らされて、子供たちにもみくちゃにされて笑う、髭面の姿に、しばらく眼を奪われた。


 ついさっきまで、余所者だと不気味がって寄り付かなかった子供たちが、今ではすっかり、たまに会う親戚にでもじゃれつくようにして髭面に群がっている。髭面が胸ポケットから取り出す酒瓶を奪って呷り、げほげほと咳き込む男の子に、みんなが笑った。


(……。)


 太田はそこで、髭面が自分のデスクにこっそり置いてある、元気に笑う少年を写した一枚の写真のことを思い出していた。


 それは髭面にとって、何か侵されざる聖域みたいなもののような気がしたので、その写真について、太田は特に何も聞いていない。聞いていないが、妻に逃げられた髭面が、その写真に見る意味ぐらい、遠目に見ている太田にも解っていた。


(……イノシゲさん。)


 ぱしゃり!


 知らないうちに、シャッターを切っていた。


 ぺろりと吐き出された写真には、たくさんの子供に囲まれた、赤ら顔の髭面の男が……ここ数年ぶりの、一番の笑顔で、そこに写っている。


「お姉さん!」


「おっと!」


 腕を引かれて、太田は慌てて写真を懐にしまう。その、自分の手を引くタニシ帽子の少年と眼を合わせて、太田もにかりと笑い、手招きする髭面のもとへ走ってゆくのだった。



◆明日の更新は、再び本編!

 ようやく地下鉄の廃駅を見つけたビスコたちは――?◆

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