【番外編】マッシュルーム・スナップ3

「うわァーッ! イノシゲさん! 見てくださいよォ」


 修学旅行生のように目を輝かせて、太田おおた忌浜いみはまの繁華街を指さした。忌浜の街は、大悪党赤星あかぼしの暴れたくった傷跡を色濃く残しているものの、それでもそのネオンを消すことなく、ぎらぎらと夜を照らしている。


『たのしくて』『唐 草 大 通 り』『あんしん!』と書かれた大きなアーチを潜れば、そこにはもう多種多様の露店、売店が所狭しと並び、太田の頬を火照らせた。


「あの並んでる屋台は、イヌエビの煮込みッすね。美味そうっ! こっちは、漫画に、CDに……すっごいなァ、なんでもありますよ! さすが忌浜。都会だなァーッ」


「けえっ! 何がこんなモン。群馬にだって、これぐらいの都市はだな……」


「高崎のこと言ってます? 勝負になってないんだよなァ」


 いかにも楽しげにあたりを見回す太田の一方で、髭面は、光るネオンに何故だかふとこみ上げる、かつての記憶を思い出していた。


(父ちゃん! すごいや、どこも、お店がいっぱい!)


(この飴、どうやって食べるんだろ……あっ、そうやるんだ! ありがと、父ちゃん!)


(父ちゃん、みて! 花火だよ、父ちゃん……)


「……父ちゃん、か……」


「何、泣いてんすか、イノシゲさん」


「おわァッ」


 自分から離れたと思ってすっかり油断したところに、太田が音もなく忍び寄り、髭面の顔を下から覗き込んでいた。慌てて飛び退る髭面は背中に強かに電柱を打ち付けて、声もなくうずくまる。


「気持ちはわかりますけどォ。いくら県力の違いを思い知らされたからって、泣くこたないでしょ。別に、群馬は群馬で、いいとこありますから」


「お、お前、いつの間に……それ、何を買ってきやがったんだ?」


「へへ! 美味しそうじゃないッすか?」太田は、カラフルに彩られた、星型の棒付き飴のようなものを二本、楽しそうに掲げて見せ、うち一本を髭面に渡した。「桃ヒトデの、蜜漬けだって。……でも、これ、舐めても甘くないんすよ。変なもん、掴まされたかな?」


「……やれやれ。最近の、若い奴は」


 太田から手渡された、カラフルな桃ヒトデを、懐かしそうに眺めて……髭面はゆっくり立ち上がると、太田の肩をこづいた。


「ヒトデ飴の食い方も知らねえんだからな。いいか、これは、外側を舐めるんじゃねえ。こうやって、端っこを、千切ってから――」


 髭面は言いながら、ヒトデ飴の、その星型の尖った角を食いちぎる。すると、そこからとろりと琥珀色の蜜がこぼれ出し、芳醇な桃の香りがふわりと辺りに漂った。


「この、中の蜜を吸うんだ。ヒトデ飴ってな、そういうモンなんだよ」


「うわぁーっ! へぇーっ! はふがイノヒゲはん、伊達にほひふってるはけじゃないんふねぇーっ」


「食いながら喋るな! 舌噛むぞ、バカ!」


「あまーい、美味しい!」


 蜜を吸って笑う太田の、その天真爛漫な笑顔は、あの南関所で見せる、いつもの鬱屈とした表情とはまるで違うものだった。


 その笑顔はそれだけで、


(確かにこいつの言うように、こういう休暇もありなのかもしれない……少なくとも、こいつにとっては……)


 と、髭面の認識を改めさせるのに、十分な威力を持っていた。




「北門を、抜けたい???」


「無理でさぁね。そりゃそうだ。おい太田、もう帰ろう」


「文化財を取材することの、何が動機不十分なんです! 各地に点在した文化をフィルムに収めるのが、自分らジャーナリストの仕事なんですよっ!」


(関所役員が、いつからジャーナリストになったんだ!?)


 忌浜県庁のパスポートセンターで、太田が暴れている。埼玉鉄砂漠に次いで、この忌浜の出来事が太田の冒険心に火をつけてしまったらしく、とにかくいろんな理由をつけて、危険極まりない旅路へ自ら飛び込もうとしている。


藻原もばらへ。護衛もなしで? 正気の沙汰じゃない。お引取りを」


「自分らは、カバ車で埼玉砂漠だって抜けてきたんです! 多少、危なくたって……」


「おーい警備員、何してる! この二人、つまみ出して……」


 そのパスポートセンターの受付が、急にしんと静まりかえる。


 開かれたドアの向こうから、数人のウサギの覆面を被った黒スーツに囲まれて、長身の男が、こつこつと革靴を響かせて歩いてきたのであった。それまで騒がしかった受付の空気はがらりと変わり、どこか皆怯えるように、その男の視線を避けようと俯いている。


(誰ですかね?)


(バカ。あれが例の、忌浜知事、黒革くろかわじゃねえか)髭面が声を抑えて、太田の耳元に囁く。(蛇みてえに執念深い男だって話だ。目、つけられるまえに、さっさと……)


「旅行者か?」


 急に差し込む冷気のような声に、思わず二人は、びくうっっ! と身体を縮こませた。


 黒革は、受付で頬杖をついて二人の顔を見上げ、「ようこそいらっしゃい。はるばるよく来てくれたな。忌浜は楽しんだか? すまんな、丁度今、映画館が潰れちまってて……」などと、楽しそうにべらべらと喋りだした。


「ところで、何を騒いでた? 何か問題があったか?」


「いえ、その……こ、こちらの方が、護衛もなしに、北門を抜けたいと仰って……」


「北門を、抜ける?」


 黒革はそこで不思議そうに、二人の表情や身体を、舐め回すように見つめる。


「自殺志願者には見えんものな。やめたほうがいい。ただでさえ今、浮き藻原は――」


 黒革はそこまで言って、髭面の後ろに半身だけ隠れるようにしている太田の、首から下げた一眼レフに目を留めた。


「……。……きみ、写真、やるのか?」


「……え、えっ? は、はい、しゅ、趣味で、その……!」


「どういうのをやるんだ? 人物か、スナップか……。今、何枚か出せるか?」


 黒革に言われるままに、太田は懐から、自分の写真の束を取り出して……それを黒革に渡した。黒革は、じっくりと一枚一枚を舐めるように見つめて、たまに側近のウサギ面にそれを見せては、感嘆したように首を振っている。


「――アメイジングだ」黒革は、心底感動したというふうに何度も頷いて、その写真の束を太田へ返す。「世界に起こる、些細だが力強い一瞬一瞬を、すばらしいタイミングで切り取っている。滅んだこの文明はようやく、もう一度世界にカルティエ・ブレッソンを呼び戻したんだ……特にその、キノコに向かう男の写真が、実にいい。滅びに立ち向かう生命の決意を、真っ直ぐに表現している」


(……お前、そんな凄い、カメラマンだったのか?)


(い……いや??? て、適当ッすけどねえ?)


 脂汗を流す二人をよそに黒革は勝手に感動して、何度か一人で頷くと、側近のウサギ面に何事か囁く。そして、受付の職員にも、その冷酷な声で命令した。


「この二人に手形を出せ。ゴールドでな」


「し、しかし、知事……」


「芸術家が、芸術を求めて歩く道程は、尊い……お前ら凡人が、邪魔をしていいもんじゃァねえんだよッッ! 解ったら、言う通りにしろッ!」


 受付はその恫喝に震え上がって、片っ端からばんばんハンコを押し、二人の手形を処理していく。呆気にとられる二人を覗き込むようにして、黒革は「にィィ」と、背筋を凍えさせるような歪んだ笑みを浮かべた。


「君たちには、このウサギどもが何人か護衛につく。何にも気兼ねなく、写真活動に勤しんでくれたまえ……それから、撮ったものは、必ずオレに見せること。いいね?」


 凍りついたようにこくこくと頷く二人を、黒革は満足げに眺めて……やおらつかつかと髭面のほうへ歩み寄り、その手を強く握った。


「あんたが、お師匠という訳だな。よく、お弟子さんの才能をお見抜きになられた……今の日本にこそ、あんたたちのような芸術家が、必要なんだ」


「い、いや、オレは、そんな、ただのっ」


「きみ! 一枚くれたまえ」黒革は髭面の言葉などまったく無視して、髭面と肩を組むと、背後を彩るようにウサギ面をずらりと並べた。「これはまあ、ただの記念写真だが、まあよかろう。現役の写真家に撮ってもらう機会なんて、そうそうないからな」


 太田は言われて、慌ててカメラを構え……それが本当に、ただの奇妙な記念写真でしかないことに不満はあったのだが、


 ぱしゃり!


 笑う黒革と、引き攣る髭面の対比が個人的に面白かったので、ズームを変えて何枚か撮ってやり、一枚を自分の懐へ仕舞っておくことにした。



◆無事に手形をゲットしたふたり! 一方そのころ、忌浜を飛び出したキノコ守りコンビは――気になる続きは明日更新!◆

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